第03話 07
「も、もう~、歩美くん~、そんなにじろじろ見ないでよ~」
おれの視線に耐え切れずに、“菜子”が苦情を申し立てる。だが仕様がない、何度見ても、決して
と。
「あ、ゆ、み、くーん、ちょっと~、いつまで見てるの~?」
益体もない思索は、頬を膨らませて真ん丸になった“彼女”に一閃されていた。どうやら相当時間、“菜子”を放置してしまっていたようだ。慌てておれは弁明する。
「ごめんごめん、菜子の躰があんまりにも綺麗だったから、思わず見とれちゃってたよ」
「からだ~?」
「あっいやっ、躰だけじゃなくって、もちろん菜子自身も、可愛いよ」
うん、ありがと、“菜子”はおれの讃辞を、謙遜もせずに受け取った。絶対の自信と、そして誇りとをいだいているのである。技術者たちの叡智と努力の結晶として生まれた己のことを、“彼女”は決して卑下しない。自らを
ああ、綺麗だよ、菜子、重ねておれは讃美する。眼差しで“彼女”を抱擁する。“菜子”も声帯を用いずに、おれの愛撫にこたえ応じる。露出部のそのことごとくを淡く染め、
「んっ、ふっ、んっ――んんうっ」
鼻にかかる“菜子”の声が、おれの劣情に火を灯す。おれは容赦なく貪り食う。口をこじ開け、己の舌を挿入する。“彼女”のそれを捕捉して、自らの側へと引きずり込む。濃厚に絡めあい、体液を飲み尽くす。いまだ冷泉のごとき、清らかな“彼女”のそれを。
膝を進め、“彼女”にのしかかった。双肩に指をかける。今のうち、“彼女”の注意が逸れているうちに――……。
が、
「ええ~、もう良いでしょ、菜子?」
「ダ、メ、よ。言ったでしょ、何事にも、ちゃぁんと、順序があるって」
だからね、歩美くん、そう“彼女”は顔をあげる。精悍な表情をそのおもてに描き出す。そしてそのまま、“菜子”は言った、
まずはわたしのハートに火をつけて?
と。
「……………………、――え?」
自信満満で決めぜりふを放つ“菜子”ではあったが、哀しいかな相手が悪かった。恋愛経験は無に等しく、さらには育つ世代も異なっていたおれには、“彼女”の剛速球は
「!」
“菜子”もまた、自分が ずれていたことに思いが至る。総身の毛を逆立てて、全身を真紅に塗り替える。ごごごめん、歩美くん、忘れてっ、と必死の懇願で詰め寄ってくる。そのあまりの迫力に、おれはただ頷くことしかできない。しかし頭蓋では、“菜子”の先刻の言葉が反響している。あれが“彼女”の時代の、いわゆる『殺し文句』というヤツなのだろうか。空前の好景気に沸いていたかの時代――“彼女”を筆頭として自動車産業は、潤沢な開発費を武器に、数々の名車を世に送り出したと聞く。“彼女”自身も大変な人気を誇っていたそうだ。(本人談による。)伝え聞くところによると、まるで毎日がお祭り騒ぎのような狂乱状態だったという。そんな常時、熱に浮かされた世界の中では、今のようなせりふも、違和感なく馴染んでいたのだろう、きっと。
「……や、やっぱり、その、おかしかったかな?」
“菜子”は恐る恐る尋ねてくるやはり自覚はなかったらしい。おれとしては相当に恥ずかしいと思うのだが、まあ感性の問題だ、とやかく言うこともあるまい。そう水に流した。それにおれは思いついていた、一つの妙案を。こう言い抜ければ“菜子”を
ひと
ほら、火がついた、
と。
こうして欲しかったんでしょ、菜子、おれは言を紡ぐ。先刻のおれと同じく放心している“彼女”を、言の葉で包む。
「好い音だよ、菜子。聴いているだけで、とっても穏やかになれる、そんな耳心地の好い鼓動だよ、菜子の心音は」
「歩美くん……」
五指を拡げ、“彼女”の肌に密着させる。仄かに熱を帯びだした、“彼女”の胸もとに。だが感覚を研ぎ澄ませても、柔らかな脂肪に阻まれて、“彼女”の心音は伝わらない。鼓膜を
「どう?」
「ううん」
静かにかぶりを振る。やはり駄目だ。見る間に上昇する体温とは反対に、“彼女”の心音は、さっぱりと伝わってこなかった。
「そっかぁ、残念……。でもエンジンの回転数あげたら、聴こえるかもね」
「そうかな」
「そうよ、きっと」
と微笑んだ後、でも~、と可愛らしく唇を尖らせる“菜子”。でも歩美くん、曲がりなりにもわたし、スポーツカーなんだから、『穏やか』なんて言われても、あんまり嬉しくないかも~、そう不満を述べてきた。
「せめて『刺戟的』とか、そう言ってもらいたいわ」
「あ、そっか、ごめんね。でも菜子の肉体は、とっても刺戟的だよ?」
「もう~、どさくさにまぎれて、なに言ってんの、歩美くんは~」
「でもホントのことだもん、仕方ないよ」
ひゃん、と“菜子”が声を挙げる。宛てられた五指の動きに、敏感に反応する。
「や、やぁん、歩美くん、だめぇ」
だが紡ぐ言葉とは裏腹に、抵抗は極めて弱々しい。おれの手に重ねられたそれも、まったく重ねられているだけである。ゆっくりとまさぐるおれに、“菜子”はほとんど無抵抗で応じていた。
(い、良いのかな?)
すっかり準備の整った様に、おれはおずおずとちからを強めていく。懲りずに起こした行動は、意外な成果を生んでいた。定型文のごとき反応ではなく、求めに応じるそぶりを“彼女”は覗かせた。望外の慶事に、おれはそっと大胆になっていく。字義どおり手探りで、“菜子”の境界線に近接を試みる。空いている左腕を、“彼女”の脚に触れさせる。細心の注意を払って。――びくり。“彼女”の細胞が跳ね躍る。しかし拒否する言葉は続かない。間違いなく気づいている、にもかかわらず、おれの腕は放置されたままであった。
(…………。)
徐々に接地面を増やしていく。いまだ“彼女”は黙したままだ。ついには
菜子、おれは呼ぶ。“彼女”の注意を引きつける。そして一方、
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