第02話 04

 ……。

 ……。

 運転席から声が聞こえる。卯月さんが慣れた手さばきで車体を操る。流麗なシフトチェンジはまったくを感じさせない。一速あげるごとに教官の躰をにさせていたおれとは、まさしく雲泥の差だ。最新式のオートマティック・トランスミッションと比較しても、遜色がないほどだ。(まあ、そんな車に乗ったことはないのだが。)とこちらに視線を向ける余裕さえ覗かせている。むしろそれを喪っていたのは、おれのほうだ。卯月さんの語りかけにも、生返事しか返せない有りさまである。大丈夫? 少しスピード落とそっか? とおれの変調を誤解した彼女に気づかわれてしまう体たらくである。

 う、うん、平気、かろうじてそれだけを絞りだす。強張った笑みを作って卯月さんに送った――、躰とは反対に。ねじって卯月さんから隠す。万が一みられてしまったら、弁解の余地はない。……それくらい、哀しいくらいに、おれの茎根けいこん怒張どちょうしていたのだ。こんなにも熱く、こんなにも固くなったのは、初めてかもしれない。もちろん原因は、運転によるものではない。生命の危機に瀕した際、子孫を残すよう遺伝子のプログラムが作用するという話を聴いたことがあったが、卯月さんの運転に限ってそんなことはあり得ない。極めて安全といえよう。流れる景色は相当なものだったが、四肢を踏ん張る必要はない。まるで線路の上を走っているかのような卓越した運転技術である。安心して身を預けることができていた。

 そう、おれを狂わせていたのは、別のもの――だったのだ。

『……あ、あのさ』

『なーに?』

『わ、悪いんだけど、その、もうちょっと、離れてもらえない?』

『えーっ、どーしてー?』

『どうして、って……』

 おれの懇願にもかかわらず、“彼女”は一向に密着をやめる気配がない。おれの股の上にまたがって、上半身をすり寄せてくる。衣服越しにも伝わってくる。“彼女”の、火傷しそうに熱い体温が。本当に骨が入っているのかと疑わしいほどに柔らかい、“彼女”の肉体が。とりわけ、向かい合って坐っているこの状態だと、“彼女”の胸の膨らみがに感じられる。狭い車内も、“彼女”には関係ない。両脚はシートの下にいる。通常の人間同士ではあり得ないほどの深度で、“彼女”は肢体を重ねてくる。当ててんのよ、といわんばかりにしつけられた形の好い双丘は、つぶれて変形してしまっている。下着からこぼれんばかりの勢いだ。そんな“彼女”に刺戟されて、おれはもう達してしまいそうになっていたのだ。

『やーよ、せっかくわたしと触れ合える人、見つけたんだもん。……キミはいやなの? わたしって、そんなに魅力、ないかな?』

 おれの首に両腕を回して“彼女”は背を反らす。自重を支えてもらおうとの魂胆だ。だがおれの首根にかかった圧はわずか、ほとんど感知できないくらいである。軽い、いや、『軽い』なんてレヴェルではない、吹けば飛ぶ羽毛のようだ。それでも質量は存在した。やはり妄想ではないのだろうか。“彼女”がおれに影響を及ぼしていることを第三者が観測できる方法……、例えばそう、“彼女”におれの髪を揺らしてもらうとかはどうだろう。無風の状態で、おれの髪が不自然に揺れ動いていたら、それは“何者か”が影響を与えているという証左にならないだろうか…………。

『どーしたの、急に黙っちゃって』

『~~~~~~!!』

 だがせっかく閃いた有効的なその案も、二たび抱きついてきた“彼女”に粉粉にされてしまっていた。……密着度は先ほどとは比べものにならない。と、まるで懐にしまおうかとばかりに“彼女”は抱きついてくる。顔と顔を寄せ合っていた先刻とは違っている。必然、おれの顔は、今度は“彼女”の上半身……に言ってしまえば“彼女”の乳丘ちきゅうに挟まれる形となっていた。……圧迫され、息が苦しい。呼吸ができない。いや、できなくはない、だが“彼女”の柔肌に呼気を吹きつけることに躊躇いを覚えてしまう。息をしようとすると、唇が触れてしまう。吸いつくほどにしっとりと潤う、“彼女”のその肌に。

 人体が発する甘い匂いに包まれた。それに柔らかい。顔が埋まってしまいそうだった。貪ってしまいたくなる衝動に駈られてしまう。オスとしての本能が、おれにそれを命じていた。もし横に卯月さんがいなければ、迷わずそれを実行していたに違いない、それくらい衝動は御しがたく、それくらい“彼女”の肢体は蠱惑的なものだった。

“彼女”の誘惑はそれだけにとどまらない。不案内なおれをかのようにして、己の肉体を用いはじめる。柔らかな膨らみが、おれの顔面を上下する。んふふ~、ともてあそぶ声が聴こえる。はるか遠方、天上から降り注いでいるみたいだ。意識が四散して、距離感が測れない。実際はおれのすぐ頭上で発せられたはずなのに、反響して響いている。密着している躰を伝わってくるのだろうか。ほとんど呼吸を停止したおれに、明解な思考を紡ぐ余力は残されていなかった。ただただ強烈な快感が全身を支配していた。圧倒的なそれに抗う気力はもうなかった。おれは蹂躙された。されるがままにまかせた。どう、気持ちいい? 再び耳朶が音を捉える。おれは呻くような声で答える。言語が形成されない。脳髄が痺れて、何も考えられない。。それに席巻された。“彼女”がおれに腕を回しているのと同じく、おれも“彼女”に腕を回して、そして抱きしめてしまいたい。壊してしまうほどにきつく。いっぱい抱きつぶしてしまいたい――!!

 ――――瞬間。

 と全身が痙攣した。頭蓋で何かが炸裂した。まるで超新星の爆発のようだ。衝撃に気絶しそうになる。気力、体力、精神力、生命力、おれの内部のありとあらゆるが強奪された。それらは凝縮され、圧縮され、ただ一点へと収斂される。腰が跳ねた。足が震えた。おれのそこ、男性器の先端、もっとも敏感な部分が刺戟されて、意識は完全に白色化された。。熱すぎる。細胞が壊死してしまうくらいの体熱、“彼女”の両脚の付け根は、まさにそれくらいの熱量を孕んでいた。そこがおれの先端に触れる。一瞬でおれは絶頂に達する。痛むほどのエネルギーが体内で荒れ狂う。暴虐の限りを尽くされ、理性は粉粉に消し飛んだ。抑制力を喪ったおれは、本能の命ずるままに行動を起こす。美事な曲線を描いたまろやかな臀部に指を立てる。握りつぶさんばかりに食い込ませる。“彼女”が筋繊維を硬直させる。だがそんなの関係ない。相手を思いやる余裕なんて残されていない。ただひたすら己の欲望を叩きつけるだけだ。そう思い切り引き寄せた。“彼女”の中心と、おれの中心とを密着させようと。

 二たび殴打されたかのような衝撃に襲われた。おれは無言でえた。野獣のごとき咆哮をほとばしらせた。全力で躰を圧しつける。炎熱を連想おもわせる“彼女”のそれを、肥大化した己のそれへと交わらせた。

 刹那――限界まで圧搾されたエネルギーのそのすべてが――――、解き放たれた。

『うううぅ、あ――ああああぁぁぁっ!』

 食い縛った隙間から呻き声が噴きこぼれた。我慢できずに雄叫びを挙げた。死んでしまうと思った。それくらい、喪神してしまうくらいの奔出であった。……下半身が断続的に痙攣を起こしている。そのたびに貯蔵されていた白濁液が放出される。一滴残らず搾り取られてしまいそうだ。いや、実際そうだった。睾丸が痛みを訴えている。もう残量がないと悲鳴を挙げている。それでもおれは収まらない。おれのすべてを注ぎ込もうと足搔きつづける。まるでそれが、生涯ただ一度かぎりの性交渉であったかのように――……。

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