第05話 02
「なあ、どうなんだ、センゴク? 何か思いついたのか?」
懸命になって問い尋ねる。もはや
『慌てるなよ、キミらしくもない』
そうセンゴクは
しかし奴の言葉は極めて簡潔だった。こいつはただひと言、
『結論から言えば、それは妄想か勘違いだね』
と、切って捨てたのだった。
『たしかに無生物に魂が宿る話はあるよ。それこそ民話を
だがそれらは
事実は一つ、しかし、真相は無限大、とね。
それら事象を、どのようなまなこで観察するかによって、見え方――相は、千万にも変化するってことさ』
結局のところ真実なんて、ただの多数決でしかないのだよ、センゴクは言い切った。大多数の人に支持されている解釈が、真実へと昇華を果たすのさ、実際にどうかとは関係なくね、そう
『だからその人……、物に憑依した何かが見える人だっけ、それがその人だけにしか見えないって言うんなら、暴論ではあるが、その人が間違っていると結論づけても構わないのだよ。真実がどうかとは、それはまったくの別問題さ。同じ次元で語られるべき話じゃない』
「は? なに言ってんだ? 同じ話だろ?」
『いいや、違うよ。なら逆に問うが、もしそれ――人ではない何かが本当にいたとして、だったらどうだというんだい?』
「は?」
『周りの人に要らぬ不安や心配を与えて、それでその人は満足するのかい?』
「いやだって本当のこと――」
『先ほども言っただろ? 真実とは、大多数の人が納得する結論だと。何者にも干渉をされない、完全無欠な観測者が知る真実とは別個として、その時代、その土地、その背景に即した真実というものがあるのだよ。正しいか正しくないかは関係ない。共同体の平和を護るために綴られる物語、それが真実なのだよ』
あまりといえばあまりの暴論に、返す言葉を喪ってしまう。それじゃあ何か? 嘘だと明らかでも、自説を曲げるのが正しいとでも言うのか? それじゃあまるで、地動説を否定されたガリレオ・ガリレイじゃあないか。
『そのとおりだよ、関口君。よく分かっているじゃないか』
あろうことか、こいつは肯定しやがった。おれはさらに混乱する。どうも高校時代とは、考え方が異なっているみたいだ。環境の変化だろうか。おれの知っているあいつと
「センゴク、お前、
とりあえず水を向けてみる。こいつの超常現象に対する認識が変わっているのなら、作戦を練り直す必要があると、探りを入れてみる。しかし果たして、返答はノーである。ボクは徹頭徹尾『真実』の味方だよ、そうあっさりと答えられてしまう。だが納得できない。昔あれほど幻想の破壊者として猛威を
そう迫ると、センゴクは大仰にため息をついてみせた。やれやれと理解力の乏しいおれに首を振ってみせる。良いかい? 嚙んで含めるように告げてくる。
「良いかい? さっきから言っているように、真実とは、大勢多数の賛同を得られる解釈のことなんだよ。キミはどうもボクのことを勘違いしているみたいだけど、ボクは審判者でも断罪者でもない。調整者だ。物事をもっとも理解しやすい型にはめ込むこと、それがボクの使命であり目的なのだよ。
――そしてこの時代、お化けや妖怪は、共感を得られにくい最たるものなんだよ。
不思議なことがありました、それはお化けの仕業です、そっか、お化けなら仕方ないか――では通用しないんだよ、この二十一世紀では。たとえ、もしいたとしても、それを世間に証明する技術が足りない今の時代、真実がどうかとは別として、人人の理解を得られない主張を述べるものは、異端者の烙印を捺されてしまっても仕方がないのさ』
いいや、とこいつは言い直す。いいや、ボクが捺すのさ、と。
『
「…………」
