【4】「怖いことは、沢山あるけど、これは、怖くない」

14 裏切り

 アロエットは、夕食もとらずに図書室にふらりとやって来て、いつもの席に座っていた。

 コルヴスが来るまで、まだ時間はたっぷりあった。


 あのあと、どのように学園まで帰ってきたのか、アロエットは思い出せなかった。リアに心配や迷惑をかけてしまったかもしれない。


 街で遭遇したルカが、教会の人間として――兄姉弟(きょうだい)を追う聖騎士として姿を現したことで、記憶の中にあった彼に対する違和感は、アロエットの中で一つにつながっていった。


「あーあ。お姉ちゃんはルカのこと、なーんにもわかってなかったわ!」


 普段のアロエットを知る者が聞いたら、ギョッとしそうな口調でそう言うと、アロエットは図書室の古びたテーブルに、ゴンと額をぶつけて突っ伏した。


 言葉を多く交わさなくても、ペリグリン家を斜めに見る者同士、少しは理解しあえていると思っていた。


 特別な魔力を手に入れ、聖騎士になって。それが、弟のやりたかったことなのだろうか。


「……ペリグリンの息子(ルカ)でも、私(アロエット)の弟でもよかったでしょうに」


 アロエットの胸の奥で、深い悲しみと冷淡な怒りが渦を巻いた。


          ♢


 ――アロエットにとって、一つ年下のルカは、五番目にやって来た養子で、どこかきれいな印象を受ける物静かな男子だった。


 養子として迎えられた兄弟姉妹の中で、ルカだけは小さい頃に別の家で暮らしていた記憶が残っており、一度だけそれをアロエットに話してくれたことがあった。

 貴族の家に生まれ、三歳までそこで育てられていた彼は、魔力を持たないことを理由に突然捨てられた。小さいから、そのうち忘れてくれるだろうと、母親らしき人間が話していたことも覚えていた。


 プラチナブロンドの髪に淡いブルーの目をしたルカを見て、「王子様みたいな子だな」と思っていたアロエットは、それを口にしなくてよかったと思った。


 ペリグリン家では、夜寝る前に子どもたちは寝室に集まり、シャノンから「寝る前のキス」を受ける習慣があった。

 年長組のシグナス、コルヴス、アロエット、ルナリアは慣れたものだが、ルカや年少組のファルコ、カイルムはやや恥ずかしそうに、小さなライラは毎回くすぐったがってケラケラと笑いながらそれを受け取っていた。



 その日は、シャノンは少し遅くなるというので、子どもたちは、広い寝室の方に集まったままベッドの上で話を弾ませていた。


 女子の寝室と男子の寝室は就寝時には分けられ、コネクティングドアに鍵をかけるようになっていた。シャノンを待つ間、男子の寝室に集まっているときは、女子の寝室に近い壁側のコルヴスとファルコのベッドは女子に貸し出されていた。

 コルヴスはルカのベッド、ファルコはカイルムのベッドを半分借りて、長男のシグナスは部屋の一番奥でひとり静かに……過ごせるはずもなく、年少組が行ったり来たりしてそれぞれのベッドは自由に使われていた。


(こんな風景、他所様(よそさま)にはとてもお見せできないわね……)


 ご婦人方は卒倒するかもしれないと、アロエットは「ふふ」と小さく笑った。


 ファルコがカイルムに、何やら父親の技術の凄さを熱く語る声が聞こえてきた。カイルムも興奮したように相槌を打って、「かっけえな! おれもお父様みたいになりてえなぁ!」と口にしたとき、珍しくシグナスが話に割って入った。


「ああ? あいつは結構な悪魔だろ? やめとけよ」


 そう言って皮肉な笑みを弟に向けると、年少組は一斉にシグナスを振り返り、


「えー! そんなことない!」

「酷い!」

「兄さんが悪魔!」


と、わあわあ騒ぎながら、窓際のベッドに突撃していった。

 コルヴスとルナリアはその様子を笑いながら見守り、アロエットは……シグナスに完全に同意であったため、乾いた笑みを浮かべた。

 廊下側のベッドにちらりと目を向けると、コルヴスの背中越しにルカも無言でこちらを見つめていた。二人は言葉を交わす代わりに、


(これはシグナス兄さんが正しいよね……)


と、確認するように静かに頷きあった。


 そもそも、父は身寄りのない子どもばかり七人も集めて、判断力の弱さに付け込んでいるんじゃないかという疑念を、アロエットはずっとなくさないように意識していた。

 父(クレイグ)が、自分たち養子に説明する実験の内容は理解できるし、子どもの体の方が、装置を馴染ませるのに都合がよかったという説明も納得はできる。できるけれども。


 不意に、シグナスに高く抱えられたライラの楽しそうな笑い声が、アロエットの耳に届いた。そちらに目を向けると、シグナスの傍に立つ弟二人は、羨ましそうにライラを見上げていた。思わずアロエットの頬が緩む。二人とも大きくなったのに、未だに家族からのスキンシップに喜ぶところがあった。


