第01話 11
「そうだね、本当にカッコいいね」
これは偽らぬ本心である。流線型のボディに驚くほど低い車高。地を這うという表現がぴったりだ。それだけではない。状態もまた、素晴らしい。きっと本当に大切な車だったのだろうね、付け加えた。こんなにも綺麗にしているのだからね、と。
そう、たしかにそれは、美品と形容するのにふさわしいものだった。卯月さんの話によると、製造日は今より三十数年前、つまりおれたちよりも年上なのだ。にもかかわらず、塗装は色あせることを知らず、傷や凹みも見あたらない。つややかに光を反射させ、景色が映るほどに磨かれたそれは、丹念にワックスが塗られた証左であろう。内装にも文句のつけようがない。汚れは一点もない。ところどころに手が加えられていて、それはさりげないながらも大変に趣が良く、所有者が美的感覚に優れていることを窺わせるものであった。どうして値段がつかないのか、不思議に思ったくらいだ。(……しかし理由を知るに至り、おれは首肯せざるを得なくなり、同時に一抹の寂しさを覚えたものだった。その理由とは、ひとえに走行距離である。おれが譲り受けた時点で、すでに十五万キロも走っていたのだ。いくら外装や内装に傷みがなくとも、心臓部たるエンジンがそれだけ使役されていれば、査定額に響くのも当然といえた。さらに三十年以上前の車という事実もある。経年劣化は避けられないのだ。そう、どれだけ大切に保管されていようとも。)
しかしおれには関係ない。たとえどれだけ走行していたとしても、今現在もんだいなく動くのならば、些事いがいの何ものでもない。むしろ譲り受ける機会に恵まれた分、感謝すべきだろう。これだけの上物、今を逃したら二度と巡り逢えないだろう。そう表情を引き締めた。なんとしても助手席の面接官に好印象をいだいてもらわねば。
「……でも本当にお金は良いの?」
自分としては、求められれば最大限努力するつもりだけど――、言外に匂わせておれは言った。社交辞令として一応は伝えておこうと準備したせりふではあったが、今では実際、そうとう厳しい額でなければ、求めに応じようと考えを改めていた。おれはもうすっかり、目の前の美しい車に魅了されていたのだ。
「そう言ってもらえると、ミコトさんも喜ぶと思うわ」
本心からの言葉が持つちからは絶大だった。卯月さんはこれ以上ないくらいに破顔して、まるで我がことのごとくに喜んで答えた。もはや彼女が下す裁定は、決定したも同然だ。おれは彼女の友人の所有するこれを託されるに値すると、信を置かれたのである。もう覆ることはないであろう。そしてそれだけではない。助手席の“少女”の気配も、温かみのあるそれへと変容していた。突き刺すようなものではなくなっている。どうやら“彼女”にも、一定の信頼を勝ち得ることができたようだった。それは望外の慶事であろう、おれは前途が明るく拓けたことを悟った。これであとは、よほどのことがない限り、自動車の譲渡はつつがなく行なわれるに違いない、確信した。
だがしかし。
卯月さんの放ったひと言が、おれの幻想を粉々に打ち砕いた。彼女――卯月さんは、こう言ったのだ。
「じゃあせっかくだから、関口くん、運転してみる? わたし、助手席に移るから」
と。
「…………、えっ?」
「それとも、やっぱりいきなりは心配? おっかないかな?」
「いや、そうじゃなくって……」
おれの戸惑いに、上機嫌な卯月さんは気がつかない。狼狽するおれをよそに、一方的に話を進めていく。
「それじゃあ、わたしが運転するから、関口くん、助手席にする?」
そう言って、彼女――卯月さんは、
下着姿の“少女”が坐っている坐席に乗るよう、おれを促した。
そう、まるで、
そこには誰もいないかのような口ぶりで――。
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