『例えば目の前に、赤い玉があったとしよう。キミの観測結果では、それは間違いなく『赤い』玉だ。だがしかし、周りにいた九人は、それを『青い』玉だと言う。さて、果たして正しいのはどちらで、間違っているのはどちらだろう。……キミはもちろん、自分が正しいと主張するだろう。だがちょっと待ってほしい。関口君、キミはもしや、両親や先生、友人たちに、青色を『赤』と、そう教わってきたのではないだろうか。また逆に、キミ以外の九人は、赤色を『青』と教えられて育ってきたのかもしれない。だとすれば、双方の主張はいつまでたっても平行線のままだ。なぜなら、どちらも正しいのだから。個人の真実に照らせば、十人全員が正しいのさ。……まあこのケースでは、より多くの人、万人が認めるところの『赤』色を呈示すれば解決できる。もし見せられたそれが、関口君の認識で、間違いなく『赤』色だったら、九人が間違えていたといえるし、逆にもし見せられたそれが、関口君の知っている『赤』色ではなかったのなら、残念ながらキミが間違えていたと言わざるを得ない。
さて、本題はこれからだ。
今の事例では、完璧な証明手段――地球人すべてが納得することのできる証拠――それを示せたのだが、しかし実際、世の中はそんなに簡単に
犯罪を例に
「……だ、だって、それだけの、納得できるだけの証拠があったんだろう? だったらやっぱり、被告人が嘘をついているとしか――」
『それが正しいかなんて、誰が言えるのかい?』
「いやセンゴク、お前の懐疑主義は良いからさ」
世の中すべてを疑っていたら、何一つ解決できないじゃないか、おれは声を
『キミが話の腰を折ったんじゃないか』
センゴクはさも心外そうに唇を尖らせる。そして続けて奴は言う、先ほどの繰り返しだが、つまりこの世界は、より得心に近い真相が、真実になるのだよ、と。
『解るかい? いつだって、
「おい、待てよ、センゴク」
おれはこいつの言を遮った。先ほどから、こいつの言葉はどこかおかしい。高校時代から、ここまで危険な思想の持ち主だったのか? これじゃあまるで、周囲の平和のためならば、一人、または少数の犠牲――冤罪も、やむを得まいと、そう主張しているみたいじゃないか。
『そう主張しているのだよ、関口君』
「なっ――」
『まあもっとも、日本の警察機構は優秀らしいからね。実際に、完全な冤罪など、数年に一度、数十年に一度、あるかないかだろうがね。裁判にしても、三審制度だ。一審、二審で、おかしな判決が下されたとしても、まだ望みはある。
「それは……」
『警察組織に対する信頼の失墜、さらには犯人が捕まったと安堵している一般市民にとっては、再び眠れぬ夜が復活することとも、それはなるだろう。……社会的にみてどうだろう。プラスになるのか、マイナスになるのか、キミはどう思うかい?』
「いや、だからそれはおかしいだろう。真実は間違いなく一つなんだから。それが捻じ曲げられ、あまつさえまかり通ってしまうなんて、」
『間違っているというのかい?』
「当たり前じゃないか」
お前だって同じ立場に立たされたなら、そんな綺麗ごと言ってられないさ、そう反論した。
『たしかに、そうかもね』
「だろ?」
『でも果たして、その冤罪の犠牲者は、何一つ落ち度がないと言えるのだろうか』
「は? お前まだ――」
『だってそうだろう? その人はただ真実を語れば良いだけなんだ。にもかかわらず、その供述よりも、有罪と断じた相手の綴る物語のほうが、信憑性が高いと判断されたんだ。常識的に考えて、おかしいと思わないか?』
「…………」
『例えばこうだ。ボクはお金を盗んではいません。でも知らぬ間に、鞄の中にそのお金が入っていました。脅した包丁も、なぜか持っていました。でも心当たりはありません。逃走中の自分を見たとの証言がありましたが、それは嘘です。その時間、ボクは家で寝ていました。それを証明できる誰かはいませんが……。と、こう正直に証言したとしよう。さて関口君、再び質問だ。彼は有罪か、無罪か、果たしてどちらだろうか』
「待てよ、センゴク。そういう極端な例を挙げて、思考を誘導するのは、フェアじゃないぞ」
『そうかな? 実際の事件は、もっと極まっているよ。例えば、停車中の車に、明らかに故意に追突して、相手を死なせておきながら、殺意はなかったと否認してみたり、全身をあざだらけ、骨折だらけにした挙げ句、わが子を死なせた親が、ただのしつけだったと堂堂と言ってのけたりする。……これは普通の、一般人の常識からはかけ離れている。
だが本当に、この人たちの中では、それが真実だったのかもしれない。
進路を客観的に
「…………」
『さらに極端な例を挙げよう。とある新興宗教の教祖が、病床の信者に、これを飲めば
待て待て待てセンゴク、おれは声を割り込ませる。危うくこいつの話術にはまってしまうところだった。微妙に論点がずらされている。いつのまにか実際に起こったことから、当人の意思の有無にすり替わっている。当人の考えは関係ないのだ、それがどうあれ、起こったことは一つなのだから。
『おや、関口君、キミも少しは成長したようじゃないか。少々おどろいたよ』
「当たり前だろ、伊達に三年間、お前に振り回されていたわけじゃないんだよ」
そう答えると、センゴクはくつくつと笑ってみせた。今の言葉のどこに、奴の笑いの
いやいや済まない、キミもいっぱしの口を
「で、センゴク、次はどんな話をしてくれるのか? おれとしては、早く解決策を教えてもらいたいんだが」
おれは迫る。そうだ、悠長に無駄話をしている暇はないのだ。だがそれを聴くと、センゴクは驚いてこう返してきた。キミは今までボクの話を聴いていなかったのかい、と。
『
まあ、それはいつものことか、とお決まりの憎まれ口も追加して。
「はあ?」
感情を露呈する。こいつの軽口に付き合う心のゆとりはない。それに今のどこに、本題に接する話題があったというのだ。ただ単に
『やれやれ、まだ解らないのかい?』
「だから何がだよ」
語勢を荒くして詰め寄った。しかしため息ひとつでいなされてしまう。そして心底あきれた口調で、こいつは言った、
解決策なんて、ないよ――、と。
『良いかい、その人が誰だかは知らないが、せっかく自力で正気に立ち返られたんだ、それをわざわざ元の状態――
あり得ないね、そうばっさりと斬り捨てていた。
「ちょっ、ちょっと待てよ、センゴク――」
『待つのはキミのほうだよ、関口君。他でもない、キミが言うのかい? あれほどボクと一緒に『世直し』に励んできた、そのキミが』
「『世直し』……、だと?」
『ああ、そうだよ』
「あれのどこが――」
『――言ったはずだ、関口君』
またしてもおれの言葉は遮断される。ぴしりと一本、芯の通った声音で、センゴクはおれを
「たとえ冤罪の要素を孕んでいたとしても、関係ない。ボクが行なうのは、万人が納得する結論を導き出すことでは、ない。万人により近い人数が納得する結論を呈示することなんだよ。だからたとえ、
「正解って……」
『それが社会のためなんだよ、関口君。我々の平和な日常を
「…………」
『さっき例を挙げただろ? 度を越した体罰が、虐待死にまで至ったケースを。あれだって、もっと前に、両親が自分がおかしいことを知らされていれば、止められた悲劇だったかも知れない』
もちろんそれは、当の本人たちに、真実
『それと同じことだよ。たとえ自分の中では正しくて、間違えようもない真実だったとしても、それが世間からずれているのなら、
「でも……」
『だからボクは恐れない。たとえ相手が正しく、こちらが間違えていたとしても、それでも正義は我にある。ボクには大多数の人の平安を守るという、大義名分があるのだから。お化けや幽霊、妖怪も、人人の大多数が実在を肯定できるそのときまで、ボクは何があろうと対決し続けるのさ』
「センゴク……」
『いや、そうでなければ、今までボクが
「…………」
『そう、この世に不思議なことなど何もないのだよ、関口君――』
そう言って、彼女は弁論の幕を閉じたのだった。
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