23 So what?-2-

「不思議なんだけどね、マーサ。

 マーサと同い年なのに、梨音ちゃんのことはいつまでたっても小さな子供にしか見えないんだ。

 例えば、そう。

 ペギーが号泣していたら、つい抱きしめたくなってしまう。

 そういう衝動にかられて――」


本当に、ゴメン、と、響哉さんが搾り出すように呟いた。

その言葉に偽りはないのだろう。私の胸にもすとんと言葉が落ちていった。同時に新たな不安が浮かぶ。


車が、マンションの駐車場に着いてから唇を開いた。

 

「じゃあ、本当は私のことも小さな子供のままなんじゃ――」


言った途端、響哉さんは運転席から手を伸ばし、車内で私を無理矢理抱きしめた。


「それは違うよ、マーサ。

 許されるなら、今すぐにでも全部攫ってしまいたいくらい、本気で愛してる」


真剣な声が、耳元で響く。


あまりにも思いつめたような口ぶりに、心臓が痛くなる。


「でも、大丈夫。

 俺はマーサの気持ちを最優先するよ。

 無理矢理モノにしたりしないから、心配しないで」


私の緊張が伝わったのか、響哉さんは殊更優しく甘い声でそういうと、ゆっくり私から身体を離した。


「ほら、お部屋に戻ろう」


響哉さんは私を連れて、マンションの一室へと戻る。

着替えた私をソファの上で、まるで飼い犬のようにべたべたと抱き寄せ、背中や頭をなでまわして、過剰なまでに甘やかす。


「どうしたら、マーサは俺を許してくれる?」


すっかり大人しくなった私に、響哉さんが優しい声で問いかけてきた。

「もう、怒ってないもんっ」


私は視線を逸らしてそう言う。

子供っぽいのは分かっているけれど、どうしたら良いのか良く分からない。


響哉さんはそんな私を抱きしめて囁いた。


「怒ってるなら怒ってるって言っていいんだよ。

 ここでは、自分の感情を押し隠す必要なんてない。

 俺はつい、マーサを傷つけてしまうけど――。

 それでも、誰よりも何よりも大事に思ってるから」


響哉さんは、真剣にそう言ってくれた。

本当はもう、それだけで十分って、わかっている自分も居る。


梨音と響哉さんは長い間仲違たがいしていたから――。

仲直りするのに、あのくらいのスキンシップも必要だったんだって、わかってあげようとしている私もいる。


「今日、保健室での話だってまだ途中のままだし――。

 そうだ、マーサが見たがっていた映画も手に入れた。

 どれから話そうか?」


「映画」


そう。

動くママが見たい。


そして――。

私の記憶にある、二人のキスシーンがそれと同じかどうかも確かめたかった。


……でも。


記憶の中のママはもう、だいぶ風化していて。

それを、改めてみるのが怖くもある。


「ねぇ、響哉さん」


私は思い切って響哉さんを見上げた。

形の良い瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。


「私、ママとパパのどっちに似てる?」


響哉さんは、一瞬目を丸くして、それからぎゅうと私をその胸に抱き寄せた。


「二人の良い所だけ全部集めたような、素敵な子だよ、マーサは」


「まだ、全部思い出せた自信がなくて……。

 ねぇ、本当にママとキスしたこと、ない?」


「ないよ。

 でも、この映画でキスシーンは演じたけれど。

 真一が怖くて、唇は重ねられなかったなー」


茶目っ気たっぷりのその言い方は、どこまでが本心なのかよく分からない。


「……残念?」


響哉さんの手が、私の頭をそっと撫でる。


「今となっては、そっちの方が良かったって思ってる」


響哉さんは言うと、自嘲的な笑いを漏らした。


「身勝手な男でゴメンね」


私は思わず笑ってしまう。


「響哉さん、ずっと謝ってばっかり」


「……変?」


「響哉さんはなんかこう、堂々としていたほうが似合うのに」


響哉さんは私の髪を撫でると薄っすらと笑った。


「俺の薄っぺらいプライドなんて、マーサのためにならいつでも喜んで捨てるさ」


響哉さんは私の髪の毛に指を通してそのまま頭を掴むと、そっと額にキスをした。


「本当だよ。

 マーサのためになら、なんだってする。

 多分、マーサが思ってるよりずっと、俺はマーサに夢中だから――」


言うと、響哉さんは恥ずかしげもなく、私の髪にキスをした。


「……でも、本当は私の婚約者で居るのは、響哉さんが実家を継がないための口実、なんじゃないの……?」


いくらなんでも、20歳も年下の3歳の子に、そこまで惚れるなんてこと、ありえない。

そんな都合の良すぎる御伽噺おとぎばなしを簡単に信じてしまうような、子供じゃないし、私。


響哉さんが梨音を抱きしめているのを見ただけで、胸が張り裂けそうに痛くなっちゃうんだもの。



振られるなら、今がいい。

これ以上先に進んだら、私……。

別れたくなくなっちゃう。

今ならまだ、パパとママのお友達として響哉さんのことが見れるから――。


響哉さんは少しだけ、困った顔で私を見て、ゆっくりと髪の毛から手を離した。


そうして、懐かしそうに目を細めて話し始めた。


「俺が気に入っていた人に良く似た、小さな女の子が、俺のこと大好きだって毎日毎日、しつこいほどに繰り返すんだ。

 俺が逢いに行けない日が一週間続いたら、どうしてたか覚えてる?」


私は首を横に振る。


「ケータイ電話。

 真一の電話を勝手に取って、片っ端から電話をかけるんだよ、マーサは。

 俺に繋がるまでずっと」


……それは、子供の手が届くところにケータイ電話を置きっぱなしにするパパに非があるのでは……。


「もちろん、それは最初の一回ね。

 次は俺との専用電話をプレゼントした。あの頃は、通話料ゼロ円プランってのがあったからね。

 でも、初めて俺と電話が繋がった時の、心底嬉しそうなその声。

 俺は一生忘れないよ――」


響哉さんは柔らかい笑顔を浮かべた。

「……それが、あまりにも嬉しかったから。

 私の願いを叶えようって思ったの?」


半信半疑で、そう聞いてみる。


響哉さんは相好を崩す。

この、どこまでも蕩けてしまいそうな甘い笑顔にも、すっかり見慣れてしまって。


……それでも、この笑顔を見るたびに胸がトキメク。


「半分は、そうだな――。

 家からも逃げたかったし、言い寄ってくる面倒な女の子たちからも逃げたかったよ。

 確かに、マーサの言うとおり。

 でも、だからって、当時3歳の女の子なら誰でも良いってわけじゃなかったのは本当だよ」


響哉さんは真っ直ぐな目でそう言った。


「光源氏を真似て、俺好みの子に育てるっていうのにも興味がなかったわけじゃないし――」


「じゃあ、どうして泣いている私を置いて、アメリカに行っちゃったの?」


「須藤家はどちらかと言うと、当時、アメリカよりヨーロッパで力を持っている家だったから。

 あの力が及ばないところで、一度くらい夢にチャレンジしてみたかったんだ。

 それに、本当はもっと早く帰ってくる予定だったんだ。

 ――あの事故がなければ」


パパとママの、交通事故――?


響哉さんは、一瞬強く唇を噛んだ。

それは、今から何かを言うための決意の表れなのかしら。


そういえば、保健室でその話の結末を聞きそびれた気がする。

辛そうな響哉さんを見ていられなくなって、私が寝てしまったんだ。

折角響哉さんが告白しようとしてくれていたのに。


「どうして、パパとママの事故が響哉さんのせいになるの――?」


「それはね、マーサ」


響哉さんは意を決したように喋り始めた。


「世の中には俺と結婚したら巨万の富が手に入る、なんていう妄想を抱いている奴らがいるんだ――」


困ったもんだよね、と。

響哉さんは、傷ついた顔で薄っすら笑う。


「そういう奴らは、俺が自分以外の誰かと仲良くなることが許せなくて――。

 単純に、そういう人を消してしまえば、自分のチャンスが増えるという妄想を抱くのさ」


最低、と。

響哉さんは汚いものを吐き捨てるように言った。


だから――。

だから、響哉さんは人と距離をとり続けているの?


