第01話 04
……ちょうど卯月さんの話題となったので、もう少し触れたいと思う。先ほども述べたが、(憶えておられるだろうか?)彼女はおれの恩人である。どのあたりがと問われれば、まず第一に仕事の斡旋と答えよう。もともとアルバイトはするつもりでいた。家賃が安く済んだという僥倖に恵まれはしたが、もちろんその分がお小遣いとして回されることはなかった。ただ単に両親の仕送り額が少なくて済んだというだけである。食費は前述のとおり、だいぶ節約できている。光熱費は……、たぶん可もなく不可もないと思われる。(世間一般の標準の
そんなときである。
「関口くん、仕事、探しているの?」
どこで話を聞きつけたのか、卯月さんが尋ねてきた。そして続けて、もしよければ、わたしのとこで、一緒に働かない? と誘ってくれたのだ。
卯月さんの言う、“わたしのとこ”とは、共同入浴場、解りやすく言えば、銭湯だった。峠を上る途中の森を伐りひらいて造られたその建物は、なかなかに洒脱で、そしてまだ木材の香りが生々しかった。肺胞に入れるとむせてしまうくらいだ。落成されてからまだ日が浅い証左であろう。卯月さんの話によると、前々から温泉の水脈があることは知られていたのだが、場所が場所なだけに、なかなか開発はしなかったのだという。たしかに市の中心地からは遠い。気軽にお風呂、というには、距離がありすぎた。補助金対策なんじゃないかしらとは、彼女の弁だ。年末に無意味な舗装工事をしてみたり、あるいは緊急を要するわけでもないのに、新たな機器を研究室が購入してみたりする、それのことだ。つまり、次年度から予算を削減されてしまわぬよう、与えられたそれを使い切ってしまおうという、浅ましい目論見のことである。……だがしかし、本当に必要なときに、なかなか増額を許可しない行政の側にも、非があるのではないか、そうおれは反論した。もちろん、心中でだ。スウィッチが入ったのか、熱弁をふるい始めた卯月さんに、おれは空気を読んで口を
さて、
施設の側に、採算をとろうとする気がないのだ。
……先ほどここを、理解しやすく『銭湯』と呼び表わしたが、実際は市の公共施設である。それだけに、立派な建物だ。相当な費用をつぎ込んだのだろう。浴場は広いし、露天風呂もある。ほぐれた
その売店も、かなりの充実度をほこっている。お土産には最適な地元の名産品をはじめ、契約農家がつくった作物なども置かれている。ちょっとした野菜の直売所だ。……しかし如何せん、農業を営んでいる人ばかりの地元民には、魅力不足である。どうしてわざわざ金を払って他人の作った野菜を食さなければならないのだろう、と。“お裾わけ”という、都会ではとうに廃れた原初的物物交換制度がいまだに根づいているこの一帯において、融通し合えるものに金を使うという発想はない。もらえるものは喜んで受け取り、また余ったものは喜んで分け与えるのだ。そして農作物は、その最たるものだった。
結果、野菜は売れ残り、そして従業員に安価で投げ売られる
経営陣の怠慢は、それにとどまらない。働き始めて間もないおれでさえ目につくような、明明白白の無駄遣いも、改善される兆しはない。放置されたままである。個人的な意見を述べれば、払うものさえ払っていただければ不満はなかったし、何もかもが緩い職場は、天国のようなものだ。社員特権として風呂は入り放題だったし、(しかも従業員通路をつかえば、真夜中にだって入ることができた。)野菜は安く下げ渡される。ここで働いたら、もう他所では働けない躰となってしまうのではないかと、真剣に心配になるくらいだ。納税の義務を負わない気楽ないち学生の、他人事な意見である。反して卯月さんは違う。将来の納税者の一人として、行政の職務怠慢には、心底腹を据えかねていた。当然といえば当然だろう。民間業者であったなら、赤字を垂れ流したあげく、経営が立ち行かなくなっても、それは完全に自己責任といえるだろうが、果たしてここの責任者は、公益法人の看板をかかげた行政そのものである。財政危機に陥れば、必然市民の血税は投入される。努力に努力を重ねた結果、どうしても回避できなかったならばまだしも、老朽化した家屋のごとくに、あちこちから随時無駄な費用が雨漏りしている今の状態では、税金での補填は、市民に対する背信行為だと言わざるを得ない。いくら社会一般の利益が優先されるからといって、経営努力を放棄して良い理由にはならないはずだ。
きっとここでお野菜おろしている人も、甘い蜜を吸っている一人なのよ、そう彼女は憤懣やるかたない様子で語っていた。“利権”っていうんでしょ、こういうのって――、面倒見が良く、正義感の強い卯月さんは、不正の匂いがするものを看過できないらしい。おれに勢い込んで尋ねてくる。契約農家と経営陣との間で、どのような契約が交わされているかは知らないが、まあ確かに、これだけ売れていないにもかかわらず注文をし続けていることは、怪しいといえば怪しい。優遇措置を受けていると勘繰られても仕方がないかもしれない。だがおれはどちらでも良かったし、(むしろ安価で売ってもらえる分、なくなってしまうのは惜しいと思っている。)やぶをつついて蛇が出てしまっても困る。(つまり、おれの
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