シキは死人を慈しむ

「だまされるな! あの娘たちは人の姿をした化け物、心のゆがみが生んだものなんだぞ! あの見た目は言うなれば擬態、私たちと友好的に接しているのも全て偽りだ。やつらは己の欲望を満たすことしか頭にない。たとえばそう、こんなやつがいる。死人が大好きで死人と出会うためならどんなことでもするやつとかな。どんなことはなにかだと? 皆まで言わすな! 人を殺す以外になにがある!?」

――ある人間の語り



 人は必ず死ぬ。嫌だと思っても必ず死ぬ。

 病気によって、転んで頭を打って、老いて天寿を全うして、心ない人に殺されて、死ぬ過程は人それぞれ。

 死ぬことを怖がる人は多い。

 それは当然。死んだら人はどうなるのかまるでわからない。

 死んだ人は幽霊になってこの世界に残るとか、死んだ人が集まる世界があるとか、また別の生きものに生まれ変わるとか、またちがう世界に生まれ変わるとか、いろんな考えがあるけれど結局、人は死んだらどうなるのかわからない。

 だから人は死ぬことを怖がる。

 死んだ人から話を聞ければ、全て解決するのだけど。

 死ぬのは怖い。普通の人はそう思う。普通でない人もいる。

 死ぬのは怖くない、死ぬのは尊い。人が死ぬ様を見たい。死んだ人は美しい。死んだ人を祝う――ちがう、弔うのはとても面白い、毎日でもそうしていたい。そう思う人もいる。

 死ぬことを前向きにとらえる人は、ゆがんだ心の持ち主以外にありえない。

 ところで、物語に出てくる英雄だの正義の味方だのは、大抵死ぬことを恐れず敵に立ち向かうものばかりではないか――まったく関係ない話だった。


 ゆがみの娘のいる町といっても、この町に住んでいるのは、ほとんど人間だ。

 たくさんの人間がこの町に住んでいる。

 生きている人間がいれば、当然死ぬ人間もいる。

 一人暮らしの老人だった。身寄りがなければ、友人もいなかった。死んだことにだれにも気づかれなかった。死んでから一月たって、死体が悪臭を放ち始めて、ようやく近所の人々に気づかれた。

 こんな悪臭に耐えられるわけがあるかと、誰かが死体回収人を呼んだ。

 回収人を案内するため、ある人間が老人の家の前で待っている。

 最初に老人の死体を見つけたのも、この人間だ。腐乱死体なんて二度と見たくないと思っていたが、近所の人たちのお前が見つけたんだからお前が最後までなんとかしろ、という声に押されてこの役を押しつけられた。とんだ貧乏くじだ。

 顔に布を巻いて鼻を覆い、それでも防ぎきれない悪臭をこらえながら死体回収人を待つ。面倒くさいという思いばかりを心に抱く。

 がらがらがらと車輪が道を走る音が聞こえてくる。音のしたほうを振り向く。


「死したる人がいるのは、この家ですか?」


 とても澄んだ声だ。死体回収人なんて、暗くてまともに人と話せないようなやつだと思っていた人間にはとても意外だった。

 意外なのは声だけではない、まさか自分の目の前にいるこの人物が死体回収人なのか、その人間にはとても信じられない。

 法衣とでも言うのだろうか、フードのついたマントのような真っ黒な上着を羽織り、そのフードで頭をすっぽりと覆う。ここまでは、その人間がイメージしていた死体回収人の姿とそう変わらない。

 問題はフードの中身だ。真正面からなら、はっきり見える。

 とても澄んだ瞳だ。輝いてるようにすら見える。美しい顔だ。

 耳を隠すであろう、長い髪がフードと顔のすき間から垣間見える。羽織っているものと同じくらい、いやそれよりも濃い色をしてそうな、黒くてきれいな髪だと思える。

 死体回収人は美しい少女だった。


「入ってもいいんですか?」


 少女がぽかんとする人間に尋ねた。あわてて人間はうなずいた。

 少女は手押し車をいったん置いて、腐乱臭のあふれる家の中に入ろうとする。


「おっと、すいません名乗るのを忘れていました」


 少女が人間に向き直る。


「僕はシキ。この町で死したる人の手助けをする仕事をしています」


 死したる人の手助けという、聞きなれない言い回しに人間は頭をひねるも、シキは気にも留めず家の中に入る。

 悪臭のたちこめる家の中へ、ためらうことなく入っていく。


 シキはその人間から見れば、とても不気味だった。

 腐乱臭がただよう部屋の中で、シキはマスクのようなものを一切つけようとしないし、鼻を手でつまもうとすらしない。

 とても見るに耐えない有様となった、かつては生きた老人だった腐り果てた死体を見ても、シキはまるで嫌な顔をしない。

 それどころか死体を前にしてひざまづき、うやうやしく頭を下げだす始末。


「死したる人よ。僕の手があなたに触れることをどうかお許しください」


 欠かしてはいけないあいさつらしいことを言い終えると、シキは躊躇ちゅうちょすることなく死体を抱きかかえる。腐って朽ちかけた死体を、ためらいなくシキのたおやかな腕で抱える。

 抱き起こされた死体とシキの目が合った。シキの動きが止まった。

 顔を布で覆う人間は、いったい何をしているのかと怪訝そうに、死体ではなくシキを見ようとする。

 シキはため息をついた。右腕で死体を抱えたまま、左手を死体の胸に置いた。


「辛かっただろうね・・・だれにも気づかれずこんな騒がしいところでほったらかしにされて・・・・・・」


 シキは死体に話しかける。死体が返事をするわけがない。

 それでもシキは、死体を優しく見つめ、死体の胸をそっとなでる。


「でも、もう大丈夫だよ。僕があなたにふさわしい場所を作るよ。死したる人だけが得られる永遠のやすらぎにふさわしい場所をね」


 敬語を使うのを忘れるほど、シキはとても感情的になっている。

 シキは死体と額をあわせた。シキの顔は、ほほ笑んでいる。

 見ている人間は震え上がる。この少女は腐った死体を相手に、一体なにをしているのだ。なんのつもりなのか。その人間にはまるで理解できない。


「すいません。つい感極まってしまいました」


 シキはまた死体に話しかける。死体の額から顔を離し、死体を両腕で抱えた。

 少女とは思えない力だ。重さを感じていないかのようだ。

 死体を抱えて家を出ようとするシキ。悪臭を放つ死体が近づくと、顔を布で覆う人間はにおいをかき消そうとでもしたのか、思わず腕を払った。

 その腕が、シキの顔に当たった。当たったと思っていた。

 人間の腕は、シキの顔をすり抜けた。

 その人間はあ然とした。シキは何事もなかったかのように(実際、シキには何事もなかったのだろう)立ち止まることなく家を出た。

 シキは外に置いておいた手押し車に、死体を乗せた。とても丁寧にそっと、小さな傷一つつけないようにゆっくり優しく乗せた。

 大きい手押し車なので、死体がはみ出ることなくきっちり収まった。

 シキは大きな白い布で手押し車を覆う。これで死体は人目につかない。


「これで死したる人が寒がることはない」


 やはりシキは普通の人間とはかけ離れた価値観を持つ。それもそのはず、シキは人間ではない。

 この町に生きる人ではないもの、心のゆがみから生まれたゆがみの娘。

 死を愛するゆがんだ心から生まれたもの。

 

「では、葬儀の日取りは追って連絡しますね」


 と言い残し手押し車を押して去っていくシキを、悪臭からようやく解放された人間は、ただ見つめることしかできない。

 縁もゆかりもない人間の葬式なんて出たくもない以上に、二度とシキと関わりたくないという思いが強かった。


 町外れ、結構深い森とは別の場所に死人が眠る墓場がある。

 そこそこ広い。

 墓場の入口近くの掘っ立て小屋は、シキの住みかであり仕事場でもある。

 シキは墓守である。薄暗い夕暮れの墓場を、シキは隅から隅まで見回る。異常はない。

 シキは墓石職人である。灰色の石を金づちとノミを使って削り、きれいに磨いて、縦に長い長方形の石を作る。墓石に死んだ人の名前を刻む。これは竿石さおいしと呼ばれる部分である。

