24 宅配ピザ-2-
響哉さん、急にどうしちゃったんだろう――。
私は周らない頭でぼうと考えていた。
――私が、ママと同じことを、言ったから?
――ママのことを、思い出したから?
響哉さんはきっと、何度だって『違う』としか言わないと思うけど。
私は手元のDVDを、眺めていた。
響哉さんは玄関でピザを受け取って、美味しそうな匂いとともにリビングに戻ってきた。
ピザをテーブルに置いて、ぼうとしている私の隣に座る。
「食事が終わったら、一緒にそれ見ようか?」
私が持っているDVDに目を落として、ことさら柔らかい声で響哉さんがそう言った。
俯いたまま返事が出来ない私の頭を響哉さんがそっと撫でる。
「まだ、キスが怖いのに――。
無理強いして悪かったね」
「ママに似てるから――?」
反射的にそう言った私の頬を、そっと撫でる。
その仕草があまりにも優しかったので、私は誘われるままに顔をあげた。
「違うよ。
それでなくても可愛い子が、どうしようもなく俺のことをときめかせるから、我慢できなくなって――」
子供が言い訳をするときのように、バツが悪そうに響哉さんがそう言った。
それから、気持ちを切り替えたかのようにふわりと笑う。
「これを見れば判る。
マーサは、朝香ちゃんのコピーなんかじゃない」
「でも、私。
公園であの記者に、『二階堂 朝香さんですか――?』って声を掛けられたんだよ」
おや、と。
響哉さんは形の良い瞳を軽く細める。
「俺の言葉より、そんな通りすがりの男の言うことを信じるの?」
「……そうじゃ、ない、けど……」
そんな風に聞かれたら、否定するほかないじゃない。
「だろ。
ほら、ピザが冷める前に食べない?
それとも、さっきの続きをしようか?」
殊更色っぽくそう言うので、思わず心臓が高鳴る。
けれど、響哉さんの指が顎に触れる直前に、私は弾かれたように立ち上がった。
響哉さんは、ソファにもたれたまま私を見あげた。
無造作なのに、まるで計算されつくしたような彼の仕草に、心臓は勝手に動き出す。
「だいたい――。
急に、どうしたの?」
私は何かをした覚えなんて無い。
普通の会話をしていただけで――。
「ん?
恋に落ちたって言ったじゃない。
――わかんなかった?」
英語でそう囁いたのは分かったけど。
「どうして、急に?」
響哉さんは立ち上がると、ぽんと私の頭を撫でた。
「コーラとオレンジジュース、どっちが良い?」
私は質問に答えない。
いっつもそうやって、逃げる響哉さんはズルいと思う。
視線を逸らさない私を見て、響哉さんは仕方が無いなと苦笑を漏らす。
「俺の贅沢を戒めたのは、昨日までで言えば朝香ちゃんが唯一の人。
だから、マーサが同じように言ってきたのは、驚いたし内心嬉しかった。
……あ、だからって俺の浪費癖が簡単に治るなんて思わないほうがいいと思うけど」
響哉さんは贅沢病を治す気がない旨をさらりと挟み込む。
続けて、彼が整った浮かべたはにかむような笑顔に、私は心臓を鷲掴みにされたような心持ちになって、思わず息を呑んだ。
その表情はまるで、今から人生初告白をしようとする中学生みたいに初々しくて――。いつも、どこか余裕を持って私を見ている響哉さんとは、まるで別人なんだもん。
それから、ふわりと腕の中に私を抱き寄せて、そっと耳元で囁いた。
「でも、俺のことを【立場関係なく】気遣ってくれるのは、マーサだけだよ」
冗談とは思えない、真剣な口調でそう囁かれ、私は驚いて、固まってしまった。
響哉さんに気遣うのは、彼が須藤家次期当主だから。あるいは、人気俳優だから。
そういう立場抜きに、純粋に。
彼に気を遣った人なんて居ないって、響哉さんはそう信じて今日まで生きてきたなんて――。
そんなことないのに。
春花さんだって、佐伯先生だって、響哉さんのことが好きなのに。
――そういうのが伝わらなくなっちゃうくらい、凄い立場なのかな。
私は、なんて言ったらいいか分からなくて、くしゃりと頭を撫でられても、言葉がちっとも出てこない。
「コーラで良い?」
こくりと頷くのを見届けてから、響哉さんが飲み物を取りに行った。
私はピザの箱を開ける。
ミートソースピザと組み合わされていたのは、シーフードピザ。
