27 ラバー-1-

今日は、全ての授業を集中して受けることが出来た。

私は、授業が終わった後、再び保健室に向かう。

そういえば、私、どうして自分で通学するのを禁じられてるのかしら……。

電車を使えば、1時間もかからずに学校に来れる場所にマンションはあるのに。

でも、一人で居てまたあんな記者に声をかけられるのもゴメンだしな――。

有名人は大変なのね、と、ため息をつかずにはいられない。

終始他人の目を気にして生きていかなきゃいけないなんて。響哉さんは息苦しくないのかしら。


保健室に入ると、しぃ、と、佐伯先生が唇に人差し指をあてて私を見た。その視線の先を辿れば、奥の机に突っ伏して、響哉さんが眠っていた。形良く整えていた髪の毛が、今はさらりと流れている。


「叩き起こそうか?」


面白そうに先生が聞いてくる。これで私が頷いたら、迷いもせずに『叩き起こす』のだろう。


「寝せといてあげてください」


響哉さんが無防備に眠れる場所なんて、きっとそうたくさんはないから――。


「そお?」


つまらなそうに言うと、先生は乱暴に椅子に座って煙草に火をつけた。


「どうして映画監督になろうと思わなかったんですか?」


「まだ、将来の仕事探し続けてんの?」


私の質問は、あっさりと質問で返される。


「当たり前じゃないですか。

 まぁ、でもそれは置いておいて。あんなに素敵な映画を撮ったのにどうして映画監督を目指さなかったのかなーと思って」


私は昨夜見た映画のことも、とても気になっていた。


「あれにかかってる制作費、いくらだと思う?」


にやりと唇を歪めて先生が問う。


「――え?」


「軽く、普通の商業用映画1本撮れる位の金額かけてんの、アレ。

 しかも、そっちと違ってあれは、人件費ゼロ。

 ありえないって、普通」


「だから、相当の時間や設備が惜しげもなく使えた。

 それに、メンバーのカメラマンの中にやたらとファンタジー系が得意なヤツと、時事系が得意なヤツがいたからね。

 最初はそれを完璧に二班に分けて、まるで別々の映画でも撮るかのように撮影させたのさ。

 そうして途中から、二つの班をあわせていく。

 ――ね、そんなに難しいことじゃないし、逆に言えばプロで映画を撮るなら、そういう手法は使えないだろ?

 学生ならではの撮影方法で最善を尽くしたまでさ」


先生は何でもないことのようにさらりと、ネタを明かしてくれた。


「……でも」


それは、立場を最大に活かした手法をいくらでも思いつくということでもあって……。

映画監督を目指さなかった理由にはならない。


「それに、あの映画の完成には真朝ちゃんも大きく寄与してくれているしね」


「……私が?」


「そう。

 朝香ちゃんの妊娠が、あの作品には大きく効いている」


「でも、それを効果的に見せるような脚本を書いたのは――」


「俺って言いたいところだけど、脚本は共作。

 今、脚本家やってるヤツが当時、うちのメンバーの中にいてね。

 大枠は俺と響哉とで考えたけど、細かい部分はそいつに任せた」


上手いこと全てが組み合わさってできた幻の一作ってとこかな、と。

先生は謙遜ともとれるような発言をしてから、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。

「その潤沢な資金元は、やっぱり須藤家なんですか?」


いつの間にか、私の興味はあの映画の作成秘話に移っていた。


「まさか」


にこりと先生が笑う。


「響哉が映画に興味があるなんてこと、じいさんの耳に触れただけで面倒なことが起きるに決まってるじゃない。

 だから、出来るだけ須藤のコネは使わない方針で。

 どうしようもなく使うことがあれば、俺の名前を出すように心がけていた。

 本家でなければ気楽なものさ」


「じゃあ、資金集めも先生が?」


「真朝ちゃん、インタビュアーの素質があるんじゃない?」


興味の尽きない私に向かって、先生が肩を竦めて見せる。


「ゴメンナサイ。

 私、掘り葉掘り聞こうと思ったわけじゃなくて……」


「いいよ、別に。

 隠すほどのものでもない。

 あの資金元は株。

 響哉がいい勘してるんだよね。

 俺たちが高校生の頃、ベンチャー企業ブームの頃でね。

 まだ、学生である響哉の元に、いろんな奴らが押しかけては金の無心をしていくんだ。

 今思えば、捌ききれなくなったじいさんか誰かが回してきたのかもしれないな――。

 そういうのにはあまり興味を示さなかったあいつだが、中には面白がって買った株もあってね。

 それらが見事に大当たり。

 一株100円で買ったものが、数万円に膨れ上がっていく様は、見ていて気持ちよかったな」


「そうやって、あることないこと口にして、俺の彼女を口説くのはやめてくれない?」


いつ目を覚ましたのか。

響哉さんの声に、弾かれたように目をやると、瞳が合った瞬間蕩けるような笑みを私に送ってくれる。


「何度も言うが、20歳も年下の女性に興味を持つというお前の感覚が理解できないね」


「お褒め頂き恐縮です」


響哉さんは立ち上がると、まるで舞台に上がった俳優のように丁寧に一礼した。


「……褒めてねぇよ」


絶句の挙句、ようやく言葉をひねり出した佐伯先生を気にも留めず、私の手を引っ張って立ち上がる。


「待たせてしまって悪かったね。

 叩き起こしてくれても良かったのに」


「ほらね」


間髪入れずに得意げに言う先生に、響哉さんは冷たい視線を向ける。


「……てめーが叩き起こしにきたら、きっちり返り討ちにしてやるよ」


「真朝ちゃん。

 そんな横暴な男と一緒に暮らして、大丈夫?」


先生の言葉は、私に向けられているようでその実、響哉さんに向けられている。


「俺は喧嘩を売る相手は選ぶんだよ、バーカっ」


響哉さんは相変わらず口が悪い。

それは、仲の良い小さな友達同士を思わせる微笑ましいものではあるけれど。

佐伯先生も、それに合わせるかのように冷たい瞳に変える。


「じゃあ、来週からはスドキョー自らがお姫様を連れて、学校に来るってわけね」


頑張ってー、と、ひらひらとその手を振って見せてくれた。

響哉さんが、宝石を思わせる美しい瞳で私を見下ろした。


「ねぇ、マーサ」


その声は、溶けそうなほどに甘い。


「……なぁに?」


応える私の声もきっと、同じような色を帯びているに違いなかった。


「こんな学校、辞めちゃえば?」


熱く囁かれた言葉は、とんでもない暴論。


「……嫌よっ。

 アメリカに行くまではこっちで勉強するの。

 大丈夫よ、私ちゃんと自分で電車に乗ってここまで来れるもん」


私は焦って早口に言葉を紡ぐ。

二人の喧嘩に巻き込まれて、学校中退なんて、ありえないわ。


「ほら、やっぱり我が侭で横暴――」


先生がぼやくのも聞かずに、響哉さんが不意にぎゅうっと私をその胸に抱き寄せた。


「……キョウ……っ」


驚きのあまり、瞳を閉じることさえできなくて、私はただ抱きしめられるに任せることしか出来ない。


「一緒にアメリカに来てくれるんだね、マーサ。

 嬉しいよ」


抑えた声からは、それでも歓喜の気持ちが滲み出ている。


「……俺の前でいちゃつくなって、何度言わせるつもりなんだよ……

 Go out!(出て行けっ)」

 

先生は呆れ気味に言葉を投げてから、私に向かってにこりと笑った。


「心配しなくても、月曜日にはいつものように迎えに行くよ」


「……ありがとうございます。

 でも、私、自分で通学できるので……」


「マーサ」


響哉さんが困った声で私の名を呼ぶのと、


「それは駄目だ」


先生がきっぱり言い切ったのはほぼ同時だった。


「どうして?」


私は響哉さんの腕を振りほどいて二人に聞く。


「私、つい先日までは自分で学校に通ってたのよ」


「それは知ってる。

 でも、今は駄目だ。

 少なくとも、あの記者には響哉との関係を勘付かれているんだろう?

 また絡まれたらどうするつもり?」


「……だから、駄目なんですか?」


教えてくれた先生に問い返した声は、僅かに震えていた。


「だって、あの人は私のことを響哉さんとママとの娘だって思ってるんですよ。

 ――だからっ」


私は震えを抑えて言葉を続けた。


「だったら余計に危ないかもよ?

 響哉の娘に近づけば、響哉本人に近づけるって考える輩が現れるかもしれない」


興奮が抑えられない私とは対照的に、先生は冷静に言葉を紡ぐ。


「じゃあ、私はずっとこれから単独行動禁止ってこと?」


「そこまでは言ってない。

 休日の自由まで奪われたくはないだろう?

 でも、毎日同じ場所を同じ時間に通るのは今は止めた方が無難だって――」


先生はそこまで言うと、中途半端に言葉を切った。


響哉さんの指先が、こらえ切れずに溢れてきた私の一筋の涙をそっと拭ったせいかもしれない。


「そんなに辛い?」


響哉さんが心配そうに私に聞いてくる。


「……ううん。

 そうじゃないの」


私は首を横に振ってから言葉を続ける。


「そうじゃなくて、ただ――。

急な変動に頭がついていかないだけ。

今までは、一人で何でもやっていかなきゃ。私には、パパもママも居ないんだしって。

心のどこかで思ってたし」


もちろん、義理の両親はよくしてくれたけれど。

甘えてはいけないと、自分に言い聞かせ続けているところがあったのは、事実。

響哉さんが現れてから、急に私は過保護なまでに守られるようになった。

今日まで、考えもせずに流されるように甘えてきたけれど――。


言葉がまとまらない私に声を投げてきたのは先生だった。


「真朝ちゃん、心配すること無い。

 昨日あわせた兄貴には娘がいるんだけどさ。彼女、本当に可愛くて、目に入れても痛くない。

 俺にとっては、真朝ちゃんも彼女同様可愛い姪っ子にしか見えない。

 迷惑だなんて思ってないさ。

 ――啓二くんたちもきっと、同じ気持ちだと思うけどね――」


それとも――と、言葉を切って先生が苦笑する。


「俺に甘えるのは、嫌?」


「嫌、ってことは、ないです――」


「それは良かった。

 俺は響哉と違って何の見返りも求めないし」


ふわりと先生が唇を綻ばせる。


「もちろん、響哉に甘えるのに遠慮なんてしないだろう?」


言葉が出ない私に、先生が続ける。


「俺に甘えられて響哉には駄目、なんて言ったら最後。

 本当に手を放してもらえなくなりそうだよ?」


くすりと、からかい半分にそう言うと、辛そうな瞳で私を見つめたまま、ほとんどフリーズ状態の響哉さんの肩をぽんと先生が叩いた。


「さ、俺に説得できるのはこれが限界。

 あとはベッドの中で気が済むまで話し合えば?」


「……先生っ」


焦る私に、涼しい視線で応える先生。



そうして。


「Do you have a ラバー?」(ラバー持ってる?)


と、茶目っ気たっぷりに響哉さんに囁いた。


ラバー……


わざと日本語として発声したので、それがloverなのかrubberなのか、私には分からない。


前者なら『恋人』(それも多分『オトナな関係』を存分に含んでいる感じ)だけど。

……後者なら。


直訳すれば、ゴム。

……でも、それって多分、コンドームのことだよね……?


響哉さんは呆れた顔で先生を見た。


「欲求不満だからって、俺に八つ当たるのはやめてくれる?」


「いいじゃない。

 他にこれと言った楽しみも無いし」


しれっと言ってのける先生の、それが本気か冗談か、私には分からない。


「……マーサ。

 行こう。馬鹿がうつる」


またね、と。

先生がひらひらと手を振るのにぎこちない会釈で応え、私は響哉さんに半ば引きずられるようにいつものルートで駐車場へと向かった。

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