11 記憶の欠片

「えー、キョーヤ スドー!?」


教室の席で、梨音が声を張り上げるから、私は思わず焦ってしまう。

そういう俳優知ってるかって、聞いてみただけなのに。

目を丸くして、声を上げることはないと思う。


「知らない人なんて居たの?……ってくらい有名人なのに。っていうか、何でいまさら改めてそんなこと聞くの?」


「え? そんなに有名なの?」


「何年前か、一斉を風靡したじゃない。

スドキョーとか言われて一大ムーブメントになったんだって。ハリウッドで活躍している日本人俳優で、主役級ってわけじゃないけど、色んな女優からご指名受けるほどだっていう話が湧き上がってさー。ワイドショーですっごく騒いでたの、知らなかった?」


……全く持って、知りません。


「でも、彼、全然日本に来なくってさー。どれだけ騒がれても、日本のテレビには出演しなかったな。

映画の宣伝でチラっと出るくらいで。それで、マスコミも面白くないのかお高く留まってるとかなんとかけなし始めて、ブーム自体はあっという間に過ぎ去っていった気がするわー」


梨音って、芸能ニュースにこんなに詳しかったっけ?


「で、なんで、そんな人の名前が急に出てくるワケ?」


「ななななな、なんでもないっ」


うろたえる私を見て、梨音はにこやかに笑う。


「それはあれだねー。

 真朝に記憶が戻ったか、本人が戻ってきたかのどっちかってとこ?」


と、今度は小声で私に耳打ちをしてくる。


「……!!」


反応出来ずに、まっすぐに梨音を見返す。


「長い付き合いだもん、真朝と私」


梨音がぽんと私の肩を叩く。


「なんで――」


そこでチャイムが鳴って先生が入ってきた。


授業が始まったけれど、正直私はそれどころじゃない。

梨音と私って、いつから友達だっけ。ゆっくり記憶を辿る。




『まあさちゃんっ。

 今日、りおんの家に遊びに来てよ』


脳裏に過ぎる声は、舌足らずの幼児のものだ。


『えー、今日は無理ー』


答える私は、紺の服を着ているように思える。

……これって……。

幼稚園児の制服、みたい。


『どうして?』


『だって……』


途端、ズキンと頭の後ろに耐え切れないような痛みが走った。

うめきそうになって、慌てて唇を手で覆う。


『だって、今日は――が遊びに来るんだもんっ』



「花宮、大丈夫か?」


「……すみません、保健室に行ってきます」


教師の声で我に返ると、私は教室を飛び出した。


頭が痛い。ふらふらする。私は壁伝いに、ゆっくりと足を進めていく。



「おや、花宮さん」


「……誰?」


視界がふらついて、よく分からない。


「誰なんて、ひどいなぁ。

 本当になにもかも忘れちゃってるんだね。

 この学校の養護教諭は具合の悪い生徒を拾っていかなきゃなんないのか。

 あいつも面倒なこと押し付けるよな」


彼の長い話の途中、ふわりと身体が浮かんだ。抱き上げられたのか、倒れたのか。

自覚する前に意識を失っていた。


+++++


『だって、今日は――が遊びに来るんだもん』


小さな私の得意げな声が響く。


『えー、またぁー?

 まあさちゃん、いっつもその人と遊んでるじゃん』


梨音の声も、ずっと高くて舌足らずなのは、これが昔の記憶だからに違いない。


『そんなことないよぉ。

 きのうもその前も来てくれなかったもん』


無邪気ななかに淋しさが募った私の声。


『でも、その前はきてくれたってことだよね?』


やっぱり会い過ぎだって、と、梨音が笑う。私はむきになって唇を尖らせる。


『まあさは――のおよめさんになるんだから、いいのっ』


今、私、何て言った……?


+++++


「真朝っ」


鋭い声に、ビクンとした。

……私、寝てた?


「煩いっ。

 ここはお前の専用室じゃないって何度言わせる気だ?」


冷たく言い捨てるのは、さっき私を助けてくれた人だ、多分。


「今はそういうことを言ってる場合じゃないだろっ」


「……はいはい。

 愛しのお姫様はこっちでぐっすりお休みになってらっしゃいますよ」


半ば棒読みのように言葉を吐くのは養護教諭だろうか。途端、近くのカーテンが揺れ、頭に手が触れる。

私は瞼を持ち上げたかったのに、金縛りにでもあったかのように動けなかった。直後、ふわりと体が宙に浮く。鼻腔をくすぐるのは、心地よい慣れた匂いで相手響哉さんだとわかり、ほっと安心した。


「はい、そこー。

 勝手に生徒を連れ去らないでくださいねー」


「動かさないほうがいいのか?」


「っていうか、別に今すぐ連れ去らなくても大丈夫だろ。

 何?

 日本では働かないんじゃなかったの?

 急いでる?」


「……いや。

 そうだな。どちらかといえば急いでる」


ゆっくり、体がベッドの上に戻された。掛けられるシーツにさえときめいているのに、指先ひとつ動かない。


「それに、俺は保護者だ」


「何ー、ついに啓二くんから奪い取ってきちゃったわけ?

 相変わらず情熱的なことで。

 珈琲、飲む?」


一瞬、頬に何かが触れた。多分、キス。


「おまえなぁ、淫行罪で捕まるぞ」


「訴えられるようなミスはしねぇよ」


「いや、そこはせめて訴えられるような『コト』はしないって言っとけよ。

一応、人気俳優なんだから」


「お? ついに部長様自ら、俺の人気を認めてくれるようになったかー。時間の流れを感じるな」


「言っとけ、言っとけ。

 学生時代は演劇研究会の部長でも、今は演劇に関しては超がつくド素人だがな」


二人のテンポの良い砕けた会話は、温泉でやるピンポンを思わせる。

それだけで、仲の良さが伺えるものだった。


「しっかしまぁ、大きくなって」


しみじみと言ったのは養護教諭。


「お前、それ、確実におっさんの台詞だぞ?」


「30代半ばはどう考えたって、おっさんだろ。年相応だ。それに、俺が最後に真朝ちゃんを見たのは、2~3歳くらいの時だ。

お前の読みどおり、朝香ちゃん似の美人に育ってんな」


「あったりまえだろー。真一の遺伝子が勝つなんてこと、ありえねぇよ」


楽しいやりとりに、思わず笑いたくなってくる。もちろん、私の筋肉はぴくりとも動かないんだけど。こんな人たちと一緒に過ごしていたなんて、パパとママ、すごく楽しい大学時代を送ってたんだろうなあ。

そう思うだけで少し気持ちが軽くなる。両親の過去が幸せな時間に満ちているに越したことはない。


「あの頃は両手に乗るくらいのサイズだったのに、いまや両腕で抱えるまでに成長したとは」


「……抱えたのか?」


響哉さんの声音に、非難の色がこもる。


「当たり前だろう?

 それとも、リノリウムの床にばたんと倒したほうが良かったっていうの?」


「リノリウム? 廊下に居たのか」


「そう。俺が、煙草を吸いに屋上に向かっている途中で、偶然にもふらふらと歩いている真朝ちゃんをゲットしたってわけ。

これはもう、あれだろ?

お前から夕飯を奢ってもらうに値する行為だよな」


「……何で倒れたんだ?」


響哉さんは養護教諭の軽口をあっさり無視して、重たい声で問う。

「さぁ、顔色も悪かったし。生理とか?」


「違う」


……いや、そこはこう、きっぱり言わなくても良いですよ? 響哉さん。


「じゃああれだよ。

 お前が夜、眠らせなかったんじゃないの?」


「……お前、俺のことなんだと思ってるわけ?」


教諭の軽口に、響哉さんがため息をつく。


「そりゃもう。

 須藤響哉に落とせない女は居ないってね」


……な、なんですか、ソレ!?


「懐かしいな、その台詞。

 誰だよ、そうやっていい加減なこと言いふらしたのは」


ああ、いい加減な噂なの。

……信じていいのかなぁ。

だって、響哉さん、絶対にモテるタイプだよね?


「あ、真一。

 知らなかったの? 朝香ちゃんが、お前に取られないように布石を打ってたんだよ」


「……知らなかった。

 今から墓石に殴りにいってもいいかな?」


……響哉さんって、ママのことが……好きだった?


「感謝しに行けよ。

 いくらなんでも、朝香ちゃんとお前の子供じゃ、手出しできねぇだろうが」


「それもそうだな。真朝に逢わせてありがとう、って言っとくべきか。

 ……本当なら、アイツらに直接言いたかったけどなー。披露宴で真一を号泣させてやりたかった」


言うと、わさっと響哉さんの手が私の頭を撫でる。

私、微動だにせずに眠っているように見えるんだろうなー。

別に、盗み聞きしたいわけじゃないのに。


「絶対に号泣してたよ、真一。

自分の娘が大学時代の同級生に寝取られるなんて、そりゃ、いろんな意味で耐えらんねぇだろ。

だけど、真朝ちゃんの花嫁姿は見たかっただろうに。

……気の毒だよな」


「だな」


重苦しい沈黙が、部屋に漂う。


「失礼します」


がらりと、ドアが開く。


「おや、磯部さん。

 どうしました?」


梨音だ。

教諭の口調が変わる。


「佐伯先生、花宮さんのお見舞いに来ました」


「ああ、花宮さんなら専属の見舞い客が居るから大丈夫」


「ってことはやっぱり、須藤響哉が帰ってきてるんですね?」


……梨音、やっぱり私と響哉さんとのこと知ってたんだ――。

さっきから頭に浮かぶフラッシュバックは夢や妄想ではなく、確かな昔の記憶なのだ。


「梨音ちゃん、久しぶり~」


響哉さんは小さな子供に話しかけるのに近い口調でそう言った。


「ご無沙汰してます。

 ……一体何しに帰ってきたんですか?」


梨音の口調がものすごく堅かったのでびっくりした。


「なるほど、お前の言うとおりだな。確かに時の流れを感じるよ。

 悔しそうに俺を睨むだけだったチビッコが、流暢な日本語を話している」


響哉さんが笑いを含んだ声で言う。


「そりゃそうですよ。

 アナタは私の人生ではじめてのライバルなんですから」


……そ、そうだったの?


「それはまた複雑なご関係で」


養護教諭こと、佐伯先生が茶々を入れる。


「私が真朝を遊びに誘うと、三回に二回は『キョー兄ちゃんとの約束』で断られるんですから。

 どんなヤツかと思ってこっそり見に行ったくらい」


「そしたら、世にも稀な美青年で一目惚れしちゃったってワケ?」


響哉さんは軽く言う。


「……その自意識過剰なナルシスト気質がハリウッドで成功するコツなんですね」


梨音は冷たい声でそう返した。


「成功したってのは認めてくれるんだ」


「ええ、そうよ。

 だから、さっさとアメリカに帰ったらどう?

 そのうちマスコミが大挙して、アナタと真朝の同棲を暴いちゃうわよ」


……えええ?

  本当なの? 梨音っ!


「婚約者をマスコミに紹介する覚悟は当に出来てる」


かる~く、言っちゃいましたね、響哉さん?


「アナタに出来ていても、真朝には出来てないんじゃないの」


「マーサのことは俺が守る」


「そんなの口だけじゃないっ。あの時だってアナタは、マーサを置いてアメリカに逃げた。

そんな男が、都合のいいときだけ戻ってきて、彼女をかっさらっていくなんて、私は絶対許さないんだからっ」


梨音が一方的にまくし立てている。


「はいはい、熱弁は以上でとりあえず終了。

 そろそろ次の授業が始まるよ、磯部さん。

 それに、そんなに騒いでいると、花宮さんが起きてしまう」


「起こせばいいじゃないっ」


「素人が適当なことを言うのは良くないなー。

彼女の脳には恐らく今、すごいストレスがかかってるんだ。だから、休息を必要としてるんだよ」


佐伯先生、それは違うと思います。だって、身体は動かないけど、頭はおきてるもん――。



あっれ。なんか、身体が重たいわ……。

気づけば何かに引きずられるように、私は再び眠りの世界へと誘われていった。

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