17 Mr.Perfect-2-

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「……で、俺にどうしろと?」


翌朝。


昨日と同じように迎えに来てくれた車に乗って、一気に昨夜のことをまくし立てた私に、佐伯先生が冷たい目を向けた。


結局、自分の怒りの矛先も見つけられなかった上に、ペギーに対する罪悪感まで抱えてしまった私は、あれから響哉さんとは一言も口を利かなかった。


そんな大人気ない私を、背中から抱きしめて強引にでも寝かしつけた響哉さんって、ある意味凄い。


……凄いけど。



ああ、もう。

どうしたら良いのか、分からないじゃないっ。


「どうって、言われても困るんですけど」


口篭る私に、佐伯先生は苦笑を浮かべた。


「じゃ、ただの惚気(のろけ)ってこと?」


「……違いますよっ。

 教えてください。友達なんですよね?

 響哉さんって、子供居るんですか?

 誰かと喧嘩したことないんですか?」


それから、と、続けようとした私を、手で遮った。


「質問はとりあえず一つずつで頼むよ。

 まずその一ね。

 俺とアイツは『友達』なんていう甘っちょろい関係じゃない。

 その二。

 俺が知る限りでは、子供は居ない。ついでに言えば、遺伝についてもう少し勉強したほうがいい。

 その三。

 アイツは、大抵のものと喧嘩しているように見える。俺ともしょっちゅう喧嘩するし、ほら、磯部とだって喧嘩してるじゃない?」


以上、と言うと、佐伯先生は昨日の場所に車を停める。

仕方なく私は、話途中で車から降りた。


あの二人、今頃、どうしてるんだろう。


朝も一言も交わさずに――正確には私が一方的に無視していただけで、響哉さんは私に話し掛けていたけれども――家を出てきてしまったので、少しだけ罪悪感を覚えていた。


ペギーは、私に対しては大人染みた表情を見せ、響哉さんには子供の顔でべたべたと甘えて見せるという、子供らしからぬ器用なことを見事にやりこなしていた。



――ふぅ。


「どうしたのよ、真朝。

 今朝から何度ため息ついてると思ってんの?」


昼ご飯を食べながら、ため息をついたみたい。その声に顔をあげれば、梨音が眉を吊り上げていた。


「ん……数えてない……」


どうも我に返れない。


「そういう意味じゃないでしょう?

 また、あの男?」


梨音の声に鋭さが増してくる。


「……どうして、梨音ってそんなに響哉さんと仲悪いの?」


いくらなんでも、子供のときの恨みでそこまで仲が悪くなれるものなのかしら?


梨音はほんの一瞬、うろたえたようにも見えた。


「だって、勝手すぎるじゃない。

 真朝が本当に困っているとき、自分はアメリカでのうのうとしていてさ。

 今更戻ってきて、自分はフィアンセだなんて。

 ……もちろん、真朝が彼を好きっていうなら、邪魔する気はないけど……」


最後、僅かに口篭りながらそう付け加えた。


「そんなことより、何があったの?」


私は夕べのことをかいつまんで話した。


「ペギーちゃん、金髪碧眼なんでしょう? だったら、あいつの子供って可能性は極めて低いわ」


「どうして?」


あっさりそう言い切られて、私は目を丸くする。


梨音が唇を綻ばせた。


「それとも、あれ?

 やっぱり、真朝にとっては、須藤響哉は『ミスター・パーフェクト』?」


からかいを帯びた問いかけに、思わず頬が赤らんでくる。


「あーあ、あっさりアイツに落とされちゃって。

 親友としては心中複雑だわ」


梨音は、くすりと笑いながらそう言った。


……でも、梨音の言うとおり。


きっと私は響哉さんのことを【完璧】だって思っているから、ペギーの言ったMr.Perfectが、響哉さんを指しているように思えてならないんだわ。


「……どうして、金髪で目が青いと、響哉さんの子供じゃないって話になるの?」


「あのね、真朝。

 たまには生物の授業を真面目に受けたほうがいいんじゃないかしら」


「えー、私、絶対に文系人間だもんっ」


私は唇を尖らせる。


「……文系人間なら尚更。謎の数式なんて一切不要のただの理論なんだから聞いておけば分かるわよ」


「ごめぇん。

 次の生物の授業、寝ないから教えてーっ」


ぐすん。


やっぱり、響哉さんが絡むと梨音は意地悪になっちゃうわ。


梨音は劣性遺伝について、かいつまんで説明してくれた。


生物が苦手な私に、全部が理解できるはずもない。


ただ、梨音が言うには、両親が金髪と黒髪であった場合、純粋な金髪になる確率は低いんだって。

碧い瞳と黒い瞳であった場合も、純粋な碧眼になる確率は低い……。


「そんなもの?

 単に、お母さんにそっくりなだけなんじゃないの?」


「……中学生からやり直す?」


ぎろりと梨音に睨まれた。


「い、いえ。

 スミマセン」


私はその後こっそり、生物の先生にも同じことを聞きに言った。


結論としては、似たようなことを言っていたので間違い無さそう。


「劣性遺伝って、知ってます?」


「おお、ようやくそこまで話が進んだってわけね」


授業が終わって、いつものように保健室に出向き、佐伯先生に聞くと、コーヒーカップ片手に呆れたように笑ってみせた。


ちなみに、今日は塾があるという理由で梨音は来なかった。


「じゃあ、ミスター・パーフェクトって誰なんですか?」


「へぇ。

 恋は盲目って言うけど、アイツのことがパーフェクトに見えるなんて。

 一回、眼科か脳外科にでも行ってみたほうがいいんじゃない?」


佐伯先生は、響哉さんを目の前にしたときのような口調でそう言った。


私がぷくっと膨れていると、佐伯先生はマガジンラックの中から、一冊のゴシップ誌を取り出した。


私はそれをぱらぱらと開いて、頭を抱える。


……えーっと。


どうして、わざわざ英語で書いてある雑誌を購入するんですか?


ここ、日本なんですけどっ!


「ま、ただのゴシップ記事だから、信憑性は保証しないけどねー。

 ここ、読んでみなよ」


佐伯先生は、あるページを開く。


見出しは、Mr.Perfectや、sperm bank、そして、HOT、high priceなどの単語が並んでいた。


「分からない単語の意味、手取り足取り教えようか?」


にやり、と。

決して悪くは無い顔に、良くない笑いをその顔に浮かべながら、佐伯先生が聞いてくるので、私はぶるぶると首を横に振るしかない。


ガラリ、と保健室の扉が開く。


「マーサ、お待たせ」


振り向く前に、いつもと変わらない甘い声が聞こえてきた。

……私、朝からずっと無視しているのに。

ズキン、と、心臓が痛む。


「どうした?

 遅くなったから淋しかったのかな?」


困ったまま振り向けない私を、後ろからふわりと抱きしめる。

相変わらず、私の反応とは無関係に饒舌なのね……響哉さん。



そう思った途端。


「おい、俺のフィアンセになんてもの見せてんだっ」


声を荒げると、私から手を離し、机の上のゴシップ誌を乱暴に取り上げた。


「お前が隠すからだろう?

 彼女、一日中お前がMr.Perfectじゃないかって心配して、何も手に付かないようだから俺がこうやって教えてやろうと思ったまでさ」


言うと、佐伯先生は雑誌を響哉さんからぶんどった。


私の前でもう一度、さっきのページを開いてみせる。


「いい?

 これが、ミスター・パーフェクトの正体。

 精子バンクで、長い間ずっと高値で売られ続けている精子の提供者のことだ」


精子バンク――?


思いがけない単語に私はごくりと唾を飲む。


ペギーのやるせなさそうな顔が、脳裏を過ぎった。


「大人気精子を持つという、この父親の正体は、一応秘密となっている。で、その通称がMr.Perfect」


……そうだったんだ。

響哉さんは黙ったまま、何も言わない。 


「とはいえ、成績優秀、スポーツ万能、金髪碧眼の超美形ってことは間違い無さそうだし、それだけ条件が揃ってる奴が、あの国で無名ってワケもないだろう?」


それはそうよね。

そうして、有名人であれば自然と、特定されてしまいそう――。


「だから、もちろん正体も分かってる。そいつは、ゲイなんだ。そのまま過ごしていれば、自分の子孫が残せないという自覚もあるだろう。

 だからこそ、せめてもの罪滅ぼしに大量の精子を提供してるんじゃないかっていうのが、このゴシップ誌の言ってるところだ」


以上、と言わんばかりに佐伯先生はゴシップ誌を閉じて、言葉を投げた。


「このくらい、自分で説明したらどうなんだ?

 それとも、彼女に、実はMr.Perfectだと信じさせたかったとか?

