14 シスターアルバ

「この教会は呪われておる!!」


 真っ白い髪を振り乱すように、目の前の老女――アルバはアロエットに向けて叫んだ。

 アロエットは、ただ彼女に名前を告げて、丁寧に挨拶をしたところだった。

 リアはアロエットの背に半歩隠れるようにして立っていたが、それでも体をこわばらせる気配が伝わってきた。


 セレスティス教会敷地の端にある保養院。アロエットは約束通り、リアと共に奉仕活動でここを訪れていた。

 保養院の談話室では、保養院で過ごす人々と、主に学生たちが和やかに会話を繰り広げていた。

 そんな中、アロエットとリア、そしてアルバは、防音効果の高い個室に隔離されるように入れられていた。


「シスターアルバ、わたくし共も席に着かせていただきますね」


 アロエットは微笑み、リアを隣に座らせると自分はアルバの正面に座った。

 アルバは小柄で華奢な女性だった。白い質素な修道服を身に着け、白いレースのアイマスクで目の上を覆っている。全身真っ白だ。

 その小さくて白い人が、顔を合わせるなり「呪われておる!」と叫び続けるものだから、どうやら保養院の「おはなしサロン」の時間には、彼女と対話者は毎回こうして個室へ隔離される憂き目に遭っているようだった。


「この教会の闇を知るがいい」


 二人が座るなり、アルバはニタリと笑うと、地の底から響くような声でそう言った。

 アロエットはアルバの目を見ることができないため、どこから対話のヒントを探ろうかと思案していた。


「このような大きな教会でございますもの。きっと光の届かぬ影もございますわね」


 アロエットは、アルバの白いレースの奥を静かに見つめ、そう言った。


「この教会の闇は深い!」


 アルバは怒りをあらわにし、テーブルを両手で叩く。リアは気の毒なことに、すっかり顔色をなくして震えていた。


(この方は……ただ混乱しているわけではない?)


 アロエットは、個室に入る前にルチアノ令嬢の身を案じた教会員から、「シスターアルバは言葉が通じません。対話はおやめになっては……」と、散々引き留められたところだった。


「リア様。わたくし、喉が渇いてしまいましたわ。お水を一杯お願いできますか?」

「で、でも、アロエット様お一人では」


 今にも泣きだしそうなリアの手にそっと触れて、「わたくしは大丈夫ですから」と、アロエットはウインクをしてみせた。

 深刻な表情で頷いたリアは、アロエットを心配そうに振り返りながら、部屋をあとにした。

 それを見届けてから、アロエットはアルバに向き直る。


「シスターアルバ。わたくしは教会の者ではありません。ですが、教会の闇を逃れようとして、それが叶わなかった人間を知っています。……シスターアルバのおっしゃる呪いとはなんですか?」


 アロエットは少しだけテーブルに身を乗り出すようにして、質問をした。


「呪い……! 一人で負うには重すぎる呪いを! この教会が!」


(やはり、アルバ様には何かおっしゃりたいことがあるのでは?)


 ガタン! と椅子を倒して立ち上がったアルバが足元をふらつかせる。

 慌てて彼女の手を握ると、アロエットの体内がざわめくような感覚があった。アルバの片手がテーブルをつかんでいることを確認し、アロエットは速やかに手を離すと、椅子を戻してアルバを座らせた。


(一体、何に反応したのかしら――)


 手を離した途端に、ざわめきは収まった。アルバは椅子に座ると、すっかり大人しくなってしまった。


「……この教会は呪われておる」


 アルバの呟く声ににじむ苦悩を、アロエットは確かに感じ取った。


「ええ、呪われているのでしょうね」


 なぐさめることも、同情することもなく、アロエットはそのままを受け止める。


「そうでなければ……シスターアルバが、そのように苦しむ理由がございませんもの」


 アルバが、白いレースの奥からこちらをうかがう気配がした。そのとき、扉がノックされリアが息を切らして戻ってきた。


「シスターアルバが召し上がっても、問題のないお茶だと……施設の方に伺って、お持ちしました。ご一緒にいかがですか?」


 トレーの上には三人分のティーセットとポットが用意されていた。



 リアは手際よく、カップにエルダーフラワーティーを注いでいった。甘やかで優しい香りが広がる。


「お水をお願いしただけですのに、わたくしもいただいて良かったのかしら?」


 アロエットが、リアにそっと尋ねると、


「施設長が、ルチアノ様にお出ししたかったんだと思います。私たちの方がオマケなのです」


と、リアが小声で答え、ウインクを返した。

「まあ、そんなこと!」とアロエットも小声で言うと、くすくすと笑った。


 無邪気に笑い合う二人を、アルバは黙って眺めていた。そして、微かに唇を動かし声にならない声で「リアンナ」と、かつての親友の名を呼んだ。

 優しい香りの湯気と、二人の少女の笑い声に満ちた部屋で、いつしか呪いの言葉は止んでいた。


          ♢


 リアはご機嫌な様子で、教会から学園の寮へ向けて帰る途中だった。


「シスターアルバが、あれから穏やかにお過ごしになられて、安心いたしました。それもこれも、全てアロエット様のおかげです!」


 少し前を歩いていたリアが、くるりと反転しアロエットに笑顔でお礼を言った。傾きかけた日差しが正面から当たり、キャメルの髪を輝かせていた。身長の低いリアがそのように振る舞うと、どこか子どもっぽく見えた。


