第9話 作戦
(狼狽えてるなあ)
それも盛大に。
ハンスは、自分によるサプライズの結果に満足する。
悪趣味だろうか。
(でも、突如いなくなって僕のことを哀しませた君より、突如現れて驚かせる僕のほうが、よほどマシなはずだよ)
「ママ?」
様子のおかしいジェシカに気遣いの眼差しを向けるのは、ハンスに目元がそっくりな男の子だ。
「だ、大丈夫よ」
母親と繋いでいる手に力を込める子どもと、青ざめながらも子どもを心配させまいと無理やりに笑顔を作る母親。
ふたりがどんなふうに生きてきたのかが垣間見えるようだ。
(君はそうまでして、僕という存在を排除したいのかい?)
理由は多分だが分かっている。
それでも、許すことは到底できそうにない。
「ジェシカ、久しぶりにゆっくり話そうよ」
「ええっと、でも、そういうのはよくないんじゃない? 入学式で教員席に座ってたっていうことは、あなたはこの学校の関係者なんじゃないの?」
「昔からの知り合いと食事をするくらいで、何の問題もないよ」
ジェシカは目を泳がせてから、ハンスの耳に口を寄せる。
ふわっと伝わるジェシカの体温。
ハンスは、ジェシカがすぐ傍にいることを実感する。
「人のいるところでは話せないわ」
それもそうか、と思う。
ということは、ジェシカは観念したと解釈していいのだろう。
ハンスの頬が緩む。
「なら、僕の家に招待するよ。単身用の公舎に空きがなくて、今ファミリー用の広い戸建てに住んでるんだ」
嘘だった。
いずれ家族と同居する予定だから、と少々強引に用意させた。
「えっ、どういうこと? あなた、今ノーステリアに住んでるの? でも、この前は『出張で来てる』って……」
「そのことも家で話すよ」
「ハンス、結婚は?」
今回はジェシカがハンスの指を確認する番だ。
「してないよ」
「でも、婚約者は?」
(やっぱりそれを気にしてたのか)
「そのためにも、セシルくんのことをはっきり聞いておきたい」
「でも、子どもの前で話すようなことじゃないわ」
セシルには絶対に聞かせまいと、あまりに近寄ってくるものだから、このまま抱きかかえて家に連れ帰りたい衝動に駆られる。
(僕がこんなことを考えてるだなんて、君は想像もしないんだろうね……いや、違うか)
そういう衝動性をもっていることを、むしろジェシカだけが知っているはずだ。
「セシルくんの話をするときには、セシルくんを別の部屋に案内するよ。書斎はどうだろう? 僕が子どもの頃に読んでた魔法書もたくさんあるから、退屈しないんじゃないかな。どう思う?」
「それは……」
「公立の図書館にはないような珍しい本もあるんだ。よろこんでくれるといいなあ」
ジェシカは困った顔をして、セシルのほうに視線をやる。
(どう? 断れないだろう?)
ジェシカの現況だけではない。
セシルのことも調査済みだ。
子ども向けの魔法書は子ども時代を過ごした家からかき集めたり、新たに買い求めたりした。
再会を半ば諦めていた想い人。
ようやく会えたと思ったら、この前はまんまととんずらしてくれた。
(もう二度と逃がさない)
これは、ハンスの中では決定事項だった──
(急いで準備をしなくては)
職員室に戻ったハンスは手早く帰り支度をした。
「今日のところはお先に失礼します」
「はい。今日は入学式に列席、ありがとうございました。来週からは、探求活動の講師としてよろしくお願いしますね」
校長がにこやかにそう答えると、ほかの教員たちもハンスに頭を下げる。
ここノーステリア州立魔法学校に、週一の非常勤講師として就任できたのは、ハンスにとって僥倖だった。
ハンスはもともと、首都フィラストンにある国立魔法カレッジを卒業後、そのままカレッジ附属の研究所に就職した。
しかし、その研究所は首都という場所柄、便利な反面、如何せん敷地は狭かった。
大規模な実験をするために、地方の研究所に異動する必要が出てきた。
もう会えないかもしれないと思いつつも、どうにも諦めきれずにまだジェシカを探し続けていたから、本当ならヨルデン州に戻りたかった。
が、ヨルデン州とその近隣の州には相応しい国立研究所はなく、どうしようかと悩んでいたときに声をかけてくれたのがノーステリアにある研究所だった。
とりあえず設備見学だけさせてもらうことにした。
図書館での講演は、そのついでに頼まれた仕事だった。
面倒だと思ったものの、学生時代からの習性が抜けきらず、ついいい顔をして引き受けてしまった。
(まさかそこでジェシカと再会できるなんて……)
おまけに、ノーステリア州立魔法学校の校長が講演を聴きにきていて、その後、『非常勤講師として、ぜひに』と請われた。
それはさすがに面倒過ぎると思い、当初は断るつもりでいた折に、探偵に依頼していたジェシカの身上調査書が届いた。
そして、ジェシカに息子がいることを知ることとなる。
図書館から大急ぎで男の子を連れ出すのを目撃したときから、その可能性は頭の片隅にあったが、確定したのはこのときだ。
調査書の中で『父親は不明』とされていたが、そんなことはハンスには分かりきっていた。
その息子がノーステリア州立魔法学校に入学予定であることが書かれている箇所を読んだときには、調査書を持つ手が震えた。
何から何まで運がいい。
天が味方してくれているとしか考えられない。
それからは忙しかった。
とにかく時間がなかった。
異動までの短期間で、フィラストン研究所でやりかけの研究を全てまとめ上げながら、その合間に家族で暮らすための家を探した。
こだわって決めた家は、今後家族が増えてもいいように、3人で暮らすには十分過ぎるほどの広さがある。
そうして転居してからは家具を揃え、快適に暮らせるよう整えた。
(ジェシカ、学生時代に僕が駆け回るところなんて想像できたかい?)
──ハンスって、何でも涼しい顔でこなしちゃうのね。苦手なことはないの? 何だか悔しいわ。
そう言っていた彼女だ。
想像できたはずがない。
もっとも自分でもこんな風になりふり構わず、必死になる日が来ようとは夢にも思わなかった。
けれど、決して嫌ではなかった。
ジェシカとの未来のためだと思うと、むしろ楽しくて仕方がなかった。
そして、ジェシカと話す機会をまずは得られたのだ。
疲労感すらも心地よく感じられるのであった──
ハンスは学校を出て、商店の並ぶ通りにやってきた。
普段ならこの時間帯は仕事をしていて、買い物に来ることはまずない。
いつもと違い、どの店も空いている。
商品を見比べることができるのはとてもいい。
あれから7年経つ。
あのとき、ジェシカは確かに自分を好きだったはずだが、今もそうだとは思っていない。
身上調査書によると、ジェシカに現在交際している男性はいない。
工場で働いているとき以外は、常にセシルと一緒にいるようだ。
ここからは想像だが、セシルのことだけを考え、セシルのためだけに生きているのだろう。
(なら、攻略するべきはセシルだ。あのくらいの年齢の男の子なら、やはり肉だろうか)
子どもでも食べやすそうな、筋が少なく柔らかそうな肉を選ぶ。
彼に、自分といることのメリットを教え込もう。
お腹いっぱい食べられて、大好きな魔法にも触れ放題。
さらに、母親も楽ができる──
そんな環境を差し出されたら、小さな子どもは飛びつくはずだ。
しかし、そうかといって、ジェシカのことを二の次にするつもりはさらさらない。
(ジェシカの好物は何だった? そうだ、学校の食堂では煮込み料理をよく食べていたな)
野菜やスパイスを次々に購入する。
(大人になった今、アルコールは飲むだろうか?)
正直なところ、イメージは湧かない。
それに、余裕のない生活だ。
もしかしたら、飲んだ経験がないかもしれない。
が、食前酒くらいならいいだろう。
最初に緊張を解かせて、その後の会話をスムーズにしたい。
食後には、お茶と焼き菓子を。
魔法学校時代、放課後に友人たちとクッキーやマドレーヌを食べていたのを何度も見かけたことがある。
『おいしい』とうれしそうにしていたのをよく覚えている。
だいたい今のジェシカは痩せすぎだと思う。
バターと砂糖がたっぷりと入った焼き菓子を食べさせてやりたい。
(ずっとひとりで苦労してきたんだ。甘やかすくらいがちょうどいい。今までの分も僕が甘やかそう)
どう考えても食後のデザートではないような量の詰め合わせを買う。
ハンスは浮かれていた。
食材を揃えるための買い物が、これほど楽しかったことがあっただろうか。
頭の中は実に戦略的で打算的ながら、ジェシカへの想いは純粋そのものなのだ。
まるで10代の少年のように、好きな人の笑顔を思い浮かべ、心を躍らせた。
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