サナはいじめたい

「私らにとって人間はペットのようなものだと言ってるやつがいたらしいが、私があいつらに愛情を抱いたことはない」

――あるゆがみの娘の語り



 わからない人にはとことんわからない話なのだが、人をいじめるのが大好きという人はこの世には結構いる。

 体に直接与える暴力も、心を傷つけるようなひどい言葉も、いじめるのが大好きな人にとってはこの上ないごほうびのつもりである。無論、誰にでもいいということではなく自分が好意を抱く人間に限る――というわけでもない。

 なぜいじめるのが好きになってしまうのか? 

 普通にいたわるよりも愛情を与えられるから?

 大好きと思わなければ、心がおかしくなってしまうから?

 でも人をいじめるのが大好きなんて、それこそ心がおかしいのではないか?

 少なくともこの世界では、いじめるのが大好きというのは心のゆがみとみなされているようである。



 その料理店は、ゆがみの娘のいる町一番のおいしい店。

 しかしその店を知っている人は少ない。

 控えめな性格の店主は、宣伝なんてしないし、派手な看板を掲げたりもしない。

 数は少ないが常連客はいる。

 その一人が今、店に来ているが困ったことにそいつは変質者。

 そんなに乗り気でない子供を、無理矢理店に連れてくるというはた迷惑なことをやってのけた。

 この子供は学校でいじめられ、それを知ったこの変質者に自分をいじめるように迫られた。

 子供はそれを拒み、代わりに自分ををいじめるやつにいじめられてくれと変質者に願った。

 変質者がそれをしぶしぶ受け入れ、変質者は一目散に店から出て行った。


「あんなのと付き合ってちゃダメよ」


 と美人の店主がポカンとする子供に、おっとりとした雰囲気とは裏腹に毒づいた口調で言う。


「ところで・・・私にも話を聞かせてくれる? その、あなたがいじめられているって話を」


 店主が続けて言った。

 さっきの変質者とはちがう優しい雰囲気に、子供はさっきまでのギャップもあってかとても安心した気分。


「私、あなたの力になれるかも」


 さっきの変質者とはちがい、この美人の店主の言うことは素直に信じることができる。

 だから子供は今まで自分が受けた仕打ちを包み隠さず自分から話す。



 今回は前もって言ってしまおう。

 美人の店主の名前はサナ。ゆがみの娘である。

 サナを生み出した心のゆがみとは、人をいじめるのが大好きな心。

 誰にそう伝えても、サナを一目見ただけではきっと信じられまい。

 サナはとてもおっとりとして見た目からして優しそうな雰囲気の、美しい女性。

 少女よりも女性と表現したほうがしっくりくる。

 エプロンがとても似合う。サナも自覚しているのか外出するときでもエプロンを外さない。

 見た目だけで判断すれば、とても人をいじめるような人には見えない。

 料理の腕は達人というか人を超えているといえる。実際、「人」ではないせいか。

 サナの料理に一度はまってしまった人間は、サナの料理以外の食べものがまずいとしか思えなくなる。

 昼食も夕食も毎日サナの店で食べる。朝は店が開いていないので食べない。

 サナの料理の腕前は、ランクをつければ間違いなくSランク。

 サナ自身も料理を作ることは好きで、人が自分の料理に舌鼓を打つことに悪い気はしない。

 だからこそ小さいながらも料理店を自ら開いているわけである。

 しかし、サナは人をいじめるのが大好きな心から生まれたゆがみの娘。

 サナは料理を人に食べさせるよりも、人をいじめることが大好きなはず。

 そんなそぶりは一切見せることなく、サナは子供の話に耳を傾ける。

 いじめをする子供たち、見て見ぬふりする教師、自分をいじめろと迫る変質者。

 サナは「がんばれ」「負けないで」などという励ましているようで、本人にとっては心無い言葉を浴びせることなく、ただただ子供の話を聞いてうなずくだけ。

 子供もそんなサナに安心して、一度は一生心にしまっておこうと決めた事実を全て吐き出すことができた。


「全部話してくれてありがとう」


 と満面の笑顔で言ってくれれば、変質者と関わるよりもずっと子供は救われる。

 サナは力になると言ったが、子供は自分の話を聞いてくれただけでも十分。

 しかし、サナは人をいじめるのが大好きな心から生まれたゆがみの娘。

 ただただ子供の話を聞いてうなずいていただけではすまさない。



 サナは控えめで受け身な性格だ。

 目立つことを嫌い、自分を売り込むようなことをしない。

 だからサナが人の家のポストに店の宣伝チラシを入れるなんて、とても珍しい。

 行きつけの食べもの屋の、サナが普段足を運ばない惣菜売り場によく通う人間に


「あら、最近よくお見かけしますわね」


 と自分から話しかけるなんて、非常に珍しい。

 数日かけて、一人暮らしで料理のできない人間と親しくなって


「実は私、ちょっとしたお料理屋を経営しておりまして・・・よろしければ一度足を運んでみてはくれませんか? もちろん気が向いたらでかまいません」


 と誘うなんて、極めて珍しい。

 その人間の家にチラシを送るだけでは意味がないと判断し、わざわざ一人の人間を店に招くのにこのような労力を割くなんて、とてつもなく珍しい。

 ある日の夜、サナの望みどおりその人間はひとり店にやってきた。

 満面の笑顔でサナはその人間を心から歓迎した。

 その人間が席について、メニューを開こうとしたところサナがその手を止めた。


「わがままと思われたら申し訳ないのですが、今日は私のおすすめのレパートリーでおもてなししたいのです」


 客の意思を無視して、自分が作りたいものを出すというのだからこれは相当おいしいものを食べさせてくれるのではないか。そう思うとその人間は、がぜん期待に胸を躍らせた。

 サナの提案は受け入れられ、ウキウキした様子でサナは料理に取りかかる。

 マッチでかまどに火をつけ、鍋とフライパン、包丁、そして食材の準備をする。


「できたてをぜひ召し上がっていただきたいので・・・少し時間がかかると思われますが、どうかご了承のほどを――このマッチ、一本だけで結構な火力を出せるから便利なんですよね」


 マッチには「PICO」なるブランド名らしい文字が書かれている。

 忘れられないように言っておこう。

 サナは人をいじめるのが大好きな心から生まれた、ゆがみの娘である。



 サナの作った豚の角煮。

 見た目からして他の店のものとは違う。安直な表現だが、まるで黄金色に輝いているよう。

 味も当然のごとく絶品。人間はあまりのおいしさに「うまい」という言葉すらでない。


「お気に召したでしょうか?」


 というサナの質問に対する答えはひとつしかない。


「料理はまだまだありますよ」


 と言って再び料理にとりかかるサナに期待しかない。

 サナの作った豚のしょうが焼き。

 これも見た目からして他の店のものよりおいしそう。実際、おいしい。

 千切りにしたキャベツも、きっといいものを使っている。

 人間は箸を持つ手を休めない。次から次へ、肉と野菜を口へ運ぶ。


「よく食べますね。食べっぷりのいい人には好感をもてます」


 食べているだけでほめられる。その人間には悪い気はしない。


「言ってはなんですが、普段あまりおいしいものを食べていないのでしょうか?」


 その人間は料理ができないのと、仕事が忙しいことをサナに語る。


「はあ、お仕事は何を?」


 その人間は明かした。自分の仕事は教師だと。


「おや、学校の先生さん。そうなのですか」


 サナがほほ笑みを見せる。すでに知っていたことだ。


「大変でしょうね。子供にものを教えたり、子供たちを上手くまとめたりするのは」


 世間話をしたがるサナに、教師は相槌を打ちつつ、豚のしょうが焼きを食べ続ける。

 今はしゃべるよりも、うまい料理を味わうことに口を使いたい。


「子供がいじめられたりしたら、当然、迷うことなく手を差し伸べて助けてあげるのでしょうね?」


 教師は動きを一瞬止めるも、また箸を持つ手を動かす。


「まさか、見てみぬふりをするような、そんなこと。聖職とよばれる学校の先生がそんなことをするわけがないですよね」


 教師が汗を流しだした。


「うーん・・・遠まわしな言い方はやめましょう。私あなたのこと、あなたが今までやってきたことをよく知っているんです。いや、むしろやらなかったことと言ったほうがいいかしら」


 この教師は勘がいい。箸を置いて店を出ようとした。

 その肩をつかまれた。


「まだ帰らないでくれません? 料理はまだ残ってるんです」


 教師はすでに身の危険を痛感している。

 自分の肩をつかむ、その手にこめられた力、尋常ではない。

 ぎりぎりとしめつけられる痛み、女性が簡単に出せるものではない。

 苦悶の声が出そうになる。

 キッチンから少し身を乗り出して、教師の肩をつかんだサナの腕をつかんで振りほどこうとした。

 すうと自分の手がサナの腕をすりぬけていった。


「自己紹介をするのを忘れていました。私はサナ。あなたたちの言葉を借りれば、ゆがみの娘です」


 教師はすっかり、体を震わせ汗だくだく。

 そんな人間をサナは優しく慰めるように


「さあ、残さず料理を食べてください。メニューはまだまだありますよ」


 と言って、教師の肩から手を離す。

 サナの表情も声も、優しげな雰囲気を崩していない。

 それでも勘のいい人間は、今のサナには恐怖を覚える。

 サナの言うとおりにすべきと思い、再び箸を手にとって豚のしょうが焼きを口に入れ始める。

 やっぱり、とてもおいしい。


「話の続きですが・・・先生というなら子供を守るためなら自分の身をかえりみないものだと思っていたのですが、決してそんなことはないと、ちまたでウワサになっていましてね・・・おや、お皿が空に。それでは新しい料理を」


 皿を下げて、サナは次の料理にとりかかる。

 今度の料理は、豚肉のソテー。

 やっぱりおいしそう。やっぱりおいしい。


「私、豚さんが大好きなんです。動物としても食べものとしても。だから今夜のメニューは全部、豚さんを使っていますよ」


 教師が疑問に思うであろうことを、サナは答えたつもりだ。

 当の教師は恐怖と、腹の重さでそれどころではない。


「それで、先生というのは生徒の生殺与奪の権をにぎるといいます。生かす殺すというのは、決して先生が直接生徒の命をどうこうするとかいう話じゃありませんよね? 学校の先生はなにがあっても子供の命を守らないといけないはずです。それを怠れば、子供の命が失われることもありうる。そんなことはあってはいけない、だから先生は子供を命を賭してでも守る。そういう存在なんですよね? ねえ、先生?」


 教師の体は震えっぱなし。


「ほらお箸を止めないで。よく食べて、よく味わってください。まずいならまずいとはっきり言ってくださいね。私、怒りませんから」


 まずいわけがない。一度口に入れれば、箸を持つ手は止まらない。


「でも世の中には、生徒がよってたかって殴られているのを無視したり、あからさまに侮辱されているのを見てみぬふりする先生の風上にもおけないような人がいるらしいんです。とても残念です。そんな人が子供の手本になるわけがない。なのに、えらそうに鞭をにぎって子供の手本になろうとする。おこがましいことに」


 教師は食べることのみに集中したがっている。


「あなたのことですよ」


 食べるのが止まる。


「お箸を止めないで」


 再び食べ始める。


「どうしてそうやって子供を見殺しにするようなことができるんでしょう?――質問してるんですよ」


 教師は何とか、言葉をひねりだした。

 先生が出てくるほどのことじゃないと思った。


「本当のことを言ってください。私、怒ってはいませんので」


 箸を持つ手が止まる。


「お箸を止めないで」


 食べ始める。


「間違えました。質問に答えてください」


 箸をとめる。サナの質問にどう答えるべきか考える。

 言われたとおり、本当のことを言う。

 体を震わせながら答えた。

 いじめをするような子供は怖いと。

 自分も痛い目にあうのではと思うと怖いと。


「フフフフ、フフフフフ・・・」


 サナが声を出して笑い出した。


「あなたは子供を導くのに値しない人ですが、笑いのセンスはおありのようで。暴力を振るう子供が怖い。先生のくせに。子供が傷つくより自分が傷つくほうが怖い。先生のくせに。子供に痛い目にあわされるのが怖い。大人のくせに。――新しい料理を出しましょう」


 もう腹いっぱいの教師を尻目に、皿を下げてサナはまた料理を作る。

 とんかつ。

 もはや言うまでもなく、この上なくおいしい。


「学校の先生というのは、自分の身を守ることしか考えない人でもなれるものなんですね。ちょっと子供よりもものをたくさん知っていれば十分と、そうですよね。そんな大人を見て子供がどんなふうに育つか、あなたは自分を守ることしか興味がないから、そんなこと考える頭を持っていないんですね。だから子供が苦しんでいても気づかない。いや、気づいても気づかないふりしかできない。あなたはそんな人なんです」


 教師は――何を思ったのか?

 そばにあった水の入ったコップをサナに投げつけた。

 カッとなったゆえの行動だった。

 コップはサナをすり抜けて、キッチンの壁に当たってガシャンと割れた。

 ガラスの破片がキッチンに飛び散る。

 壁に張りついた水が、したたり落ちてキッチンの台までつたっていく。

 教師は自分が人生最大の間違いをしたのではと、おののき出す。

 サナは一切、ほほ笑みを崩していない。


「新しい料理を」


 何事もなかったかのように、かまどの方を振り向いた。

 教師の体から力が全て抜けた。

 次の料理は、肉じゃが。豚肉を使っている。

 とてもおいしそう。

 でも、教師の腹はもはや限界。

 手が箸を持とうとしない。

 ふと教師は顔を上げてサナを見る。

 サナはとてもいい笑顔だ。

 何も言わず、首を傾けた。

 教師は、箸を持って勢いよく肉じゃがにがっついた。


「豚さんってとてもエライですよね」


 唐突な話をしだすも、教師は手を止めない。


「ひたすら食べて食べて、よーく自分の体を太らせた末に、人に食べられてその命を終えてしまいます。豚さんは食べられることで、自分の命をもって、人の命を守ってくれてるんです。だってそうでしょう? 食べることは生きものには必要不可欠。人は、他の生きものを食べてその命をつなごうとします。考えてみれば勝手なことです。でも豚さんはそんな人間の命を、自分の命を捧げてまで、つないでくれるんです。豚さんって本当にエライです。私にはとても豚さんのようなことはできません」


 それは決して豚の意志ではないとつっこむ勇気は、教師にはない。


「あなたも決して豚さんのようにはなれませんね」


 豚と比べられることに怒る勇気は、教師にはない。


「自分よりも小さい子供に傷つけられるのを怖がり、苦しんでる子供に手を差し伸べることもできないあなたには、決して豚さんのようにはなれません。でも私、あなたに自分を変えて欲しいとは思っていません。むしろ変える必要なんてありません。自分を守ることしかできないなら、そのまま自分だけを守って生きていればいいんです。学校の先生なんてやめてしまえばいいんです。子供の将来なんて、あなたが考えなくてもいいことなんです」


 教師はもはや、サナの声とサナの料理の味しか感じない。


「さあ、もっと食べてください。豚さんのように人の役には立てなくても、豚さんのようにひたすら食べることはあなたにだってできるでしょう? 人のために、子供のためを思って生きる必要なんてないんです。おいしいものだけを食べて、自分だけを満足させるように生きていたっていいんです。私はあなたにいくらでもおいしい料理を食べさせてあげますよ。さあ、もっと食べてください。あなたにはそれしかできないんですから。さあ、さあ、さあ・・・・・」




 サナは人をいじめるのが大好きな心から生まれた、ゆがみの娘。

 子供から話を聞いて、決して正義の味方になろうとしたわけではない。

 ただ、学校の先生という、いわば強い立場にいながら自分のことで精一杯の人間を、徹底的にいじめてやるのが楽しくてたまらないだけ。

 楽しい思いをするなら、普段は受け身な性格であっても、ターゲットの家を調べたり、行きつけの店を調べて跡をつけたり、宣伝チラシを作るぐらいの手間はかける。

 料理だって手間をかけるほど、おいしくなる。

 サナの料理を食べるぐらいしか楽しみのない、常連客が増えたこともサナにとっては得である。

 教師が一人仕事場に来なくなり、ただでさえ人材不足で苦しいのにさらに数が減るのかと頭を抱える学校には大損である。

 変質者の横暴。

 教師の人材不足。

 この町の教育機関が抱える問題の根は深い。



「なあ~、サナよお」


「なあに?」


「どうしてあんたは俺をいじめてくれないんだ?」


「なんで私があなたをいじめないといけないの?」


「俺はいじめられるのが大好きで、あんたはいじめるのが大好きだからだよ! だのに、なんで俺のことをいじめてくれないのさ!」


「面白くないから」


「なにが?」


「いじめられたい子をいじめたって、なんの面白みもないわ」


「ああーっもう! あんたもこの町のガキどもと思考回路は同じなのか! 自分が満足することしか考えてねえのかよ! コミュニケーションを知らないやつばっかりか世の中!」


「あなただって、いじめるのが嫌いな子供に無理矢理いじめろって迫ったりしたでしょうに」


「あんたが俺をいじめてくれないから、そんな面倒くさいことやらなきゃいけなくなるんだよ! ああクソ・・・世の中わからんぜ・・・」


「でも私思うことがあるの」


「なんだよ」


「いじめられたい子を、かたくなにいじめないのはある種、その子をいじめてることになるんじゃないかって。そう考えるとあなたは私にいじめられないことを、むしろそんないじめ方をするなんてと喜ぶべきじゃないかって」


「それはちがうな。そんなもんは単なる無視だ。無関心だ。放置だ。人が受ける仕打ちの中でも最悪なものだ。俺はそんなのNGだ」


「ふうん。でもその考えは私も同じね」


「わかってて俺に対してこの仕打ちなんだから、あんた、タチ悪いぜ・・・・・・」


「それはそうよ。私、人をいじめるの大好きだから――あら、いらっしゃい。いつもどおり来てくれましたね。さあ、今日もひたすら食べてもらいましょう。あなたにはそれしかできないんですから」

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