アコースティックトラブル

 コワネは超をつけても全くさわりのない、大人気シンガーソングライター。

 ジトッとした目はちょっと近寄りがたい雰囲気をかもし、やけに鋭い髪は一か所だけピョコンと角のように飛び出している。耳が三つあるだなんて、アホらしいカン違いをしてはいけない。

 たくさんの楽器(ギター、ベース、ドラム、ピアノ、バイオリン、シンバル、カスタネット、リコーダー、シャミセン...エトセトラエトセトラ)を一人で同時に手も口もつかわず華麗に奏で、とどめと言わんばかりにコワネ自身のまさしく美しい歌声で町の人たちの心はもうクラクラ。

 今日のライブも大盛り上がり。観客はスタンディングオベーション。

 新曲も大好評で、会場は歓声があふれ拍手が鳴りやまない。

 ステージの上で、コワネは酔いしれる。目はジトッとしたままだけど、コワネはとてもうっとりしてる。

 自分の歌に? それは全くの誤解。

 キャーキャーワーワーという人々の黄色い声、パチパチと鳴りひびく人間の拍手の音。

 自分が作った歌なんかより、コワネは人間たちが出す音のほうがとっても大好き。コワネが歌うのはそんな人間たちの音を聞きたいから、理由はそれ一つだけ。

 わからない人もいると思うので言っておくと、コワネは人間ではない。

 音に惹かれ、音を愛し、音しか愛せない少女の姿をした人ではないもの、心のゆがみが生んだもの。


 

 コワネは何より音が好き。

 楽器の音色より、人間たちが何気なく出す音が一番好き。

 だれかの家の壁にペタッと張り付いて、中から聞こえるカチャカチャとかドタドタなんて音を全身で聞くのも好き。もの足りないときは、だれかの家の屋根裏やクローゼットの中に入り込んで音を聞く。

 でもだれかにバレてぎゃあという悲鳴を上げられるのは、コワネにとっても困りもの。やっぱり家の外にいる人間たちの音を聞こう。

 外にいる人間たちの出す音。

 ガヤガヤとなにかしゃべってる声。

 スタスタと歩く足音。

 石畳の道にピタッと張り付いて音を聞くコワネ。

 なにかもの足りない。コワネの目のジト目具合が強くなる。

 音の質は悪くない。問題はなに? そうだ量だ。もっと大きな音がほしい。

 音量を上げさせるにはどうすべき? 答えは簡単、人間をもっと外に出せばいい。

 人間を外に出すにはどうするか? 答えはもっと簡単、人間が外に出たくなるような音を奏でればいい! コワネはいつもそうしてきた。


 もったいないよ 家でゴロゴロなんて 外のがもっと広いのに

 本なんか片づけて ソファーから立ち上がって 玄関のドアをくぐって

 石畳を踏みしめて 日の光に身をさらそう 準備なんかいらない


「外は人でごった返してるのに図書館に私一人しかいないのは、そういうシーズンだからか?」


 指一本で人を殺せる力を持ったヒーローが活躍する漫画を読む、灰色の髪の少女のつぶやき。



 コワネは何より音が好き。

 自分の歌声よりも、人間たちの何気ない声が一番好き。

 笑い声もいいけれど、今のコワネのトレンドは?

 シクシク グスングスン サメザメ


 そう泣き声! 怒ってる声もいいけど、今は泣いてる声が好き!

 人間たちの涙を流してむせび泣くその声も、コワネをとってもうっとりさせる。

 でも泣き声を聞くのが、どうも上手くいかない。

 うわーんと泣く子供の前に、いきなり耳をすませて泣き声を聞くのに集中するコワネが現れれば、子供はピタッと泣き止んでしまう。

 泣き声がたくさん聞こえる場所どこかと考えた結果、知らない人のお葬式にこっそりまぎれようとすれば、黒いフードをすっぽりかぶった葬儀屋に見つかり、


 「死したる人を思う気のない人にはお引き取り願おう。ただでさえお葬式で泣かれるのは不本意だというのに」


 と土をかけられて追い出される。

 困ったものだ。このそこそこ広い町の中から泣いている人を探すなんて、骨が折れるにもほどがあるというのに。

 いや待て、もっと簡単な方法がある。コワネならできる方法がある。

 人間が涙を流したくなる音を奏でる。どんなときでも泣きたくなる歌を歌う。

 これぞシンガーソングライターの真骨頂。

 

