57皿目 波。
二日目。午前のうちから海に向かった。昨日泳いでいた付近で、クラゲが出たとの情報が入ったため、この日はビーチの反対側、海の家から遠い方で泳ごうとなった。
昨日は海中メガネがほとんど役に立たなかった。潜ってみても、巻き上がった砂や塵が視界を悪くしていた。それでも、子供達はシュノーケルを使いたがった。一応、交代で使っていたようだが、実情は太郎が独占ぎみに使用していた。そこで花子は母にこっそり告げ口をした。
「お兄ちゃんばっかり使ってるんだよ」
「まったく、しょうがないわね」妻はため息をついた。
しかし、二日目は、朝から夕方近くまで、海で過ごす予定だ。思う存分使えるはずだった。
反対側のビーチは、防波堤から遠い事もあって、障害物に緩衝されずに、海原から波が直接砂浜に打ち寄せた。そのため、昨日よりも大きな波が打ち寄せていた。前日に海水浴の初体験を済ませた子供達は、準備が終わるやいなや、波に向かって駆け出した。経験は心に油断を生んだ。おおきな波が打ち寄せた。
ざっぷーん!
それは、昨日の波とは比べ物にならないほど荒々しいものだった。油断していた二人。見事に波に飲まれた。やっとこさ体勢を立て直せるようになった時は、5メートル近くも砂浜側に押し戻されていた。花子が叫んだ。
「サンダルが!!!」
足をすくわれた時にサンダルが波に持っていかれたのだ。きょろきょろと首を回し、サンダルを探した。それは浜に打ち上げられていた。次に太郎が叫んだ。
「花子!海中メガネ!!」
まて、太郎。海中メガネはおまえが持っていたはずだろ?なぜ、妹の名前を呼ぶ?
太郎は引いて行く波に戻されまいと踏ん張っていた。
「花子!メガネ!!」再び叫んだ。
やっとこさ立ち上がった太郎。右手に持っていた筈のメガネはどこにも見当たらなかった。波にさらわれたのだ。
この時、私は思った。ここは、父の出番だ。カッコいい所を見せてやるのだ。私は水泳用のゴーグルを手に取ると、海に向かって駆け出した。ボーゼンと佇む太郎の脇を通り過ぎ、波の合間をぬって、海に潜った。数メートルも行くと、もう足が届かないくらい深くなっていた。黒と黄色のメガネならすぐに見つかるだろうと踏んだ私が浅はかだった。なんども引いては寄せる波。もうメガネはどこかへ行ってしまっていた。
海水浴を満喫できるはずの二日目。いきなり重要なアイテムを失った。
打ち寄せる大きな波は、コツを掴むととても楽しいものだとわかった。浮き輪に乗って、波に揺られながら、砂浜に打ち上げられる遊びを覚えたのだ。引く波に、打ち寄せる波。浮き輪と身体は翻弄されて、まったく制御の効かない状態が、まるでジェットコースターに乗っているようなスリルを味わえた。前の日に遊んだ砂浜では、体験できない楽しさが、ここにはあった。
太陽が真上に差しかかる少し前、山間に大きな黒い雲がせり出して来た。それは今にも雨を降らしそうだった。不安気に空を見上げた妻が、変わった雲を見つけて声を上げた。
「見て、あの雲!虹色がかってるわ!」
サングラスを通してみると、色のコントラストがはっきり見えた。私たち家族は、その不思議な雲に、しばらくみとれていた。そして、カミナリの音が轟いた。
ゴロゴロゴゴ!!
ライフセーバーの人たちが慌ただしく動き出した。この急激な天候の変化は、近年多発しているゲリラ豪雨と呼ばれる予測の困難な気象現象だ。私たちが到着する前日も、伊豆はこのゲリラ豪雨に襲われ、遊泳禁止となっていた。
パラパラと雨が降って来た。しかし、空は明るい。太陽の光はこの時も容赦なく私たちを照りつけていた。
ゴロゴロゴゴー!
またしても、カミナリが轟いた。そして、無情にも、ビーチに放送が流れた。
「先ほど、伊豆地方に雷注意報が出ました。海から上がって下さい。また、パラソルは、落雷の危険がありますので、たたんで横にして下さい」
晴れているのに、パラパラと雨がふる不思議な現象。雨と言っても、ほとんど気にならない。その証拠に、砂浜に落ちた雨粒はあっというまに干上がり、乾いてしまう程度のものだった。カミナリさえなければ、この程度なら遊泳に全く支障は無いだろう。
せっかく楽しくなってきたのに、やめなければならないのか。子供達はさぞかし、残念がる事だろう。グズグズ言うかもしれない。まだ、午前中だというのに・・・予定の半分も過ごしていない。ましてや、空のほとんどは晴れているのだから。
撤収するか。それとも、ビーチでしばらく様子をみるか。私が思案していると、ライフセーバーのお姉さんがやって来て、遊泳の中止と、砂浜からの避難をを促した。それを聞いて私は心を決めた。
撤収しよう。残念だが、しかたあるまい。大自然を甘くみてはいけない。たとえ遠くのカミナリであっても・・・こんな時のために、出発の前日に厳しく規律を正したのだ。子供達もわかってくれるはずだ。父の判断に素直に従うだろう。あれだけ叱りつけたのだから。グズグズいうと、父のカミナリも落ちる事になると、わかっている筈だ。大丈夫。きっと我慢できる。私は信じて声をかけた。
「みんな、荷物を片付けて。今日はもう終わり」
「えええぇ〜〜っ!やめるのぉぉ?」
あらま。
「もうちょっと待ってみようよぉ」
なんと。
「カミナリは遠くへ行きそうだよ〜ねぇ〜」
そんな・・・
「きっとすぐにお天気になるよぉ」
こんな風に、グズグズ言い続けたのは、妻だった。子供達は、とても素直だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます