第61話:託す―Son―

 たとえば、誰かがその世界の情勢に疑問を抱いたとしよう。このままだと人類に幸せは訪れない。この世界は間違っている。

 普通であればこの疑問は燻って消えてしまうものだ。個の意志は大衆によって掻き消される。伝えようともその考えはおかしいと批判され、全てを綯い交ぜにされ霧散する。

 だがその男は違った。最愛の妻を失い世界に全てをなげうったその男は、己の大切な者を棄てその世界の歪曲に楔を打とうと実行に移せるだけの地位があった。そして何より、彼が持ち続けてきた純粋にも近い貫徹された意志が彼を反逆へと導いたのだ。

 その意志は確かに正義であろう。その行為の対象は人間であり、彼は人間に従属し未来のために動いている。しかしその手段は苛烈であり、その意志は一部の人間にしか伝わらなかった。伝わるはずがなかったのだ。人は現在を創る。過去を礎に、未来はそこから成される結果に過ぎない。だから、未来に思いを巡らせるのは子供か、そこに希望を見出した者、そして現在の危険性に気づいた者のみである。

 男の結末は言うまでもなく破滅であった。世界を支配する者に挑もうとした勇敢なる愚者は、今、その世界に殺された英雄と相対した。



     ◇◇◇◇



 整えた白髪の男、海賊を仕切っていた男であるアカルト元議員は酷く冷静であった。死が目の前にある状況ではこうも冷静になれるものか。それはあくまで自分の死に納得しているだけであるのだがアカルトは気づかない。

 ヒューマは両手のヒートブレイドを床に突き刺した。全てが終わる前に彼に聞かなければならない事があったからだ。


「君が来ると思っていたよ。英雄よ」

「俺は英雄ではない。傭兵だ」

「そうであったな。しかし、君の正体を知る者は君を英雄と呼ぶだろうよ」


 その言葉にヒューマの表情は強張る。世界機構の所属していた男であったのだ。彼の正体に気づく者もいただろう。だからこそ、ここで取り乱さずヒューマは真実を知る者として世界に挑もうとした男の目を見る。


「世界が崩れたのはたった十数年前だ。世界機構が生み出され、その秩序が生み出され、統一され十年前の外敵との戦争によりそのルールは確定された。君も、その際に殺されたはずだ?」

「だが生き残った」

「奥さんのおかげだな。天才が生み出した一つの可能性に、それによって君は生き延びた」


 偶然が重なって生まれた結果であった。彼が生き延びる要因のどれも一つも欠ければ、命を散らした男はこの場で世界を変えようとする男に対峙する事はなかった。


「君は世界機構によって殺された。その存在が危険と認識された。スパコメタロヴィヴォ……それに最も近づいてしまった生命体……人間のみでありながらその次なる生命体に成り果てた男。ゆえに、人間世界を管理する世界機構がお前を殺した。それを、理解しているな?」

「あぁ。俺は彼らに言葉を告げ、そして死んだ。それを世界機構が殺そうとした、という認識も間違いではないだろう……だが、俺はここにいる」


 その死の果てに生まれたもう一つの生命――――ヒューマ・シナプスは、この世界に生きている。その命は人間ではないかもしれない。だけど、人間と心を通わせるその男は、まぎれもない人間であった。

 アカルト議員はそんなヒューマを見て、いつしか遠い昔に感じていた自己犠牲により世界を救った英雄への敬意を改めて思い出す。彼の行いは正しかった。彼のおかげで世界は救われ、人間の世界が続いた。


「そうか……君は、変わらないのだな」

「そうだ。俺は変わらない」


 世界を変えようとした男は、変わらない男に敵わない事を悟る。なるほど、世界機構が差し向けた資格としてこれほどの最適者はいないだろう。彼を生かした理由が解った。彼は人間ではないからこそ利用価値がある。

 アカルトは培った敬意を捨て、新たに生み出した英雄であった傭兵への敬意を胸にその名前を呼んだ。


「トウヤ・アカサキ。君とて世界機構のシステムは理解しているはずだ」

「あぁ。各国の代表者である人間と、一つの電子AIから生み出される秩序」


 世界機構のシステムはアメリカ合衆国から生まれた。勿論、それに至るまでは様々な技術の調和が重なってきた。そして生まれたのが、代表者一名とえり好みをしない電子AIの平行なる多数決。


「そうだ。実質、世界は電子AIによって管理されている。将来、人間はAIによって淘汰されてしまうであろう」

「絶望的観測だ。しかし否定はしない」

「ではなぜ従う? 君とて抗う事は考えたはずだ」


 アカルトは信じられないと言う表情でヒューマに問うた。実際、ヒューマだって考えた事がある。この肉体となり、永遠を生きる可能性がある男にとって、破滅へ向かう世界を変えるべきではないかという大義は、確かにヒューマの中に燻っていた。

 ただ、ヒューマは一つだけのエゴイズムを持ち合わせている。


「今あるこの世界で、俺が想う者達が幸せだからだ。それを崩してまで、世界を変えるわけにはいかない」


 それはヒューマがまだ失っていないからできる思考であった。だがそれは尊いエゴイズム。世界よりも自分が想う者達へ。彼らの幸せのためならば、彼は世界を変える力を奮わずに治めよう。

 アカルトはヒューマを若いな、と感じた。妻を失ってから変わってしまった自分を照らし合わせたのだろう。彼もまた自分と同じ道を歩むと考えたのだ。


「……世界を頼めるか? 今ではなくてもいい。君がやらなくてもいい。いずれ、この歪んだ世界をあるべき姿に戻してほしいのだ」

「……了解した。あなたの正義は俺の胸の中に治めておこう」


 それは自分には出来ないという諦めと、託せる者がいた事への喜びであった。ヒューマはアカルトがしようとしていた事を漠然ながらも理解はしていた。そしてそれは間違いではないとも。ただあくまで世界がそれを許さなかったのだ。

 アカルトは達観した目を瞑る。ヒューマは床に差していたヒートブレイドを引き抜いた。ゆっくりとアカルトの首元へ持っていく。


「最後に。言い残す事は?」

「……を頼んだ。君になら託せる」

「……解った」


 世界に挑もうとし果てた男の遺言を聞き届け、ヒューマは冷静にその首を斬る。血が噴き出し、ごろんと落ちる頭の音。その表情は絶望ではなく穏やかな物であった。

 ヒューマはそんなアカルトではなく戦場を見つめ、小さく呟く。青い機動を描く二機がそこにいた。ニーアとレインが戦うその戦場へ、万感の思いを向ける。


「ニーア・ネルソン……」


 その姓は、今この場で息子の名を呼んで死んだ男と同じ姓であった。



    ◇◇◇◇



 アカルト・バーレーンの唯一の未練はある少年への想いであった。自分が捨てた少年。大切であったのに決意のために礎としてしまった少年。辛い思いをさせた。苦しい思いをさせた。眼で追っていても立場のために手を出せない自分に歯がゆさを覚えながらも、彼が生きる事を望んでいた。

 彼は今、彼らといる。だからこそ安心できる。あぁ、でも、せめて――――最後には彼を息子としてその名前を呼んであげたかった――――


「ニーア……」


 首を断ち切られる前に呟いたその言葉は、愛する妻でも、後悔の言葉でもなく、これからを生きる息子の名前であった。

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