14 極秘帰国-2-

朝食を取って、朝の身支度を整える。朝から鳴り響いたのは、私のスマートフォンだった。

……しかも、実家から。


「もしもし?」


「真朝、おはよう」


久しぶりに聞く父親の声は、緊張感を伴ったものだった。


「おはよう、お父さん……」


元気? なんていおうと思った私の言葉を遮って、お父さんは続ける。


「須藤さんに代わってくれないか? 彼の携帯電話に繋がらないんだ」


苛立ちが隠せないお父さんの声に、私まで軽い緊張を感じた。響哉さんに渡す。

響哉さんは立ち上がってスマホを受け取り、不安そうな私の頭をふわりと撫でてくれた。


「はい」


柔らかい声は、直後、緊張を帯びたものに変わる。


「……そうなんですか」


響哉さんはテレビのリモコンを取り上げて、スイッチをつけた。


朝の情報番組の時間帯。ワイドショーともニュースともつかない、その番組は、今、芸能ニュースの時間だった。


「……残念ながら、映像はまだ入ってきてないようですが、近々記者会見を行うという噂もあるようです」


アナウンサーの声をバックに、流れている映像は映画のワンシーン。


緑の芝生が美しい公園を歩く二人の男女。

正確には、ウェディングドレスを身に纏っている金髪の美女と、白衣を着ている眼鏡姿の黒髪の美男子。

そして、その美男子こそが、今、リビングで瞳を険しくしてテレビを睨んでいる、須藤 響哉 その人だった。

共演の女性は、金髪で瞳が碧く、愛らしい笑顔で響哉さんに笑いかけている。


スーパーに、『キョーヤ・スドー 極秘帰国』と書いてあった。


二人はしばし見つめあい、朝の放送にはふさわしくないレベルの官能的なキスを交わした――。



そこで、映像はスタジオの様子に切り替えられた。


「でも、本当にスドーさん、来日されているんですか? どれだけ彼の出演映画が封切りになっても絶対に来られないのに?」


司会者が、芸能担当者に突っ込みを入れる。


「それがですね。

 実際に、スドキョーに都内で逢ったと言う女性に証言も取れているんですよ。

 是非、こちらのスタジオにも足を運んでいただきたいですよね」


言って、芸能担当者はカメラの方を見た。


「スドーさん、是非。

 お待ちしています」


こっちが見えるわけはないのに、丁寧に頭を下げる様子はまるで、響哉さんのことが見えているような口ぶりで、私はどぎまぎしてしまう。

もっとも、当の響哉さんは迷惑そうに眉間に皺を寄せているだけだ。


「……暇なんですね、日本の芸能界って。

 しかも、人のことを日本人扱いしてみたり、外国人扱いしてみたり。

 ……まぁ、どう言われても構いませんけど、別に」


お父さんに向かって、呆れたようにぼやく。


「もちろん、私の元で最大限安全対策は取らせていただきますよ。

 でも、どうしてもご心配でしたら、はい、そのときは。

 ……よろしくお願いします」


響哉さんは丁寧にスマホを切って、私に渡す。テレビ番組は、もう、次のコーナーへと進んでいた。


「本当に有名人なのね」


ぽつりと呟く私に、響哉さんは薄っすらと笑みを浮かべた。

彼は私を見ているというよりも、頭の中で今後のことを考えているようだった。


「残念だけど、そうみたいだ。俺が学校に送ろうと思ってたんだけど……。タクシー呼ぼうか?」


その言葉に、私は思わず息を呑む。


……そうよね。

女子高生と同棲なんてばれたら、マズいよね……。


「歩いていくから大丈夫」


きっぱりそう言い切る私に、響哉さんは不安を隠さない瞳を向ける。


「それは駄目だ。

 春花も忙しいだろうし……」


ひとりごちて腕を組んで思案していた響哉さんは、自分の電話を取り出した。


「俺だ。

 ああ、電話代えたって言ってなかったっけ?

 煩いなー。今分かったんだから、これで登録しておけばいいだろ? それとも何? 致命的な機械音痴だったっけ?」


ほとんど一方的に響哉さんが喋っている。


「は?

 用事があるから電話したに決まってるだろうが。付き合い始めの恋人たちじゃあるまいし。

 ……ご名答。

 そうしてくれない?

 携帯電話は変えたけど、住まいと愛する人は不変だから。

 じゃ、よろしく」


テンポよく会話を交わして電話を切った。

そうして、笑いを帯びた黒い瞳を私に向ける。


「そういうわけで、マーサ。佐伯 頼太が迎えに来てくれるって」


「……佐伯って。

 保健室の?」


響哉さんはゆっくり頷いた。

そういえば、昨日と同じくらいリズミカルに、楽しそうに、会話を交わしてたわね。

そこまで考えて、私はハっとした。

……私、あの時、気を失っていたことになってるのよね。


二人の会話なんて、聞いてないふりをしなきゃ。


「友達なの?」


「細かく説明すると長くなるから……。

 そうだな、わかりやすく言うと大学時代のサークル仲間。正確に言えば一年先輩」


「……先輩?」


あまりものフランクな喋り方に、同級生だと信じて疑わなかった私は、思わず声を裏返す。


「あ、先輩って言っても、留年してたからさ、アイツ。

 これ、本人には言っちゃダメだよ」


茶目っ気たっぷりに響哉さんが言う。


「仲良かったの?」


「うちの部って、全体的に仲が良かったんだ。

 もちろん、真一や朝香ちゃんとも、仲良くしてたよ」


響哉さんが瞳を細くした。

その目の中にだけ、懐かしい思い出が見えているに違いない。


……私がもう、記憶ごと失ってしまった懐かしい日々が。


「ねぇ、響哉さん。

 ママと――」


キスしたの?

ママのこと、好きだったの?

私は、その身代わり?

ママにそっくりだから?


軽く聞けるかと思ったけれど、響哉さんの瞳を見ていたら、続きの言葉が言えなくなった。

だって、答えがYesだったら、どうしたらいいのか分からなくなっちゃう。


「ん?」


響哉さんは、続きを待っている。


「ママとパパのこと、もっと聞かせて」


響哉さんの瞳に、一瞬、切なさにも似た不安の色が過ぎる。


「その話が、マーサを辛くしないって言うんだったら……いくらでも話すけど」


私は思わず、響哉さんの手を掴む。

そうだ。響哉さんは、私と再会したことで、私の記憶を呼び覚ましたことをひどく後悔しているんだった。

確かに、最初は思い出すのは辛いと思っていた、けれど。


「キョー兄ちゃんが傍に居てくれるんだったら、平気だよ」


目を見て言うのは恥ずかしいので、視線をフローリングに落としてそう言った。


響哉さんの唇が、頭に触れる。


そのままぎゅうと抱きしめられた。

心地良さに、心臓がことりと高鳴る。


「学校、サボって俺と一緒に居る?」


「……え?」


私が顔をあげて、響哉さんの蕩けそうな笑顔を見たのと、呼び鈴が鳴ったのはほぼ同時だった。


響哉さんはくしゃりと私の頭を撫でて、インターホンを取り上げる。


「やっぱりマーサ、学校サボらせる」


「……ふっざけんなよ、お前っ。俺をここまで寄越して何言い出す。

 いいか?マスコミにあることないことぶちまけられたくなかったら、今すぐ真朝ちゃんを下によこせっ」


受話器の向こうから、佐伯先生の声が漏れてきた。


「……下って?」


春花さんは、玄関前で待ってたよね?

ため息をつきながら、受話器を置いた響哉さんに聞いてみる。


「ああ、この建物、セキュリティがしっかりしていて、鍵がないとここまで上がってこれないようになってるんだ」


……それって。

春花さんが、特別だってこと?

だって、私、そんなの貰ってないし……。


私の顔色が変わったのを、響哉さんは見逃さなかった。

手を伸ばして、もう一度私をその胸の中に抱きしめる。


「本当は昨日渡したかったんだけど、バタバタしてて。

 春花には、俺が留守の間ここの管理をしてもらってただけだから。

 ……妬かないで」


その言葉に、かぁっと頬が赤らむ。


「や、妬いてなんてないわよ、別にっ」


「おや、そう?」


響哉さんは余裕の笑みを浮かべて私を見下ろしている。


「マーサは、昔からヤキモチヤキだったから。

 俺が朝香ちゃんと喋るのに妬くのは分かるけど、真一と長い間喋っていても不機嫌になってたんだよ。『キョー兄ちゃんは、マーサのなのっ』って。」


……くぅ。


嘘でもなさそうなその話に、私はますます体温が上がっていく。


「今すぐ記者会見の手配をする。

 終わり次第、すぐ学校に行く。気分がすぐれなかったら保健室で休んでおいて?

 俺が絶対に迎えに行くから」


ね、約束だよ、と。

響哉さんが優しく囁く。


そして、それと同じトーンで

「キス、本当はまだ怖い?」

と、聞いてくるから私は思わず顔をあげた。


ついさっきテレビに映っていたのと同じような(同一人物だから当たり前と言われればそれまでなんだけど)、優しさと切なさと甘さを混ぜ込んだような、柔らかい色を帯びた眼差しが、今、私の目の前にある。


緊張のあまり思わず体を強張らせ生唾を飲み込む私に、響哉さんはふわりと優しい笑みをのぞかせた。


「すっかり大きくなって照れ屋さんになっちゃったんだね」


そう囁かれた私は、ぼーっとなってしまって、返す言葉も見つからない。


「……響哉さん……」


ようやく口にしたのは、彼の名前。


「あれ?

 もう、『キョー兄ちゃん』って呼んでくれないの?」


緩やかに整った顔を近づけながら、耳に心地よい声が私を誘う。

改めてそう言われると、なんだか照れくさくって、どうしたら良いのかわからない。

だって、私はもう、無邪気なだけの小さな子供じゃないんだし。


……ねぇ?

心臓が、ばくばくと煩い音を立てるから、思考もまとまらなくなってきた。


響哉さんはさらに顔を近づける。


……こ、これは、もう。

どこかのポスターを間近で見ている気分だもんっ。


心臓が張り裂けそうになって、私は思わず瞳を閉じた。


「……目を閉じるたびに、眉間に皺を寄せるのは、マーサちゃんの癖なのかな?」


響哉さんが、聞いてくる。


……だから。

近すぎるから。


彼が喋ると、息が私の唇に触れる。

歯磨き粉のミントが香る。


……とか、冷静に分析するのももどかしい。


だって、身体全体が心臓になっちゃったみたいにばくばく音を立てているんだもの。


「それとも、今朝のキスが怖かった?」


言葉が出てこない。


不意に、響哉さんの携帯電話が鳴る。

でも、響哉さんは気にする様子もない。


「あのね、マーサ。

 キスにもいろんな種類があるの。触れるだけのキスもあれば、ちょっと朝から言葉で説明しづらいようなディープなキスもあるわけで」


……ハイ?


私は思わず首を傾けそうになる。


「それに、俺がマーサとしたいのは、キスだけじゃないし」


……えーっと……。

その発言こそ、朝にふさわしくないのではないでしょうか……。


「でも、俺は分別のあるお兄さんだから他の全ては待ってあげる。

 だから」


……!!


相当な疑問はあったけれど、言葉に耳を傾けていたのに、そこに集中している間に、唇に熱いものがそっと触れた。


今朝、ベッドでくれたのと同じ、優しく軽く甘いキス。


「そんなに怖がらないで?」


瞳を開けた私が見たのは、私以上に心配そうな顔をしている響哉さんだった。


「……ダメ?」


ず、ズルイっ。

勝手にキスした後に、ダメ?なんて聞かれても。

もう、ダメなんて言えないじゃん。


言葉を無くして赤面している私の頭をぽんと撫でるように軽く叩き、響哉さんはようやく自分の携帯電話を手に取る。


「今すぐいきまーす。

 え? 仕方ないじゃない。恋人たちには色々と朝からやらなきゃいけないことがあるだろ」


笑いを含んだ声で、意味ありげに囁くや否や、響哉さんは素早く受話器を耳から遠ざけた。


「てっめー、ばっかじゃねーの? 

 人が折角心配してわざわざ遠回りしてまでお前のお姫様を迎えに来てやったっつーのに。いいか? 

 3分以内に降りてこなけりゃ、俺は一人で学校に向かう」


佐伯先生の怒声が響く。

そうして、電話はすぐに切れた。

私は電話の途中で、慌ててカバンを掴み、玄関で靴を履く。


「じゃあ、マーサ、気をつけてね」


響哉さんは、極上の笑顔で手をひらひらと振って私を見送ってくれた。

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