オノノは恐怖に震える
「もう嫌だ。この町は地獄だ。あの日、あのゆがみの魔物どもの大量発生から私たちはなんとしても逃れようとした。いつのまにかこの町にたどりつき生きのびたと思っていた。だがここはやつらの巣、いややつらの腹の中だったのだ。私たちの命はやつらに握られ、見せかけの自由の中で首輪をつながれた家畜のように生かされている。私の言ってることがわからないか? だまされるな! あの娘たちは人の姿をした化け物、心のゆがみが生んだものなんだぞ!」
――ある人間の語り
怖いものは誰にでもある。自分は怖いもの知らずという人は、ちょっとお静かに。
怖いものは人それぞれ。お化け、幽霊、虫、すぐ怒る人、すぐ人を殴る人、すぐ人を殺す人。
怖いものとはすなわち、その人にとって命をおびやかすもの。
怖いものは命を大切にしたいと思うなら、一つや二つあったほうがいい。
怖い、近づきたくないという思いが命を守る。
しかし恐ろしいことに、この世には怖い思いをするのが楽しくて仕方がないという、ゆがんだ心を持つものがいるらしい。
真夜中。草木も眠る丑三つ時。
とある家の子供部屋。部屋は真っ暗。
子供はベッドで横になっている。横になっているだけ、眠ってはいない。
眠れない。
今夜は風がやけに強く、ゴウゴウと吹き荒れ、部屋の窓をがたがた揺らす。
すきま風が、カーテンをバサバサとなびかせる。
木の壁や床がきしみ、ギギギと音を立てる。
バリンとどこかでなにかが割れる音がする。
眠れるわけがない。こんな気味悪い音に囲まれて。
布団にくるまり、体を丸めて耳をふさごうとしても、不気味な音は耳に届く。
怖くて眠れやしない。
耳をふさげないのなら、せめて目を閉じよう。
そうすれば、何か怖いものがあっても見ずにすむし、目を閉じているうちに眠くなってくるかもしれない。
子供は力をこめて目を閉じる。
ゴウゴウ
ガタガタ
バサバサ
ギギ ギギギ
ピチャンピチャン
ピチャンピチャン? なぜ水のしたたる音がする? 子供は目を開けた。
風は強いが雨は降っていないし、この部屋には蛇口なんてない。
でもピチャンピチャンという音は、明らかにこの部屋から聞こえてくる。
不気味だ。なぜピチャンピチャンと音がするのか謎だ。でもその謎を解く気になんてなれない。
何も聞こえていないと自分に言い聞かせ、子供は再び目を閉じる。
風はやんだ。
ピチャンピチャン
ピチャンピチャン
水のしたたる音だけは止まらない。
眠れない。子供は目を開けた。起き上がり、そろりとベッドから降りた。
あのピチャンピチャンはいったいどこから聞こえてくるんだ。それさえわかれば、眠れるかも。
明かりのない部屋、真っ暗で何も見えない。
落ち着いてじっとする。目が慣れてくる。周りになにがあるかぼんやりと見えてくる。
クローゼット、おもちゃ箱、勉強机、自分が寝ていたベッド、上から落ちてくる水のしずく。
水のしずくが床に落ちていく。子供はそこに歩み寄ってみる。歩くとギシギシと床がきしむ。
床にはちょっとした水たまりができている。しずくが落ちてピチャンピチャンと音を立てる。
嫌な予感がする。なにか変な気がする。
恐る恐る、ゆっくりと首を動かし天井を見上げる。
暗くてよくわからない。でも、きっと天井の一部が少し湿っているだけ。おかしなものはない。
なんだただの雨漏りだ。子供はホッとした。
雨漏り!? 子供はドキッとした。雨が降ってないのに、なんで雨漏りがする?
やっぱりおかしい。なにかいる。この部屋に子供以外のなにかがいる。
胸がドキドキする、汗が出てくる、体が震える。何もできず、その場でじっとする。
なにか、なにかがこの部屋に
「バアアアアアッ!!」
なにかがいた!
なにかは子供の真後ろにいた!
いきなり大声を出され、子供は驚き腰を抜かす。ごく当たり前の反応だ。
なにかは大声の次は、「ヒッヒッヒッヒ・・・フッフッフッフフ」と不気味に笑い出す。
なにかは暗くてよく見えない。だが四つんばいで歩いているのは確かだ。
不気味に赤く光る目の位置が低い。
子供は震えている。なにかは子供に近寄ってくる。
ギシギシと床をきしませ、「フフフフ・・・」と不気味に笑いながら、なにかは子供へ這いよってくる。子供は一声も出さずに震えるだけ。
パッと急に子供の目の前が明るくなった!
