9 Who are you?

「マーサ。

 添い寝くらいさせてくれてもいいんじゃない?」


警戒心をむき出しにして、大きなタオルケットに一人で包(くる)まる私を見て、響哉さんが笑う。私が首を横に振ると、


「じゃあいいよ。

 俺が風邪引いたら、看病してね」


響哉さんはそう言うと、タオルケットの上から私を抱き寄せた。

途端、頭の奥が重く痛む。


+++++


『キョー兄ちゃんが熱いっ』


いつも、逢うとすぐに抱きつくので、その異変に気づいたのはまだ小さな私。


『あら、鬼の霍乱かしら』


ママの声が聞こえてきた。


『そういえば顔色悪くない?』


これは、パパだ。

明らかに具合が悪そうな人を目の前にして、のんきに笑っている。でも、別に悪気があってのことじゃない。

すっかり忘れていたけれど、私の両親はおっとりしたマイペースな人たちだった。


『キョー兄ちゃん、大丈夫?』


私だけでも心配してあげるんだから、と、もう一度声をかけた。

見上げた私をなんてことない笑顔を作って抱き上げてくれたのは、……今よりずっと若い、響哉さん……?


+++++



「マーサ?」


我に返ると心配そうな顔で、響哉さんが私を見ていた。

頭痛と同時によみがえってきたあれは、過去の記憶に違いない。


「……あ、うん。

 なんか、昔のこと思い出しちゃって」


「辛い?」


響哉さんが、何故か酷く申し訳無さそうな顔で私の顔を覗き込むから、思わず首を横に振る。


「ううん、平気」


「そう」


……えーっと。

だったら良かったとか言いながら、ものすっごく自然な感じでタオルケットの中に潜り込んでくるのは、えーっと。


……やめてもらえます?


「大丈夫、大丈夫」


不審そうな私に向かって、とびきりの笑顔をくれ、うかつにもドキッと心臓がはねた私を、いとも簡単にその腕の中に抱き寄せた。


「俺が守ってあげるから。

安心してお休み」


「絶対にキス、しないでね」


「まだ怖いの?」


こくりと頷くのを見届けてから、響哉さんはくすりと笑うと私の頬に触れる。

大きな手の平は悔しいけれど暖かくて心地よい。


「これは、平気?」


こくりと頷くと、響哉さんはその手のひらで私の唇を覆った。

そうして、顔を近づけ、自分の手の甲に唇をつける。


うわ。

睫長いっ。

鼻のラインがシャープ。


瞳を閉じて自分の手越しにキスをする響哉さんを、どぎまぎしながらも目をそらすことも閉じることもできずに、まじまじと観察してしまう。

自分の手の甲に、こうも真剣にキスが出来るなんて――。


響哉さんって、本当、何者なのかしら。

ふいに頭の中に、昼間現れた「ファン」という女性のことが甦る。


「お休み、真朝」


唇と手を外した響哉さんは、当然のように私を抱き寄せる。

なれた手つきで背中をとんとんと優しく叩かれるとすぐに、考えをまとめる時間すらなく私は眠りに落ちてしまった。




――誰?

  誰がお話しているの?


話し声で目が覚めた。


「Do you know what time is it here? Well, I'm in Japan right now. It's midnight!」



……はい?

私は頭に流れ込んでくる言葉が日本語ではないことを、薄々理解し始めていた。


ゆっくりと、意識が覚醒していく。私はそっと起き上がった。

薄明かりがついた部屋の中、響哉さんは部屋の隅で、スマートフォンに向かってさらに喋り続けている。

私の動きが気になったのか、響哉さんがこっちに視線を向けると、なんでもないよ、とでも言うように、ふわりとした笑顔を見せてくれた。

それからさらに何事か言うと、byeと不機嫌に言い捨てると、電源ごと切って通話を打ち切った。


「マーサ、起こして悪かったね」


「誰とお話していたの?」


「……気になる?」


響哉さんは言うと、ベッドにあがる。

……うわあぁあっ。

ものすごく自然に私の上にのっかろうとするのは辞めてくださいっ。


「ああ。ゴメン、マーサ」


私が動揺のあまり、タオルケットを握り締める様子を認めた響哉さんは、慌てて私の左隣へと避けてくれた。


「つい、いつものクセで」って呟いていたことは、聞かなかったことにしよう、うん。


「今、英語でお話してたよね? ねぇ、誰と話してたの?」


響哉さんは、自分の肘を枕にして、私を見下ろす。


「それってジェラシー?」


余裕をたっぷり含んだその眼差しに何故だかイラっときたので、ぞんざいに言い返す。


「ただの質問っ」


「そう。残念」


さして残念そうにもなく呟くと、


「今のは、カレンから。どうやって俺の電話番号なんて知ったんだろうね」


と、教えてくれた。


「カレンって、誰?」


「ああ、キャサリン・パーカーって言ったら分かる?」


……さぁ。

私は首を横に振る。


「一応、一昨年アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた子なんだけど。

洋画見なきゃ分かんないよね。ま、そういう人」


いやいや、サクっとなんでもないことのように言うけど。

それって、つまり。


「……アメリカの女優さん?」


「そう。それにしても、誰がカレンに電話番号なんて教えたんだろう」


響哉さんは面倒そうに呟く。


「……どういう、こと?」


「どういうって?

 あ、別に本命の彼女ってわけじゃないから、マーサが気にすることじゃないよ。

 ほら、どうしてもせがまれるとこう、男としてはどうしようもない状況に追い込まれることもあるでしょう?」


……は?


いや、なんかそれはそれで気になる発言ですけど。

今はとりあえず、そっちを気にしている場合ではない。


「そうじゃなくって。

 響哉さんは、アメリカで一体、何をやってたの?」


「俳優」


何でもないことのようにさらりと言うと、混乱している私をたしなめるように耳元で囁いた。


「マーサ。

 夜中にお喋りしてたら、ますます目が冴えるでしょ。お喋りはまた、明日」


そうして、ひょいと簡単に私を腕の中へと抱き寄せる。


「社長、じゃなくて?

 映画に出ているって、ことーー?」


もちろん、落ち着いて考えれば『ファンなんです』と頬を赤らめながら声を掛けてくる人がいるのだから、社長というより名の知れた俳優というほうがしっくりくるのかもしれないけれど。突然そんなことを言われても頭が混乱して、落ち着くことができない。

確か、最初に見た名刺には社長って書いてあったよ。


「社長業もしているし、俳優業もしてる。

 どうやら、マーサに知られるほどは有名になれなかったみたいだけど、中には俺のファンだって公言して応援してくれる人もいる、かな」


しれっと言ってくる言葉に、容赦なく潜んでいる棘にはさすがに気付いた。

そういえば、「ファン」って名乗る人もいたし、遠くから「キョーヤ・スドーだ!」なんて言ってる人も居ましたね、今日。


芸能情報に疎くて、洋画も全く見てなくて、本当にすみません。


「でも、そうだったらそうって最初に言ってくれれば……っ」


「言ったら何か変わった?

 マーサはますます俺の事警戒したんじゃない?」


それはそうかもしれない。

否定も肯定もできなくて、腕の中でため息をつく。


「マーサ、眠れないなら『寝つきの良くなるキス』を試してあげるよ。10個も試さないうちに、きっと素敵な夢の中に落ちていける」


ふいに、頭上で笑いを含んだ声が降ってきた。間髪入れずに、ちゅ、とリップ音を立てて頭にキスが落ちてきた。どきんと心臓が跳ねたけど、嫌悪感はなかった。

反応しない私の背中を、また、優しく叩く。母親が子供を寝かしつけるときに、そうするかのようなこのテンポにどうやら私はすこぶる弱いらしい。

催眠術にでもかかったかのように、急速に眠りに引き込まれていった。甘い香り漂う、広い胸の中に顔を埋めたまま。

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