21皿目 アルプスの少女。
「ちゃんと『グーパー』してるの?」
母に言われて、太郎はなんとか頷いた。
折れた所が関節付近だけに、少々痛みがあっても、我慢して動かしていないと筋肉や関節まで固くなってしまい、後遺症が残る事があると医者から言われていたのだ。
骨折から数日経ち、痛みは引いたが『しびれ』が時折でるらしい。神経にも影響があるようだ。ならば、なおさら『グーパー』は重要だ。
妻は、太郎の利き腕に障害が残ってしまいやしないかと心配しているのだ。太郎には、母のその思いが届かない。一回やればそれで充分。『グーパー』をした事で満足しているのだ。都度、動かそうとは思っていないのだ。そんな太郎の呑気な姿勢に、妻は危機感をつのらせていた。なんとか太郎に事の重要性を理解させたい。太郎に向き合って話し始めた。
「ねぇ、太郎『ハイジ』知ってるでしょう!?」
「ハイジ?」突然の質問に太郎がたじろいだ。
妻は太郎に『アルプスの少女ハイジ』に登場する女の子『クララ』の事を例に挙げて、障害の事を理解させようと思ったようだ。
妻よ。ちょっと待て。クララの足は本当は治っているのに、立てないんじゃなかったか?そして、その原因はクララの『心』にあるのではなかったか?ならば、太郎のケースには当てはまらない。しかも、クララが立てるようになったのは、ハイジが歩く事の素晴らしさ、楽しさを教えたからだ。『グーパー』といった努力をうながした訳ではない。ハイジはクララに『勇気』を与えたのだ。
それにな、妻よ。それよりも、もっと大事な事を忘れているぞ。
「そうよ!ハイジよ!アルプスの少女ハイジ!クララって女の子が出てくるでしょう?」妻の懸命の説明が始まろうとしていた。しかし・・・。
「ハイジ?しらないよ」太郎が答えた。
妻よ。たしかに『ハイジ』は名作だよ。だからと言ってどの世代も知っているという訳ではないよ。
知らないと答えた太郎に、これ以上の説明は無理だった。ところが、妻は後に引けなくなっていた。
「花ちゃん!花ちゃんは『ハイジ』知ってるでしょう?」花子に救いを求めた。困った顔をしながら花子が答えた。
「わかんない」母の期待に応えられず残念そうだ。
「去年、園の行事で『アルプスの少女ハイジ』の人形劇を見に行ったでしょう!?」
妻は、なんとか花子の記憶の中から『クララ』を引き出したい。
「あ〜そう言われてみれば・・・でも、思い出せないよ」花子は言った。
妻よ。そろそろ勘念したらどうだ。ハイジの話では説明ができないよ。他に良い喩え話はないのか。もっと分かりやすくて、太郎が危機感を味わうような、そんな話はないのか。
だが、引っ込みのつかない妻は、『クララ』の話に固執した。
そうだね。クララが立った時。ハイジが感激のあまり叫んだ。「クララが立った!クララが立った!」あのシーンは感動したもんね。みんなが涙したもんね。
妻は、なんとしても『クララ』を例に挙げたかった。太郎にあの感動を伝えたかった。だから、語り始めた。
「いい? 聞いてる?昔々、あるところに『ハイジ』って少女がいてね。無口なおじいさんと、二人で山に・・・」
おいおい、そこから始めるのかよ。ユキがお乳を出す頃には、もう治ってると思った。
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