第8話 発覚


 水曜の朝、岸さんが私と部長を、会議室の小さいほうに呼んだ。


 机の上に、岸さんのノートパソコンが一台。画面に、表が出ていた。日付と、時刻と、端末の名前と、通信の先。


「プロキシの記録です。社内のPCが外のサイトへ出る時は、必ずプロキシという中継の機械を通ります。そこに、。端末は、社内のアドレスと、その時ログインしていたアカウントで分かります。記録は別の保管用の機械にも送られていて、そちらは暗号化を免れました」


 部長が「おお」と言った。私は、言わなかった。


「これで、分かるんですか。誰が開いたか」


「誰が、までは分かりません。どの端末が、いつ、どこと通信したか、までです。誰が、は、端末の中身と、その時に席にいた人の話を合わせて決めます」


「俺には、もう分からんな」


 部長は、椅子の背にもたれた。私は、もたれなかった。表の一行一行が、読めた。読めるから、もたれられなかった。


「六月の頭の、火曜日です。開発一部のリーダー機から、午後二時に、外部のサイトへ通信があります。宛先は、嶋田さんが報告してくださった偽サイトと一致します」


「はい」


「その十分後に、同じ端末から、別の通信があります。外部からの、ダウンロードと見られる通信です。登録のサイトとは、別の宛先。中身までは、プロキシには残りません。量と宛先だけです」


「待ってください。それが、例のウイルスだっていう証拠は、あるんですか。ダウンロードなんて、誰でも毎日してるでしょう」


 部長が訊いた。私が訊くべき質問だった。訊けなかった。


「あります。暗号化された端末には、暗号化を実行したプログラムの本体が残っています。それを解析して、そのプログラムが通信していた外の宛先が、分かっています。指令を受け取る先です」


「はあ」


「社内の記録を、その宛先で検索しました。その宛先と最初に通信した端末が、この端末で、時刻が、このダウンロードの二分後です。以後、発症の朝まで、毎日、同じ宛先と通信しています。他の端末が同じ宛先と通信を始めるのは、この端末より後です」


 部長が、私を見た。私は、表を見ていた。


「ダウンロードの宛先は、それとは別です。そこから何が落ちてきたか、何をきっかけに実行されたかは、端末を見ないと分かりません。ただ、順番は、記録のとおりです。ダウンロード、その二分後に、指令の宛先への通信」


 岸さんは、表の一行を指した。十四時十一分。私の端末の名前。知らない宛先。


 知らない宛先ではなかった。宛先の名前は知らない。時刻は知っている。午後二時に登録して、控えのメールが来て、赤で書いて、開いた。あの十分だった。


「嶋田さん、この十分後のは、心当たりありますか」


 部長が、私に訊いた。岸さんは訊かなかった。岸さんは、私の顔を見ていた。


「……登録のあとに、店のページを見たと思います。その通信かもしれません」


「店のページなら、宛先は登録と同じになります。これは、別です」


 岸さんは、表を見たまま言った。私の答えは、表と合わなかった。


「端末の中身は、明日、見ます。その前に伺いたい。この端末を、その日、誰が使っていましたか」


 部長が私を見た。


「私です。私の端末なので」


「一日中、嶋田さんだけでしたか」


 口が、動いた。


「……そういえば、あの週、久保田くんに貸した日がありました。会議の資料の印刷で。共有プリンタの設定が、私の機にしか残っていなくて」


 思い出した、という顔で言った。思い出したのではない。昨日、久保田くんが自分で言ったことだ。六月の頭、リーダーが会議の日。


「久保田さんが。何時頃ですか」


「朝です。十時の会議の前。私は会議に出ていたので、その間は、席にいませんでした」


「分かりました。久保田さんにも、伺います」


 岸さんは、手帳に書いた。久保田、と書いたのが見えた。私が書かせた名前が、また一つ増えた。


 会議室を出る前に、岸さんが、社内チャットに一行、打った。#障害対応に、すぐ出た。


 開発一部リーダー機、解析は明日九時から。関係者は立ち会い可。


 関係者、の中に、久保田くんが入った。私が入れた。


 部長が、会議室を出る時に言った。


「嶋田さん、久保田くんが何かしたと思ってる?」


「思っていません。事実を言っただけです」


「そうだよな。あいつ、真面目だし」


 真面目だから、印刷に私の機を借りた。真面目だから、昨日、自分から言った。真面目な人間の行動を、私は事実として、岸さんに渡した。




 昼前に、久保田くんが呼ばれた。


 三十分、戻ってこなかった。柳瀬くんの席は空いたままで、久保田くんの席も空いて、開発フロアの私の周りは、二つ、空いていた。


 戻ってきた久保田くんは、席に座らずに、私の机の横に立った。


「リーダー。僕、疑われてます」


「……何て言われたの」


「リーダーの機を借りた日と、変な通信の日が、同じだって。借りた時に、何か開かなかったかって」


「開いてないでしょう」


「開いてません。印刷しただけです。十時前に借りて、十時に返しました。会議の資料、十二枚」


 久保田くんの声は、いつもより速かった。速いまま、続けた。


「でも、時刻が違うんです。僕が借りたのは十時前で、変な通信は午後二時だって、岸さんが言いました。午後二時、僕は自分の席で、自分の機を使ってました。ログにも残ってるはずです」


