第01話 02

 大学のオリエンテーションが終わるや否や、おれは同期生たちに囲まれた。他県から越してきたおれは、すでに時の人となっていたのだ。彼らは貪るようにおれから外界の情報をもぎ取ろうとする。それはさながら、池から食餌えさを求めて顔を出す、魚の大群のようだ。珍しげな表情かおを隠そうともせずに向けてくる同期生たち。本当に“外”を知らずに育ってきたのだ。そのためか、皆は首をそろえて首都圏のとある大都市から越してきたおれに羨望の眼差しを贈る。憧憬の表情いろをのせて見つめてくる彼らに、おれは微苦笑を浮かべるしかなかった。空気は汚れているし、水道水は飲めたものではないし、そんなに良いことばかりでもないよと、おれは返答した。(実際ここに越してきてまず驚いたのが、この二つだ。衝撃と言い表わしても過言ではないくらいに、両者の懸隔けんかくは甚だしいものだった。それはのちに、郊外の某大型ショッピングセンターで買い物をしたときに明らかとなった。水が、売っていないのだ。売り場のどこを探してみても、置いていない。サッカーの試合が開けそうなほどの敷地内を巡り巡ってようやくおれは理解した。――ここでは水は、買うものではないのだと。その事実にまず喫驚きっきょうし、のちに新たにこちらで得た友人たちに話したところ、目を剝かんばかりに驚かれたことにも衝撃を受けた。友人らは、誇張ではなく驚倒きょうとうしかけた。持ち直してひと言、これがカルチャーショックっていうんだ、とのは、むしろおれのだろう。なんでも話によると、近くの神社には涌き水すらあるらしい。それは浄水器で濾過されずとも平気らしい。水道のお水よりもよっぽど美味しいよと自慢げに語った後、でも飲み慣れていないと菌でお腹壊しちゃうかも知れないから関口くんは気をつけてね、そう卯月さんは可愛く微笑んだものだった。付け加えられたひと言のために、おれは今でもその水を飲むことはできていないが、案内されて実際に涌いている現場へは足を運んでいた。“水清ければ魚棲まず”ではないが、ここまで澄んだ水を自然界で見るのは初めてだった。そして次第におれも、ここの価値基準――ガソリンより高い水を、どうしてわざわざ買わなきゃいけないのか、というそれに、染まっていったのである。)そしておれはこう重ねた。自然豊かなここも、おれにはとても魅力的に思えるよ、と。

 その言葉に、取り囲んでいた級友たちは、異口同音な反応を示した。そんなことないよ~、と面映おもはゆく謙遜してみせるのだが、言動に隠しきれない郷土愛がいた。と至った。彼らは皆、都会というものに幻想に近い憧れをいだいている。だが、なのだ。実際に上京しようなど、行動は決して伴わない。現状に満足しきっているのだ。それはあたかも、現代日本の縮図のようだ。わざわざ外国へ飛び出さずとも、相応の生活は送れる。旅行くらいはするかもしれない、だが移住しようなどとは、から選択肢にはないのだ。逆もまた然り。わざわざ“外人”を(……あえて排他的なこの単語を用いることにする。)招き入れずとも良いのだ。自国民だけで自給自足に近い暮らしができるのに、あえて違う価値観、倫理観をそなえた人々をうちに含めずとも良いのではないか――。そんな保守的、内向的な性質を、ここの住民たちは殊更に強くいだいていた。おそらく日本人の相当数がいだいているように、他所よその価値観のままに共同体の和を乱す人々を受け容れるくらいなら、人口が減少しようが、経済が委縮しようが構わない、そのような緩やかな衰退を選ぶはずだろう。そう、おれはいわば、異郷の地に迷い込んだ“客人マレビト”なのだ。皆の歓待も、“お客さま”に対するそれなのだ。ちょうど日本人が外国人と応対するときのように、別の世界の住人に対する好奇心、警戒心、そして少しでも良い印象を持って帰ってもらおうとする、婉曲的な愛国心。それと同様の感情が、働いているのではないだろうか――。

 と、おれは推察した。さらに思索を展開させる。このさき起こり得る状況を。そうしておれは寸刻の猶予を得、来るべき選択に備えることができた。そう、このまま“お客さま”として、皆と一線を画した扱いを受けることを選ぶのか、それとも、ここでの慣習を受け容れ、皆を混じり合って暮らすことを選ぶのか、その二者択一である。

 おれが選んだのは――、後者だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る