 よく聞いて よく見て

 君のそばの人の 言うこと やること

 その心を感じて その人の君を思う心を

 君の心 熱くなる 心ゆれ動く

 涙が出るのは 悲しいときだけじゃない

 ためらわないで どんなときでも どんなことでも 

 涙をこらえなくていいよ


「ギャグかましたら笑われんと感動されて泣かれるってどないなっとんねん」


 ストリートお笑いライブで日銭を稼ぐ、おかっぱ頭のコメディエンヌのつぶやき。



 コワネは何より音が好き。

 サクサク ポリポリ シャクシャク

 人間が何か食べてる音も大好き。今はお菓子を食べる音がトレンド。

 外だろうと家の中だろうと、人間がお菓子の袋を開けば、その近くにはコワネが聞き耳をたてて潜んでいる。

 もっとあのサクサクとかポリポリとかいう音を聞きたい。もっと人間にお菓子を食べてほしい。

 新しいお菓子が売り出されるという話が耳に入った。じゃあコワネのやること一つだけ。


 シン! ハツ! バイ!

 甘さとろける 食感もサクサクサイコー

 イ! マ! スグ!

 お店に走って その味を口に放りこめ


「お菓子がブームになったら町中にお菓子の袋のゴミがあふれるって、ホントこの町はアホンダラばっかりね」


 自分のサインの入った大きなかごを背負って、同じくサイン入りの火ばさみでゴミ拾いをする王冠を頭に着けたエラそうな少女のつぶやき。

 

 

 コワネは何より音が好き。

 人間の出す音が好き。出してると自覚してない音ほど、コワネは好きでたまらない。

 フウフウ スーハー ハアハア ゼエゼエ

 人間が息をする音がコワネは大好き。

 ドキドキ ドクドク ドクンドクン

 人間の心臓が鼓動する音がコワネは大好き。

 ランクをつけたらこの二つの音が同点一位になるぐらい、コワネはこの音が大好き。

 コワネは人間の音が好き。生きている人間の音が好き。だから人間の命を感じ取れる音が一番好き。

 だからコワネは許せない。人間の命を奪うやつが許せない。

 人間が死んだら息する音も心臓の音も聞こえなくなる。当たり前。

 人間が死ぬのは防げない。当たり前。コワネもよくわかってる。

 でも人間を殺して息の根を止め、心臓を止めてしまうのは許せないし、防げるはず。

 この町にあふれる、人間の息する音と心臓の音が無駄に聞こえなくなることがないようにコワネがすべきことはなにか。聞くまでもない。

 コワネは音を奏で、歌声を風に運ばせる。


 よく聞いて ステキだよ

 みんなが奏でられる音 みんなの命そのもの

 耳を当てれば なんてとても心地よい

 息吹き 脈うち どんな音にもまさる

 命の音を 止めないで

 誰ひとり 同じ音のない 世界で一つだけの音

 奪わないで 殺さないで 殺しあわないで

 たったひとつ 二度と コピーできない音を


「人殺しは良くないって歌が流行ってるけど、人を殺すと決心してる人の耳には入らない」


 殺人犯を探し出してやるべきことをやった後、刀を手にたたずむ白い髪の少女のつぶやき。



 住宅街の中の小さい公園。子供たちは思いのまま、好きに遊ぶ。

 おかしなものがある。大きめの木の箱が、底の部分を空に向けて、公園の隅のほうにぽつんと置かれている。

 一人の子供がその箱に目をつけた。箱まで近づき、よく目をこらして見てみる。

 何のヘンテツもない箱だ。だからこそなんでこんなところにあるのかわからない。

 好奇心に負けて子供は、箱を手に取り持ち上げる。そして目に映ったものにギョッとする。

 コワネだ。

 真冬の猫のように丸まっているコワネが箱の中に潜んでいた。

 子供はびっくりしてうろたえている。一方コワネは一瞬、息を呑んで口を手でふさいだりはしたものの、声を漏らすことはなく手を伸ばして子供から箱を返してもらう。

 もう一度箱をかぶると、コワネはそのまま子供の目の入らない茂みの中まで這って動く。

 箱に隠れて動くバケモノが公園にいると叫べば、この町ではみんな信用する。でも子供は何が起きてるのか、理解できず変なやつがいると思うぐらいで済ますのだった。

 真っ暗な箱の中。焦ったコワネだったが、もう心配はいらないだろうとコワネは一息つく。

 脚を曲げないと収まらない箱の中で、コワネは土にピタッと耳を当てる。

 音が聞こえる。子供たちの遊ぶ音。公園の近くの家の中の音までコワネにはよく聞こえる。

 その音を楽しむ。今のコワネはそれ以外のことはしたくない。


「こんなものに隠れて何やってんのよ」


 また箱が浮いて、コワネは日の光にさらされた。


「ひっ!」


 とコワネは声を出した。

 出してしまった。

 嫌いな音でランクをつけたらダントツで一位になる音を出してしまった。


「ホント、ちょっとした声でもダメなのね」


 地面におでこをつけてふさぎこむコワネを見て、木の箱を持ち上げているエーコが呆れるように言った。コワネがなぜふさぎこんでいるかを聞こうとしない。理由はすでに知っている。

 コワネは自分の声が嫌い。

 歌声は自信があるからいい。でも地声なんて聞きたくないし出したくもない。

 「うわ」とか「ひい」とか「あ」とかとても短い声でも、ちょっとコワネののどから出たら最後、道端でも人目をはばかることなくひれ伏して落ち込んでしまう。

 

「ねえ、うなだれてないで私と目合わせなさいよ」


 エーコはコワネの肩をゆする。コワネを気づかう気持ちはかけらもない。

 コワネはゆっくりと顔を上げた。その表情に流石のエーコもたじろいだ。

 ただでさえジトッとしてるコワネの目が、さらにどんよりしている。

 この世のすべてがいやになって、むしろ怖いものがなくなってどんなことでもできそうな目だ。例えば自分で自分を傷つけるとか。


「そうとう落ち込んでるみたいね」


 エーコに言われても、コワネは目をどんよりさせるだけ。


「歌う気にもなれない?」


 コワネはうなずいた。自分の地声が嫌いなコワネは、普段会話するときでも歌で話す。

 でもいまは、歌声を出せるコンディションじゃない。


「人殺しはダメっていう歌を町中に聞かせたその日に、殺人事件が二件も起こったってのはそんなにショックなの?」


 聞かなくても相手を見ればわかるような質問をするとは、人の気持ちを思いやることができないにも程がある。

 コワネは目をどんよりしたまま何も言おうとしない。エーコの言ったことが事実である以上、返す言葉がない。


「アンタの歌の力はかなりのものよ。歌を聞いただけで外に飛び出したり、どんなことにも感動して泣くようになったり、新発売のお菓子に飛びついたり。でも、アンタ前に私に言ったじゃない?  いい歌はみんながキョウカンするような内容だって。とはいえ正直な話、どんないい歌でもこの世のすべての人がキョウカンするってことはないでしょ? 人を殺したくてたまらないやつにいくら人殺しは良くないって歌を聞かせたってキョウカンすることはないのよ。そんな簡単に人殺しを止められたら、この町は何の問題もない誰も傷つけあわない平和のショウチョウのような場所になってるわ」


 なぐさめのつもりなのか――いやきっとエーコにそんなつもりはない。


「アンタが歌おうが歌わなおうが、殺人犯ってのは必ず現れるものなのよ。その犯人のドウキも知るかそんなことって言いたくなるぐらいの個人的な恨みだったみたいだし。その犯人も殺されてしまったわ白い髪の人斬りにね。納得できない話だけど」


 コワネは元気を取り戻そうとしない。エーコの言葉をなぐさめだとは、全く思っていない。

 ただ地面にへたり込んだまま、じっとエーコの顔をどんよりした目で見つめている。

 言いたいことがあるけど、声を出す気になれない。


「これ使う?」


 しぶしぶという感じでエーコが差し出したのは、ペンとメモ帳だ。

 コワネは受け取り、メモ帳を開く。


 エーコはいちばんエーコはいちばんエーコはいちばん

 エーコはいちばんエーコはいちばんエーコはいちばん


「これはもういっぱいだったわ」


 最初から最後まで同じ文ばかり書かれてるメモ帳をコワネから取り上げ、エーコはもう一冊のメモ帳をコワネに手渡した。

 それにも真ん中あたりまでは、エーコはいちばんとずらっと書き並べられていた。

 まだ白紙のページに、コワネは文字を書き連ねる。


 ショックなのは 人殺しを止められなかったってだけじゃない

 あの日起こったもう一つの事件 犯人が言っていたらしい

 普段気にならないはずの音 私の歌のせいで耳から離れなくなった

 息をする音 心臓の動く音 聞きたくもないのに聞こえてしまう

 だから人を殺したと

 

「ああ、そっちの事件の話? 私も聞いたわ。ゼーゼーとかドクンドクンとかいう音に耐えられなくて人を殺したって犯人が言ってたって。もしかして・・・アンタの歌がこの事件のきっかけになったと思ってるからそんなにショック受けてるわけ?」


 コワネはうなずいた。


「この犯人、周りからはまじめでおとなしいって評判だったけどその心の中には誰かを殺したいっていう気持ちをずっと抱いていたんだって。コンキョはこいつを殺したやつからの話よ。私たちと同じで人の心を感じ取れるやつだから間違いはないでしょ」


 話を聞いた後、その灰色の髪の少女を捕まえようとしたら、偶然にも石畳が剥げてる部分に足を引っかけて、取り逃がしたというのは別にどうでもいい話である。


「・・・事実を言えばこいつはベンゴしようのない殺人犯よ。音がうるさいかったから、そんなことで人殺しをセイトウカできると思ってるような知性も理性も欠けてるやつよ。こんなヤカラのやることに、いちいちショック受ける必要性なんてこれっぽちもないわ」


 言葉の内容だけを見れば、エーコがコワネをはげまそうとしているのは確からしいが、いかんせん言い方に問題が多すぎる。

 当然の話、コワネに元気を取り戻す気配はない。


「ねえアンタ、このまま落ち込んだままでいいって本気で思ってるの? まさかもう二度と歌いたくないとか言い出すつもりじゃないわよね?」


 コワネがペンを走らせた。


 私の歌が 人の心を乱すなら 歌なんてもういらない

 元々 音を奏でるより 音を聞くほうが好きだから

 これからは 聞くだけでいても 別にかまわない


「ダメよ!」


 エーコの大声に、コワネは一瞬目をむくが、すぐにどんよりした目に戻った。


「アンタの歌は確かに影響力が強すぎてトラブルを招くかもしれないわ。でもその力自体はたやすく捨ててはいけないザイサンよ! 力というものは常に正しい道のために使われるべき、そうこの町を守ることにね」


 コワネの歌で町の平和を守る。その言葉自体はコワネをひきつけ、立ち上がらせるのに十分な力がある。


「ふふん、興味が沸いた? そうよアンタの歌でこの町にアンネイとチツジョをもたらす。アンタはそういう力を持ってるし、私はアンタの力の使い方をよくわかってる」


 大胆不敵そうな笑みを浮かべるエーコを、本来ならうさん臭いと思うべきなのだが今のコワネにはそう思えない。


「♪教えて 私の力 私の声の使い方」


 と歌声を出せるようになるぐらい心は奮い立っている。

 

 

「ええ教えてあげるわ。簡単な話よ、歌を歌えばいいの。この町にチツジョと平和をもたらす歌。この町に法の支配があるべきとみんながわかってくれるようになる歌、すなわち、このエーコこそが町の支配者であるということを歌にするのよ!」


 エーコがコワネを励ますようなことをしていたのは、このためか!

 エーコがこの町を支配すべきと歌にしたところで、人の共感を得られると本気でそう思っているのか!

 

「♪私の歌をナメるなァ!!!」


 コワネが激怒して、公園にいる子供たち全員をひっくり返すぐらいの特大ボリュームな歌声を出したのは全くの道理にかなった行動である! 一番近くで聞いたエーコは、空中で三回転ぐらいした。


「♪歌はケンリョクの道具になってはいけない!! アーティストがケンリョクシャだのシハイシャだのの味方になってはいけない!! 弱ってるところにつけ込んで私を道具にしようとしても そうはさせない!!!」


 コワネの周りにいる人々は耳をふさがずにはいられない。エーコに至っては、コワネの心の底からのシャウトで完全に意識が飛んでいる。

 それを察したのか、単に冷静さを取り戻しただけか、コワネは声のボリュームを落とした。


「♪でも感謝したいね キミはなにもわかってないけど 私の歌で町を守る その言葉だけは 歌う気持ち取り戻してくれたよ 私は歌う でも私の好きなように歌う 誰の指図も受けない」


 エーコも意識を取り戻せたが、コワネの歌はほとんど聞き取れなかった。

 コワネが自分の思い通りにならないことだけは理解できたが。


「♪これからの私は ただ自分だけ音を楽しむだけじゃなく もっとこの町のみんなのためを思って歌うよ アリガトウ」


 地面にあおむけに寝そべるエーコに、コワネはウインクを送った。目はジトッとしたままだがとても輝いている。

 スキップしているような足取りで、鼻歌を歌いながら、エーコをほったらかしにしてコワネは去っていった。隠れていた木の箱も公園に置きっぱなしだ。

 コワネは元気を取り戻した。ある意味、エーコのおかげと言ってもいいだろう。「ある意味」という言葉を欠かしてはいけない。

 エーコは上半身を少しだけ起こした。まだ頭はフラフラしている。漫画なら頭の周りに星が飛び回っている。


「まあゴラクは町の発展に必要なものだから好きにやってほしいわ。できればもっと自分の歌の影響力を考えてほしいけど」

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