第11話 誰の子
「魔法書は書斎という部屋にいっぱいあるよ。こっちだ」
ハンスが手招きすると、セシルは椅子からするりと下りて付いていく。
その足取りは楽しみで仕方がないといった様子で、実に軽やかだ。
「お行儀よくしてね」
ジェシカは少し心配そうな視線をセシルに向ける。
「ハンス、この子に触っていいものとダメなもを事前に教えておいてくれない?」
「書斎は好きにしてくれて構わないよ」
「本当に?」
ジェシカは懐疑的だ。
でも、ちょうどいい。
「よかったらジェシカも覗きにくる?」
「行きたいわ」
「おいでよ」
書斎のドアを開けて、ふたりに披露する。
セシルは『わあ!』と感嘆の声を上げ、ジェシカは息を飲む。
正面には大きな窓。
向こう側には新緑が広がる。
この部屋を書斎に選んだのは、この景色がヨルデン州立魔法学校の図書館から見えるそれと似通っていたからだ。
書斎は徹底的に思い出深い図書館を真似て作った。
両サイドの壁は全面書棚になっている。
さすがに書棚まで全く同じというわけにはいかなかったが、忙しい中時間を捻出して、図書館用の書棚を製造している家具屋まで出かけ、よく似ているものを選んだ。
部屋の中央に置いたオープンテーブルと椅子もそう。
「どれでも好きに読んでいいから。もし高いところにある本が読みたいときには、自分で取ろうとしないで呼んでくれたらいいよ」
児童向けの魔法書は下段にしまっておいたが、念の為だ。
ところが、セシルは得意げに言う。
「大丈夫です!」
そうして、呪文を唱える。
最上段から1冊の本が取り出され、しばらくの間、宙を浮く。
そうして、また元の位置に収まった。
ハンスはジェシカのほうを振り向いた。
「今のは5年生くらいで習う魔法だよね?」
「……そうだったかしら?」
ジェシカの顔は引き攣っている。
が、ハンスのほうは笑みが溢れてくる。
(やはりこの子は僕の子だ! 僕の子以外ありえない‼︎)
「なら、お母さんと僕は食事に戻るけど、ほかに困ったことがあったら呼ぶんだよ」
「はい、ありがとうございます」
セシルが早足で本棚の前まで行くのを見届けてから、ジェシカに微笑みかける。
「戻ろうか」
ダイニングに戻ってきてからというもの、ジェシカが最後の審判でも待つかのような表情をしている。
(これ以上、緊張を強いるのも酷だろう)
本題を切り出していい頃合いだと判断する。
単刀直入に訊ねる。
「僕の子なんだろう?」
「……私の子よ」
「僕と君の子だよね?」
「あの子に父親はいないわ」
そう言われてしまうのも当然だ。
父親として何ひとつしてきていないのだから。
でも、これから先もこのままでいるつもりはない。
正直なところ、親子の情のような気持ちはまだ湧いてこない。
けれど、自分とジェシカの子であることは確信している。
「なら、訊き方を変えるよ。セシルくんの生物学上の父親は?」
返事はない。
「セシルくんの年齢から逆算すると、妊娠したのは魔法学校の卒業式頃だろう?」
なおも続く無言。
ジェシカは推し黙ってしまっている。
「僕しかいないじゃないか」
「それでも、セシルは私だけの子よ」
(強情だな。処女懐胎だとでも言い張る気か? 聖母じゃあるまいし……)
ため息を吐きそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。
強い口調にならないように配慮する。
「僕には心当たりがある。それと、君が同時期に僕以外とそういう関係をもつような人だとは考えにくい。もう認めてくれないかい?」
ジェシカの瞳が揺らいだと思ったら、唇をキツく結んだ。
まるで泣くのを我慢している子どもみたいだ。
食事の続きをするような雰囲気ではなかった。
仕切り直すために、お茶を淹れることにする。
長い沈黙──
お湯がシュンシュンと沸くまでに、ハンスはずいぶんと待たされた気がした。
ポットの蓋を開けるのに、ガチャッと音を立ててしまった。
茶葉を入れればザザッというし、お湯を注げばコポコポコポと鳴る。
さっきからやたらと音がよく響く。
「どうぞ」
ついでに買ってきた焼き菓子も出す。
こんな空気で出す予定ではなかった。
想像とは哀しいほどに違う。
「……ありがとう」
ようやくジェシカが口をきいてくれた。
ジェシカは焼き菓子の種類をひと通り調べ、それからマドレーヌを取り出した。
「それ、学生時代も好きだったね」
「そう、昔から好きなの。それにしても、よく知ってたわね」
「君が思っている以上に、僕は君のことを見てたと思うよ」
ジェシカは小さく齧ると、呟くように『とてもおいしいわ』と言った。
「なら、よかった」
ハンスも、あえて同じマドレーヌを選ぶ。
「本当においしいね。ここに引っ越してきて日が浅いからまだよく分からなくて、たまたま通りで見かけた店で買っただけなんだ。でも、正解だったな」
「ふふっ、すごい才能だわ」
ジェシカが微かに笑ってくれた。
期待していた団らんとはかけ離れているけれど、それでも焼き菓子はジェシカの心にいい効果をもたらしたようだ。
「……すごい才能といえば」
「何?」
「ううん、何でもないわ」
「いや、気になるよ。続きを話して?」
今はどんな話題だっていい。
会話を続けることさえできれば。
「あれもすごかったな、と思って。今日講堂で私に気づいてたわよね? あんな大勢の中でどうして?」
「たまたまだよ」
「ありえないんだけど? だって、セシルが入学することだって知らなかったわけでしょう?」
ハンスは考える。
正直に『探偵に調べさせた』と話せば、引かれるだろうか。
(まあ、自分なら間違いなく引くな。だったら……)
まだマシそうな事実を白状することにした。
「図書館で君が僕から逃走したときに、とにかく君を見失いたくない一心で魔法をかけたんだ」
「魔法? それってどんな?」
「君の居場所を常に把握できる……」
「ええっ、何それ⁉︎」
ジェシカは目を見開く。
ハンスがジェシカを探し出せた時点で、その可能性を考えもしなかったようだ。
「でも、それならいろいろと説明がつくわ……」
ジェシカが怒るのではないかと心配したが、今のところそういう気配はない。
ひたすら驚愕している。
(どうせここまで話したんだし……)
この魔法をジェシカに見せてみたいという気持ちがおこる。
ハンスは呪文を唱えた。
すると、ハンスとジェシカの手首を結ぶ一本の糸がうっすらと現れた。
色はない。
しかし、チラチラと光るため認識できる。
ジェシカが腕を左右に振ると、糸は伸縮する。
弛むことなく、常にピンと張った状態を維持している。
信じられないような目で糸をまじまじと観察すると、今度はハンスのことを見据える。
「これはれっきとしたストーカー行為よ⁉︎」
「分かってる。この機会を逃すわけにはいかないと思って、あのときは必死だったんだ」
「だからって、あなた、そんな人じゃなかったでしょう? 誰よりも正しい人だったのに!」
ジェシカの言う通りだ。
魔法学校時代は、校則ですらただの1度も破ったことはない。
カレッジ時代だって、研究職に就いてからだってそうだ。
模範的な学生、模範的な市民であり続けた。
今回の件は、褒められた行為でないのは認める。
しかし、ジェシカだけだ。
ジェシカだけが、ハンスを突き動かすのだ。
「誓って、君以外にこんな魔法の使い方はしたことはないよ」
「確かに私も逃げたりして悪かったけど……」
「だろう?」
「でも、ダメなものはダメ! この魔法は解除して」
「……分かったよ」
ふたりを結ぶ糸は空気に溶けるかのように、すーっと消える。
何もなくなった空間を見ながら、ハンスは訊ねる。
「これでいい?」
「まだよ。もう二度とこの魔法は使わないって約束してくれたらいいわ」
「約束する」
「本当によ? 私にだけじゃない、セシルにもね?
「誓うよ」
「あら? でも……」
ジェシカがふと考え込む。
「どうしたんだい?」
「……でも、正しい使い方をするなら、とても有用な魔法かもしれない……」
「正しい使い方って?」
ジェシカは天井を睨みながら、思いついたことをつらつらと語る。
「今日入学式が終わったあと、教室までセシルを迎えに行ったんだけど、人が多くてなかなか見つからなかったの。ああいうときに便利だと思う。それに、これからセシルの行動範囲はどんどん広がっていくだろうから、居場所を常に知れると安心だわ」
突然のことに、ハンスはあっ気に取られるてしまった。
「まあ、そうだろうねえ……」
「でも、大前提として、お互いに了解した上で繋がないといけないわ。糸の両端を、互いの腕に結んだ時点で魔法が発効する? ううん、対になってるブレスレットをふたりが身につけたら? でも、それだと小さな子どもなんかは失くしちゃう可能性も……」
ハンスは、そんなジェシカの様子を微笑みながら眺める。
「そうだわ、紐がいいかもしれない。対になってる紐よ。各々が結び付けられると同時に、結び目同士に糸が張られるの。それなら結ぶのは手首でも足首でもいいもの。足首なら靴下で隠せるしね。それと、紐を身につけている人には常に糸が見えるようにするの」
ジェシカは楽しそうだ。
「ね、完璧じゃない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます