鋼鉄のガールフレンド(仮)
星と菫
序
怪奇現象、超常現象とよばれるもの、それらはすべて、錯覚、偶然、あるいは妄想で説明がつけられるというのが、高校時代の級友の弁であった。この世に不思議なことなど何もないのだよ、関口君、とうそぶいてみせた悪友は、(ちなみに幸か不幸か、……おそらく後者だろう、おれの名はあの鬱病もちの小説家と同じなのだ。)その引用元を模倣して、漆黒の手袋――さすがに
だがしかし、その程度であったならば、有益とまではいかないものの、少なくとも無害な存在ではいられたはずだった。が、果たして奴はそれに満足しなかった。そして哀れ、奴の標的となったのが、何を隠そう、このおれだ。それまでまったく接点のなかったおれが、ただ
ちなみに奴――センゴクは、女である。(ちなみついでに補足するならば、センゴクという呼び名も、本人の考案である。“
別々の大学に進学して以来、センゴクとはごくたまに近況報告を交換し合う程度に疎遠となった。だがいつ奴が、おれの物語に乱入してくるかは判らない。あいつの不可思議に対する嗅覚は、並外れているからだ。もしおれの現状……窮状と置き換えても良いかもしれない、それを知ったとすれば、あいつのことだ、かならず首を突っ込んでくるに相違ない。そして透明に近い、おれのささやかな物語は、個性の代名詞たるセンゴク一色に塗り替えられてしまうだろう。高校の三年間をあいつに引きずり回されてすごした、このおれがいうのだから、信憑性も抜群である。
そしてそれは、このおれの望むところではない。繰り返すが、この物語には探偵の出番はない。いや、もしかしたらあるのかもしれない。謎といえば、おそらく類例のない謎を、おれは現在進行形でかかえている。だがかかえているだけである。断じて解決してほしいなどとは思っていないのだ。その心情をセンゴクは理解しない。いや、理解できないのかもしれない。人類みな全て自分と等しく、謎を謎のまま放置していることに耐えられないと信じているのかもしれない。まるで靴の中に入った棘のように。たとえ当事者がそっとしておいてほしいと願っても、彼女には関係ない。あいつの辞書には、後退の文字はないのだ。散散に突進し、蹂躙した挙げ句、自身の納得した結論に事象を圧し込めてしまうのである。まったく少しは憧れている本家本元を見倣ってほしいものである。
そのようなわけで、センゴクにはここでご退場願いたいのである。あとはときたま
良いのである……が、きっとこの淡い、しかし真摯な願いは、叶えられないような気がする。予知能力などという仰仰しい単語を用いずとも、おれと彼女との痛快きわまりないエピソード(もちろん嫌味だ。)を、二つ三つ披露すれば、余人も首肯せざるを得ないことだろう。
……では何ゆえ、とあなたは思われることだろう。何ゆえ冒頭から、関連性の薄い人物の話をしているのかと。もちろんそれには、確たる理由がある。ただ闇雲に紙幅を割いているのではない。ただおれは、はじめに断わっておきたいのだ。
すなわち、
これから物語るおれの話には、叙述的ミスリードはひと欠片たりとも存在しない、ということを。
また不本意ながら、センゴクを例に挙げて説明しよう。古今東西のミステリー小説を読破した、と大言壮語してはばからない奴は、おれに物語を
すべてを疑え、と。
人称に惑わされてはいけない、性別のミスリードなど、叙述トリックの基礎中の基礎だと。それだけにとどまらない、性別だけで安心してはいけないと。疑え、疑え、疑え。登場人物の、そのすべてを。性別を疑え、年齢を疑え、そして種族を疑え、と。
爾来おれは、物語を純粋に楽しむという、それまで至極当然のように行なえていた活動を、行なえなくなってしまっていた。センゴクの呪詛によって、おれの思考バイパスはいびつに歪められてしまっていた。先入観と猜疑心とを持つよう、脳に焼き印を
具体的にはこうである。今この物語も、『おれ』が語り部として進行役を果たしているが、ははあ、お前、実は女であろう。おれを騙くらかそうとしたって、そうはいかないぜ、と万事このような調子である。純粋に物語に感情移入をし、喜怒哀楽を共にして、紡がれた珠玉の物語を心ゆくまで味わい尽くすという、読書の醍醐味を奪われてしまったのだ。
これをおれは、“ミステリー脳”と名づけた。あながち間違いではないであろう。……ミステリー作品において、作者はいかに読者を欺こうとするか、対して読者は、いかにその企みを看破するか、その駈け引きには、えも言われる快感が生ずる。精緻に張られた伏線を見抜けたときなどは、法悦の極みである。だがしかし、なるほどミステリー作品においては、作者の企みにのせられることは少なくなるのだが、それ以外の書物、正統な恋愛小説に至るまで、疑心の目を向けてしまうという弊害も、それ――“ミステリー脳”はもたらしていた。これは本当に、思春期の男女の甘酸っぱい物語なのだろうか、いいや、違う、きっと最後に、なにかどんでん返しが待ち構えているに違いない、と。
ああ、疑心暗鬼に満ちたまなこで読み進める行為の、その何と虚しいことか! それならばいっそ、たびごとに著者の思惑にのせられながらも、爽やかな驚きを感受するほうが、どれだけ有意義なことだろう!
そうして後悔とは裏腹に、センゴクに教化されたおれは、まるで校正者のごとくに、物語を追うのではなく、文字を追うような読み方しかできない
……すっかり前置きが長くなってしまった。つまりおれが何を言いたいのかというと、端的に言えば、おれは男性で、大学一年生で、そして大学一年生といっても、実は定年を迎えてからまた新たに学び直そうと入学した老境の男性などではなく、また逆に、天才児として飛び級入学した子供でもない。十八だ。さらにくどくて申し訳ないが、付言するとすれば、おれは人間だ。物語の終わりに、『吾輩は関口、実は猫である』などと明かして、皆の怒りを買うような真似もしない。なので安心して
さて、いよいよ本題に入りたいと思う。これはおれと“彼女”との、少し不思議な日常を綴った物語である。“彼女”は、女性……のはずである。外見的特徴は、明らかに女性のそれである。だがそもそも、“彼女”に性格など存在するのだろうか。そのような区分は、果たして適切なのだろうか。……いい加減まわりくどいと呆れておられるだろうか。だがしかし、どうか我慢してもらいたい。何しろ“彼女”は、このおれの主観という観測結果に、まったく依存しているからだ。
そう、簡潔に記そう。
“彼女”は、おれにしか見えなかった。
そして“彼女”は、象徴的な意味でもなく、寓話的な意味でもなく、完全に字義的な意味で、
“人間”ではなかったのである――。
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