彼の心に巣食う闇の断片を目の当たりにして、眩暈を覚えた。


「だから、あの事故も俺のせいじゃないかと思って――」


搾り出す声は、とても痛々しい。


「でも、違ったのよね?」


「そう――あれは、違った――」


「だったら。

 響哉さんが気にやむことないわ。

 大丈――っ」


ふいに、響哉さんが私を腕の中に抱き寄せた。

息もつけなくなるほど、強い力で抱きしめられる。


「痛いっ。

 響哉さん、……苦しい……よ?」


そう言っても、響哉さんは腕の力を緩めてはくれない。


「本当は、あの時一緒にアメリカに連れて行きたかったんだ――。

 マーサの記憶があれば、多少の無理を言ってでも、手元においておきたかった」


私よりずっと、苦しそうな声で響哉さんが言う。


そして、我に返ったように私を抱き寄せる手を緩めてくれた。


「私は、響哉さんに対してどんな態度を――?」


腕の中から顔をあげて、響哉さんの顔を見た。


何かに耐えるような顔をしていた響哉さんは、私を見てようやく、ふわりと笑ってくれた。


「俺が葬儀にかけつけたとき、泣くことも出来ずに、マーサは呆然と座っていた。

 啓二くんに、マーサが泣くことも出来ないと聞いてたまらなくなって。

 抱き寄せたけれど、何の反応もしてくれなかった。

 泣いていいんだよって言っても、首を横にふるばかりで――。

 情けない話、どうしてあげたらいいか、全然分からなかった」


私はそれさえも記憶に無い。

パパとママが事故で死んで、私は一人生き残って――。


それから数日はぼうっとしていたように思う。

たくさんの人からのお悔やみの言葉なんて、ちっとも胸に響かなくて――。


「それでも、その状況で拒絶しないのが奇跡だって――。

同席した頼太が言ってくれたのが、救いだったけどね」


私は響哉さんの胸に顔を埋めた。


「傍に居られないなら、二人の関係はなくなったと周りに思わせたほうがいい――。

 だから俺は、梨音ちゃんに出来ればマーサの様子を見てほしいと頼んだし、出来るだけ信頼の置ける人間をマーサの通う学校に置くようにもしたし――。

 でも、自分は一切表に顔を出さないことに決めたんだ」


「だから、私は須藤グループの学校に通ってるの?」


「ああ、それは違うよ。

 そもそも幼稚園選びの時点で、真一にどこがいいかって相談されたから――。

 あそこも含めて、うちの系列じゃないところもいくつか、紹介したんだが」


――え?


私は思わず響哉さんの胸から顔をあげて、顔を見た。


「ん?」


「響哉さんって、子供居ないよね?」


おやおや、と。

響哉さんが困ったように笑う。


「何度言ったら分かるの?

 俺の子供を生めるのはマーサだけだよ」


それから、優しく私の頬を撫でた。


「それとも、まだ、ペギーのこと疑ってるの?」


心配そうな眼差しに、私は慌てて首を横に振る。


「だって、普通。

 独身で子供も居ない人にそんなこと相談したって仕方が無いって分かりそうなものなのに――」


いくらパパだって。


ああ、と。

響哉さんは懐かしそうに笑い、唇を緩めた。


「真一はおそろしく天然なんだよ。

 ま、でも実際に集めた資料を比較検討したのは朝香ちゃんだから」


「ママ?」


「そう。

 結局、大学までエスカレートってところにすごく興味を持ってくれて。

 俺が高校まではそこに通ってたって話をしたのと、特割制度を紹介してあげたら――。

 そこに決めたみたい」


「特割ってことは――。

 ママは響哉さんの家のことに気づいたの?」


「どうかな?

