05 ひみつの図書室
ファルコは、工学研究棟を出ると、モノクルでノクティスが大人しくしていることを確認しながら自室に急いだ。部屋に戻ると、ラテーレは既にそこにはおらず、ノクティスがケージの中から首を傾けファルコを見つめているだけだった。
(ご飯に行っちゃったかな? 今のうちに!)
ファルコは机に向かい、鞄にしまっていた図面を引っ張り出すと、金属事典を確認しつつ新しい紙に猛烈な勢いで仕様書を書き始めた。そして、急いで養親への感謝の手紙を書きあげ、
『発生する工賃は特急割増金をつけて、支払いは僕の特許使用料から相殺してください』
と、忘れずに書き足した。彼の養親は、金に妥協を許さないタイプだった。
手紙、仕様書、図面、教授からの素材を専用のバックパックに詰める。
「ノクティス」
皮手袋を装着すると、南京錠を外し、ノクティスをケージから出す。その背に荷物を取り付けながら、ファルコは言った。
「重くてごめんね」
ノクティスは魔法生物なので気遣いは不要なのだが、ファルコはいつも申し訳ない気持ちになる。ノクティスは頬のあたりを沢山なでてもらうと、暗くなり始めた窓の外へ顔を向けた。
ファルコは窓を開け放って唱える。
「
夜空色の羽に散った金色がふわっと一度だけ輝きを増し、すっと元に戻るとノクティスは力強く飛び立った。夕闇へと消えていく小さな姿をしばらく見送ってから、ファルコは窓とケージの扉を閉めた。
ファルコはこのままベッドに潜ってしまいたい欲求にかられたが、意識をそこから引き剥がすと、ダイニングルームへと向かう。
(腹ごしらえをして、シャキッと笑えるようにチャージしなきゃ!)
ポケットに入れたままの、白紙の手紙にそっと触れる。
秘密の呼び出しに応じる彼の足取りは、自然と軽くなっていた。
♢
地下第二図書室――
古い歴史書や、タイトルが掠れて読めなくなった本などが並ぶ、薄暗く人気のないその部屋は、彼らの秘密の打ち合わせを行うには格好の場所だった。
「……アロエット、もう机を拭くのは三回目だぞ。まだ約束の時間になっていないんだ。落ち着いて待とう」
あきれた声でコルヴスがそう言うと、アロエットは「ふー」と小さくため息をついた。
「お兄様こそ、先ほどから同じページを開いたままですわよ……でも、わかります。こんなときに読書をしても、内容は何も入ってこないでしょうね」
布巾をきれいに畳んで机の端に置くと、アロエットは優雅に笑み、そわそわする気持ちを抑えるように目を伏せた。
「きっと、もう間もなく来るさ……おっと……探知の目が切られたな。噂をすれば、我々の賢い弟が到着したぞ」
コルヴスはアロエットに目配せして、芝居がかった調子でそう言った。
薄暗い廊下から靴音が聞こえ、やがて開いたままの扉から、彼らの待ち人が入ってきた。
「っ! ファルコ!」
「アロ姉さん! コルヴス兄さん!」
アロエットはファルコに駆け寄ると、力いっぱい抱きしめた。ファルコも胸がいっぱいになって、そのぬくもりを確かめるように抱きしめ返した。コルヴスは、そんな二人にずんずんと歩いて近づくと、大きな腕で二人まとめて抱き寄せた。
コルヴスは図書室に通じる廊下へ、探知魔術を仕掛け直しに向かった。
アロエットは、令嬢らしからぬ所作で目元を手でこすりながら、
「元気だった? やっと会えた……!」
と声を震わせ、またファルコに抱きついた。そして、くすくすと笑いながら、
「入学式、とっても素敵だったわよ」
と、ファルコの耳元で言った。例のスタンディングオベーションの図が脳内に蘇り、ファルコの顔が赤くなる。
「あれはっ! ……兄さんがいなかったらヤバかった」
アロエットはファルコから体を離すと、可笑しくてたまらないといった様子でケラケラと声を出して、子どものように笑った。それにつられて、ファルコも笑った。
「何の話をしてたんだ? 随分たのしそうじゃないか」
戻ったコルヴスが二人に声をかける。
「お兄様は凄いって話をしていたのよ」
アロエットは、目元の涙を人差し指の背で拭い、そう言った。
「ごめん、兄さんの見張りを無効化しちゃって!」
「気にしないで。しっかり隠してたんだけど、よく気づいたね」
申し訳なさそうにするファルコを、コルヴスが褒めて励ました。
「兄さんの仕掛けそうな場所がわかったから、見つけられたんだ」
ファルコが得意げにそう言うと、コルヴスは嬉しそうに目を細めて彼を見た。
「さあ、ファルコ座って。消灯まで、まだ時間はあるよ」
コルヴスが図書室備え付けの椅子を引き、アロエットがファルコの手を引いてエスコートする。
ファルコが座ると、隣にコルヴス、向かいにアロエットが座った。質素で年季の入ったテーブルを、三人で囲む。
「まるで隠れ家にいたときみたい!」
三人が感じていたことを、アロエットが代表するように口にした。隠れ家は、三人と一羽で身を隠していたときに住んでいた場所だ。
「ここは本に囲まれているけど、あっちは発明品と……発明品の墓場だったな」
「あれは酷かったわよ。ファルコ、ロザリンドのお屋敷では大丈夫だったかしら?」
アロエットが、にやりとした笑みでファルコに尋ねた。
「……えーと、自由にしていい部屋があったので、そこからははみ出していません!」
ファルコの正直すぎる返事に、二人は顔を見合わせて笑った。
「これは、ロザリンド女子爵の苦労が偲ばれるな……」
「さては、学園に来るときも、そのままにしてきたんでしょう?」
「……はい」
ファルコは図星を突かれ小さな声で答えた。アロエットはそんな弟の様子に「ふふっ」と笑う。
「ごめん、つい説教みたいになってしまったな。今日はファルコの入学を祝いたかったんだ」
コルヴスは、少しうつむいたファルコの頭を軽くなでると、目の前にリボンがかけられた箱を差し出した。
「ありがとう兄さん! ……いま開けてみても?」
「もちろん!」
両手で箱を指し示して、コルヴスは言った。ファルコはリボンも包装紙も器用にはがし箱を開けると、弾かれたようにコルヴスを見た。
「すごい! 製図用コンパスだ!」
箱を掲げて、きらきらとした目で熱心に眺めまわすファルコに、コルヴスは相好を崩して言った。
「これからも、僕たちを驚かせる発明品をたくさん作ってくれ!」
ファルコはコンパスを見つめたまま、がくがくと首を縦に振って答えた。
「あー! お兄様のプレゼントの後じゃ出しづらいわね……でも、私のプレゼントも気に入ると思うわ」
ファルコはアロエットに礼を言ってプレゼントを受け取ると、断りを入れてから丁寧に開封した。
「わぁ! これって断熱構造のカップだ! 嬉しいなぁ。ありがとう!」
いろんな書面をうっかり結露で濡らしてきたファルコには、ありがたい贈り物だった。
「お菓子とお茶もファルコ好みのものを用意しておいたわ。お菓子は小分けにしてるから、同室の子にもお裾分けしなさいね」
おまけのプレゼントには、アロエットの過保護も詰め込まれていたが、ファルコはそれには気づかずに「うん、そうする!」と喜んだ。
「兄さん、アロ姉さん、お祝いを準備してくれて本当にありがとう」
ファルコは椅子に座ったままペコリとお辞儀をし、二つのプレゼントの箱をそっと閉じた。
「今日くらい、ここで一緒に美味しい飲み物とお菓子でも楽しめたらよかったんだけど……」
コルヴスがちらりとアロエットを見るが、アロエットは頑なな表情で首を横に振る。
「まあ、ここは図書室だしね、それぞれ部屋に戻ってから楽しもう」
それからしばらく、三人は他愛もない話をしていたのだが、コルヴスとアロエットがちょっと話し込んだ隙に、ファルコはこっくりこっくりと頭を揺らしはじめた。
「――!」
アロエットは、感極まった様子で口元に両手を当てた。無防備すぎる弟の姿に、いろいろと限度を超えてしまったらしい。
コルヴスはファルコを引き寄せて、自分の肩に寄りかからせた。
「そっか。今日はさすがに疲れたよな。付き合わせてしまって可哀想だったかな」
いたわるような目つきでファルコを眺め、コルヴスは言った。
「ファルコだって、会うのは我慢できなかったはずよ。お兄様、今の時刻だと十五分で短く寝かせるか、消灯ぎりぎりの九十分まで寝かせるかの二択ですわ」
中途半端なタイミングで起こすと、泥のように体が重たくなってしまう。背負って部屋まで送ることができるのなら、時間を気にせずともよかったのだが――アロエットの提案はそういうことだった。
コルヴスは少し悩んでから「長い方を選びたいな」と答えた。自分のわがままだが、もう少しだけ温かな弟の重みを感じていたかった。
アロエットは「それなら」と、コルヴスの反対側に椅子を運び、二人でファルコを挟むように並んで座った。
「僕らの小さなファルコが戻ってきたみたいだな……」
コルヴスがそう呟くと、アロエットはまた少し目を潤ませて頷いた。
コルヴスとアロエットが、ペリグリン家に養子として迎えられたとき、小さなファルコは弟として既にそこにいた――
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