 拝石はいせき芝台しばいし中台ちゅうだい上台じょうだいといった部分も難なく作り上げる。

 とてもきれいな墓石ができた。この墓場に立ち並ぶ墓石は、全てシキの手によって生み出されたもの。

 シキは棺おけ職人である。木材を組み立て、金づちで釘を打ち、細工も施して、とてもりっぱな棺おけを作り上げる。

 作業に勤しむシキの顔は、とても生き生きしている。

 この上ないやりがいを感じている。

 納得いく出来の墓石なり、棺おけなりを作り上げれば、シキは思わず「よし」とつぶやいて笑みをこぼす。


 シキは葬儀屋である。

 墓場は葬式会場も兼ねている。葬儀の日を、町の掲示板で知らせる手間をかける価値はあった。

 死んだ老人がお得意様だったという店の主人が、喪服を着て墓場を訪れた。

 最近は疎遠になり、老人が来なくなっても特に気にかけていなかったのだが、死んだと聞けば足を運ばざるを得ない。結局、葬儀に来たのはこの人間一人だけだった。

 シキは棺おけを運ぶ。大きな台車に棺おけを載せる。華奢きゃしゃな少女が棺おけを持ち上げようとするのを見て、店の主人も棺おけを持ちシキを手伝った。

 そんな気づかいは不要だったのだが、シキは店の主人の好意を受け入れ、


「どうもありがとうございます」


 と礼も言った。

 新しい墓石の前まで棺おけを運ぶ。


「ここでいいですよ」


 とシキが言うので、棺おけを墓石の前に置いた。

 店の主人にはなぜここに置くのかわからない。

 シキが棺おけのふたを少しずらす。朽ちた死体の顔が見えた。

 店の主人は思わず顔をしかめる。

 この町では、この死体の入った棺おけをそのまま土に埋める。土葬である。シキの流儀だ。

 墓石と棺おけを前にして、シキはひざまずき、手のひらを土につけ、頭を下げる。土下座の体勢のシキに、店の主人は自分もそうしなければいけないのかと、とまどう。


「死したる人よ。あなたの命は、生という長き苦しみからようやく解放されました。喜びも悲しみも怒りもない、永遠の安らぎをあなたは得たのです。死という安らぎのなかにいるあなたを、あなたがここにいつまでも存在し続けることを、僕たちは決して忘れることなく思い、敬い、愛し続けることを誓います。いつか、あなたと同じく永遠の安らぎを得られる日まで」


 死者へささげる言葉を言い終え、シキはしばらく土下座の体勢のまま黙っている。祈っているのだろうか。店の主人も、とりあえず手を合わせて拝む。

 ようやくシキが頭を上げた。店の主人も手を放す。

 シキはまず、棺おけのふたを閉める。次に、シキは両手を前に突き出す。

 店の主人はなぜそうするのか理解できない。

 もっと理解できないようなことが起こる。

 棺おけが地面に沈みだした。沼に浸かったかのように、ずぶずぶと沈んでいく。店の主人は目を見開く。

 よく見てわかった。沈んでいるのは棺おけではなく、土なのだと。

 棺おけの下の土がどんどん下がり、やがて棺おけがぴったり収まる深い穴ができる。

 シキが少し手を動かす。今度は棺おけの横にある土が動き出す。

 土が勝手に動き、穴を埋めていく。やがて穴は埋まり、棺おけは地面の奥深くまで埋められる。まるで土の上に何も置かれていなかったかのようだ。

 シャベルで穴を掘って、棺おけを下ろして、穴を埋めてという作業の後ではこうはなるまい。

 不思議なことはもう少し続く。シキがまた少し、手を動かす。

 ずずずと今度は墓石が動き出した。

 こんなりっぱな墓石を、手で動かしてもこんなにきれいに動くはずがない。墓石は土に埋められた棺おけの真上まで動き、ぴたりと止まった。

 まるで最初からその場所に建てられていたようだ。

 シキは土や石を手を使わずに動かす力を持つ。ゆがみの娘だからこそ使える不思議な力だ。

 茫然とする店の主人に目もくれず、シキはもう一度ひざまずいたまま土に手を置いて、頭を下げた。またしばらく祈りをささげる。

 祈りを終えて立ち上がり、シキは店の主人のほうを振り向く。


「これで葬儀は終わりです。本日はお集まりいただき本当にありがとうございました」


 シキはお辞儀をする。店の主人はあっけらかんとした。葬式がこんな短い時間で終わるものとは、思っていなかった。

 長い時間をかけてお経を読んだりしないのか、とても拍子抜けだった。短い間に信じられないことがたくさんあったが。

 一人しかいないのに「お集まり」と言ったのは、いつもの口上を今回も使ったに過ぎないのだろう。

 葬儀を終えた翌日、店の主人はいつも通り仕事をしていた。店に客が訪れた、いつもどおり対応しようとした。


「こんにちは。突然訪問する無礼をどうかお許しください」


 シキだった。一体なんの用なのか。


「昨日は弔問客であるにも関わらず、葬儀の手伝いをさせてしまって本当に申し訳ありません」


 棺おけを運ばせたことが、シキにはとても気がかりだったらしい。当の店の主人は特に気にしていないのだが。


「お詫びというかお礼とも言えますが、あなたに贈り物を持ってきました」


 シキにうながされて、店の外に出る。


「どうぞ」


 店の主人は開いた口がふさがらなくなる。

 そこにあったのは、とてもりっぱな棺おけだった。

 しばらく何も言えなかった。何も言わない店の主人に、シキは首をかしげる。

 店の主人はようやく口を開く。

 こんなもの必要ないと言われた棺おけを、台車に載せて運びながら、シキは住みかまで引き返す。道すがら、一人つぶやく。


「なんで受け取ってもらえなかったんだろう・・・いつ死んでも大丈夫と思っていれば、何も怖いことなんてないはずなのに」


 シキは墓守である。シキは墓石の掃除を欠かさない。

 シキは毎日、墓石をみがく。墓の掃除をするのは、墓参りに来た家族か親戚だけなんてルールはシキにはない。

 シキは毎日、墓をきれいにする。たくさんの墓石を毎日一人できれいにする。

 身よりも友人もいない人の墓場も心をこめてきれいにする。

 

「僕がいる限り、だれのお墓も無縁にはさせない」


 とシキは語る。心をこめて墓石を掃除する。

 つい墓石に身を寄せて抱きしめる。掃除の手が止まってしまうので、シキ本人も悪いクセだと思っている。

 いつものように掃除をしようとある墓石の前まで来て、シキは思わず「あっ」と声を出す。

 四角いはずの墓石が丸くなっていた。

 毎日みがけばいいというものではないと気づき、シキは墓石の掃除は三日に一度にとどめることにした。


 シキは死体回収人である。今日は仕事場へ荷車を引いていく。

 死人は二人と聞いている。だから大きい荷車を用意した。

 家の中で二人の人間が死んでいる。腐ってはいない。死んでからまだ時間は経っていない。

 家具が倒れており、血が床と壁に飛び散っている。


「ずいぶん騒がしかったようだな」


 腐り果てた死体と額を合わせるシキが、血を見て動揺するはずがない。

 死体は二つとも傷だらけ。一つは胸に刺さった包丁が痛々しい。

 他にも切り傷や殴られた跡が目立つ。もう一つは深い一直線の切り傷が胴体を斜めに走っている。


「どうしてこんなことになったのか、一応聞いておくべきかな?」


 シキは尋ねた。現場にいるもう一人の人物に。


「二人は夫婦だった。奥さんが旦那さんを殺した。理由はわからない」


 淡々とした口調で彼女はここで起きたことを話す。なぜ話せるのか、夫婦の殺し合いの現場に駆けつけていたからだ。

 彼女はヒガン。シキと同じゆがみの娘。人殺しをためらわないゆがんだ心から生まれた人ではないもの。長い真っ白な髪に同じく白い着物を身にまとう。着物に描かれた赤い模様は、自分と同じ名前の花を描いたもの。決して返り血ではない。


