第03話 07

「も、もう~、歩美くん~、そんなに見ないでよ~」

 おれの視線に耐え切れずに、“菜子”が苦情を申し立てる。だが仕様がない、何度見ても、決してきることのない、それは美しい肢体なのだ。完璧に造られた車体を、“彼女”はまさに具現化している。豪奢な刺繍で飾られた、車輌と同色のブラジャーに収められているエンジンは、どちらかといえば小ぶりなほうだ。だが小柄な“彼女”には、それで充分である。むしろ均整がとれている。下手に馬力を上げて大きくすれば、ぎゃくに不自然に感じるに相違ないだろう。

 と。

「あ、ゆ、み、くーん、ちょっと~、いつまで見てるの~?」

 益体もない思索は、頬を膨らませて真ん丸になった“彼女”に一閃されていた。どうやら相当時間、“菜子”を放置してしまっていたようだ。慌てておれは弁明する。

「ごめんごめん、菜子の躰があんまりにも綺麗だったから、思わず見とれちゃってたよ」

「からだ~?」

「あっいやっ、躰だけじゃなくって、もちろん菜子自身も、可愛いよ」

 うん、ありがと、“菜子”はおれの讃辞を、謙遜もせずに受け取った。絶対の自信と、そして誇りとをいだいているのである。技術者たちの叡智と努力の結晶として生まれた己のことを、“彼女”は決して卑下しない。自らを矮小化わいしょうかすることは、畢竟ひっきょうかかわった人すべてをそうすることと同義なのだと、十全に自覚しているのだ。

 ああ、綺麗だよ、菜子、重ねておれは讃美する。眼差しで“彼女”を抱擁する。“菜子”も声帯を用いずに、おれの愛撫にこたえ応じる。露出部のそのを淡く染め、秋波しゅうはを作りおれへと贈る。それは磁場だ。おれは否応なく引き寄せられる。魅力という名のそれに、おれはまったく抗えない。接近に伴って、“菜子”はゆっくりまぶたを閉ざす。そしておれは、仄かに突き出された薄桃色のそこへと――、己の唇を着地させた。

「んっ、ふっ、んっ――んんうっ」

 鼻にかかる“菜子”の声が、おれの劣情に火を灯す。おれは容赦なく貪り食う。口を、己の舌を挿入する。“彼女”のそれを捕捉して、自らの側へと引きずり込む。濃厚に絡めあい、体液を飲み尽くす。いまだ冷泉のごとき、清らかな“彼女”のそれを。

 膝を進め、“彼女”に。双肩に指をかける。今のうち、“彼女”の注意が逸れているうちに――……。

 が、さかしい目論見は、“彼女”の両手に防がれてしまう。おれの両手首はと摑まれてしまう。唇を離し、“菜子”を映す。酸欠気味だったのか、と大きく息を吸い込んで、そして“菜子”も見据えてくる。ダメよ、勢いにまかせようとしたって、そうで告げてくる。

「ええ~、もう良いでしょ、菜子?」

「ダ、メ、よ。言ったでしょ、何事にも、ちゃぁんと、順序があるって」

 だからね、歩美くん、そう“彼女”は顔をあげる。精悍な表情をそのに描き出す。そしてそのまま、“菜子”は言った、


 まずはわたしのハートに火をつけて?


 と。

「……………………、――え?」

 自信満満でを放つ“菜子”ではあったが、哀しいかな相手が悪かった。恋愛経験は無に等しく、さらには育つ世代も異なっていたおれには、“彼女”の剛速球はかわすしかなかった。ただ尋き返すしかできなかった。……いったいどう答えれば良かったのだろう、キミの瞳に、乾杯?

「!」

“菜子”もまた、自分が いたことに思いが至る。総身の毛を逆立てて、全身を真紅に塗り替える。ごごごめん、歩美くん、忘れてっ、と必死の懇願で詰め寄ってくる。そのあまりの迫力に、おれはただ頷くことしかできない。しかし頭蓋では、“菜子”の先刻の言葉が反響している。あれが“彼女”の時代の、いわゆる『殺し文句』というヤツなのだろうか。空前の好景気に沸いていた――“彼女”を筆頭として自動車産業は、潤沢な開発費を武器に、数々の名車を世に送り出したと聞く。“彼女”自身も大変な人気を誇っていたそうだ。(本人談による。)伝え聞くところによると、まるで毎日がお祭り騒ぎのような狂乱状態だったという。そんな常時、熱に浮かされた世界の中では、今のようなも、違和感なく馴染んでいたのだろう、きっと。

「……や、やっぱり、その、おかしかったかな?」

“菜子”は恐る恐る尋ねてくるやはり自覚はなかったらしい。おれとしては相当に恥ずかしいと思うのだが、まあ感性の問題だ、とやかく言うこともあるまい。そう水に流した。それにおれは思いついていた、一つの妙案を。こう言い抜ければ“菜子”をたすけてあげられるだろうと、閃いたそれを実行に移していた。イグニッション・キーに鍵を挿し入れる。ゆっくりと回す。一つ身震いをして、エンジンは目を覚ます。心地好い心音を奏で、深夜の大気を振動させる。相変わらず絶好調だ。大切に整備されてきたと“菜子”が自慢するだけはある、そう暫時ざんじ鼓動に耳を澄ませた。

 ひとしきり堪能してから、おれは “菜子”と向かい合う。突然の行動に、反応を留意させている“彼女”の双丘に、人差し指を埋める。真剣な表情を浮かべる。そしておれは言った、


 ほら、火がついた、

 

 と。

 こうして欲しかったんでしょ、菜子、おれは言を紡ぐ。先刻のおれと同じく放心している“彼女”を、言の葉で包む。

「好い音だよ、菜子。聴いているだけで、とっても穏やかになれる、そんな耳心地の好い鼓動だよ、菜子の心音は」

「歩美くん……」

 五指を拡げ、“彼女”の肌に密着させる。仄かに熱を帯びだした、“彼女”の胸もとに。だが感覚を研ぎ澄ませても、柔らかな脂肪に阻まれて、“彼女”の心音は伝わらない。鼓膜をつのは、もっぱらエンジンルームからの律動音だ。それを察したのか、“菜子”がを重ねてくる。両掌を重ね、添えているおれの手に圧をかける。

「どう?」

「ううん」

 静かにを振る。やはり駄目だ。見る間に上昇する体温とは反対に、“彼女”の心音は、さっぱりと伝わってこなかった。

「そっかぁ、残念……。でもエンジンの回転数あげたら、聴こえるかもね」

「そうかな」

「そうよ、きっと」

 と微笑んだ後、でも~、と可愛らしく唇を尖らせる“菜子”。でも歩美くん、曲がりなりにもわたし、スポーツカーなんだから、『穏やか』なんて言われても、あんまり嬉しくないかも~、そう不満を述べてきた。

「せめて『刺戟的』とか、そう言ってもらいたいわ」

「あ、そっか、ごめんね。でも菜子の肉体は、とっても刺戟的だよ?」

「もう~、にまぎれて、なに言ってんの、歩美くんは~」

「でもホントのことだもん、仕方ないよ」

 ひゃん、と“菜子”が声を挙げる。宛てられた五指の動きに、敏感に反応する。

「や、やぁん、歩美くん、だめぇ」

 だが紡ぐ言葉とは裏腹に、抵抗は極めて弱々しい。おれの手に重ねられたそれも、まったく重ねられているだけである。ゆっくりとおれに、“菜子”はほとんど無抵抗で応じていた。

(い、良いのかな?)

 すっかり準備の整った様に、おれはを強めていく。懲りずに起こした行動は、意外な成果を生んでいた。定型文のごとき反応ではなく、求めに応じるを“彼女”は覗かせた。望外の慶事に、おれはそっと大胆になっていく。字義どおり手探りで、“菜子”の境界線に近接を試みる。空いている左腕を、“彼女”の脚に触れさせる。細心の注意を払って。――。“彼女”の細胞が跳ね躍る。しかし拒否する言葉は続かない。間違いなく気づいている、にもかかわらず、おれの腕は放置されたままであった。

(…………。)

 徐々に接地面を増やしていく。いまだ“彼女”は黙したままだ。ついにはてのひらと貼りついてしまった。それでも“彼女”はリアクションを起こさない。気づかれぬよう窃視せっしすると、“菜子”は顔を背向そむけ、唇を引き結んでいた。時折、隙間から蒸気のような呼吸が洩れこぼれている。それでも一向、文句を述べる気配は、“彼女”からは見いだせなかった。

 菜子、おれは呼ぶ。“彼女”の注意を引きつける。そして一方、あてがった左掌ひだりては、じりじりと内側へ、固く鎖されたももの間へと移動させる。かすかでも“彼女”から不快感を嗅ぎ取ったら、即刻やめようと警戒しながら。

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