「よろしければ、来週もご一緒させていただけませんか?」


 アロエットはそんなリアの無邪気な様子に目を細め、優しくそう提案した。


「実はお誘いしようかどうしようかと悩んでおりましたので、そう言っていただけてすごく嬉しいです!」


 リアはお辞儀をして再び進行方向を向き、今度はアロエットの隣を歩きはじめた。

 彼女は現在、教会ではなくオルティス学園の寮で暮らしている。教会の子弟は十六歳で成人して仕事に就くか、あるいは進学を機に一学年から学園の寮に入り、それまでの居住エリアを出る決まりなのだという。そうして、また次の行き場のない幼い子どもたちがやってきて、教会に保護される仕組みとなっていた。



 アロエットは、帰り際のできごとを振り返った。


『あのように落ち着かれた様子のアルバ様を見ることができて、感に堪えない思いです……大変感謝しております』


 保養院の施設長は、わざわざ見送りにやって来て、二人に深く頭を下げた。

 アロエットは、その様子に違和感を覚えていた。


(はたして、一介のシスターに対して、そこまでの対応をするかしら?)


 リアは、アルバの素性は知らないと言っていた。彼女がアルバを知ったときには、既に「呪いの人」として噂になっていたという。


(アルバの正体を知るのが目的ではないけれど。私の中の、魔力の反応も気になるし……)


 アルバの手を取ったときの、体内で起きた一瞬の反応も、彼女の中で引っかかっていた。



 セレスティスの大聖堂から、真東にあるオルティス学園への短い帰り道。アロエットはその異変に気づいた。

 体内の魔力が引かれるような感覚。

 アロエットはこれをよく知っていた。ノクティス程強くはないが、コルヴスの体内にある魔力を感知したときのような感覚。


(お兄様……? いいえ、違う――何かが来る)


 それは、近づいてくる者が、アロエットと同じ魔力、『遍在の檻』を体内に持つ者であることを示していた。


(急いで隠れる? ……隣にはリアがいる。自然に方向転換して隠れられそうな路地も少し遠い。目立つ動きは避けたい……ローブの機能を信じるしかない)


「アロエット様。聖騎士団の方々がやってきますので、私は礼を取りますが、アロエット様はどうぞそのままで」


 リアは、その気配の主がいると思しき一団を見ながらそう言うと、ラペルピンを指し示すように右手を胸に当て、膝を折って頭を下げた。

 アロエットは「わたくしもご一緒させてくださいませ」と囁き、彼女に倣ってひざまずいた。さらに、ローブを目深に被り顔を伏せ、魔力遮断の布による被覆率をできる限り引き上げる。


 アロエットは、動揺を最小限に抑えるために、急いでペリグリンの兄弟姉妹(きょうだい)の状況を、改めて脳内で整理した。

 ルナリアとカイルムの上腕に埋め込まれた装置が壊されたのを、アロエットはあの晩、逃走前に見た。コルヴスはその後、シグナスの装置が壊されたのを見ている。

 残るは幼い妹のライラと、一つ年下の弟、ルカ。

 ライラは、明らかに魔力と上手く適合できていない様子で、母に庇われていた。そして、コルヴスは逃げる直前に、室内に残っていたルカを目撃している。


 ならば――


 まもなく、重たく石畳を踏む音が近づいてきた。

 道行く人々から「聖騎士様だ!」「聖騎士様ありがとうございます!」と声がかかる。子どもの声に、聖騎士団が手を振って答えたのだろう、わっと周囲が盛り上がった。

 歩調に合わせるように、チャキ、シャリン……と、鎖帷子や留め具の微かな金属音が規則正しく聞こえてきた。


(このまま、何事もなく通り過ぎて……!)


 アロエットは祈るように、足音を聞いていた。膝の上で重ねた両手を、ゆったりとした袖(ウィザードスリーブ)で覆い隠し、震えそうになるのをこらえた。深く被ったローブは視界を狭め、ほぼ自分の足元しか見えない。

 ふと、足音が一つ、アロエットの近くで消えた。


(そこに、いる――)


 緊張が高まり、一瞬にして、周囲の歓声が遠のいた。張り詰めた静寂がアロエットを包み込む。

 目の前で足を止めた騎士は、声をかけることもなく、立ち去る気配も見せない。


(――おそらく、こちらの『遍在の檻』の感覚に、確証が持てていない)


 アロエットの取れる手段は、一切の動作を行わないことだけだった。


「ルカ! 遅れているぞ!」


 張り詰めた緊張の糸を切るように、先を歩く聖騎士から声が飛ぶ。


「はい! すみません」


 ほんの、数歩先で聞こえたその声のあまりの懐かしさに、アロエットは顔を上げそうになる衝動を、唇を噛んで懸命に抑え込んだ。二年半が経ち、少しだけ低くなった弟の声。


 靴音が遠ざかっても、アロエットはしばらく動くことができなかった。


(なぜ。なぜなの、ルカ――どうして、あなたが聖騎士なの)


 アロエットは衝撃のあまり、目の前が真っ暗になった。

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