「奥さんが最初に旦那さんに手を出した。旦那さんは抵抗したけれど、奥さんのほうが力が強かったみたい。奥さんは旦那さんをひたすら叩きのめした、殴ったり蹴ったりガラスのコップや酒瓶で叩いたりした」


 これは現場を観察したヒガンの推測だ。

 明言してしまうが、事実を全て言い当てている。


「旦那さんは悲鳴を上げた。それを聞いて私は駆けつけた。そのときには、奥さんは旦那さんの胸を包丁で突き刺していた」


 ヒガンは恐ろしいものを見たことを、なんら恐れることなく話す。


「奥さんはだれに殺された?」


「私が殺した」


 シキの質問に、ヒガンは迷うことなく答えた。


「どうやって?」


「これで斬った」


 ヒガンが手のひらを突き出したかと思うと、ぱっと淡い光が放たれ、まばたきする間にヒガンの手に一振りの刀が握られていた。ヒガンの得物だ。


「どうして?」


「旦那さんを殺したから」


「旦那さんを殺したから、奥さんは君に殺されないといけなかったのかい?」


「人を殺した罪は、殺されることで償うべき」


「君が人を殺すのは罪じゃないのか?」


「そう思うのなら私を殺せばいい」


 シキとヒガンは沈黙した。お互いすました表情だ。

 ヒガンの持つ刀が、家の外からの光を反射してきらめく。

 黒いフードをかぶるシキと白い長髪のヒガンが黙って向き合う。


「なんというか、君は本当に変わらないな」


 先に口を開いたのは、シキだった。


「前も同じ質問をしたけど同じ答えだった。一字一句そのままだ」


「前と考えてることは同じだから」


 ヒガンはこの町の人を守る。そのために、人を殺した人を殺す人斬りとなるのが自分の役目だと思っている。その行いの是非は今、議論することではない。どのみち、この町ではゆがみの娘を裁くことはできない。

 ヒガンが殺した人の死体を、シキが回収するというルーティンがいつのまにか構築されていた。

 そもそも今日、シキをこの場に呼んだのもヒガンである。

 ヒガンは決して、殺した後の死体をそのまま野ざらしにはしない。律儀なのだ。


「思うところはあるさ。でもそのあたりを君と話し合ったところで時間のムダにしかならない。強いて言うなら、死したる人の体にこんな深い傷を残さないでくれということだ」


「それはできない」


「ほら、話し合いにならないのは明白だ。だから僕のやるべきことをやるだけだ」


 ヒガンのそばを通り過ぎて、シキは二つの死体の前でひざまずく。


「死したる人よ。僕の手があなたに触れることをお許しください」


 いつもの死人へのあいさつをする。ヒガンは黙って見ている。

 シキが妻のほうの死体を抱えて持ち上げる。死人を見ているとシキはつい感極まってしまう。抱きかかえて、額を合わせたりしてしまう。


「大丈夫。もう大丈夫だよ」


 とシキはつい声をかける。だめだ仕事をしなくてはと、シキは個人的な思いを振り払って、死体を運ぶ。


「手伝おうか?」


「結構だ」


 ヒガンの申し出をシキは拒む。


「君は人を殺すのは得意だけど、死したる人の世話をするのは得意じゃない」


 かつて夫婦だった二人の死体を荷車に載せる。二人の死体を横に並べる。

 シキは死体を重ねて積んだりしない。二人が生きていたころは、こうして一緒に寝ることもあったのだろうか。

 シキは荷車を引く。死体は白い布で覆われている。

 がたごと音を立てながら、荷車の車輪が回る。

 ヒガンは荷車を引くシキを、黙って見送る。無表情だ。なんの感情も抱いていないようだ。


 夫婦の葬儀には、それなりに人が集まった。夫婦にゆかりがあったらしい人間たちが、喪服を着て墓場に集まった。こんなことになってしまったかとささやく声が聞こえる。あの人斬りめ、という声も。