「バアッ!」
またしても大声に子供は飛び上がる。目の前にいるのは、ランプを片手に赤く光るゴーグルを着けて、舌をベロンと出した――見た目は人間のように見える。
なにかはゴーグルをずらした。素顔の目を見せた。ギョロっとしている。
「バアッ!」
子供は動かない。どうすればいいのかわからず困るのみ。
「上だ!」
上を見る。天井からヘビがぶらさがり、シャーッと大きな口を開けた!
「右だ!」
右を見る。ガイコツの頭がカタカタと笑っているように動いている!
「後ろだ!」
後ろを見る。ドアしかない!
「前だ!」
前を見る。
「バアッ!」
さっきより顔が近い!
子供は黙りこむ。
なにかも黙りこむ。
ピチャンピチャンと水のしたたる音だけが響く。
「ハア・・・」
なにかはためいきをついた。ランプを床に置き、ぶらさがっているヘビとカタカタ動くガイコツを回収した。
ヘビもガイコツも本物そっくりな作り物だ。
「なかなか手ごわいな、君は!」
ヘビとガイコツを両手になにかはズイッと子供に顔を近づけながら言った。
「初めてだよ! この我という恐怖を目の前にして、一声も悲鳴をあげない子は! 腹立たしさなどない、むしろとてつもなくやりがいを感じてよろこばしく思っているよ!」
やけに大げさな身振り手振りに、声遣いもオーバーだ。
舞台の上で劇を演じているつもりなのだろうか。
子供の部屋に勝手に忍び込んできた上に、その子供を怖がらせようという到底ほめられそうにないことを仕出かした、このなにかは一見人間の少女のように見える。
「君に敬意を表しこの我の名を教えてあげよう! 我が名はオノノ! 恐怖の創り手オノノとはこの我に他ならない!」
オノノは人間ではない。この町に住む人ならざるもの。心のゆがみから生まれたゆがみの娘だ。
恐怖を愛するゆがんだ心からオノノは生まれた、ということはこの子供にはわかりそうにない事実である。
オノノは、良く言えばスレンダーな、悪く言えばひょろひょろな体に黒を基調とした服を身にまとう。
細長い手足に、同じく細長い指は常にクネクネという擬音がぴったりな動きをしている。オノノのクセである。
名前を教えてもらったものの、だからどうすればいいのか子供には全くわけがわからない。
そんな子供の気持ちはまるで考えず、オノノは後退し、窓を開けた。
「今夜はこのあたりで引き下がるとしよう・・・だが我はあきらめんぞ! 必ず君に、この上ない! 身の毛がよだつ! 血も凍る! 昼でもトイレにいけなくなる! そんな極上の恐怖を君に味わわせてやろう! 明日のこの時間に再び会おう・・・それまでさらばだ!」
オノノは窓から飛び降りた。ここは二階だ。飛び降りても死にはしないがケガをするかも、そう思った子供はあわてて窓に駆け寄り、下を見た。
何もない。
「明日も来るとわかっていると怖くなるだろう! 来るか来ないかわからないよりもな!」
上にいた!
次の日の真夜中。草木も眠る丑三つ時。
とある家の子供部屋。部屋はランプのほのかな明かりで照らされている。オノノの忘れ物だ。
子供はベッドで横になっている。眠ってはいない。
今夜、なにかが来るとわかっていると、やっぱり眠れなくなってしまう。
せめて何かいてもわかるよう、ランプに火をつけている。
何も起こらない。ゆらゆらとランプの火が揺れるだけ。
何も起こらない。だんだん眠くなってくる。
何も起こらない。まぶたが重くなってきた。
「クローゼットの中にいるぞ・・・」
突然聞こえてきた声に、子供は目を覚ます。
「クローゼットの中にいるぞ・・・クローゼットの中にいるぞ・・・クローゼットの中にいるぞ・・・」
声はそれしか言わない上に、どんどんボリュームが大きくなっていく。
低くて不気味な声だ。
「クローゼットの中・・・クローゼットの中・・・中になにかいると思うと怖いだろう・・・?」
どうも疲れてきたらしい。そこまで言われると、どうしても気になってしまう。
「クローゼット・・・クローゼット・・・おい、お願いだ・・・」
子供はベッドから降りて、ランプを手に取った。
クローゼットまで歩み寄る。
声は止んだ。子供の手が震える。
クローゼットの取っ手をつかむ。
取っ手をつかんだまま手が止まる。
ためらう。胸がドキドキ言い出す。
勇気を出す。クローゼットを開ける!
