第01話 10

 …………。

 …………。

 顔をあげられない。視線を向けられない。おれは懸命になって木霊のように鳴り響く欲求を抑え込む。運転席に坐ったまま話しつづけている卯月さんに、全精力を集中させた。彼女は満面の笑みで語りかけている。きっとほかでは味わえない乗車体験を、赴くままに語っているのだろう、弾んだ声音の卯月さんは、心の芯から愉しそうだ。だが言語として形成されない。彼女が何を言っているのか理解しようと努めても、意識のほとんどを他所に奪われた現状では、それは不可能に近かった。

 と視線が注がれている。

 容赦のないそれが、卯月さんの後ろから、途切れることなく襲いかかっていた。視認して確認したわけではない、だが皮膚細胞が、あたかも紫外線を受けたがごとくにそれを感受していた。などという生易しいものではない、長時間浴びていると火ぶくれを起こしてしまいそうな、烈しく直接的な視線だった。

(どうしてだろう?)

 疑問をいだいた。初対面の相手にこれほどまでの遠慮会釈のない態度をとられる憶えはないのだが。と、思考を展開させる。可能性としてもっとも高いのは…………。

(スメラギさんの、親戚か何かだろうか。)

 そうだ、に逢えない代わりに、こうして代理人をよこしてきたのではないだろうか。たしかに卯月さんもいる。だが彼女はある意味、こちら側の人間だ。おれへの評価も客観的に下すことはないだろう。きっと手心を加えてくるに相違ない。おれとしてはもちろん助かる。そう、助かるのだが……、ぎゃくに譲る側のスメラギさんにとっては、それは不利な材料でしかない。自分の愛車を託すに足る人物かどうかを見極めるのに、はっきり言ってしまえば卯月さんでは不適当なのだ。だからスメラギさんはスメラギさんで、用意したのではないだろうか。公平な……、いや、どちらかといえば自分側の第三者を。(スメラギさんとは、言わずもがなこの車の現所有者オーナーである。フルネームは、スメラギミコトという。はじめ聴いたときは、やんごとなき血筋の方かと身構えたものだが、皇族の御方方おかたがたとは関係ないそうだ。ただし記録として遡れないくらいくらい以前からこの地を守護しているという、まことに由緒正しき神職の一族らしい。そんな人がこんな車に、とうのは偏見だろうか。おれは直接に顔を合わせたことも声を聴いたこともないので想像するしかないのだが、やはりイメージとしては、俗世間とは対極に位置すべき人ではないだろうか。書類に揮毫きごうされている尊いを見る限り、手放さなければいけない理由もその辺りに起因しているのではないだろうかと勘繰ってしまう。(おれは理由も聞いていないのだ。いずれ先方の都合がつき次第、挨拶に伺おうとは思っているが、そのときの雰囲気いかんでは、尋いてみようかと密かに考えている。))

 だがそれでも疑問は残る。

 そう、

 どうしてそのような恰好をしているのか、というそれであった。


 ……もしかして試されているのだろうか。のちほどスメラギさんに、あのセキグチって人、わたしのこと舐め回すように見てたんだけど、ちょっと考え直したほうが良いんじゃない――、みたいに悪く報告するために、このような挑発的な恰好でいるのかもしれない。そう考えると、先ほどからいだいていたにも納得のいく説明がつけられる。

 そう、助手席の“少女”は、まったく羞じらうことを知らなかった。眉をような非常識な恰好にも、なんら思うところはないらしい。堂々としたものである。

 そしてそれだけではなかった。

 

 そう、彼女もまた、奇怪きわまる現状――下着姿の少女を隣に乗せているというそれ――に対して、完全に頓着を忘れていた。それどころか、存在さえ無視しているかに見える。気配りに定評のある卯月さんなら、まず何はなくとも、初対面だろう同乗者を紹介するはずだろう。そうでなくては、隣の“少女”が可哀想である。だがその気配は微塵もない。空気のような扱いである。まるでここには、おれと卯月さんの二人しか居ないかのように。助手席の“少女”は卯月さんの意識からまったく外れていたのだった――。

 ……その失礼な振る舞いも、おれに対する試験だと思えば、一応の説明が――やや牽強付会けんきょうふかいは否めないが――つけられた。きっと卯月さんは意識しすぎているのだ。異常とよばれても文句の言えない同乗者を、どのように紹介したら良いか、決めあぐねているのだろう。それとも、露出している女性と平気で一緒にいられるという倫理観をいだいていると思われるのは、不本意なのかもしれない。そのために、まったくの不干渉を貫いているのかもしれない。助手席の“少女”の目論見に、自分は加担していないという、それは無言の意思表示なのかもしれなかった。

 ……しかし、

「どう、関口くん、カッコいいでしょ?」

 自慢げな彼女に、不自然さはも見いだせない。きわめて普段どおりの卯月さんである。もしこれが演技だったとしたら、たいしたものである。

 そうだね、と微笑んだ。おれも卯月さん同様、下着姿の“彼女”を黙殺する。下手にこちらから手を出すと、が出る恐れがある。ここは一つ、“彼女”からのアプローチを待つことにした。

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