 いつでもこの家から逃げ出せるように、兄姉弟妹(きょうだい)とは表面上仲良くするに留めて、情を持たないようにしたかったのに……このパッチワークみたいな家族構成の家は、アロエットには居心地がよすぎた。

 左上腕の無機質な装置に、そっと指先で触れる。アロエットは、もう、後戻りができないところまで来てしまっていた――


          ♢


 図書室に明かりが灯った。


「うわ! アロエット! ……ごめん、ちょっとびっくりして。今日は早かったんだね」


 コルヴスは、机に上半身を倒したままの、ローブ姿のアロエットに声をかけた。


「……お兄様」


 気だるげな声で応えたアロエットは、おもむろに体を起こした。


「……ボランティアは、ずいぶん大変だったんだね。額は……どこかでぶつけたのかな?」


 コルヴスは、赤くなったアロエットのおでこを気にかけながら、彼女の向かいに座った。

 アロエットは弱々しくかぶりを振ると、乱れた前髪を手で整えて額を隠しながら言った。


「いいえ、お兄様。奉仕活動はとても有意義なものでしたわ。帰り道に……」


 アロエットの言葉が、いったん途切れる。視線はテーブルにずっと落ちたままだ。


「帰り道に、ルカに会いました。向こうには、気づかれずに済んだと思います」


 図書室が静寂に包まれた。

 コルヴスは、言葉を探しながら口を開いた。


「……そうか。ルカは何を……いや、ごめん。続けてくれるかな?」


 コルヴスは質問を中断し、話の続きを促した。


「ルカは、セレスティス教会の聖騎士団に属していましたわ」


 アロエットは、静かな声でそう報告した。

 コルヴスは、片手で顔を覆うと、返答できずに黙り込んだ。

 顔を上げたアロエットは、兄の様子をじっと観察していた。


「そう……か。とにかく、アロエットが、無事にやり過ごせたようでよかった」


 十分な沈黙の後で、コルヴスはアロエットから目をそらしたまま、そう言った。

 アロエットは背筋を伸ばし、指先まで意識を行き渡らせると、静かに話しだした。


「……お兄様は今、ルカが聖騎士になっていたことに、あまり驚かれませんでしたね? いつものお兄様なら、『なぜ』と問われるところでしょう。……予測できる情報をお持ちでしたか?」


 コルヴスは、目を合わせないまま、黙ってアロエットの言葉を聞いていた。


「最後にお兄様が目撃したルカは、『教会の者たちに囲まれていた』とおっしゃっていましたね。だから、『隠れ家』には来れないのだと。わたくしはそれを、ルカが拘束されたものだと解釈しておりました。……わたくしや、ファルコにはそう思わせておいた」


 コルヴスは、ハッとしてアロエットを見た。明るい緑色の目と深い赤色の目が交差する。


「あれからまだ二年半です。わたくしたちのような胡散臭(うさんくさ)い子どもを、教会のように狡猾(こうかつ)な立ち回りをする組織が、その顔とも言える聖騎士に採用しますか? ルカが、わたくしたちを売って、現在の立場を手に入れた。そう思う方が自然ではないですか? ……いえ、ここでそれを議論したいわけではありません。前提を共有できなければ、妥当な計画は立てられないというお話をしています」


 アロエットは、コルヴスの反応の不自然さを、筋道を立てて説明した上で、問題点を指摘した。


「アロエット、それは……」


 コルヴスは口を開くが、言葉が続かずに反論はできなかった。


「ルカがペリグリン家を裏切ったということは、お兄様の中では、最初から確信を持った見立てだったのではありませんか?」


 核心に触れることをおそれ、回りくどくしゃべってしまったが、アロエットが言いたかったことはこれだけだった。

 コルヴスは、苦渋の表情でうつむき気味に黙っていたが、やがて、


「……その通りだよ」


と肩を落として、アロエットの推察が正しいことを認めた。

 アロエットは、一度目を閉じて心を落ち着けようとしたが、目を開くと同時にあふれ出した思いが口をついて出てしまった。


「……どうして、いつも! お兄様は、わたくしに大事なことを、教えてくださらないのです! 妹や弟が、傷つくのが怖いのですか? 勝手に傷ついているのは、お兄様ではありませんか! ……わたくしは、お兄様に信用されていないことが、何よりも傷つきます」


 見つめあうアロエットの目の中に、悔しさ、後悔、痛切な悲しみ……いくつもの感情が交錯しているようだった。


「……アロ、すまなかった」


 深いため息とともに、コルヴスは短く謝罪した。


「声を荒らげて申し訳ございませんでした。……少し頭を冷やしますね」


 アロエットはきれいにお辞儀をすると、椅子を元に戻して図書室を出て行った。


 コルヴスは、黙ってその背中を見送るしかなかった。

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