――ハンガーに吊り下げられた服と、クマのぬいぐるみしかない。
怖いものは何もない。子供はホッと一息ついた。
クマのぬいぐるみ!? この家にはぬいぐるみなんて一つもない。
なにかおかしい。やっぱりなにかがこの部屋にいる。子供は、クマのぬいぐるみを手に
「ギイヤアアアアアッ!!」
オノノがいた!
オノノは子供の後ろから大声を出した。子供はふりむいた。
「ハッハッハ! クローゼットの中にいると言って本当にいるわけがないだろう! そんなもの中身がスケスケのびっくり箱を開けさせるようなものだ! 本当はベッドの下だ! ハハッ! ほこりだらけだったぞ!」
オノノはずいっと子供に顔を近づけて話す。自分の顔のアップは怖いと考えての行動である。
子供は後ずさる。クローゼットの中に入ってしまう。
肩に何か乗っている。肩のほうを見てみる。
クマのぬいぐるみが肩に乗っている。いつの間に。
ぬいぐるみが子供と目を合わせた。勝手に動いている。カッと目を見開き口を大きく開けた。
とてもぬいぐるみにはふさわしくない、するどくて大きい歯をズラッと並べている!
「ヒイーヒッヒ! 単なるフェイントと思わせといて実はクローゼットの中にもちゃんと仕込んでおいたのさ! 子供が大好きなぬいぐるみ! そいつが牙をむくこのギャップ! このギャップこそがこれ以上ない恐怖を生み出す!」
ダンスでもしているかのような大げさな身振り手振りと、芝居がかったような口調と声量でオノノは自分が仕掛けたものを解説する。
観客がいるという体なのだろうか。
「しかもぬいぐるみは一つではない!」
オノノの言うとおり、クローゼットの上には長い牙を持つネコのぬいぐるみが!
おもちゃ箱の中から赤い目を光らすウサギのぬいぐるみが!
勉強机の下からギラギラした牙をもつイヌのぬいぐるみが!
子供はクローゼットの中から出る。オノノは動くぬいぐるみとともに子供を追いつめる。
じりじりと子供に忍び寄る。
子供はドアを背にしてへたりこむ。
「――ハア・・・」
オノノがためいきをついた。急にぬいぐるみは動かなくなり、力が抜けたように倒れだした。
そのぬいぐるみたちをオノノは拾い上げる。
「本当に、君はやっかいだな。本当に予想外だよ! まさかこれでも上手くいかないとは!」
なにがどう上手くいっていないのか、子供にはまるでわけがわからない。
ぬいぐるみを抱えてとぼとぼと、オノノは窓へ歩いていった。窓は開いている。
「だが我はあきらめない! 絶対に! 君に本当の恐怖を味わわせてやる! 覚えておくがよい! 君は我が手のひらの上で踊らされているのだと! 明日また来るぞ!」
子供を指さしてそう言い、オノノは窓から飛び降りた。
子供は動かない。
「窓から飛び降りて死ぬなんて、期待するだけ無駄だぞ!」
飛び降りていなかった!
次の日の真夜中。草木も眠る丑三つ時。
とある家の子供部屋。部屋はランプのほのかな明かりで照らされている。
子供はベッドで横になっている。枕元には長い牙を持つネコのぬいぐるみが置かれている。
オノノの忘れ物。なれると可愛く見えるらしい。
横になっているだけで眠ってはいない。またあいつが来る。
そう思うとやっぱり少し怖い。とりあえずランプの火はつけたままにする。
バリン! なにかが割れる音がする。
バンッ! いきなり窓が開く。
そこから入ってきたものに、子供は恐れおののく!
笑うガイコツの頭! やけにでかいヘビ! 血に濡れた牙をもつ動く動物のぬいぐるみ!
首が取れて中に誰も入っていないボロボロのきぐるみ! 飛び跳ねる目玉!
動く顔のついた枯れ木! 子供のひざぐらいの背丈しかないピエロ!
大人を平気で見下ろせそうなほどの背丈があるピエロ! 皿を数える白装束の女!
