26 OFFモード

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「お疲れ様でした」


頭を下げる春花に、手を挙げるだけで応えてみせる。

個別のインタビューが終わったのは、午後2時を過ぎてからだった。


「タクシーで帰っても?」


忙しそうな春花に言うと、どうぞと言ってくれたので、後のスケジュール管理と打ち合わせはスタッフに一任することにして、シャワーを浴びてから学校に向かった。


スーツから、ラフな服に着替える。


「……律儀だな」


保健室に向かうと、頼太は俺を一瞥してから、肩を竦める。


「だろ?」


今すぐにでもベッドに潜り込んで眠ってしまいたい欲求に耐え、渡された珈琲を胃に流す。


「……で、何?

 ついに恋に落ちましたっていう報告なら別に、いらねーぞ」


……お見通しってわけか。


胸に浮かぶのは珈琲よりずっと苦い想い。

恋が絡んで判断を誤る人たちを幾人も見てきた。


自分はまさか――。

そういう無様な感情とは無縁だと、信じてきたのに。


「しねーよ、ばーか」


呟いてみるものの、昨日と今日では何かが明らかに変わってしまったと認めないわけにはいかなかった。


「だけど、Dr. Suzukiには連絡しとけよ。

 予想より1年半も早く研究室に戻れそうだって――」


俺の言葉に、頼太は特に驚きもせずに、肩を竦める。


「俺のことなら心配すんな。

 先月、ようやく纏めたあげた論文を送ったら、今すぐにでも戻って来いって騒いでたから」


なんでもないことのようにそういうが、第一線から離れても尚、現場の人間から戻って来いと言われるような論文が書けることに舌を巻く。


そんな男を第一線から遠ざけたこと自体、非常識なわがままだったのだろう。


「お前が時間をくれたお陰で、ようやく行き詰まりから解放されたよ」


俺の心の内でも読んだのか、さらりと頼太がそう付け加えた。


「真朝は、なんて?」


頼太が俺の発言に驚かないということは、真朝が何か言ったに違いなかった。


「悩んでたぜ」


……そうだよな。

  急にアメリカで暮らそうなんて言われて、簡単に喜ぶ人なんて、そうは居ないだろう。


「将来の仕事について、具体的なビジョンを抱いてないのはクラスで自分だけだろうかってことに」


「……は?」


思いがけない発言に、俺は思わず珈琲を噴出すところだった。

が、頼太は至極真面目な顔をしている。


「誰も彼もが16歳かそこらで、将来なりたい仕事を決めてるわけじゃないってこと」


「俺が彼女を悩ませたって言うのか――」


知らず、唇を噛んでいた。

空になった珈琲カップを俺の手から奪った、頼太は苦笑している。


「俺にはわかる。

 自分の将来を周りに振り回されっぱなしだった自分のことが嫌だった。

 真朝ちゃんを同じ目に合わせたくなくて、その質問をしたってことは」


一呼吸置いて、言葉を続ける。


「だから、それは別にいいんじゃない?

 彼女にとっても、将来のことを考える良いきっかけになったわけだしさ」


「じゃあ、何が言いたい」


もったいぶった言い方に、苛々が募ってくる。

クツクツと、喉の奥で笑う頼太が疎ましくすらある。

もっとも、今更俺がどれほど睨んだところで、それを気にやむような男ではない。

むしろ、いっそう楽しそうに肩を震わせて笑ってやがる。


「天下の須藤響哉も、ついに自分の我が侭を抑える日が来たんだと思うと、可笑しくて仕方がねーんだよ」


佐伯は、芝居なのか。

眼鏡を外して涙を拭うという仕草まで見せつけて、派手に笑う。


「お前みたいな冷酷なヤツには、絶対に訪れない瞬間だと思ってたのにな」


「頼太。

 煩い」


俺は拗ねた少年のように、ぷいと視線を逸らして窓の外を見た。


初夏を思わせる日差しに、目を細める。


「ま、いいじゃない。

 転んでみないと痛いかどうかはわかんないわけだし。

 頑張れば?」


兄ちゃんは応援してるぞー、と。


たった一つしか違わないクセに、佐伯頼太は昔のように俺の頭をぐしゃりと無遠慮に撫でやがった。


「うぜえっつーの」


俺はハエでも追うようにそれを振り払い、悪態をつく。


「ずっとそのくらいの態度を貫いて欲しいもんだな」


珈琲カップを洗いながらそう言う。


不意に訪れた睡魔に、逆らわずにテーブルに伏せる。


朝、無駄に早起きしすぎたせいか、それとも――。

昨夜、真朝を腕の中に抱き寄せたまま、しばらく寝付けなかったせいか――。


こんなに胸がざわつくことがあるなんて、思ってもいなかった。

しかも、相手は生まれる前から知ってる子だって言うのに。



ひどく息苦しくて、眩暈がして。


――何、振り回されてんだろ、俺――。


馬鹿馬鹿しくて苦笑が浮かぶ。


『人を好きになったことなんてないから、分からないのよ、アナタには』


随分昔、俺にそう言い放ったのは、誰だったか。


――確かに、な。


今なら分かる。

どんなことだって、やはり、身に起きてみなければ分からないのだ。


それにしては、とも思う。

恋を知らなかったにしては、今まで恋愛映画で演じた俺の演技は上々だったのではないだろうか。



いかなるときも、感情に左右されてはいけないと、祖父が口うるさく言っていたっけな。


だから、俺は全ての感情を出来るだけ飲み込むようにして――もちろん、周りにそれを悟られないように、感情豊かなふりを装いながら――昨日まで、生きてきた。


けれども。

一瞬にしてそれを砕かれるなんて。


そんなことを思いながら、いつの間にか眠りに落ちてしまった。

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