サラダとチキンも、並べてみる。
「お待たせ」
冷えたグラスにコーラが注いである。
響哉さんのは、多分、ビール。
まるでさっきの会話なんてなかったみたいに、いつものテンションで私たちは乾杯してから食事を始めた。
夕食の後、響哉さんはDVDをセットした。
私はドキドキしながら、ソファに座る。
長い間、思い出すことさえままならなかったママの姿がその中に納められている――。
紅葉の美しい河川敷の公園。
BGMは、綺麗なシャンソン。
『いつになったら彼、帰ってくるのかしら』
ウェーブのかかった長く茶色い髪を揺らしながら、細身の女性が歩いてきて、画面の端でひとりごちた。
――ママだ。
思わず、心臓が高鳴った。
雰囲気を重視したいのか、光がふんだんに使ってあるその美しい画面の中で、ママは一際綺麗だった。
――似てないわ。
私は両手をあげて敗北宣言したい気分になる。
そのくらい、画面の中のママは素敵な美人だった。
愛しい人がある日突然消えてしまった――。
警察に訴えても、周りの人に訴えても、そんな人は居ないと言われ彼女は狂人扱いされていく。
『でも、お腹にはあの人の子供がいるんですっ』
涙ながらに訴える彼女の話に唯一耳を傾けるのが、その事件に興味を持った若手記者。
そう、響哉さんだった。
画面の中の響哉さんは、当たり前だけどとても若く、撮り方のせいなのか、素材が良いのか、うっとりするほどの美青年だった。
幻想的な光の乱反射する映像と甘い音楽。
それは彼女の妄想なのか。
それとも、現実の出来事なのか。
総てが曖昧なままに、話は進む。
彼女目線で描かれるシーンに出てくる響哉さんは、どれもこれも王子様のように素敵に撮られていた。
一方、事実を調べようと奔走するシーンは、さながらドラマに出てくる人気若手刑事を思わせた。
別々の世界のように描かれている二つの世界はやがて巧みに絡み合い、彼女は徐々に、熱心に自分のために動いてくれた彼に心を奪われていく。
ああ、と、思った。
この、桜の花びらが舞い散る公園でのキスシーン。
私の記憶にある、二人の唯一のキスシーンは、「本物」じゃなかったんだ。
私の心の奥にずっと潜んでいたわだかまりが、ふわりと解けるのを感じた。
すごくクォリティの高い映画に引き込まれた私は、エンドロールが流れても尚、動けずに居た。
響哉さんはテレビを消して私の頭をくしゃりと撫でた。
「すっかり遅くなったね。
マーサ、お風呂に入っておいで」
その声も、仕草も。
もう、とっくに慣れたと思っていたのに。
思わず見上げた響哉さんの顔は――当たり前だけど――映画に出ているのと同じだけ整っていて、思わずどきりとする。
ルックスが素敵なのは最初に見たときから分かってたはずなのに――。
映画で演じた役柄を私の脳みそが投影してしまっているのか、響哉さんの横顔を見るだけで、今まで以上に、どうしようもなくときめいて仕方が無い。
「どうかした?」
私があまりにも黙り込んで彼に見蕩れているものだから、不審に思った響哉さんがこちらを見る。
うわぁあっ。
さっき、映画で見たのと同じ、王子様を髣髴とさせるような蕩けるほどの優しい眼差しで私を見るのは止めて下さいっ。
響哉さんは真っ赤になっている私の頬を撫でて、唇を緩ませる。
「キスシーンは、マーサの記憶にあったものと同じだった?」
私がこくりと頷くのを確かめてから、そっと、鼻先にキスをした。
「早く、キスが怖くなくなってくれると、嬉しいな――」
少し掠れた声が、甘く私を誘ってくる。
誤解が解けた今、もう、キスなんて怖くないけれど。
突然調子よくそんなことを言い出すのも、なんだか気恥ずかしくて私は、響哉さんから逃げるようにお風呂場に向かった。
お風呂の鏡に映る私の顔は茹で蛸みたいに真っ赤で。
もちろん、私のプロポーションは、映画に出てきたママとは全然違う。
ママは、まるでアニメーションの登場人物みたいに、儚くて美しかった。
ほぉんっと、オダって記者は、どうして私を「二階堂 朝香」なんて言ったのか、見当もつかないわ。
撮り方が凄いのか、編集が凄いのか、ちっとも分からないけれど。
ママは映画の中で、間違いなく女優だった。(多分……もしかして、あれが素ってことはない……よね?)