動くちぎれた右腕! エトセトラエトセトラ!
「オンパレードだ! オールスターだ! 百鬼夜行だ!」
怖いもののパレードを率いるのは当然オノノ。他に誰がいようか。
子供のベッドになにかが飛び乗った。
両手がはさみだったり、目がたくさんあったり、うねうね動く触手を持ったりと恐ろしいデザインの怪獣の人形たちがたくさんだ!
当然のごとく勝手に動いている!
「さあ、どうする!? 武器を持ってこいつらに立ち向かうか? まさか! 逃げるしかなかろう!」
オノノの言うとおりだ。子供はベッドから飛び降りた。部屋のドアまで駆け寄り、それに背中をくっつけてへたりこむ。
オノノ率いる怖いものたちが子供を追いつめる。子供は何もできず震えるだけ。
じわじわオノノたちが近づいてくる。子供は震える。
近づく。震える。
近づく。震える。
「――ハア・・・」
オノノがため息をついた。怖いものたちは動かなくなる。
唯一動いていたちぎれた右腕を、オノノは拾い上げる。
「君は我がシナリオを台無しにしてくれるね・・・本当に本当に手ごわいよ君は!」
じたばた動く右腕を持ちながらオノノが指さして子供に言う。
オノノのシナリオなんて子供には知ったこっちゃない。
オノノは窓まで歩く。怖いものたちもオノノの後を追う。
「次だ! 次こそは君に悲鳴をあげさせてみせる! 明日は気をつけろ! もうこれまでのようにはいかんぞ・・・我はおかしくなりつつある!」
オノノは窓から飛び降りた。怖いものたちもオノノに続く。
部屋に子供しかいなくなったとき、子供は駆け寄り窓の下をながめた。
何もない。
本当に何もない。
次の日の真夜中。草木も以下略。
とある家の子供部屋。部屋はランプの明かりで照らされ、子供はベッドで横になり、枕元には長い牙をもつネコのぬいぐるみがある。
おもちゃ箱のふたが閉まらなくなっている。怖いデザインの怪獣の人形でいっぱいだ。オノノの忘れ物。
今夜もオノノはやってくる。今度はなにをするつもりだろうか。子供は面倒くさかった。
窓が開いた。
オノノが入ってきた。
派手な音も立てず、ばれないようにこっそり入ってくることもなくただ単純に入って来た。
子供はわけがわからない。
オノノはベッドの横に立つ。
「警告する。ベッドから降りたまえ」
オノノは言った。
わけが分からない。
「本当の警告だ。ベッドから降りて、ドアの前に立っておくがいい」
いったいなんのつもりかわけが分からない。わからないが子供は言うとおりにしたほうがいいと判断した。
ぬいぐるみを抱えてベッドから降りる。
ドアを背にしてオノノと対峙する子供。
見れば、オノノはふたのついた大きめのバケツを抱えている。
「君は本当に手ごわい子だ。ここまで我の思い通りにならぬことは初めてだ。我は恐怖の創り手、作品に対して妥協は許されない、決して! 君が本当に恐怖するさまがなければ我が作品は完成に至らない! 断じて!」
あいも変わらず、演劇でもしてるような大げさな身振り手振りに声遣い。
「心苦しいが、我は禁じ手を使うことにしたよ・・・これには流石の君も耐えられまい。我もこれから起こることにゾッとしているぞ・・・」
バケツを持つオノノの手が震えている。禁じ手とはなんのことか。子供にはまるでわからない。
「さあ、今! 禁断の扉は開かれる!」
漫画のようなセリフとともにオノノはバケツのふたを開く!
中に入っているものが解き放たれる!
出てきたのは――こいつはいったいなんなのだ!?
なにか黒いもの、大きい黒いもの。そいつがシャカシャカ動く、うごめいている。
それは小さなものが集まって大きなものに見せかけている。
たくさんの足がついた、たくさんの生きもの。そいつらが子供部屋を埋め尽くす!
オノノの思惑通り子供はとてつもなくゾッとした!
オノノも自分のやったことにゾッとした!
バケツから出てきたもの、それは――クモの大群!
小さなクモたちが群れをなし、部屋中を真っ黒にして子供に迫り来る!