 やきもきしている彼女、可愛いもんな」


「……ちょっと、佐伯先生?」


私は慌てて立ち上がる。

それじゃまるで、私が響哉さんにヤキモチ妬いていたみたいじゃない。


「響哉さん、そうじゃないの。私……っ」


見上げると、響哉さんはこれ以上ないってほど嬉しそうな笑顔を見せてくれた。


「なぁに、マーサ?」


……そうだよね。


私、ずっと無視してたんだもん。本当に平気だったわけ、ないよね。


本当はきっと、淋しい思いをさせていたに違いなくて……。


私が響哉さんのこと信じずに、勝手に怒っただけなのに。悪いのは私なのに。



私、こんなに優しい響哉さんを、傷つけていた――。

気持ちがいっぱいになって、喉が詰まる。

響哉さんはくしゃりと私の髪を撫でた。


「……俺の目の前で、B級映画さながらのラブシーンを繰り広げるっていうなら、今後一切ここへの立ち入りを禁止する」


佐伯先生が面白く無さそうに呟いた。


「誰がお前なんかに見せてやるか、もったいない」


響哉さんは言うと、私の肩に手を回す。

昨日と同じように理事長室の秘密階段を抜けて、地下へと向かう。

車の上には、また、封筒が置いてあった。響哉さんは今日もそれをいまいましそうに握りつぶしていた。


「響哉さん、ごめんなさい――」


彼がエンジンをかけて、シートベルトを締める前に、私はぺこりと謝った。


響哉さんはシートベルトを止める手を離し、私に顔を近づける。


「マーサは別に、悪くない。悪くないのに謝る必要なんてない」


響哉さんはきっぱりとそういいきる。


「ペギーの父親が居ないと分かると、マーサはきっと気を遣うだろう? その気遣いがまた、ペギーを苦しめる。そういうことに巻き込ませたくなかったんだ」


そんな、響哉さんの心遣いを私は無駄にしてしまった――。

胸いっぱいに後悔が募る。


響哉さんは私の頭の後ろに手を回す。


「そんな哀しそうな顔、して欲しくないな。

 もう、喧嘩はおしまい、それでいい?」


響哉さんの言葉に、こくりと頷く。


「Makeup kiss, please」


……え?


と、聞く間もなく、響哉さんの唇が私の唇にそっと触れる。頭を手で支えられていて、逃れようもなかった。


柔らかく、熱い感覚が、唇の上に広がっていく。



……メーキャップキスって、なぁに?


慣れないキスに固まっている私に、響哉さんはふわりと笑うと、そっと耳に唇を近づける。


「makeup kissって、仲直りのキスって意味。

 だから、喧嘩は終わりだよ」


呆然としている私の後ろに手をまわして、手際よくシートベルトをつけていく。


ついでのように、額に軽くキスすると、響哉さんは車を出発させた。


「良かった。

 マーサが声を聞かせてくれて」


嬉しそうな声に、嘘は無いんだと思う。


「響哉さん……昨夜は、ゴメンナサイ」


「マーサ?

 ゴメンナサイはもうおしまい。でないと、また、キスしなきゃいけなくなる。

 俺は何度でも大歓迎だけど。今度はもう少し大人のキスにトライしてみようか?」


爽やかにとんでもないことを口にした響哉さんは、赤信号のついでに、甘い笑顔を私にくれる。


「……だ、大丈夫。

 もう、仲直りすんだから」


私は耳まで真っ赤にして、そう答えるのが精一杯。


「それに、悪いのはマーサじゃない。ちゃんと説明できなかった俺が悪かった」


青信号になる直前、響哉さんが私の頭を撫でる。


「今まで、誰とも関係を持ってないって言ったら嘘になるけど。

 俺の子供を産んでいいのはマーサだけだから」


……は?


ファストフード店で、『ついでにサラダもつけといて』というような気軽さで、さらりと、響哉さんがとんでもないことを言う。


あまりにも、さらりとしていたから、その話題を続けてよいのかどうかさえ、よく分からない。


……私が断ったら、自分の子孫を残すってこと諦めるつもりなのかしら。それとも……。


そっと見上げた横顔は、相変わらずの自信に満ち溢れている。


……私が断るわけないって、確信しているのかしら。


不意に、響哉さんのスマホが鳴る。

ちらりと画面を見た響哉さんは、


「春花からだから、代わりに出てくれない?」


と、私に端末を渡した。

はい、花宮です、と名乗る隙さえ与えずに、電話の相手は一気に甲高い声でまくし立てている。


「マーサ。

 俺は運転中って言って、電話切っていいよ?」


スマホを持ったまま、固まっている私に、響哉さんはそう言ってくれるけれど。


「……無理。

 響哉さん。相手に私の言葉が届くなんて思えないんだけど」


言うと、私はスマホを響哉さんの耳に押し当てた。

私には理解できない言語も、きっと彼にはわかるはず。


「OK. I'll be back soon.」

(分かった、すぐに戻るよ)


しばらく何かに耳を傾けていた響哉さんは、諦めてそう言った。

私に向かっては決して発さないような、乱暴な口調で。


「マーサ、切っていいから」


「……誰だったの?」


電話を切ってから、そっと聞いてみる。


「……ペギーの母親、カレン」


響哉さんは短くそれだけ言うと、諦めたかのようにマンションに向かって車を走らせ始めた。

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