 二つの棺おけと二つの墓石の前に参列者たちは立ち、シキはひざまずく。


「死したる人よ。あなたの最期は、きっとあなたが全く望まぬ形であっただろう。しかしあなたは、己が死したる人であることを受け入れなくてはならない。あなたは生という長き苦しみの上に、耐えがたき痛みを味わった。しかし、あなたはもうそれら苦しみと痛みから解放され死という永遠の安らぎを得たのです。あなたがいつまでもここに存在し続けることを、僕たちは決して忘れず、あなたを思い、敬い、愛し続けることを誓います。いつか、あなたと同じ永遠の安らぎを得られる日まで」


 夫のほうへシキは言葉をささげた。参列者はすすり泣く。


「死したる人よ。あなたはその手で人に死をもたらすという、決して許されない行いをした。そのようなことに及ぶほど、あなたは苦しんでいたのかもしれない。しかしその結果、あなた自身もあなたでないものの手によって死をもたらされるという最期を迎えることとなった。あなたに同情する声も、当然の報いだという声もあるでしょう。しかし人の声よりも、あなた自身が己を死したる人だと受け入れなくてはいけない。あなたは罪を犯したけれど、その罪はあなたが死したことで全て償われた。死は全てを平等にします。死は永遠の安らぎ、その中には善も悪も存在しないのです。あなたがいつまでもここに存在し続けることを、僕たちは決して忘れず、あなたを思い、敬い、愛し続けることを誓います。いつか、あなたと同じ永遠の安らぎを得られる日まで」


 妻のほうへシキは言葉をささげた。

 以前の老人の葬儀と同じように、シキは手を使うことなく棺おけを土に埋め、墓石を動かす。

 初めて見る人は驚く。見たことがある人は、何度見てもシュールな光景に困惑する。

 葬儀を終えて、シキは参列者たちに頭を下げる。

 参列者の一人がシキに疑問を投げかけた。

 葬式がこんなに短い時間で終わっていいのかと。シキは答えた。


「死したる人のことを忘れず、いつまでも思い続けることをこの場で約束するということが大切なんだ。長い時間をかけることが問題ではない。そうして死したる人のことを思っている気になってはいけない。あなたは葬式が終わったとたんに、死したる人のことを忘れてしまうのか?」

 

 納得したのかしていないのか、その参列者は引き下がった。

 葬儀は終わり、参列者たちは各々それぞれの帰路につく。

 墓場にシキ一人だけが、ぽつんと残される。


「どうしてみんな、死したる人のことを静かに思おうとしないのかな。あんなに泣いたりして、泣くことが死したる人に対する敬意だと思っているのかな」


 常々心に抱いている疑問を、シキはひとり口にした。


「でも今日の参列者の中には、喜んでいる人もいたな」


 ゆがみの娘は、人間の心に抱く感情を感じることができる。早い話が心を読める。葬式という場で喜びなんて感情を、表に出してはいけないと心の奥底にしまおうとしてもゆがみの娘には無駄なこと。

 シキは上っ面では悲しそうにしていながら、心の中では喜んでいる参列者がいることに、葬式の最初から気づいていた。なぜ喜んでいたのか、夫婦どちらかの死か、葬式に参加できたおかげなのかそこまではわからないし、シキにとってもどうでもいいことだった。


 シキは葬儀屋である。

 多くの人の葬儀を執り行ってきた。葬儀に参列する人は大抵涙を流す。

 そうでなくても、とても感情的になる。死に向き合うとき、人は感情的にならなくてはいけないのか、シキはそう思わない。


「死は永遠の安らぎだ。葬儀という場では生きている人たちも死したる人にならうべきだ。ただ静かに喜びも怒りも悲しみもない、ただ静かに死したる人を思うべきではないのか?」


 シキは語る。

 シキの疑問は尽きない。なぜ死を悲しむ? 

 なぜ人が死んでそんなに悲しむのか、いちど人に聞いたことがある。その人が答えるには、二度と死んだ人と会えなくなるし、話すこともできなくなるからだそうだ。

 シキには納得できなかった。


「あの人たちにとって、死したる人は消えてなくなった人、もうこの世界に存在していない人なのか? 死したる人は常にこの墓場にいるというのに。あの人たちにはそれを感じることすらできないのか?」


 シキにとって死者とは、墓場の中で眠り続ける人であり、この世を去った人物ではない。だからこそ、赤の他人の墓石でもすすんで掃除をするのである。

 墓石とは死者の寝床。汚しては死者に迷惑だ。

 死者自身は墓石の掃除はできないから、シキがやる。

 シキはふと思った。


「僕が死んだらどうなる?」


 シキは深く考える。


「僕の墓石はだれが作る? 僕の棺おけはだれが? 僕の葬式はだれがやる? 僕の葬式に人は来るのか? 人間の場合は、大して関わりのなかった人でも葬式にだけは顔を出す人はいるけど、僕の場合は? 死は永遠の安らぎと僕は言っているけれど、実際はどんなものなんだ?」


 シキは心に抱いた迷いを払うためにも、すぐに行動にうつした。


「僕を殺してくれるかい?」


 シキはヒガンにそう言った。

 シキの住まいの中で、シキとヒガンが向き合っている。


「どうして?」


 ヒガンはシキに尋ねる。困ってる様子はない。ただ殺してくれとお願いされるのははじめての経験だった。


「僕が死んだらどうなるのか確かめてみたいんだ」


「死んだら確かめることはできないよ」


「じゃあ確かめられなくてもいい。とにかく、僕は死んでみたいんだ」


「なんで私に頼むの?」


「君は人を殺すのが上手いからね」


「私が殺すのは、人を殺したか、殺そうとしている人だけ」


「僕にはそんなことできない。だから、今回だけは例外にしてほしい」


「例外は認められない」


「これが最初で最後でいい」


「ダメ」


「お願い」


 シキは押しが強い。

 二人は沈黙するが、シキは目で頼むことをやめない。

 ヒガンは折れた。


「わかったよ。せめて痛みだけは感じさせない」


「そんなに気を遣うことはないさ」


 ヒガンは刀を握った。ひゅんと音が鳴った。一瞬だった。

 ヒガンの刀が、シキの胸を貫いた。ヒガンが刀を抜く。

 シキは崩れ落ちる。ピクリとも動かない。

 しばらくの間、ただ時間だけが過ぎた。長かったか短かったか、それからどれくらい時間が経ったのかよくわからない。しばらくとしか表現しようがない。

 シキは目を開けた。手をピクリと動かした。足も動かした。立ち上がった。

 体どころか、服にも穴は開いていない。

 ヒガンは刺したと見せかけただけだった? ちがう。ヒガンは確かに、シキを刀で刺した。シキの傷はふさがったのだ。服も元どおりになったのだ。ゆがみの娘の着る服は、人間のそれとは出来がちがう。


「やっぱり。こうなるような気がしていたよ」


 シキは口を開いた。

 人間は絶対に死ぬ。ゆがみの娘は絶対に死なない。

 傷ついて動けなくなることはあっても、それは言うなれば、一回休みになるだけ。

 休みが終われば元どおり動き出す。

 ゆがみの娘は死なない。その身に赤い血が流れることはない。だからゆがみの娘は、人ではないものなのだ。


「死んでいるときどうなったの?」


 ヒガンはシキに尋ねた。厳密には死んですらいないのだが、ゆがみの娘たちもそのあたりはよくわかっていないらしい。


「なにも、感じなかった。喜びも悲しみも、あらゆる感情がなくなったような・・・」


「本当に?」


「いや、実際のところどんな感じだったかまるでよくわからない。全く記憶がない」


「それは何も感じていなかったから?」


「わからない。わからないけど・・・これはきっと死したる人と同じ体験をしたわけじゃないだろうな」


「また死にたいと思ったら手を貸すよ?」


「いや、これで最後だ」


 シキは人間ではないもの。死という永遠の安らぎを得ることはできない。

 自分は死と相容れないものであるとわかったとき、シキは余計なことを考えるのをやめて、他人の死だけを思うようにした。

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