「どうだ!? 怖いだろう! 恐ろしいだろう! ゾッとしただろう!? わかっている! 虫は怖いというより気持ち悪いものだ! 我も普段は禁じ手としている! しかし君相手では致しかたない! だが虫といっても使うのはクモだけだ! クモは虫の中でも気品があるほうだ! 他の虫どもには怖さはあっても気品がない! あえてなんの虫かは言わないぞ!」
オノノの解説は子供の耳に届かない!
子供は目の前の光景に恐れ慄くだけだ!
迫り来るクモたち。子供は動かない。
クモたちが迫り来る。子供は動かない。
クモたちがにじり寄る。子供は動かない!
「――ハア・・・」
オノノはため息をついた。懐からなにかを取り出し、プシューという音を立てた。
白い糸が部屋中を包み込む。クモたちは糸に取り込まれる。
オノノはクモを捕らえた糸をたぐり寄せ、丸めて一つの大きな塊にして、それを元のバケツの中に放り込んでふたを閉めた。
オノノが取り出したのはスプレー缶だ。<ONONO クモを捕らえるクモ糸 スプレータイプ>と書かれている。
あれだけいたクモたちが、あっという間にいなくなった。
わけが分からないが、子供は安心した。
オノノは糸の切れた人形のように体の力が抜けたのか、その場に両膝をついた。
「我の・・・完全敗北だ・・・! 君はまっこと! 恐怖に屈さぬ子だ・・・! もう我に打つ手はない・・・」
これは勝負だったのかどうかすら、子供にはわからない。
「我のシナリオを聞いてくれるか・・・!」
子供は何も言ってないのに、オノノは勝手に語りだす。
「ここで君を怖がらせて、まず君は悲鳴をあげるはずだったのだ・・・! 我の一番怖いものは人間の悲鳴なのだ・・・! あのキャーとかウワーとかいう普段出せないトーンで叫ばれるあの声を聞くと、一体その心の中はどうなってしまっているのか、その得体の知れなさが我をゾッとさせるのだ・・・! 我は恐怖が大好きだ・・・! だが悲鳴は人が恐怖したときにだすもの・・・! だから我は人に恐怖を味わわせるのだ・・・! 我が恐怖は人の恐怖、人の恐怖は我が恐怖・・・!」
両ひざはついても、手と首はミュージカルでも演じてるような動きを欠かさない。
「だが君は我が恐怖に対し、一声もあげなかった・・・! これが第一の失敗だ! もう一つの失敗・・・我は君がドアを開けてこの部屋から逃げることを望んでいたのだ! 君は逃げ出し寝ているお父さんかお母さんをたたき起こす! 『パパ! ママ! 部屋にお化けが出た!』とわめく君にお父さんかお母さんは寝ぼけまなこをこすりながら、君と一緒にこの部屋に入る! するとどうだ!? 部屋はもぬけのカラで何事もなかったかのようにきれいになっている。お父さんかお母さんは『悪い夢でも見たんだ。もう寝なさい』と言って部屋に戻る! 不安なまま君はベッドにもぐり、またなにか起こるだろうと震える! しかし、あえてここでは何も起こさない! やがて君は眠りに落ちる・・・そして日が昇る。君が目を覚ますといつのまにか枕元に手紙が置かれている、そこにはこう書かれている!」
重要な場面を前に、オノノは少し間を置く。
「『いつかまた来るぞ 恐怖の創り手より』と! 恐怖は終わるようで終わらない! これが我が最高のいや、最恐のシナリオだったのだ! ここでは来ることがわかっている怖さよりも、来るか来ないかわからないもどかしさを優先させるつもりだった・・・だが何もかも上手くいかなかった・・・」
すっかりへこむオノノに、子供はかわいそう――とは思っていない。
「なぜだ? なぜ君はこの部屋から出ようとしなかった? どんなに怖い目にあっても、そのドアを開けてこの部屋から逃げ出さなかった理由は一体なんなのだ!?」
質問されて子供は黙りこむ。答えを求めるオノノは顔を思いっきり近づける。
沈黙が場を支配する。
・・・・・・・・・・・・バリン!
