第03話 03

 じゃあ待ってるからー、手を振りながら“彼女”は消える。まるで浮遊しているかのような足取りで奥の部屋へと向かう。……いろいろ試した結果、“彼女”について様様なことが判明した。まず“彼女”には、無機質を透過できる能力があった。幽霊みたいに壁をすり抜けることも可能である。そしてさらに、強く念じることによって、軽量な物なら摑むこともできた。映画のワンシーンよろしく、コインを持ち上げることも楽勝だ。(ただ、“菜子”を完璧に知覚できるおれにとって、その実演はまったく日常の風景にすぎず、それ以上の意味は見いだせなかった。)そうやって“彼女”は、己の意思を行使して、物体に干渉することができていた。……と、まずここまでが、“彼女”――“菜子”の優位な点である。次に挙げるのが、“彼女”の不利な点だ。“彼女”――“菜子”の不利な点、それは、行動範囲に制約がある、ということだった。具体的に述べると、“菜子”は、本体(……この呼び方が正しいかは甚だ疑問だ。)つまり車輌から離れることができなかった。距離にしておよそ五十メートル。車体を中心点として、その半径で描ける円の内側が、“彼女”の移動できる範囲であった。それを超えようとすると、あたかも見えないで繫がれているかのように、躰が進まなくなってしまう。いや、実際、見えない何かで繫がれているのだろう、喩えるならば、電気製品のようなものだ。コンセントに刺さった状態では、コードの伸びる範囲内にしか置けないということだ。無理をすると、“彼女”の活動を維持するのに必要な、何らかのの供給が、断たれてしまうかもしれない。その危険もあって、おれは“菜子”に無理を強いることを避けていた。だが家の駐車場に駐めていれば、家の中は自由に動き回れた。意外と広いものなのだ。さらに例外もあった。それは、おれが車の鍵を所持している場合だ。おれが車の鍵を持ちながら移動するときに限り、“菜子”は車輌の束縛から解放されていた。どれだけ遠く離れようが、まったく平気だった。多分それはバッテリーのようなもので、自動車本体から送られてくる活動力の代わりを果たしているのだろう。(残念ながら、その仮説を証明する手立てはない。やろうと思えば方法は幾らでも思いつくが、だがしかし、それらは“菜子”を危険にことと同義である。おれとしては、そんな危険を冒すくらいなら、原理など不明でも構わなかった。おれはセンゴクとは違うのだ。)そしてもう一つ、有利か不利かは判らないが、“彼女”――“菜子”が決定的に人間ひととは異なる点として、生き物に触れられない、という一点が挙げられた。……人間ひとの側から“彼女”には、まったく干渉は不可能だった。当然だろう、そもそも存在を認知できないのだ、接触しようという発想自体、思い浮かばないはずである。だが一方、“菜子”は、世界を、人々を知覚できた。おれが見ているのと同様の光景を、“彼女”も見ることができていた。そう、できていたにもかかわらず、“彼女”はそれらに干渉することができずにいた。声をかけても気づいてもらえない。触れようとしても通り抜けてしまう、“彼女”の意思とは無関係に。さらにどのような原理が働いているかは不明だが、生命体に触れている無機物、それもまた、同様のルールが適応されていた。一例を挙げよう。たとえば服が床の上に置いてあれば、“菜子”はそれを手に取ることができる。だが誰かがそれを身に着けた途端、それは“彼女”の世界から切り離されてしまう。まるでホログラムに触れようとするかのように、と“菜子”の腕からすり抜けてしまうのだ。……はじめて見たときの、とした驚きは、今でも忘れがたい。否応なく再認識させられていた。“彼女”――“菜子”が、字義どおりの意味で人間ではないという、厳然たる事実に。あまりにも普通に接することができていたので、つい失念してしまっていた。しかし忘れてはいけない、のは、おれのほうだということを。爾来じらいおれは、注意深くなっていた。人前で“菜子”が不用意な行動をとらないよう、極力衆目からかくしていた。(やはり独占欲などではなかったのだ。)おれにとっては普通の光景でも、他者からの観測は異なるのだ。物体だけが空中を漂っていると、そう視認されてしまうのだ。……それだけではない、どちらかといえば本命はこちらなのだが、皆は“菜子”を見ることができない、なので必然、“彼女”に対する配慮はまったくない。たとえ“菜子”がおれの傍らに寄り添っていようが関係ない、堂堂と距離を詰めてくる。構わず腕を伸ばしてくる。その光景に、おれは危うく悲鳴を挙げるところだった。坐していた“菜子”の腹腔ふくこうから、友人の腕がと突き破って出ていたのだ。視線を落とし、己の腹部を瞳に収めた“彼女”は、が悪そうに苦笑した。でも痛覚はもちろん、触覚も温度も感じられないから、だから大丈夫と付け足した。人々と“菜子”は、完全に切り離されていたのである。決して交わらない、別の世界線。ただ悲劇だったのは、“菜子”の側が上位に立っているということだった。友人らは知らない、自らのすぐ隣、手の届く場所にもう一つの世界があるということを。知らぬゆえに望むこともない、焦がれることもない、夢見ることもない。だが反対に、“菜子”は知っている、目の前にもう一つの、温かな光景がひろがっているということを。知っているゆえに望んでしまう、焦がれてしまう、夢見てしまう。そして希望が失望に、絶望に、転化してしまう。触れられる距離に温かな体温がある、だが自分一人だけがその世界から疎外されていたのだ。三十数年の間、果たしてどれだけ“彼女”が、期待をいだいては裏切られてきたのだろう、おれに走るよしもないが、想像することはできる。きっと、いいや必ず、一度や二度ではないのだろう、そしておそらく、たびごとに袖を濡らしてきたのだろう。その姿を幻視して、おれは胸を痛めた。自然、を重ねていた。あきらめたような笑顔の“菜子”に寄り添った。“彼女”――“菜子”は瞬間、驚いたような表情を作る、しかしすぐに、柔らかな微笑みを描く。“彼女”もまた、寄り添いを深くする。お互いの躰で支え合う。そしてゆっくりと、ありがと、そう“彼女”は呟いていた――。

 ……そのような経緯を経て、おれは“菜子”を、友人たちから隔離したのである。負わなくても良い傷を負うことがないように、いだかなくても良い幻想をいだくことがないように、おれは皆との団欒に接しないよう、配慮を示したのである。くどいようだが、断じて利己心からの行動ではないのだ。そう、断じて。

“菜子”は閉ざされた襖の向こう側へと消えていく。物理的障害は意味をさない。舞うように吸い込まれる光景も、もう慣れた。非、日常感は日増しに薄くなっている。この分だといつか遠くない将来、おれも同じことができると錯覚し、盛大に襖にぶつかってしまうかもしれない。そして“菜子”はと、……いいや、“あいつ”はそんなにお上品なヤツではなかった、のほうがふさわしいだろう、そうやって笑い転げるに違いない――、と脳裡に情景を描いて苦笑した。それがあり得ないくらいの迫真を獲得していたからだ。もはや現実の想い出と比べても遜色がないほどだ。それくらい容易に想い描けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る