愛する人を失って途方に暮れながら、ついにはその楽しかった日々を幻覚だったと勘違いしてしまう、痛々しい哀しい、でも愛らしさを無くさない女性を見事に演じ切っていた。
そうして、物語後半で、響哉さん演じる記者に心を救われ、助けられ、ついには恋に落ちてしまう――。
でも、頭の片隅にあるのは
『消えたあの人』のことを忘れ去るわけじゃなくて。
その、微妙な心理状況をスクリーン越しに具現化した、見事なまでのキスシーン。
映画なんて普段見ないから、他のと比較は出来ないけれど、私は本当にそう感じていた。
あれが本当に唇を重ねていたものであったとしても、完璧なまでに計算しつくされたあのキスシーンは、嫉妬の対象にはならない。
――私はそう思い始めていた。
確かに、佐伯先生の言うとおり、本当に唇は重ねてないのかもしれない。
だって、そうとしか思えないカメラアングルなんだもの。
二人の唇が重なったところは、直接映ってなかった。
それなのに――。
どう見ても、完璧かつあの映画には絶対に必要な「キスシーン」
私、もっと早くこの映画を見れば、こんなにキスに怯えなくて済んだのに――、ううん、むしろ憧れたかもしれない、とさえ思ってしまう。
他の映画は知らないけれど、あの映画を見た女性で、『須藤 響哉』を好きにならないですむ人が居たらお目にかかりたいものだわ――。
そこまで考えて、ドキリとした。
だって、その憧れの人は、もう一週間近くも前から(正確に言えば13年前から)私のフィアンセなんだもん――。
キスも、添い寝もした相手だなんて。
とても、信じられない。
手が届かない芸能人だって言われたほうがよっぽどしっくりくるわ。
心臓が、ばくばく鳴り響いて、とても煩い。
顔の火照りはおさまりそうになかった。
……どうしよう。
私、顔、真っ赤なのが収まらないんだけど――。
ドキドキしっぱなしの私は、もう、今日の昼間のことなんてすっかり忘れて、長い間湯船に浸かっていた。
「マーサ。
大丈夫?」
不意に、お風呂の外で声がした。
私は思わず身体を抱きしめる。
「大丈夫だけど……。
どうして?」
「身体を温めすぎて、また、鼻血が出てきたかと思って――。
大丈夫だったら、いいんだけど」
「うん、あがるね……」
立ち上がった瞬間、くらりとした眩暈に襲われる。
「マーサ、大丈夫?」
響哉さんは濡れるのも厭わずにお風呂に手を入れ、濡れている私を抱き上げる。
大丈夫なはず、ないじゃないっ。
私、どうして真っ裸で抱きしめられてるの?
そう言いたいのに、頭がくらくらして言葉が出ない。
「大丈夫だよ、マーサ。
俺に任せて」
響哉さんはてきぱきと私の身体を拭いていく。
「……だって、恥ずかしいもん……」
「すぐに慣れるよ」
響哉さんはパジャマを私に着せてから意味ありげな笑いを浮かべる。
「な、慣れるって?」
動揺のあまり、思わず声が上擦った。
「ああ、今日は何もしないからあんまり考えないで。
また、鼻血出ちゃうよ?」
響哉さんは手際よく私の髪を乾かすと、私を広いベッドに置いたまま、額にキスを落とすと、お風呂に行った。
「先に寝ておいて」
と、言い残して。
私は、響哉さんの唇が触れた額に触って、ドキドキしていた。
もう、キスに対する怖い思いはすっかり消え失せていて、この心臓の高鳴りは恋する女の子のものでしかない。
……どうしよう。
今更、改めて「好き」なんて告白するの、変だよね……。
それに、映画を見て心奪われたなんて、それじゃただのミーハーなファンと代わりないじゃない……。
恋愛初心者の私の心の中に、様々な想いが去来して、とても寝付けそうにない。
私が寝ていると思い込んでいる響哉さんは、柔らかいライトをつけたまま、そぉっとベッドに横になる。
そうして、私を見てから一瞬目を丸くし、ふわりと笑った。
響哉さんは、いつもと何ら変わらないはずなのに、眩暈がするほどかっこよくて、私の心臓は勝手に高鳴り始める。
「お待たせ」
続いて、腕枕してあげよっか、と、囁かれた。
今までなら動揺して逃げていたのに。
今日の私は、こくりと大人しく頷いていた。
響哉さんは、私の背中を優しく叩いて寝付かせてくれる。
「ねぇ……パパとママっていつ結婚したの?」
響哉さんに聞いてみる。
「いつだったっけ――。
そうそう。
入籍をいつしたのかは知らないけど、結婚式はクリスマスで、皆から密かにブーイングを浴びてたのは覚えてる。
――どうして?」
「エンドロールでママの名前が二階堂 朝香になってたから」
「ああ、それね」
ふわりと響哉さんは笑う。
「先にエンドロールを作ったんだよ、佐伯が。
終わりからイメージを固めていきたいとか何とか言って。
最終的に変えようかって話もしたんだけど、朝香ちゃんは記念になるからこれで良いって笑ってた」
そこまで言うと、響哉さんはくしゃりと私の髪を撫でる。
「積もる話はまた明日。
ね?
今日は倒れたんだから、もう寝なさい」
響哉さんはいつもみたいにことさら私を抱きしめたり、キスしたりしようとはしない。
興奮させたら私の身体に障るから――?
私は気づけば自分から響哉さんの胸に頭を寄せていた。
「こうして寝てもいい?」
「もちろん」
「キスしちゃ、駄目?」
響哉さんは私の発言に一瞬目を丸くして、それから、ふわりと笑った。
「……俺の歯止めが効かなくなりそうだから、今日は駄目。
良い子だから早く寝て早く元気になって。
そしたら、イイコトいっぱいしてあげるから」
頼むよ、と。
響哉さんは心配そうに言う。
それでも響哉さんは私の顎を持ち上げ、触れるだけのキスをすると、そのまま腕の中に抱き寄せてくれる。
「心配なんだから。
――分かるだろう?」
切なさを混ぜ込んだ声が、耳元で囁かれた。
大事な人を失うことが怖いのは、私だけじゃない――
「分かったら、今日はもうお休み」
私はその言葉に従って瞳を閉じる。
慣れた腕の中は心地良くて、しばらくまどろんでいた私は、そう時間をおかず深い眠りに落ちていった。
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