25 ONモード-1-

ふと目が覚めた時、隣に響哉さんは居なかった。

手を伸ばすと、シーツのぬくもりは薄く、私の心に胸騒ぎが走る。


時間は朝の6時前。

それを目の端で確認してから、部屋のドアを開けたら――。


そこはまるで別世界のように、騒々しかった。


「スドーさん、少し髪を切ってもいいですか?」


テンションの高い女性の声。


「だから、駄目だって言ってるじゃない。

 監督がイメージと違う、なんて言い出したらどうすんの」


私は、その耳に聞こえた響哉さんの声をどう表現したら良いか分からない。


私に向けるような甘さは無い。

けれども、佐伯先生に向けるような親しみのある声でもない。


強いて言えば、そう――。

余所行きの、声。


「ウィッグかぶればいいじゃないですか」


「ダメダメ。

 そういう微妙な質感、結構スクリーンから滲み出てくるんだから。

 とにかく、この長さのままなんとかしてよ。

 プロでしょう?」


「……はぁい」


……プロ。

  ってことは、そこにプロのヘアスタイリストさんが居るってこと?


私は隙間が開いているリビングに、入っていく勇気が持てないで居た。


「社長。

 そろそろ、彼女を起こして参りましょうか?」


その声が春花さんのものだということは、分かる。

もちろん、仕事モードのきびきびとした喋り方だ。


「ええ、スドーさんって、彼女と暮らしてるんですか?」


きゃぁきゃぁと女性陣が色めき立つ声が響く。


一体、何人居るのかしら――。


「当たり前じゃない。

 彼女が一秒でも長く俺と一緒に居たいって言うから、わざわざ家でメイキャップしてるんだから」


うわぁっ。

さらりと、微塵の躊躇いも無く、嘘をつくのは止めて下さい。


「ええ~。

 いいなぁ、彼女っ。

 羨ましいっ」


「だろ?

 そりゃ、俺の彼女は世界一幸せじゃなきゃ。

 俺と付き合う意味、ないじゃない」


……響哉さん?

  言ってる意味が、分かりませんけど。


歯が浮くどころか、身体が浮かび上がりそうな台詞に、私はくらりと眩暈を覚えたけれど、どうやらリビングの中の女性陣のボルテージはさらに上がっていったみたい。


「ですよねぇ~」


なんて相槌まで打ってる人がいるんだもの。


「ねぇ、本当にこんなのつけたほうが良いわけ?」


響哉さんが呆れ声で問う。


「お気に召しませんか?

 クロムの新作ですよ」


さっきとはまた別の女性。


「いくらなんでも、付け過ぎじゃない?

 これじゃまるで、アクセサリーの見本市だ」


「そうですかぁ?

 会場の雰囲気に合ってると思ったんですけど」


「最終決定は現場で。

 とりあえず、一応完成と言うことで、私たちは一足先に現場に向かってますね。

 ……本当に、行きの足はいいんですか?」


春花さんが、煮え切らない会話をてきぱきと打ち消して、話をまとめる。


「ああ。

 頼太に強請る。

 駄目ならタクシーで行くから」


「くれぐれも、ご自分で運転しないでくださいね」


「はいはい。

 もう、俺が自分で彼女を起こしてくるからいいよ。

 お疲れ様」


「えー、彼女見たかったのに」


ねぇ、と。

女性たちがざわついている。


「大切な人を、そう簡単に皆に披露するわけないじゃない。

 じゃ、とりあえず次は会場で」


はぁいという返事。

しばらくざわめいていたが、そのうち、逆の扉から皆が出て行ったみたい。


しん、と、静かになる。



私は扉の手前に立ったまま動けない。


……どうしよう。


不意に外側からドアが開く。

眩しさに思わず目を細めた。


くしゃりと、上から頭を撫でられた。


「おはよう、マーサ。

 少しは元気になった?」


艶っぽい声は、いつもと同じ甘い色を帯びている。

私はつられるように顔をあげて――。


思わず息を呑んだ。

それでなくても綺麗なのに。

今は薄っすらとメイクが施してある。


それが余計に、筋の通った鼻や、形の良い細めの瞳、そして紅い唇を強調している。


無造作を装って整えられたヘアスタイルも、響哉さんにぴったりで――。


それをさらに引き立たせるような、光沢のあるグレーのスーツ。


彼の細く長い指は、いくつもごつごつしたシルバーのリングで飾られているし、左の耳には同じシルバーのイヤリング。


それら全てが見事にマッチして、彼の全身から芸能人独特のオーラが溢れていた。


「……変、かな?」


私があまりにも長い間見蕩れているので、響哉さんは困った顔で首を僅かに傾けた。


シルバーのイヤリングが揺れて、煌く。


私は慌てて首を横に振る。


「……なんか、いつもと違うから……」


こみあげてきたミーハーな気持ちと動揺を呑みこんで、出来るだけ平静を装ってみるんだけど――。

上手くできている自信はない。


「いつもこんなに整えてたら、肩が凝って仕方が無いでしょ」


響哉さんはふわりと笑ってそう言うと、私に触れるだけのキスを落とす。


「朝ごはんにするから着替えておいで。

 今朝はついでに俺も、頼太に送ってもらおうかと思ってるんだ」


私は急いで朝の身支度を整える。

響哉さんはその間に、サンドイッチとジュースを並べてくれた。


響哉さんはもちろん、ジュースじゃなくてコーヒーだ。


「今日は、何をするの?」


「来月の映画祭の告知。

 映画配給会社が、どうしても、日本のファンと触れ合っとけって煩くてさ。一時帰国もバラされたし、ま、一度くらいそんなイベントに付き合ってやってもいいかなって」


響哉さんは、あまり興味がなさそうにそう言った。


「人気があるの、嬉しくないの?」


「そんなことないけど……。

 さしてテンションのあがる仕事じゃないってだけ」


仕方ないか、と、響哉さんは苦笑を浮かべる。


その苦笑にすらうっとりと見入ってしまう私は、魔法にでもかかっているのかもしれない。


いつもかっこいいのだけれど、今日は加えて「素敵な彼」を演出している。


そんな響哉さんは、目の前に居るだけで、私を夢見心地にさせてしまう。



「昔、――そう、俺がマーサくらいの年の頃に――、佐伯 頼太の祖父に言われたことがあるんだ。

 あ、頼太の祖父は俺のじいさんの兄貴なんだけどさ。

 ある意味、元祖須藤家を捨てた人、だね」


響哉さんは自嘲的に笑う。


やっぱり佐伯先生と響哉さんって親戚だったんだ。

通りでどことなく似てるのね、と、私は変なところに感心する。


「好きな仕事をどれだけ夢見てその職業についたとしても、本当に好きな仕事が出来るのはほんの一部。

 それをするために9割以上嫌な仕事をしなければいけないものさ。

 その逆に、嫌な仕事を選んだとしても、その中に必ず『好きな仕事』が入っているものだよ。

 ――ってね」


響哉さんは懐かしそうな目でそう言った。


「もちろん、当時は詭弁だと思ったね。

 俺をそうやってここに繋ぎとめたいだけだろう、なんてさ。

 でも、やっぱり年長者の言うことは聞くものだ。

 実際、純粋に俳優業がやりたくても、それ以外にやらなきゃいけないことの方が多すぎる」


そうして、食べ終わった食器を片付けながら聞く。


「マーサは、将来、どんな仕事がしたいの?」


「私?」


そんなに強い夢なんて抱いてなかったから、不意に問われてどきりとした。


「あんまりまだ、考えたことがなかったかも。

 一刻も早く家を出て仕事しなきゃとは思ってたけど、具体的には……」


なんとなく、そんな自分が気恥ずかしくなってきて、私は目を伏せる。


響哉さんはぽんと私の頭を叩いた。

視線を絡ませると、甘く笑って、頬にキスをくれた。


「じゃあ、俺がロスに誘ったら今度こそ一緒に来てくれる?」


今の響哉さんが言うと、それはまるで映画の中の台詞のようで、私はくらりと眩暈を覚えた。


「8月には、向こうに帰ってクランクインしなきゃならないんだ。

 それまでに、考えておいてもらっても良いかな」


私は、反射的にこくりと頷いた。

それから、また、あわただしく朝の準備をする。


「さぁ、時間だ。

 お手をどうぞ、sweety」


差し出された腕に、そっと手を乗せた。

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