クルミはつぎはぎだらけのきれいな人形

「そもそもこの町はいったいなんなのだ? あの時以来、完全に荒廃してしまった私たちの世界の中でただ一ヶ所だけ、この町では人間がまともに暮らせる。食糧も衣料も尽きることがないほどある。

この町はいつ生まれた? だれがこの町の建物を建てた? 私たちはどうやってこの町に来たのだ? おかげで命は助かっているが、都合が良すぎる。だがこんなことを言うと、子供向けのおとぎ話に、細かいことを指摘する――例えば白雪姫はなぜ王子のキスで生き返ったのか、非現実的だとつっこむ――そんなヤボなことをしているように思われる――異常だ」

――ある人間の語り


 人形やぬいぐるみを抱いてかわいがったことは、生きているうちに一度や二度はあるはず。

 自分にはないと言われたら、おやそうなのですかとしか言いようがない。

 布かなにかで人をかたどったものを、なぜか人間は可愛いものと感じ、とてもかわいがる。子供はもちろん、大人になっても人形を愛する人は多い。

 その愛情はあくまでも、本物の人間の代わりとして向けられるもの。人間は人間を愛さなければならない。

 ちがう、人形は人間の代わりなんかじゃない、人間よりも人形のほうが愛おしい。

 私は人形を愛している。そう思う人もいる。

 そんな人たちには申し訳ないが、あなたたちはゆがんだ心の持ち主であると忠告せざるを得ない。



 いつ、どんなとき、どんな場所でも子供は人形をかわいがる。ゆがみの娘のいる町でも同じ。

 大人に買ってもらうなり、作ってもらったなりした自分だけの人形に名前をつけたり、常に抱きかかえていたり、他の子供の人形と見せ合いっこしたり、ままごとをしたり、壊したり、飽きて捨てたりする。

 当然の話、人形を持たせてもらえない子供もいる。

 そんな子は人形を持っている子の仲間に入れず、かやの外にされる。誰かと遊ぼうにも相手の人間がおらず、人間の代わりになる相手もいない。打つ手がない。

 そんな子供がとぼとぼと道を歩いていると、人形が地面に落ちているのを見つけた。

 ぼろぼろで片腕と片足が取れ、中身の綿も出てしまっている。壊れた、あるいは壊したので捨てたのは明らかだ。

 それでも人形を持っていなかった子供には、こんな嬉しい拾い物はない――そんなことはない。

 自分が欲しいのは、きれいな人形だ。傷一つない人形だ。こんなゴミじゃない。

 元の持ち主がきっとそうしたように、子供はぼろぼろの人形を投げ捨てる。

 すると、いったいなにが起こった?

 投げ捨てたはずの、ぼろ人形が、自分の手のひらに返ってきた。

 驚いて人形が飛んできたほうを振り向いた。もう一度驚いた。いつのまにか人が立っていた。

 美しい少女だった。


「そのお人形はまだ生きているわ。手足が取れたぐらいで捨てたりしちゃダメ!」


 怒っていた。

 どうしていいかわからずたじろぐ子供の手を、美しい少女はつかんだ。


「来なさい! お人形を直すついでに、あなたにお人形とのつきあいかたを教えてあげるわ!」


 わけのわからないうちに、手をひっぱられる。

 傍から見ればただの人さらい。


 店中、人形だらけ。人形屋だから当たり前。

 この店の人形は、思わず震え上がるほど出来が良い。

 人形たちはてきとうに棚に並べられたりしていない。

 並べた人が考えたストーリーを表現しているのが伝わる。

 お茶会をする人形たち。美女をめぐって決闘する人形たち。オペラを歌う人形と、歌声に喝采を送る人形たち。

 別の世界にいるようで、子供は無理矢理連れて行かれたことをすっかり忘れてこの空間を楽しんでいる。


「ごめんなさいね。あなたがこのお人形の持ち主で、また壊れただけで捨てられたんだと早とちりして」


 この店の店主、美しい少女は自分のカン違いを素直に謝った。ぼろぼろの人形を、針と糸で丁寧に直しながら。

 その手つきは慣れている、というより鮮やかだ。

 傷ついていた人形がみるみるうちにきれいな姿になっていく。子供もその様にうっとりする。

 綿もきっちりつめて、ものの数分程度で人形は生まれたときの姿を取り戻した。


「どう? ちょっと手間をかければ、どんなに傷ついたお人形もきれいに戻せるの。腕も足もお人形なら千切れたって直せるんだから」


 子供はきれいになった人形を抱き自分のものにしたくなる。


「フフフ、この子にすっかり魅せられたみたいね。――私のことを教えておこうかしら。私はクルミっていうの。自慢じゃないけど、ここにあるお人形はみんな私が作ったの」


 それを聞いて子供は、あっという間にクルミに憧れを抱く。

 この美しい人形たちをこの人が、全部一人で作ったなんて。

 子供には店の中、人形が生き生きとしているような空間が輝いて見える。

 子供の目も輝いている。

 店全体を見回してみる。

 どの人形もみんなすてき。抱きかかえやすいサイズのお姫様の人形も、八頭身のすらっとした王子様の人形も、二頭身にデフォルメされたかわいい女の子の人形も、みんなみんなすてき。

 子供は人形のできばえをほめるために言った。

 まるで生きているみたいと。

 それは間違ったことだった。


「お人形は生きているの!」


 クルミが突然、ぴしゃりと叫んだ。子供は一瞬、息が止まった。


「自分で動いて自分で息をしているのが生きているということじゃないわ! お人形はみな命を持っているの! ただ、それをみんなにわかってもらうためには、人の手が必要ってだけなの!」


 クルミは怒りっぽい性格のようだ。

 自分の気に入らないことを言われれば、子供相手でも我慢はできない。


「あなたたちはじっとしているだけのお人形を見ても、その子が生きているだなんて思いもしない。だから私はお人形たちに物語を演じさせているの。ほら、このお人形。クリス婦人っていうオペラ歌手で自分のお金で開いたコンサートで、人々に自分の歌声を聞かせているの。でもクリス婦人は実はとっても音痴で、観客はみんなゲラゲラ大笑いしている。でもクリス婦人は、みんな自分の歌声にとっても喜んでいるんだと勘違いしちゃっているのよ。どう? このお人形たちに、命を感じるでしょう?」


 クルミの描くストーリーは思ったより、ひねりが入っていた。ひと目見ただけではカン違いしてしまう。

 子供が困り果てていることに気づくと、クルミは冷静さを取り戻した。


「ごめんなさい。ちょっと熱くなっちゃったわ。でも、お人形はあなたたちと同じようにちゃんと命を持っているのそれをわかってほしくて。だから、壊れたぐらいで捨てて欲しくないの。あなただって、腕がちぎれたぐらいでお父さんやお母さんに捨てられたくないでしょう?」


 クルミの言うことは、子供にはわかるようでよくわからない。

 とりあえずうなずいておくのが、社会的に賢い選択のように思えるが、そういうことはこの子供にはまだわからない。


「で? あなた、この子をどうするつもり?」


 これ以上説教をたれるようなことをしても、子供は困るだけとわかったクルミは話を変えた。自分が直した人形について子供に尋ねた。

 子供の答えはひとつだけ。でも、それを口に出すのはためらう。

 ここは人形屋さん、つまりお店。お店はただでものを売らない。それぐらい知っている。

 自分は、お金なんてもっていない。


「欲しくはないの?」


 とクルミにうながされ、子供は思わず答えてしまった。

 とっても欲しいと。

 言ってすぐに、いやちがうと言いなおそうとした。


「じゃあ、今この場所でこの時より、あなたはこの子の持ち主になったわ」


 子供は目が点になる。

 クルミにきれいになった人形を手渡されても、目は点のまま。頭の中は?マークだらけ。

 子供が自分の言うべきことに気づくのに、5、6秒ほどかかった。

 お金を持っていないと。


「お金なんていらないわ」


 当たり前のことを言うような口ぶりで、クルミは言った。


「ただし、うちはいわゆる会員制よ。本当にお人形のことを大切に、一生をかけて可愛がってくれる人にしかうちの子はゆずらないわ。あなたは最初、ぼろぼろだったこの子を捨てようとした。でもそうしたのは、この子がまだ自分のものじゃなかったからよね? きれいになったこの子を見たときのあなたの目は、とても輝いていた。本当にお人形を愛することができる子の目をしていたわ。私、人を見る目には自信があるの。この子が自分のものになった以上、あなたはこの子を一生愛することができる、そうよね?」


 クルミの話を全て理解しているわけではないが、子供はクルミに認められていると思うと悪い気はしない。

 ただでこんなきれいな人形をもらえるならば、何も損はない。

 子供は大きくうなずいた。大きくなれば人形遊びなんて興味がなくなる、そんなことは今の子供には全く考えもしないこと。

 大きくなっても、この日のことだけはきっと忘れられないだろう。子供は今、とても幸せだ。

 きれいな人形をおもいっきり抱きしめ、ほおずりをする。

 ふと、子供が何かに気づく。目をこらして人形を見てみる。

 傷がある。傷に見えるそれは、縫い目だ。

 いちど壊れたのを直したのだから、人形に縫い目ができるのは当たり前。その数が多いのも仕方のないこと。

 腕にも足にも、服にも顔にも継ぎ目がある。

 人形はきれいだけど、ツギハギだらけだった。

 自分の欲しかった、きれいな傷一つない人形でないとわかると子供は気が変わりそうになった。


「どうしたの? 顔が曇っているけど」


 指摘されて子供は、一瞬驚く。


「ああ、そのツギハギはね、その気になれば全く目に見えないように直せるけど、そうはしないの。この子は一度、壊れてしまったお人形だということをみんなにわかってもらうためにね」


 何かに気づいた子供が、もう一度店中の人形たちを見てみると、自分が今持っている人形と同じようにツギハギだらけであることに気がついた。


「ものは必ず壊れる。壊れると使い物にならなくなるものもあれば、壊れても何度でも直せるものもある。お人形もそう。お人形が壊れることを嫌って、傷がつくのを恐れ、傷がついたらお人形への愛情を失くす。それは間違っているわ。傷一つないものばかりを愛するのは、本当の愛情じゃない。お人形を本当に愛しているなら、どんなに傷ついても、きれいな形に直してあげるべきよ。傷のあとが残っても、その傷あとも愛してあげるのが本当の愛情よ」

 

 こればかりは、クルミの言うことが子供には全くわからない。


「難しい? もっと短く言ったほうがいい? 完ぺきなものよりも一度壊れたものこそ、大事にするべきなのよ。こういうのをなんて言ったかしら・・・ああ、わびさびね」


 もっとわからない。


「とにかく、もしあなたがこの子にツギハギがあるという理由で、愛情を抱けないというのなら、この子の持ち主になると言う話はなかったことになるわよ」


 その話は、よくわかる。

 子供は今のクルミの話しぶりに、幼いながら怖さを感じた。

 こういう人の言うことに逆らうと、痛い目にあう。子供は今、そういうことを学んだ。

 子供ははっきり言った。

 ツギハギだらけの人形でも大切にすると。

 クルミはぱっと笑顔になった。


「わかってくれたのなら、うれしいわ。『でも』っていうのがちょっと気になるけど、まあそれはこれからに期待ということで」


 またよくわからないことを言ったが、子供はひとまず自分もお人形を持つことができたということを素直に嬉しく思った。

 人にいいことをしてもらったら、ちゃんとお礼を言うようにと教わっている子供はクルミにもそうしようとした。


「ちょっとなに? この子は信用できない? そんなことないわ。勝手なこと言わないで」


 クルミが誰かとしゃべっている。子供にではない。


「確かに最初はお人形を投げ捨てたりしたけど、それは自分のものじゃなかったからよ。自分のものが壊れると悲しいけど、他人のものが壊れてもそうでもない、そういうものなのよ。・・・でも相手は子供なんだから、そんな完ぺきなことを求めるべきじゃないわ。――ちょっと、何してるの」


 クルミはいったい誰としゃべって、いったい何をしている?

 クルミは自分の右手を見ながら、一人でしゃべっている。

 自分の右手としゃべっているということなのか?

 その右手が、なにやら荒っぽくブンブン振られている。クルミはいきなり何をしだしたのか?


「やめなさいよ、ちょっと!」


 クルミが怒鳴った。

 まさか、クルミは好きで右手を振っているのではないのか?

 やめなさいということは、他の何かによって右手を動かされているのか。

 他の何かとは何だ?

 まるで何が起きているかわからない子供は、ただクルミをじっと見つめるしかできない。

 あることに気づいた。

 クルミの右腕に傷が、縫い目が、ツギハギがある。

 よく見ると、クルミの左腕にも、脚にも、服にも、首にも、顔にも自分の抱いている人形のようなツギハギがある。

 まさか、子供はカンが良かった。


 プツン


 何かが切れる音、何かをつなぐ糸が切れる音。


「ああ、もう!」


 クルミの右腕がちぎれた。

 クルミから離れた右腕は、引っ張られるように子供にとびかかった。

 悲鳴をあげて子供はよけた。クルミの右腕が床に落ちる。

 こんなことがあっていいのか。落ちた右腕はひとりでに動き、人が足で立って歩くように、五本の指を使ってしゃかしゃかと移動している。

 クルミの右腕は、もう一度子供にとびかかろうとしていた。


「こら、やめなさい! ごめんね。私はあなたを信用しているんだけど、私の右腕はあなたを信じていないみたいなの!」


 右腕のとれたクルミに、右腕だけのクルミ。

 わけがわからないが一つ明らかなのは、この光景は子供にはものすごく怖い。

 右腕がぴょんと飛んで、子供から人形を奪い取ろうとする前に、子供は全力でドアを開けて、店を飛び出し走って逃げ出した。バタンとドアが閉じられ、リーンリーンとドアについたベルが鳴る。

 右腕はドアノブに飛びつくが、クルミが右腕を引っ張る。


「やめなさいって言ってるの! あの子はちゃんと大切にしてくれるから! もう、どうして私はあなたと考えが合わないのよ!」


 言うのがすっかり遅くなってしまったが、クルミはゆがみの娘である。

 人間よりも人形のほうが美しく優れており、愛せるという心からクルミは生み出された。


「私、どうして右腕と考えてることがちがうのかしら」


 クルミは人形をこよなく愛するゆがみの娘。

 クルミは人間よりも、人形のほうが美しいと思っている。

 クルミは人間ではないが、少女である。少女は自分も美しくありたいと思うもの。

 人形は美しい。だからクルミも人形なのだ。金色の髪をなびかせ、宝石のような青い瞳、ひらひらできれいなツギハギだらけの服を着た人形だ。

 服だけでなく、体中もツギハギだらけ。でも人形だから平気。

 体の一部がちぎれたって、人形だから痛みなんて感じない。

 人形だから血が流れることはない。

 人形だから針と糸を使えば、簡単に直すことができる。

 そしてクルミに針仕事をさせたら、この町で右に出るものはいない。

 腕がちぎれても、もう片方の腕一本で縫って直す。両腕がちぎれても、左腕は自分からクルミにくっつこうとする。

 脚も、もしちぎれても自分で歩いてクルミのところに戻ってこれる。

 でもなぜだろう? 右腕はそうはいかない。クルミとクルミの右腕は、しょっちゅうケンカする。

 性格が合わないのだろうか? クルミは怒っても人に手が出ることはないが、クルミの右腕はすぐに手を出したがる。

 この前、店にやってきた客はちょっと自己中心的なやつだった。

 商品の人形たちにクルミに断りもなく、さわって、抱きかかえる。そのあつかい方はクルミからすればとても乱暴なものだった。

 お人形を雑にあつかわないでと、クルミが注意した。


「ああなに? 言っとくけど、この店で買い物する気なんてないわよ。自分で人形を作ろうと思ったのよ、インテリアにでもしようかとね。でも流石の私もなにも参考にせずに作るのは難しいのよ。まあ、この私に参考にしてもらえるだけ誇りに思いなさいな。」


 と偉そうに王冠なんてかぶった客は、クルミの言うことを聞きやしない。

 クルミは冷静にしようと努めたが、クルミの右腕はすぐに熱くなる。

 プツンと糸が切れ、右腕はクルミから離れて、客に跳びかかった。

 客はとっさに、いつも持ち歩いている青いボールを投げつけたが、右腕はボールをつかんで投げ返した。

 ボールによる顔の痛みをこらえつつ、客はクルミの右腕をつかんだが、おかげでちょうどいい間合いに入れたので、右腕は客の頭をポカンポカン叩きだす。

 クルミはようやく右腕を客から離して、自分の右腕の不始末を客に謝った。


「ごめんなさい。頭コブだらけにしちゃって、痛かった?」


「痛くもかゆくもないわ。ただとっても怒ってるだけよ」


 と言って、それ以来、その自己中な客は二度とクルミの店に来ることはない。


「いくら失礼なやつだからって、店に来てくれた人に手をあげるのは良くないわ」


 としかっても、クルミの右腕は聞く耳を持たない。

 ケンカしてしばらくの間、クルミと右腕が離れ離れになっても、クルミがきれいなツギハギだらけのパジャマを着て夜中眠っているとき、のそのそと右腕がベッドを昇って寝ているクルミにすり寄り、もう仕方ない子ねとクルミが右腕と一緒に寝て、その次の朝一番に針と糸を使ってクルミと右腕は元どおりになるというのがお約束だった。

 その日、お約束が破られた。

 クルミとクルミの右腕のケンカはいつも以上に激しかった。


「今回ばかりはそう簡単に許せないわよ! あんな小さな子供にムキになるなんて! あなたは人を見る目がないの!? あの子はお人形を本当に愛することができる子よ!」


 クルミの主張を、右腕はかたくなに受け入れない。

 

 あの子供は信用できない。

 どうせ、他の子供たちみたいに壊れたら捨てる。

 あなたは自分には人を見る目があると思っているようだが、それは違うと自分でもわかっているはず。あなたが作った人形が、ぼろぼろになってゴミ箱に捨てられているのを何度も見たでしょう。

 あなたは現実を見る目を持っていない。

 クルミだけに聞こえるらしい、右腕の声である。


「それは確かに悲しかったけど、だからといってこの町の人みんながみんな、お人形を愛する心を持ってないと決め付けちゃだめよ。疑えば希望は潰えてしまう。人を信じてあげることが大事なのよ。お人形は人のそばにいるのが役目なんだから」


 議論は平行線をたどるのみ。

 クルミの右腕はお人好しなクルミに、ほとほと嫌気が差していた。


 もう話したくもない。私はあなたの右腕をやめる。


「なんですって!?」


 自分だけで自由に過ごす、あなたのいないどこかへ行く。


 片腕を失くすなんて、針仕事が大好きなクルミにはショック以外の何事でもない。

 止めるべきだったが、右腕の決意の固さもクルミには伝わっている。


「わかったわ。お互い、いつもくっついてばかりだったもの。ちょっと離れて過ごしてみる必要があるみたいね。いいわ、あなたの行きたいところにどこにでも行くといいわ」


 クルミに背中を押され、クルミの右腕はしゃかしゃかと動き、ピョンとドアノブに飛びついて、店のドアを開こうとする。

 

「でもこれだけは言っておくわ。腕一本でやれることなんてタカが知れてるわよ」


 クルミの声を聞きつつも、クルミの右腕は振り向くことなくドアを開き、自由だと叫ばんばかりに張り切って外に飛び出した。

 しゃかしゃか動く腕に、たまたま通りがかっていた野良猫が驚き、ギニャアと悲鳴をあげて飛び上がった。

 クルミはしばらく見送り、自分に見えなくなるところまで右腕が行ってしまったのを見届け、ドアを閉じて店の中へ戻った。

 右腕を失くした体で椅子に座って、ためいきをつく。


「腕一本でやれることなんて、タカが知れているのよ」


 ひとりつぶやきつつ、左手で紙に文字を書き、それを店のドアの外側に貼り付けた。


<手が足りないので、しばらく休業します>


 ぐちゃぐちゃな字だった。


<人の腕を切断して収集していた殺人鬼、自分も同じ目に遭わされ殺害される。あの人斬りの仕業>


「こんなやつがいるとは、世の中広いわね」


 クルミと右腕が離れ離れになって数日後、暇つぶしに読んだ新聞の記事を見てクルミは声を漏らした。この事件はクルミにとっては他人事だ。


<怪事件 町じゅうの人形、次々となくなる 人形専門の泥棒か?>


 この記事にクルミは目を見開いた。


「度し難いやつがいるわ。お人形をさらうなんて」


 クルミは、腹を立てた。

 この犯人を自ら裁いて、人形たちを解放せねばと強く思った。

 だが左腕だけの自分にそんな力はないことを、よくわかっている。


<「せっかく自分で人形を作ったのに気づいたら盗まれていた。この前よった人形屋の接客態度がすごく悪かった。あの店は怪しい」被害者・Eさん語る>


「なによこの証言!」


 今のクルミにできるのは、新聞かこの被害者にクレームを送ることぐらい。

 便せんとペンを取り出して、抗議文をいまだ慣れない左手で書きはじめたところで、誰かがドアをノックした。


 ドンドンドン


 この叩きかた。クルミはよく知っている。

 ペンを放り、かけ寄ってドアを開けた。

 誰もいない、とクルミは思わない。

 足元を見る。人の腕が落ちている。いや、腕が動いている。言うまでもなくクルミの右腕。


「あら、意外と早く帰ってきたのね」


 クルミはあえてつっけんどんな態度をとった。

 当の右腕は、そんなかけひきに付き合っているヒマがないらしい。

 しきりに人差し指でどこかを示している。焦っているように、クルミには見える。


「何かある? 説明するヒマはない? 早く来て? なんなのいったい?」


 クルミの質問に答えることなく、右腕はわれ先にと走り出してしまう。


「ちょっとどうしたのよ!」


 何がなんだかわからぬまま、クルミは右腕を追って走り出した。

 ひとりでに走る右腕と、それを追う右腕のない少女の姿。

 どうしても人の目を集めてしまうが、当の本人たちにはまるでどうでもいいこと。


「もう、あなた足よりも速いのね・・・」


 右腕を追って結構長い間、走らされた。脚が痛む。

 いったいどこへ連れてこられたのか。この町の中でも、あまり人が寄り付かない荒地だ。

 クルミの右腕が指さして、クルミを導く。

 そこで見つけたものに、クルミははっと息を呑む。

 子供がとても小さな横穴に、右腕をつっこんだまま動けなくなっている。

 子供は涙を流している。腕が抜けなくなっていると一目でわかる。

 その子供をクルミは知っている。自分が直した、きれいなツギハギだらけの人形の持ち主になった子供だ。

 泣いて顔を赤くしていた子供。でも助けが来た。しかも来てくれたのはクルミ。

 とても嬉しかった。少し笑顔になれた。

 

「なにがあったの?」


 とクルミが尋ねる。

 子供が答える。

 お人形が穴の中に入っていて、それを取り出そうとしたら手が抜けなくなった。

 いくら力をいれても手が抜けず、誰かに助けてもらおうにも誰も来ない。

 このままだとここで死んでしまうかもしれない。こうなったら、手を切ってしまおうかと思った。

 たまたま、そばに落ちていた大きなガラスのかけら。ナイフと見間違えてしまいそうだ。これで自分の腕を切ってしまおうか、そんなことまで思った。

 


「なんてことを」


 クルミは嘆く。

 でもそんなことはできなかった。

 大きなガラスのかけらを手で持って、抜けなくなった腕にあてがってもやっぱり自分の腕を切るなんて怖いし、きっととても痛い。でもこのままじゃ自分は一生このまま。

 どうしようかと悩んでいたら、右腕だけが動いているのを見つけてとてもびっくりした。

 クルミの右腕もびっくりして飛び上がった。

 次に、子供からガラスのかけらを取り上げた。

 バカなことをするんじゃないと、言っているように子供には感じた。

 子供はこの右腕に見覚えがあることに気づいた。あのお人形屋さんの腕だ。この前、自分につかみかかってきたあの腕だと。

 子供は右腕に、穴の中にあるお人形を取ろうとして腕がはまって抜けなくなったことを明かす。

 するとクルミの右腕は、子供に少し待っていてとジェスチャーで表現し、それは子供に伝わった。

 全速力でクルミの店に帰り、クルミに助けを求めて今、こうなっているのである。


「なるほど」


 とクルミは状況を理解した。

 

「今、あなたはそのお人形を手でつかんでいるのね?」


 クルミの質問に、子供はうなずく。


「今、手はじゃんけんでいうグーになっているのね?」


 子供はうなずく。


「ちょっと、お人形を放してみて」


 よくわからないが、子供は言われたとおりにする。


「じゃあ、手を引っ込めてみて」


 言われたとおりにする。

 右腕が穴から抜けた。

 とってもすんなり、するりと抜けた。

 子供とクルミの右腕は、なんでそうなったのかわかっていない。


「その穴は手をパーにすれば入れられるけど、グーにしちゃうと入れられない。穴の中で手をグーにしちゃうと穴から出れなくなる。じゃあどうするべきかってことよ」


 クルミの解説を理解した子供は、泣いて赤くなった顔を今度は恥ずかしさで赤くした。


「あなた、気づかなかった?」


 クルミはクルミの右腕に聞いた。

 図星の右腕は、子供と同じく恥ずかしそうにしていた。


「お人形を取り戻したい手の気持ちだけで考えちゃったのね」


 穴の中の人形を取り戻そう。

 1.クルミが欠かさず持ち歩いている、針と糸、今回は糸を使う。

 2.糸を持ってクルミの右腕だけが、穴の中に入る。

 3.右腕が穴の中で糸を人形にくくりつける。片手でもがんばる。

 4.クルミの右腕、穴から出る。

 5.クルミが糸を引っ張る。

 6.スルスルスル

 7.よかったよかった。


 子供は汚れた人形を思いっきり抱きしめ、声を掛ける。もう放さないよと。

 

「感動の再会に水を差すようだけど、答えくれるかしら? どうしてこんな穴の中にそのお人形は入ってしまったの?」


 クルミの問いに、子供は口を閉ざしてしまう。

 話すとクルミが怒ってしまいそうと思っている。


「怒らないから全部話して」

 

 そう言って後で怒るのが、大人のやり方だと子供は知っているが、クルミはそんなことないかもと思い全てを話す。

 クルミから人形をもらったおかげで、人形を持っている子供同士で遊べるようになり、楽しい日々を過ごしていた。

 しかし、子供たちが次々と人形をなくすというおかしな事件が起こった。

 みんな盗まれた盗まれたと泣いている中、なぜか自分の持っている人形だけはなくならなかった。

 いつものように、みんなと遊ぼうとすると、なんで自分だけは人形を持っているのかと責められた。

 前は人形を持っていないせいで仲間はずれにされていたが、今度は人形を持っているせいで仲間はずれにされた。

 遊んでくれないどころか、みんなの人形を盗んだのは自分だとあらぬ疑いまでかけられる。

 そんなある夜、ベッド寝ているとき、怪しい物音を聞いた子供は眼を覚ました。目をこすってなにがあったのか見て、子供は声が出なくなるぐらい怖がった。

 それは何か、バケモノだ。

 暗くてよく見えないけどそれがバケモノだとわかる。バケモノが自分の人形を手に取っていた。

 すぐにわかった。みんなの人形を盗んでいるのはこいつだと。自分の人形も盗まれてしまう。

 しかし、バケモノはなんのつもりか持っていた人形を投げ捨てた。

 そして何も持たずに、バケモノは開いていた窓から去っていった。

 翌日、子供は自分の見たことを全てみんなに話した。

 だが、みんなは話を全く信じてくれなかった。盗んだことを隠すためのウソだとしか思われなかった。

 バケモノは人を殺したり、人の心をあやつったりするやつだ。人形を盗むバケモノなんて聞いたことないと、みんなに言われた。

 子供が人形を欲しがったのは、みんなの仲間に入れて欲しかったから。だから、人形を持っているせいで仲間に入れてもらえないとすれば、やることは一つ。

 人形を手放す。そうすれば、人形をなくした子供として、また仲間に入れてもらえる。

 でもクルミに言ったことを、忘れるわけにはいかない。この人形を捨てるなんてとんでもない。

 だから、少しの間どこかに隠しておくことにした。

 遠くまで言って、小さな横穴を見つけると、そこに人形を隠した。誰かに見つからないよう、奥のほうまで入れた。

 明日から、またみんなの仲間になる。そう思ってベッドで横になった。

 ちっとも眠れない。人形は今、どうしているのかばかりが気になる。

 あのツギハギだらけだけどきれいな人形の姿、クルミに直してもらった人形の姿、ツギハギだらけの人形の姿、ツギハギだらけのクルミの姿。

 クルミと人形がごっちゃになる。人形が泣いている。クルミが泣いている。そんなイメージが頭から離れない。自分がやったことを後悔した。ちっとも眠れなかった。

 翌日、すぐに人形を取り戻しにあの穴のところまで走っていった。そして穴の中の人形を取り出そうとして、腕が抜けなくなったと思い込んで、腕を切ろうかと思っていたら右腕だけがひとりでやってきてびっくりして、後はもうクルミも知っている。


「なるほど、なるほど」


 全てを打ち明け、子供は少し身構えた。

 自分はクルミに言ったことを破り、人形を手放そうとした。ただ仲間はずれにされたくないというだけの理由で。

 やっぱり怒られる。子供は覚悟を決めていた。

 クルミは子供の肩に左手を置いた。

 クルミの右腕も、手を肩に置いた。


「約束して。もしまた腕が抜けなくなったり、脚が挟まったりして動けなくなっても、自分の体を切ろう何て思わないで。あなたたちは体がちぎれるととっても痛いし、簡単には直せない。あなたたちとお人形は似ても似つかないんだから」


 クルミの口調はとても優しかった。


 真夜中の町の広場。人っ子一人いない。街灯のほのかな明かりだけが、この場所を照らす。

 なぜかぽつんと人形が、ベンチに座っている。

 傷一つないきれいな人形だ。

 誰かがやってきた。いや何かと言うべきか。

 そいつは人形のほうへ、引きずるような足取りでずるりずるりと歩み寄る。

 きれいな人形を手に取ろうとした。そいつの手には指がない。

 町灯の明かりがそいつの姿を照らす。

 大きな袋を全身にかぶったような姿だ。


「こんばんは」

 

 そいつに誰かがあいさつする。

 手を止めて、そいつは声のしたほうを振り向く。

 クルミだ。


「あなた、お人形が好きみたいね。私も大好き」


 子供の話を聞いて、クルミは人形泥棒の正体を察した。

 ゆがみの魔物だ。

 自分と同じ、人形を愛する心から生まれた、人ならざる魔物。

 怪訝けげんそうにクルミをにらむ魔物と比べ、クルミはひょうひょうとした様子だ。


「あなた、こういうお人形が好きなのね。傷一つないお人形。それがきれいなことは私も認めるわ」


 魔物の周りをぐるぐる歩き回りながら、クルミは声を持たない相手と一方的に会話する。


「でも、人のお人形を勝手に盗るなんて許せない。お人形は人のそばにあって人の心に安らぎをもたらすのが役目。それを奪って自分だけが、お人形を可愛がる資格があるつもりでいるなんて承知しないわ」


 魔物はクルミを敵とみなす。その大きな体で思いっきり殴りつけてやろうと思った。

 クルミをにらんでふと思う。こいつ、自分で動いてしゃべっているくせに、なんで傷ついた人形みたいに、顔にツギハギがある? 左腕にもツギハギが、右腕にいたってはない。

 魔物が動きを止めた。何かおかしい。魔物の体に何かが起こっている。

 

「さあ、返してもらうわ。みんなのお人形を」


 魔物が足元を見た。そこにあるのは、地面に落ちている人の右腕。

 ただの右腕ではない。ひとりでに動き、何か太い糸を握りしめた右腕。

 まずいと魔物が思った。そのときにはもう手遅れ。

 右腕が糸を引っ張った。その糸は、ゆがみの魔物を覆う大きな袋をつなげる糸だった。

 それを思いっきり引っ張るとどうなる。大きな袋がぺラリとめくれて、その中にあるものが晒される。

 袋の中身は、ゆがみの魔物の本当の体。

 たくさんの人形が集まって一体の大きな魔物の体を作っている。

 なんとおぞましい!

 こいつが人形を盗んでいたのは、自分の体を大きくする、それ以外の理由はなかった。

 なんてことをしてくれた。魔物は人に見せたくないものを見られたショックで、みるみるうちに体がバラバラになっていく。


「あら、恥ずかしがりやなのねあなた」


 とクルミがからかうように言う。

 魔物の体がくずれていく、たくさんの人形が地面に落ちていく。

 魔物とクルミは人形が大好きな点では同じだが、趣味はちがったらしい。魔物の体になっていた人形は、どれも傷一つないきれいな人形だ。ツギハギなんてない。

 魔物がバラバラになっていなくなったと思っていたら、人形の山の中から小さな毛玉のようなものが飛び出し、どこかへ飛んでいこうとする。

 クルミの右腕がその毛玉をつかまえる。

 ゆがみの魔物の本体であることはお見通し。


「あなたのアイデア自体は面白いわ。たくさんのお人形で一体のお人形を作るなんてね」


 クルミの右腕が、クルミに毛玉を差し出すような手振りをする。


「でもだめね。あの見た目は人にウケそうにないわ」


 クルミが取り出した針で、毛玉をプスッと刺すと、毛玉――ゆがみの魔物は風船が割れるようにパーンとこっぱみじんに。

 人形泥棒はいなくなった。

 クルミは右腕を拾い上げ、よくやったわとほめながら手の甲をやさしくなでる。

 クルミが魔物の気を引いている間に、クルミの右腕が魔物の袋の糸をほつれさせるという作戦は大成功。

 クルミの右腕も、クルミをねぎらおうとほほを指でやさしくなでた。


 真っ昼間の広場。人がそこそこいる。太陽の光がこの場所を照らす。

 人形みたいな少女が、楽しげにベンチに座っている。クルミだ。

 野良猫とたわむれている。猫がクルミの右手をなめる。

 

「へえそうなの。ひとりでいるとき、この子と仲良くなった?」


 周りからすれば独り言にしか聞こえないことを、クルミは言う。


「じゃあ、あなたたち水入らずで楽しみなさいな」


 とクルミはなんのためらいもなく、右腕を外した。

 野良猫は怖がることなく、クルミの右腕とじゃれあう。

 あれからクルミは仕事をするとき以外は、なるべく右腕を自由にさせてあげることにした。

 クルミの右腕も言うなれば一つの人形。クルミは常に人形の味方である。


「あなたたちもたまには自由になっていいのよ?」


 とクルミは左腕と脚にも声を掛けるが、離れたがらない。

 右腕と比べてさびしがり屋らしい。


 ぎゃあああ


 悲鳴が上がった。

 悲鳴の主は何を見た? 当然、猫とたわむれるひとりでに動く右腕と、右腕のない少女だ。

 クルミは状況を察した。クルミの右腕も同じ。

 元どおりくっつけようと、クルミは針と糸で右腕を縫う。

 クルミはためいきをついた。


「腕も脚も全部くっついてないと、人の形をしているとみなしてくれないのね。面倒だわ」

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