 顔が利く、くらいに思ったんじゃない?

 ほら、卒業生だし」


「……呑気な人たちね」


「かなりね」


響哉さんは、今そこに居る友人のことを語るように、パパとママの話をし、くすりと笑う。


パパとママのことを、今でも近くに居る友達のように語る、その距離感が、たまらなく好きだった。


「俺が二人を放っておけない気持ちも、少しは分かってくれる?」


「……うん」


そりゃ、そんな二人が子育てしてたら、親友としては放っておけないかも――。


「――もしかして、今も私の学費って響哉さんが払ってる――?」


私は、両親が亡くなって、啓二さんたちに育ててもらうことになったとき、一度言ったことがある。


高い学校に通わせてもらい続けるのは申し訳ないと――。(それに、二人の実の息子である義弟は、公立学校に通っているもの。)


そしたら、学費はちゃんと貯金してあるから心配することないと、二人は言ってくれたのだけど。


学生結婚し、まだ、働き始めて数年しか経ってないパパにそんなに多額の貯金が出来るはずないもの――。


おや、と。

響哉さんが目を細める。


「誰が払ってたっていいじゃない。

 それはマーサが気にすることじゃないよ。

 啓二くんも俺も、学費を払ったことを恩に着せるようなタイプじゃない。

 それに、あの二人には相応の保険も降りている。ねぇ、そんなにお金のことは気にしないで」


「でも――」


響哉さんは私の顎に手をかけて、上を向かせると色っぽいとしか形容できない表情をで、顔を近づけてくる。


「どうしても気になるって言うなら、カラダで返す――?」


低く艶めいた声が、私の身体を貫いていき、ゾクリとした電気に似た何かが身体の中を駆け巡る。


二の句がつけなくなった私に、響哉さんは相好を崩し、顔を放すとくしゃりと私の頭を撫でる。


「――冗談だよ。

 そんなケチな男じゃない。そんな安いお金でマーサが手に入るとも思ってないよ。

 お願いだから、気にしないで?」


――えっと。

  うちの学費って決して「安く」はないと思います、けど――。


響哉さんがあまりにも真剣に見つめてくるので、私は諦めてこくりと頷いた。


「それに、学費を払ってるのは別に、マーサを束縛してやろうなんて思った結果じゃない。フィアンセだから払っているわけでもない。

 あれは、二人への供養と――。俺の精一杯の感謝の気持ち。

 俺の正体なんて知らないのに、普通に接してくれた初めての――」


そこで一度響哉さんは言葉を切って、ふっと目を細めた。


「親友だからな、真一と朝香さんは」


そう、独り言のように言った。


ううん、私に向けて何か言うときには、響哉さんはママのことを「朝香ちゃん」って呼ぶもの。


多分、本当に独り言なんだ。



もしくは、成仏した私の両親に向かって言ったのかも知れない。


響哉さんはしばらく、感慨深げな顔で、空(くう)を見つめたまましばらくの間、身じろぎ一つしなかった。


「ねぇ、マーサ。

 聞いてくれる?」


私はこくりと頷いた。


「実は俺、卒業して俳優目指してコネもなくアメリカに行くときに、将来を本気で心配してくれた二人に本当のことを話したんだ――」


突然の独白に、相槌さえも打つことが出来ない。


「こっちは友達を失うかもしれないっていう、決死の覚悟で告げたんだぜ?」


響哉さんが続ける。


「なのに、二人して『だから何?』って一笑に付して、それっきり」


くしゃりと、響哉さんは私の頭を撫でた。


「すげぇ奴らだろ?」


響哉さんは自慢でもするかのように言い放った。

私は頷く以外、何も出来ない。


少なくとも、響哉さんの人生では、二度とはお目にかかれないくらい『すげぇ奴ら』だったんだろうな、私の両親は。

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