子供は驚いた。オノノもびっくりした。
どこかでなにかが割れる音がした。
「今の音は何だ? この下から聞こえてないか・・・? 君は知っているのか? 今の音の正体を?」
子供は少しだけうなずいた。
「もしや・・・この我の創りだすものよりも恐ろしいものが・・・君がどんな目にあっても部屋から出たくないと思わせるようなものが、この家にはあるのか・・・?」
子供は動かなかった。
一階はひどい有様だ。あたりは物が散乱して荒れ果てている。
長い間掃除していないのだろう、ひどくほこりっぽい。
においもひどい。ツンと鼻につく嫌なにおいだ。
どうしても目を引くのは割れたビンだ。一つや二つではない。
ガラスの破片が多くて割れたのは何本か数えようがない。
大人の人間がイスに座り、だらしなくもたれている。手には太いガラスのビンを持っている。
大人がビンに口をつけて、中身をラッパ飲みする。ゴクゴクとわざとかと思わせるように音を立てる。
ビンが空になった。大人はビンの口を真下に向け、最後の一滴まで飲もうとする。
だがしずくも出てこない、完全にからっぽだ。
大人は空のビンを、思いっきり投げつけた。
壁に当たったビンは、バリン! と大きな音を立てて、粉々に砕け散った。
イスから立って、台所に向かい、新しいビンを取り出すと戻って再びイスに座る。
ビンのふたを開け、再びラッパ飲みし始める。
大人は顔も手足も火のように真っ赤だ。目は異様に垂れ下がってうつろだ。
髪はくしゃくしゃで、着ている服もだらしない。
自分の身だしなみをちゃんとするよりも、ビンの中身を飲み干すほうが大事らしい。
大人はビンの中身を飲み干す。そしてまた、ビンを投げてバリンと割る。
空になったビンが、よっぽど忌々しいようだ。
大人が台所のほうを見る。まだふたの開いていないビンがたくさんある。
大人はためいきをつく。立つのがつらいほど頭はフラフラになっている。
その様子を、オノノと子供は物陰に隠れてのぞいていた。
この大人は、この子供の親だ。
「これが君の怖いものか?」
オノノが聞くと、子供はうなずく。
「これは怖いものではない。痛々しいものだ・・・」
しょぼくれた様子でオノノは言った。
オノノと子供に気づくことなく、大人は再び立ち上がり、フラフラになりながらもまた台所からビンを取り出し、またイスに戻る。ふたを開けてビンの中身を飲む。
「考えてみれば、我があんなに騒いでいたというのにこの家の者は全く君の部屋に入ってこようとしなかった。都合がいいので気にしていなかったが、あの部屋でなにが起きてもあのビンの中身を飲むことのほうが、あいつにとって大事なようだな・・・」
子供は長い牙のネコのぬいぐるみを抱きかかえてうつむく。
「ククク・・・」
笑い出したオノノを子供は思わずにらむ。
「ああ失敬、いいアイデアを思いついてしまってつい笑いがこぼれてしまった・・・そうだな普段はしないが今回は許可を取っておこう――あいつを怖がらせてもいいか?」
子供は少し考えた後、首を縦に振った。
「では、善は急げだ」
大人はまた、台所へビンを取りに行った。
ビンを手に取った。
ビンを持ち上げた。
ビンに手と足が生えた。
――!? 大人は目を見開いた! 思わずビンから手を離す。
床に落ちてビンはバリンと割れる。
するといったいどうしたことか、ビンの破片から生える手と足が、こぼれたビンの中身の上でピクピク動いている。
今度は一体なにが起こった? ふたの開いていないビンから次々と手と足が生えてくる。
ワーワーと言葉にならない甲高い声が聞こえてくる!
手と足の生えたビンたちは、自ら立ち上がり歩き始めた! 大人はわけがわからない。
ビンたちはイスのある部屋に向かった。ある一本のビンは何をした?
自ら壁に向かって走り、いきおいよくぶつかってバリンと自分から割れた!
ビンの中身がぶちまけられる。
あるビンは高いところに登り、そこから飛び降りてバリンと割れた!
あるビンは勢いよく転がって、そのまま机の足にぶつかって割れた!
あるビンはビン同士でぶつかり合ってバリンと割れた!
ビンの中身が次々とぶちまけられ、家中鼻につくにおいでいっぱいになる。
言うなれば、ビンが集団自殺するその光景に、大人は――
わあああ! 悲鳴をあげた。
バリンバリンという音とわあああという悲鳴を聞いた近所の人は目を覚ます。
何事かとベッドから降りて外に飛び出す。
誰かがこの家の玄関をノックする。大人は自ら割れるビンを見て、うわああああと喚くのみ。
オノノの作品が一つ完成した。
「やっと悲鳴を聞くことができた・・・やはり恐怖を創ることはやめられん・・・人が怖がる姿ってどうしてこうも怖いのだろう?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます