05 ペリグリンの庭で

――ファルコ・ペリグリン。弟は「養子」の兄姉妹(きょうだい)と、あっという間に打ち解ける天才だった。


「ルナ姉さんが教えてくれた通りにやったら、『花よ開け(フロース・アペリ)』の魔術、初めて上手くいったんだよ! ルナ姉さんは、僕の魔術の先生だね!」


 ファルコは、家庭教師による魔術の学習を終えて、主庭に走り出てくるなりルナリアに向かってそう言った。


「……お帰りなさい、ファルコ。わたし、魔術使えないから、先生にはなれないよ……?」


 木陰のガーデンチェアで魔術書を開いていたルナリアは、ファルコの勢いに押されるように頭を後ろに反らしながら答える。きれいに編まれた赤い髪が椅子の背で揺れた。


「そうかなー? 教えるのが上手だから先生じゃない?」


 そう言うと、なぜかファルコは自慢げに胸を張ってみせた。ルナリアはちょっとだけ目を見張り、それからそっと手を伸ばすと、おずおずとファルコの頭をなでた。


(その気持ち、よくわかるわ)


 同じく木陰でハンモックに揺られていたアロエットは、二人の様子を横目で見ながらそう思った。ファルコは、人懐っこい犬のようなイメージなのだ。ついなでたくなってしまう。

 アロエットの推測では、ルナリアは他人との身体的な接触はかなり苦手だ。同じ年のアロエットや、妹のライラに触れられるときも体を固くするのがわかる。そんな彼女ですら、自ら手を伸ばさせてしまうファルコ。


(あれはもう、一種の才能ね――)


 アロエットはハンモックの自然な揺れに身を任せ、きらきらとした木漏れ日に目を細めた。


「やあ! おかえり、ファルコ。今日はもう終わり?」


 コルヴスの声がした。少し離れたところで、ライラの遊び相手をしながら自分の体幹を鍛えていた彼は、彼女を背負って戻ってきた。


「おかえりなさい! ファルコにーさま!」


 ライラはコルヴスの背を伝うようにして降りると、ファルコに向かって一生懸命走っていく。


「終わったよー、コルヴス兄さん! ライラー!」


 ファルコはギュッとライラを抱き止めると、勢いを利用してぐるぐると回った。ライラがケラケラと声を上げて笑う。

 アロエットは体を起こすと、ひょいっと器用にハンモックから降りた。


「ファルコ、お帰りなさい」

「アロ姉さん! ただいま」


 ファルコがライラの体を離すと、ライラは、今度はアロエットに走り寄ってギュッとくっついた。アロエットはライラのミルキーブロンドの髪を指で整えてやり、しゃがんでほっぺたをぷにぷにと突いた。ライラのグレーの瞳がにこーっと笑うと、つられてアロエットも笑顔になる。

 日差しの強い午後。熱を帯びた風に、木陰の涼しさが混ざって吹き抜けていく。

 気がつけば五人はいつも集まって、こんな穏やかな時間を過ごしていた。


「あ、兄さん! これから剣の練習できる?」

「いいよ! じゃあ木剣を取ってこよう」


 ファルコがうずうずとした様子でコルヴスに話しかけると、コルヴスは快く答えた。そこに、ライラの一段高い声が響く。


「おかーさま!」


 五人が一斉に屋敷の方を見ると、庭を歩いてくる母の姿があった。少し傾いた日差しを受け、蒼鉛色の髪が複雑な色に輝いて見えた。一目散に母へと駆けていくライラの背中が見える。

 母の顔は、逆光でよく見えない――


          ♢


 髪と同じ、不思議な輝きの蒼鉛色の目は、きっと穏やかに笑っていただろう。

 アロエットには、その表情が思い出せなかった。


(あのとき、お母様は何をおっしゃったんだっけ――)


「アロエット?」


 コルヴスに呼ばれて、アロエットはハッと追憶の世界から現実へと引き戻された。


「ごめんなさい。ちょっと、懐かしい記憶を思い出してしまって」


 もう八年も前の光景だった。


「まだ、ルナリアとライラと、私たちだけしかいなかった頃」

「……それはまた、随分昔のことだね」


 優しい表情でコルヴスはアロエットに言った。ファルコの規則正しい寝息が聞こえる。


「小さなファルコに、小さなライラ。ルナリアが木陰で本を読んでいて、お母様がお庭に来てくださって……今日はもう、ちょっと駄目みたい」


 自嘲気味に笑って、アロエットはハンカチで目元を押さえた。


 コルヴスは、「アロエット、手を」とファルコに左肩を貸したまま、右手を伸ばす。アロエットの左手が伸びて、二人でファルコの体を抱くように手をつないだ。


「大丈夫。僕たちで必ず、その風景を取り戻す」


 アロエットは右手でハンカチを押さえたまま「うん、うん」と子どものように頷いた。



 温かな体温を感じた。誰かに呼ばれて……優しく揺すられている?

 ファルコはハッと目を覚ました。


(――いけない! 寝ちゃってた……ええと、ここは?)


「おはよう、ファルコ」

「すっきり目覚めたかしら?」


 兄と姉に両側からのぞき込まれて、恥ずかしさで赤くなったファルコは、すぐに青くなり、慌てて謝った。


「ごめんなさい! まさか寝てしまうなんて」

「ううん、入学初日で疲れていただろうに、来てもらって悪かったね。でも、元気に起きられたみたいで良かった! そろそろ消灯が近いから、今日はここで解散だ」

「忘れ物をしないように、ちゃんと持って帰ってね」


 アロエットが、プレゼントをまとめた包みをファルコに持たせる。


「ありがとう……あの……次はいつ会える?」


 一緒にいられる時間を睡眠に使ってしまったファルコが、しょんぼりとした様子でそうきいた。コルヴスとアロエットは顔を見合わせて、にっこりと笑った。


「いつでも!」

「毎日よ!」


 ファルコは、ぱっと目を輝かせて喜んだ。


「さあ、急いで部屋にお戻り。また明日な」

「おやすみ、ファルコ。また明日、ここでね」

「そっか……また明日ね! おやすみなさい」


 ファルコは「また明日」の響きに、胸がじわりと温かくなる。そして、プレゼントを片手で抱えると、ぶんぶんと勢いよく手を振って薄暗い廊下へと消えていった。



 コルヴスは、少し間をあけてアロエットを先に帰すと、一人静寂の中で図書室を利用した痕跡を消していく。図書室を出るときに、コルヴスはいつものように振り返り、室内を確認してから灯りを消した。

 廊下から差し込む光に照らされ、コルヴスの姿は額縁に入れられた影絵のように浮かび上がった。小さく軋んだ音を立てて扉が閉まると、図書室の古い本にも静かな夜が訪れた。

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