第05話 03

 ……。

 ……。

 希望は打ち砕かれた。最後のであるセンゴクも、何の役にも立たなかった。むしろ絶望の底へと、おれを叩きつけていた。スマートフォンを握りしめたまま、茫然とたたずむ。あきらめるしかないのか? 菜子とのあの輝ける日々は、もう想い出として保管するしかないのか?

 と、そのときである。

 ――、と。

『それでもそのが幻想の世界を望むのなら、そちら……いや、を求めるのなら、』

「センゴク……」

『彼岸の世界に幸福を見いだすしかないのなら――』

 、そう平坦な声で告げていた。

「ほっ、本当かっ」

 おれは慌てて受話器を握りなおす。きつく耳に圧し当てて、聴き洩らさなぬよう注意する。

「…………」

 一泊、間が置かれる。そしてその後、ゆっくりと、彼女は咽喉を震わせる。残念だ、と。

「残念だと、そのに伝えてくれたまえ。他でもないこのボクが、世界の敵を作りだす、その手助けをするとはと」

 世界の敵――? 大仰にすぎる奴の言に、揶揄やゆするように返答する。それじゃあなにか、お前は世界の敵の敵か? 某小説のキャラクターみたく。

 だが期待に反して、センゴクは調子を合わせない。ああ、そのとおりだと、真面目に答えられてしまう。

『だが他ならぬキミの頼みごとだからね。存分に恩義を感じてくれたまえ』

「ああ、助かるよ、センゴク」

『…………』

「ん、どうした?」

『……いや、何でもない。ただ、』

「ただ?」

『そのにとって、あちら側の世界とは、それほどまでに魅力的なのかな、と思ってね。このボクとの友情、それ以上に魅力的なのかな』

「センゴク……」

『いや、何でもない、忘れてくれたまえ。もとよりそんなもの、ありはしなかったのだから』

「…………」

『ただ一つだけ、そのに忠告しておくよ。人人の、世界の、平和を、調和を乱そうとするきざしがあらわれたとしたら――、』


 ――、とね。


     *   *   *


「……ああ、そう伝えておくよ」

 永い永い沈黙の末、おれは彼女に告げていた、二人の関係の終焉しゅうえんを。これでもう、今までどおりの付き合いは不可能になる。おれたちの未来は完全に決裂した。並んで歩むことはもうないであろう。だがおれも彼女みたく、覚悟を決めたのだ。――おれは菜子を取り戻す。たとえいかなる犠牲を払おうとも。センゴクがもう後戻りできない道を踏み進めているのと等しく、おれもまた引き返すことはできないのだ。卯月さんに傷を負わせてしまった前科を持つ、このおれには。

 だから今一度、裏切ろう、そう、センゴクという、唯一無二の友人を。

 ……それで、どうすれば良い? そう尋ねる。努めて事務的に。極めて理性的に。センゴクが逡巡しゅんじゅんを覚えないようにと配慮する。それがせめてものだ。彼女の中で、おれが憎むべき悪役となるように。そうなるよう仕向けることにより、彼女の心中なかの心労を、少しでも軽減しようと考えてた。しかし仮にも三年間、濃密な付き合いをした仲である、おれの浅い目論見など、完全に見透かされていた。

『キミは本当に仕様のない奴だよ、関口君』

 センゴクはきついを、しかしいたわる旋律で告げてくる。しみじみと、嚙み締めるように言をぐ。だが楽しかったと。

『キミの無様で滑稽な様子を横で眺めているのは、なんとも楽しい体験だったよ。想えば先の三年間、ボクはキミと一緒にいた時間が一等たのしかったような気がするよ。深夜廃墟はいきょ探索たんさくしてみたり、学校に忍び込んだり……、ああ、そうだ、ほこらまつってある森に入ったこともあったっけ。あれ、他人ひと私有地とちだったから、今おもえば犯罪の行為だったよな』

「いや、センゴク、感傷に浸っているとこ邪魔して悪いが、、じゃなくて、完全に不法侵入だから。発見みつかっていたら大変だったぞ」

『ああ、そうだった、そうだった。もしもこのボクの完全無欠な経歴に傷がつこうものなら、キミに責任を取ってもらうつもりだったよ。すっかり忘れてた』

「責任を取るのはお前のほうだろうがっ」

 ……いつもの他愛たあいのないだ。憎まれ口を利くセンゴクに、突っ込みを入れるおれ。皮膚に馴染んだ、おれたちの日常だった。まさかこうして幕切れになろうとは、思いもしなかった。おれはこいつを迷惑がりながらも、それでも内心、新たな厄介ごとを持ち込んでくるのを、楽しみにしていたふしがあった。おもい返せば、おれの三年間は、この上なく充実していた。通っていた学校の中で、おれが最も退屈から遠かったように思える。さあ、行こうかと、授業が終わるたびに意気揚揚いきようようと宣言するセンゴクに、苦虫を嚙み潰したかのような表情かおで応えるおれ。超弩級ちょうどきゅうの変人であるこいつを、皆は完全に押しつけてくる。関口、お前が面倒をみろよ、と。そんな友人らの生温かい視線に見送られて、おれはと後をいていくのである。今や懐かしい、想い出の結晶だった。

 それをおれは、しまい込む。固く封をして、閉じ込めてしまう。“菜子”のために。おれは“菜子”を選んだのだ、だからおれはセンゴクにならい、信条に反するものを切り捨てる。そう、あり得たかもしれない未来。センゴクとまた肩を組んで、面白おかしくすごす毎日を。その可能性を振り払う。“菜子”に対し、そしてセンゴクに対し、誠実であるために。……でも、でも今だけは、想い出を懐かしんでいたい。おそらく最後の、これが語らいだから。

 そうおれたちは、想い出話に花を咲かせた。一つ一つ感懐かんかいしては、減らず口を叩き合い、双方とも相手に責任を圧しつけ合う。キミがもう少ししていれば、いやいや、お前が無茶をしすぎなんだよ、と。それらおれたちの冒険譚ぼうけんたんは、辟易へきえきするほどにあった。語らいつくすことなど不可能だった。

 どれだけのときを、そうしてすごしたのだろう、おれたちは充分に満足した。もはや思い残すことは何もない。言葉にせずとも、雰囲気が宴の幕を告げ報せる。関口君、奴が名を呼ぶ。ああ、おれも答える。それだけで解り合える。言葉なんて要らない。初めて気づいた、おれたちは、より深いところで結びついていたのだ。

師匠センセイはおっしゃったよ。あちら側に行くのは簡単だって』

 センゴクはそう言って、おれに方法を開示した。なるほど、たしかにそのとおりだ。やはりおれは正しかった。二兎にとを得ようなどと思うから、一兎いっとも得られないのだ。俚諺りげんとして語り継がれるだけはある、それだけの価値を、心理を、内包していたのだ。

 ありがとう、おれは謝辞を贈る。こいつに礼を述べるのは、もしかしたら初めてかもしれない。果たしてセンゴクも、気色悪きしょくわるいからくれたまえと、割と本気の口調で返してきた。まあ良い、愁嘆場しゅうたんばなど、おれたちのじゃない。するくらいでちょうど良いのである。なので、改めて告げる、

 じゃあな、センゴク、

 と。

『ああ、さようなら、関口君』

 応える彼女も、未練は微塵も覗かせない。明日また普通に逢えるかのように別れを告げる。だが真実、おれたちのそれは永劫えいごうの別れなのだ。道はもう交わることはない。万一あるとすれば、それは奴がおれの楽園――鋼鉄の桃源郷とうげんきょうを、蹂躙じゅうりんしに来るときより他にあり得ない。敵味方に分かれ、対峙するに違いない。そのときは来るのだろうか。おれは夢想する、いつもならおれに背中を預けているはずのあいつが、おれと真正面に向き合っている光景を。あいつはどんな表情かおを浮かべるだろうか。いつもどおりの、自信に満ち溢れた表情かおだろうか。ああ、きっとそうに違いない。そしてあいつは言うのだ、やあ、久し振り、関口君、と。まるで何事もなかったかのように振る舞って、不敵な笑みを作るのだ。おれを改心させることなど容易たやすいことだといわんばかりに。

 ありありと情景が展開した。覚えず苦笑が洩れた、センゴク、お前――、と。あっさりと電話を切ったあいつに語りかけた。でもな、センゴク、おれはそんなお前のことが――、

 嫌いじゃなかったぜ、と。

『…………』

 無機質な電子音の隙間から、奴の鼻で笑う声が、聴こえた。

 そんな気が――した。


     *   *   *


 そうしておれはセンゴクの助言どおり、人を辞めることにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る