第10話 夕食会

「いらっしゃい。迷わなかったかい?」

「ええ。地図をもらってたから、大丈夫だったわ。あの……」


 ジェシカの来訪に心を弾ませるハンスとは対照的に、ジェシカの表情は固い。


(今からのことに不安を感じて?)


「こんにちは」


 ジェシカの後ろにいるセシルのほうが、よほど物怖じせず堂々としている。


「……みすぼらしい格好で来てしまってごめんなさい」

「格好?」


 ジェシカとセシルの服装に目をやる。

 ジェシカは頬を赤くした。


「でも、私がセシルの入学式で着ていた服は借り物で、どうしても汚したくなくて。セシルの制服も、これから長く着るものだし……」


(何だ、そんなこと)


 と思ったが、ジェシカの恥ずかしそうな様子から、ジェシカにとっては、“そんなこと”ではないと分かる。


 研究所に勤めていると、どうも服装になど頓着しない者に囲まれがちでいけない。

 ハンス自身も着るものに興味が薄く、一応TPOを考慮した服装を心がけているが、他人が着ているものまでは注目したことがない。


 けれど、ジェシカはハンスとは違う。

 学校に上がる年齢の子どもがいるとはいえ、まだ若い女性なのだ。


「……こんな立派なお宅だなんて」


 ハンスの住まいは官舎であり、それほど立派でもないはずだが、ジェシカの住む下宿と比べると豪邸のように見えるのだろう。

 それで気後れしてしまったのか。


 探偵からの調査書を受け取ったあと、一度だけジェシカの暮らす下宿を見に行ったことがある。

 若い女性と子どもだけで暮らすには何とも心配になるボロさだった。

 すぐにでもここに転居させたくなったほどだ。

 あの下宿に住んでいて、立派な衣服をもっているとしたら、そっちほうが違和感がある。


(しかし、それでいくと、ジェシカとセシルの服装はTPOをわきまえていない、ということになってしまうのか。だから気にして……)


 着古された感はあるが、清潔にしているようだし、気にする必要はないのに。


 でも、と考える。


(いずれ、この家の住人にぴったりの服を何着だって買ってあげよう)


「服装のことは何も気にしなくていいんだけど、それならレストランでなくて、僕の家に招待しておいてよかったかな?」

「それは、本当にそうだわ」

「食事も僕の作った家庭料理だから、かしこまる必要はないしね」

「ハンスが? あなた、料理をするの?」

「カレッジ時代に覚えたんだ。寮でよく自炊してたよ」

「寮で。そうなのね」


(どうにか持ち直せたな)


 その流れのまま、ダイニングルームへとふたりを案内する。


「わあ、ごちそうだ!」


 セシルはテーブルの上を見て、目を輝かせた。

 

「どうぞ座って」


 ハンスはセシルのために椅子を引いてやる。

 セシルの次はジェシカにも。

 そうしてから、最後に自らはジェシカに対して90度の位置に座る。

 このあとの重要な会話を円滑に進めるためだ。


 果実水と食前酒のボトルを見せながら訊く。


「僕がサーブしても構わない? セシルくんは苦手なものはある?」

「好き嫌いはありません」


 そう言いつつも、視線は若鶏の香草焼きに釘付けだ。

 そこで、まずは若鶏を切り分けることにした。

 それからパンとサラダを取り分け、ベーコンと根菜のシチューをよそう。


「乾杯しようか」


 食事会をスタートさせると、セシルは一生懸命に食べ始めた。


「おかわりは自由にどうぞ」

「はい、ありがとうございます!」

「セシル、ゆっくりね。よく噛んで食べて」

「ふあい」


 ジェシカもセシルのことを気にかけながら、サラダを食べ、ついにシチューを口に含んだ。

 目を丸くする。


「これ、大好きだった学食のシチューにそっくり!」


 ハンスは、やった! と思った。


「だろう? カレッジ時代、魔法学校の学食メニューが恋しくて、祖父から食堂の料理長に作り方を聞いてもらったんだ」

「身内特権ね」

「はじめて祖父が校長でよかったと思ったよ。家庭でも作りやすいように少しアレンジしてくれたらしいんだけど、味はほとんど変わってないよね?」

「そうね。懐かしい味だわ」


 目を閉じて味わい、しみじみと言う。

 食べ物で自分といるメリットを感じさせられるのは、どうやらセシルだけではなかったようだ。

 ハンスはそっとほくそ笑む。


「ほかにどんなメニューが好きだった?」

「ミートボールのトマト煮込みや、羊肉とじゃがいものシチューかなあ」


 祖父経由で料理長からは、いろいろなレシピをもらった。

 その中に、確か両方ともあったはずだ。


(次はそれを作ろう)


「ハンスは何が好きだった?」

「僕は、がっつり肉って感じの料理がうれしかったよ。チキンソテーとかね」


 微笑みながら、若鶏に夢中のセシルに視線やる。

 『今のセシルくんと同じように』と言いかけたが、せっかくいい雰囲気なのだ。

 それは控えることにする。

 急いてしまって事を仕損じることになってはいけない。


「そうなのね。食堂で一緒に食べることはなかったから知らなかった」

「僕ら、もっぱら図書館で会ってたからね」

「と、ところで、校長先生はお元気?」

「元気だよ。先月定年退職したんだけど、今も教育関係の会合にしょっちゅう駆り出されてるらしい。ようやく夫婦でゆっくりできると思ってた祖母は、アテが外れてがっかりしてる」

「相変わらずお忙しいのね。そういえば、ハンスが今日魔法学校の入学式にいたのはどうして? 教師に転職したの?」


 ハンスは先ほどから自身が質問攻めにされていることに気がついていたが、ひとつひとつ丁寧に答える。


(意図的に、自分とセシルの話題にいかないようにしてるんだな)


 分かっていても、あえて指摘はしない。

 こちらは探偵に依頼してジェシカの現在の状況はおおむね把握しているのだ。

 公平に、自分のことを教えるのもいいと思った。


 セシルが無言で食べ続けていたため、たっぷり質問に答える時間ができた。

 そうして、ジェシカが今のハンスのことをほぼほぼ把握できたとき──


「もうお腹いっぱいです。ごちそうさまでした!」


 セシルはとてもいい笑顔で、そう宣言した。

 そうして、期待に満ちた顔で要望してきた。


「魔法書がたくさんあるっていう部屋に連れていってください」


(それであれほど一心不乱に食べていたのか)


 ハンスは噴き出しそうになる。

 ああ自分の子だ、と思った。


 一方で、素直に要望を伝えられるところは自分とは違う。

 しっかり愛情を注がれて育てられた結果、気持ちを表せる子になったのだろう。

 母子家庭で生活に余裕がなくとも、子どもを真っ直ぐに育てたジェシカに感心する。


(そういえば、ジェシカは魔法学校の教師になりたがっていたな。それも初等部の)


 将来の夢を語ってくれた当時のジェシカは、もちろん今のように生活に疲れてなどいなくて、希望に満ち満ちていた。


 しかし、ジェシカの夢は叶わなかった。

 その張本人はハンスである。

 そのことを思い、胸が痛んだ──



 ハンスは、首都フィラストンで魔法省の官僚をしている両親から生まれた。

 まだハンスが幼かったうちは、母親は仕事をセーブし、子育てもしていた。

 が、ハンスが魔法学校を受験できる年齢に達すると、ヨルデン州にいる父方の祖父母の元にハンスを預け、また仕事漬けの生活に戻っていった。

 それ以来、誰かに言われたわけでもないのに、自分は両親に捨てられたのだという思いを抱き続けてきた。


 ハンスには、祖父が校長を務める魔法学校へ入学する以外の選択肢は与えられなかった。

 コネを使わない入学試験を受けての正規ルートではあったが、ハンスに不合格となる可能性など万にひとつもなく、すんなりと入学が決まった。

 当然ながら、各学年に1クラスだけ設けられた選抜科に。


 祖父は優しかったが、家にいるときも一線を引かれていたように思う。

 校長と生徒の関係が完全に崩れることはなかった。

 祖母からも、祖父の体面を傷つけることがないようにと躾けられた。


 祖父母からも捨てられたら、自分にはもう行き先がないという気持ちが常にあった。

 それは一種の強迫観念。


 だから、学校でも家でも優等生らしく振る舞った。

 勉強についてはそれほど嫌いではなかったし、楽々学年トップの成績を収められたのでよかった。 

 それよりも、自分の気持ちを隠して、祖父母や教師たちの望む通りに振る舞うことのほうがツラかった。

 ハンスとて、ただの子どもだったのだ。


 家でも学校でも気を張っていたハンスが唯一気を抜けた場所──

 それが学校の図書館だった。


 こじんまりとしていたが蔵書が揃っていて、今振り返ってみても、学校の施設としてはなかなかのものだったと思う。

 祖父も『ヨルデン州立魔法学校内で最も誇れる場所』だと称していた。


 初等部までは、授業と昼休みしか利用が許されていなかったが、中等部に上がって以降は放課後に入り浸ることだってできた。

 にも拘らず、授業以外で利用しようという生徒が少なかったのは、教室棟から離れていたせいだろう。


 放課後わざわざそこまで足を運ぶ生徒たちは、静かに過ごすことを好む傾向にあった。

 本を読むために来ているのだから当然といえば当然なのだが、本に夢中で、ほかの生徒に対して興味が薄い者も多かったように思う。

 なんにせよ、校長の孫であり、どの教師からも一目置かれているハンスとも、無理に仲よくなろうとしないで、ほどよい距離感を保ってくれるのが有り難かった。


 居心地がよかった。

 それと、教科書に沿って進む簡単で単調な授業とは違い、自由に本を選んで知識を吸収するのは純粋に楽しかった。

 毎日は無理だったが、可能な限りは放課後を図書館で過ごすようになった。


 ジェシカと知り合ったのも放課後の図書館だった。

 選抜科に所属していたハンスだったが、一般科のジェシカのことも顔と名前程度は以前から知っていた。

 選抜科の間でも、”可愛い子“と認識されていた。


 思春期に差しかかった頃から、男子たちはあの手この手で友達になろうとしていた。

 そうして友達になることに成功した者たちは何人もいた。

 が、友達止まり。

 それ以上の関係に進めた話は一度も聞かなかった。

 

 ハンスも、廊下ですれ違う度に、ジェシカの醸す雰囲気が気になっていた。

 ふんわりと柔らかく、透明感があった。

 それでいて、凛と歩く姿は、可愛いというより綺麗だと思っていた。


 いつしか、機会があれば話をしてみたいと考えるようになっていた。

 今思い返してみると、すでに惹かれていたのかもしれない。


 だから、図書館で課題に悩んでいたジェシカを見かけたとき、チャンスだと思った。

 迷惑がられるかもしれないという心配が頭をよぎりはしたが、迷わず声をかけた──

 

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