第01話 08

 ようやく話は当日へと歩を進める。

 一面に晴れ渡る大空を背に受けて、おれは卯月さんの到着を今か今かと待ちわびていた。件の友人とやらは、事情で直接かれないとのことだったので、代理人として卯月さんに白羽の矢が立てられていた。というより、卯月さんが自ら立候補したらしい。仲介人として責務を果たそうとの心積もりであろう。相も変わらずお姉さん気質である。上に兄姉きょうだいのいない、長男の自分としては、なかなかに新鮮な体験だ。気を張っていないと、甘えるだけ甘えてしまいそうだ。なまじ頼りにされる喜びもっているだけに、誘惑はひときわ強い。変に気をつかわれるよりも、心身を預けきったほうが、相手も信頼されていると喜色をあらわせるのである。利害関係とは別種の、それは絆であった。それゆえに、卯月さんが重ねて申し出たときに、おれは遠慮をしまい、お言葉に甘えることにしたのだった。

 書類云云は、とりあえず後回しだ。まずは顔見せ……というか、お披露目である。この時点でおれはまだ、その車との対面を果たしていなかった。購入意思は固まっていたものの、実際に見て、触れないと、判らないこともある。現物を見ずして契約してしまっては、あとあと禍根を残すことにもなりかねない。初めての所有車ということもあり、慎重に慎重を期すことにした。(……とはいっても、素人に近いおれがエンジンルームなどを覗いても、何が分かるというものでもなかったのが……。)

 卯月さんが颯爽と、短めの髪をながらやって来るまで、それほど時を要しなかった。まさに天候はである。きっと道中も、すれ違う人は皆、瞳を奪われたことだろう。美女と車――しかも、である――は、予想以上に人目を惹く組み合わせだった。

 おれを認めて卯月さんが、大きく手を振った、躰の真上に。それを屋根は、ない。まったく、全然なかった。おれの身近には、決して存在しなかった、その車――が、彼女に操られて、近づいてくる。それが持つ存在感、誘引力は、圧倒的だ。人々の視線を否応なく奪い、見慣れた風景さえ一変させてしまう。非日常を演出する装置としては、きわめて優秀と言わざるを得なかった。彼女――卯月さんの言ったとおりである。

 そう、まさに、それは今しか乗れない車であった。(……だが意外にも、そのようなことはなかった。自分が乗って初めて気づいたのだが、案外この手の車の所有者は多い。家族を持つ身でありながらも二代目として所有していたり、あるいは子供たちを立派に育て上げてようやく時間と財産を己のために用いることのできるようになった世代の人が運転したりしてした。殊に後者の恰好良さは異常である。悠悠とを開けて乗りこなすさまは、壮観のひと言に尽きた。)

 ――だが、おれのを射たのは、別のものだった。

「関口くーん、お待たせー」

 声が届く距離まで近づいたのか、卯月さんの弾んだそれが風に運ばれてやって来る。しかし、おそらく純正品ではないのだろう、排気管が腹に響く声を奏で、その声を打ち消してしまう。おれの耳をなでるのは、細切れになった残滓だけだ。この場面で用いるべきは、聴覚ではなく視覚だ、そう瞳を凝らす。太陽光がフロントガラスに反射する。まぶしさに、思わず目を細める。細めながら、再び注視する。卯月さんと、彼女の乗っている自動車を瞳に収めようと。

 しかし。

「――――、えっ?」

 おれの目に映ったのは、その二つだけでは、なかった。

(助手席に、誰か、乗っている……?)

 そう、少女だった。顔かたちが判別できる距離ではない、それでも判った。魅力的な卯月さんよりも、魅力的なスポーツカーも、それは強くおれの視線をもぎとった。。理によらずに解した。全身の細胞が沸騰したかのようだ。そんなけつくような視線とともに、“彼女”――“あいつ”は、おれのもとへとやって来たのだった。

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