第01話 01


“彼女”との、はじめての出逢いを記そう。それは七月の半ば、ようやく梅雨明けを果たした、とある休日のことだった。久しく見なかった、抜けるような蒼空に、おれの心は浮足立っていた。ただでさえ待ち焦がれ、一日千秋の思いで迎えた今日である。冷静沈着を常としていたこのおれが、好晴こうせいを安易に瑞兆ずいちょうと結びつけてしまったとしても、それは無理からぬことであろう。

 実際おれは、目がほどの快晴に、予感めいたものを受け取っていた。きっと、いいや、必ず、良い物件であるに相違ないと。それに、とおれは心裡に一人の女性を想い浮かべた。名は卯月うづきさんという。大学に入ってから知り合った、友人の一人である。そればかりではなく、恩人と換えても差し支えないほどに、世話になっている女性である。

 話は入学当初にまで遡る。

 おれの入学した大学は、全国的にみればまったく無名な、しかし近隣住民にとってはまず第一に挙げられる、そんな地域密着型の大学であった。生徒のほぼ十割が、同県からの進学生である。地元の高校に進学し、この大学に進学し、そして地元の企業に就職するというのが、皆の共通認識であった。県外に出る気概もなければ、またその必要もない。“揺りかごから墓場まで”――ではないが、わざわざそのような冒険を冒さなくとも、分相応の生活が保障されているのだ。結果的に、まあで良いんじゃない、が口癖な、牧歌的な青少年が育っていくのである。

 ……よく、田舎は排他的だなどと言われるが、その評は必ずしも正鵠を射ているとは限らない。たしかに一見、閉鎖的に見えないこともない。いや、実際そうなのだが、その責を一概に地元住民に求めるのは、彼らに対する理解が足りていないと言わざるを得ない。彼らは何も、積極的に排除しようなどとは考えていない。ただ、その必要――外部の人間を受け容れる必要に、迫られていないだけなのである。共同体として簡潔に近い市町村は、需要も供給も、その裡でしまえるのである。さらに加え、発展よりも安定を望む気質を人々がそなえているゆえに、新たに人々を迎える土壌が、整っていないのである。

 その事実は、いやしくも大学施設をかかえていながらも、反して周囲にはほとんど賃貸住宅が見られないという一例からも明白であった。他県よりの転入生は、はじめから頭数に入れていないのだ。そもそも“借家”という概念からして、圧倒的に欠けていた。住まいを借りる、という発想が、もとからないのである。……そのせいで、おれの新居探しは困難を極める始末となった。条件云云うんぬんの前に、まず物件自体がないのである。“住む家がなければ、建てて住めば良いじゃない”が、冗談ではなく、本気でしまうような場所だったのだ。ようやく地元の不動産屋からの連絡が入ったのが、入学式の数日前。一時は真剣に進学先を変更するべきかどうか、家族で会議を開いたりもしたのだが、(何しろ実家からその大学までは、通学できるような距離ではなかったのだ。)ひとたび決まってしまうとあとは早く、あれよあれよという間に引っ越しが片づいてしまっていた。もとより男の独り暮らし、最低限の家具を除けば、大した荷物などないのである。こうして何とか人心地をついたのだが、楽天家を自認していたおれも、さすがに不安を覚えた。こんな調子でこの先やっていけるのかと。

 しかし意外にも、新天地での生活は快適なものだった。

 田舎は陰湿というインターネットでの風聞を真に受けたわけではなかったが、一抹の憂慮は越す前よりいだいていた。村八分などという前時代的な風習はさすがにないだろうが、“他所者よそもの”のおれはにされはしまいかと、はじめての独り暮らしということも手伝って、内心しながら入学式に臨んでいた。だがしかし、それは良い意味で裏切られることとなったのである。

 ……“ご近所ネットワーク”という言葉をご存じであろうか。お隣の何何さん、さらにはご近所の何何さんの近況が、口伝えで拡散されるシステムのことだ。主婦の、あるいは子供らの、井戸端会議のようなものだと捉えてもらえれば、おおよそ理解できるだろう。まあ、ありていに言ってしまえば、噂話というやつだ。その拡散規模、伝達速度、情報精確度が、この一帯は群を抜いていた。……実家にも、一応それらしきものは構築されている。何何さんの娘さんがの高校に受かっただとか、何何さんのご主人さんが倒れて病院に運ばれただとか、そんな重大事は否応もなく耳に入る。としが近い友人については、自分ら子供が発信源になることもだ。が、それはあくまでも、知り合いの、あるいは口に上らせるに足る一大事が前提の話である。見ず知らずの人の日常――そんなものは該当しないのである。

 だがここでは違った。おれの生活の、その一部始終が、あり得ないほど詳細に知られていた。何月何日の何時何分に、どこどこのお店で何何を買ったなどという情報が、当然のように流される。昨日は遅くまで起きてたんだね、なんて挨拶は、彼らにしてみれば文字どおり挨拶にすぎない。住民のネットワークを駆使すれば、個人の私生活を本人以上に精確に知ることさえ可能なのだ。このような住民同士の密に過ぎる人間関係が、監視社会などと言われてしまう所以ゆえんだろう。今まで希薄なご近所づきあいだったところから、急にこのような環境にほうりこまれたとすれば、戸惑うのも無理はない。人によっては、とてもじゃないが耐えきれないことだろう。

 しかし幸いにして、おれはそうではなかった。社交的、とまではいかないが、割と人見知りはしないほうだったし、両親も家に人を呼ぶのが好きだった。さらに四人兄妹きょうだいという、近年では珍しい部類に入る大所帯で暮らしていたことも功を奏し、結果プライヴァシーというものを気にしない、開放的な人格ができ上がっていた。そしてそんなおれにとって、ここでの暮らしは、予想以上に素晴らしいものだったのだ。

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