20 別の顔-1-
「おはよう、マーサ」
テノールの声に、重たい瞼を無理矢理こじ開ける。
響哉さんだって昨夜は遅かったはずなのに、なんてことない顔で笑っていた。
「一応、いつもより30分早い時間だけど……。
どうする? 昨夜は遅かったからこのまま寝てる?」
頬杖をついて私を見下ろしながら響哉さんが聞いてくる。
「起きるに決まってるじゃない。佐伯先生が迎えに来るんでしょう? 寝坊したなんて言ったら……あらぬ疑いをかけられちゃうわ」
響哉さんは手を伸ばして私の頬に触れた。
「いいじゃない、別に」
「……え?」
「それとも、事実にしちゃおっか」
柔らかく囁きながら、ゆっくり身体を傾けてきた。
「……うわあぁあっ」
焦った私は慌てて飛び起きた。
「おや、残念」
何てさして残念でもなさそうに言いながら、くすくす笑っている響哉さんの目的が、私を起こすことなのか、それとも別にあるのか……判断がつかない。
私はいつもの要領で身支度を整え、響哉さんが作ってくれた朝ごはんを食べる。
「響哉さんは、今日、何するの?」
そういえばいつも、響哉さんって昼間何しているのかしら?
ふと浮かんできた疑問を口にする。
「仕事だよ」
響哉さんは優美な笑顔を浮かべてそう言った。
何でもかんでも仕事で片付けるなんて。
……大人ってズルい。
「え~。響哉さん、昨夜も仕事って言ってたわ。
お仕事したの?」
「昨夜?
ほら、マーサを寝かせつけるのが俺の仕事、でしょ?」
当然のように響哉さんが言う。
「違いますっ」
「そんなことないよ。
マーサにご飯を食べさせるのも、俺の仕事」
『でしょ?』 なんて得意げなんですけど。
納得いくわけがない。
「そういう仕事もあるけど、お金を手に入れるための仕事もしないと駄目よね?」
「オフなの。
日本人は働きすぎだから、長期休暇の概念がないだけだよ。
ほら、そろそろ降りないとアイツに怒られるよ」
私はせかされるように部屋を出た。
私が降りると同時に、スカイラインがやってきた。
「おお、ちゃんと起きたんだな」
「当たり前じゃないですかっ」
……いつの間にか、佐伯先生の私への扱いが、響哉さんへの軽口と同レベルになっている気がして仕方が無いんだけど。
気のせい……じゃないよね?
「ふぅん。
でも、寝不足って顔にかいてあるよ?」
くすくす笑われるので、思わず顔が紅くなる。
先生は車を運転しながら、
「あいつの積年の想いもようやく実ったってわけか」
なんてひとりごちている。
えーっと……。
そこは「違います」って言っておいたほうがいいのかしら……。
「ママと響哉さんの映画、知ってるんですよね?」
「知ってるも何も。
監督は俺」
……監督だったのね。
「二人のキスシーン、ありました?」
私の記憶にある二人のキスシーンはあまりにも綺麗で。
だからもしかしたら……。
って、思ったの。
「ああ、そうだね。
あったかも」
「じゃあやっぱり響哉さんってママとキスしたんじゃない」
「……おや。
お姫様はやきもち妬き?」
「そうじゃないけど。
……先生は自分の父親とキスした人と付き合いたいですか?」
ごほ、と、先生がむせる。
「あんまり変なこと想像させるのはやめてくれる?」
「だって仕方がないじゃないですか。
私にとってはそういう感覚です」
やれやれ、と。
先生は苦そうなため息をひとつついた。
よっぽど嫌なシーンを想像したに違いない。
「……キスシーンはあったけど、キスはしてないよ」
「本当に?」
「ああ。
朝香ちゃんは妊娠中だったし。それに、カメラは真一が持ってるんだぜ。
面倒な揉め事は避けようと思うのが、監督じゃないか」
なんとなく嘘っぽいんですけど。
「ただ、それっぽく見えるようには撮ったけどね」
ふぅん、と。
私はつい冷たい視線を送ってしまう。
だって、いまやそれが事実かどうか証言できる人なんてほとんどいないじゃない。
少なくとも私が知っている人の中には、佐伯先生と響哉さんしかいない。
口裏を合わせればすむ話だわ。
「ママのお腹には私が居たの?」
「もちろん」
「それで、二人は恋人役だったのね」
「恋人っていうか、夫婦っていうか。まぁ似合いのカップルっていう役だったなー……確か」
遠い記憶を辿り寄せるように目を細めて、先生が言う。
「……あ!」
「何?」
私が思わず声をあげたので、先生はやや疲れた顔で私を見た。
運転時間がいつもより長いとやっぱり疲れるのかしら。
「……だから、あの人私のことを響哉さんとママの子供だと思ったんだ」
良かった、オダとかいう記者の勘違いで。
「そうかもな。
――結局、DNA検査するの?」
先生が面倒そうに聞く。
「私は不要だと思ってますけど……。
響哉さんはどうなんでしょう」
「どうなんでしょうって俺に聞かれても」
「だって、響哉さんって本当に分からないことだらけで……。
私の手には負えません」
「安心しろ。
アイツは俺の手にも負えないよ」
そこは同意見だったようで、先生がぼそりと慰めてくれた。
「でも、私よりずっと詳しいじゃないですか」
上目遣いに睨めば、
「妬いてるの?」
と、得意げな笑みが返ってくる。
「まさか。
……でも。
正体が分かったら……もっと響哉さんのこと理解できるようになると思いますか?」
ふぅ、と。
佐伯先生が吐いたため息が予想外に重くてびっくりした。
「……それは、どうかな?
アイツが言わないってことは、言ってしまえば何かが途絶えるって……考えているのかもしれないぜ」
何かが、途絶える?
思っても無い言葉が返って来て目を丸くする。
「まぁ、何も材料が無いのに無駄に思い悩んでも仕方が無い。
そうだろう?」
「……はい……」
そう、だけど。
「でも、何も分からないからこそ色々と思い悩むんじゃないですか?
分かっていれば正確な判断が下せそう……」
ふん、と、先生はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「花宮さぁ、うちの理事長知ってる?」
「……理事長……?」
私は記憶を辿る。
割と年配の男性だったとは思うけど。
「っていうか、どうして突然、理事長?」
先生はいつものところに車を止めて涼しげな笑みを浮かべてみせる。
「愛校精神も大事だってコト。じゃ、今日も一日頑張ってね」
手をひらひらさせて、行ってしまった。
響哉さんと何か関係あるのかしら。それとも、ただの雑談……?
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