「……そう」


「だから、岸さんに言いました。明日、リーダーの機を見る時、時刻を先に見てください、って。十時と、午後二時。それで証明できます」


 証明できます。


「……岸さんに、そこまで言わなくても、よかったんじゃない」


「言わないと、僕が疑われたままですよ」


 久保田くんは、少しだけ笑った。笑ってから、笑うのをやめた。


「僕の評価、覚えてます? 上司の判断に依存する傾向、って。今回もそうですね。リーダーが関係ないって、僕が決めてる」


 私が書いた一行を、久保田くんが自分で読み上げた。私は、それを聞くしかなかった。


「でも、時刻は僕の判断じゃないです。記録です。だから、大丈夫です」


「僕が開いてないことも、証明できます。リーダーは関係ないです、って言いました。リーダーは、私用禁止をいちばん言ってた人ですって」


 久保田くんは、私の顔を見ていた。私は、久保田くんの顔を見ていた。


 久保田くんが、私を信じている。それが分かった瞬間、傷つくより先に、助かった、と思った。久保田くんが疑われている間、私は疑われない。


 思った直後に、証明できます、の意味が分かった。


 時刻を先に見る。十時に印刷。午後二時に、通信。午後二時に、久保田くんは自分の席にいた。私は、会議から戻って、自分の席にいた。時刻を先に見れば、久保田くんは外れる。外れたあとに、その端末の前に座っていた人間が、一人だけ残る。


「……久保田くん」


「はい」


「明日、立ち会うの」


「立ち会います。岸さんも、いいって」


「そう」


 それ以上、言えなかった。立ち会わないで、とは言えない。言えば、なぜ、と訊かれる。


 久保田くんは自分の席に戻った。戻ってから、私用のスマホを見て、私に言った。


「柳瀬さんから、来ました。僕の次は久保田さんですか、って。……何て返せばいいですかね」


「……分からない」


「分からない、ですよね」


 久保田くんは、返さなかった。既読だけを付けたのかどうかは、私からは見えなかった。




 夕方、岸さんが、フロアの隅の机から私を呼んだ。


 西村さんはいなかった。二人だけだった。


「嶋田さん。明日の段取りだけ、お伝えします。久保田さんの希望どおり、時刻から見ます。十時前後と、十四時前後。それから、その前後の操作を追います」


「はい」


「それで、久保田さんについては、たぶん、すぐに外れます」


「……はい」


「久保田さんは、いい部下ですね。自分が疑われている最中に、自分のことより先に、上司のことを言いました。リーダーは関係ない、と」


「……そうですね」


「そういう部下がいる人は、たいてい、部下の前で言えなくなります。それも、いくつも見ました」


 岸さんは、ノートパソコンを閉じた。閉じてから、私を見た。


「一般論として、お話しします。これまで、いくつも現場を見てきました。最初に開いた人が、自分から言った現場と、言わなかった現場があります」


「はい」


「言わなかった現場では、開いた人は、たいてい、途中で何かを消しています。あるいは、何かを後回しにしています。消した人は、たいてい、開いた人です」


 一般論、と岸さんは言った。私を見て言った。


「私は、誰が開いたかより、いつ言うかを見ています。開いた人は、必ずいます。それは責められない。メールは、開くためにあるので。ただ、いつ言ったかは、その人が決めたことです」


「……はい」


「今なら、まだ、今です。明日の朝は、明日の朝です」


 岸さんは、それだけ言って、ノートパソコンをリュックに入れた。


 私は、自分の席に戻った。今なら、まだ、今。岸さんは、明日の朝、時刻を先に見る。久保田くんの希望どおりに。久保田くんが、私のために、頼んだ順番で。


 言うなら、今だった。今、と分かっていて、私は、久保田くんの空いた席と、柳瀬くんの空いた席を見ていた。




 帰りの電車で、私用の受信箱を開いた。


 金曜のメールは、無い。消した。ゴミ箱も空だ。あなたが最初だ、の一行は、私の頭の中にだけある。頭の中は、誰も見られない。


 消したものは、戻らない。そう思っていた。


 木曜の朝、九時に出社した。


 岸さんは、もう来ていた。私の旧端末が、隅の机の上に置いてあった。発症の朝以来の、自分の端末だった。電源は入っていなかった。岸さんの機械が、線で繋がっていた。


 久保田くんが、その横に立っていた。


「おはようございます、リーダー」


「……おはよう」


「時刻から見てもらいます。すぐ終わります」


 すぐ終わる。久保田くんは、そう信じていた。


「リーダー、緊張してます?」


「してない」


「僕はしてます。自分の機じゃないのに」


 部長が、少し離れた席から見ていた。西村さんが、岸さんの隣で、記録用のノートを開いた。開発フロアの何人かが、こちらを見ないふりをしていた。見ないふりは、見ているのと同じだ。


 岸さんが、自分のノートパソコンに、何かを読み込ませていた。私の端末の中身は暗号化されているが、どこに何があったか、いつ何が動いたか、の記録は、別に残る。岸さんが、そう説明した。私も、開発者として、それを知っていた。知っていて、初期化を希望した。


 画面に、時刻が並んだ。


「十時二分、印刷。共有プリンタへ、十二枚。使用者のアカウントは、嶋田さんのままです。久保田さんが借りた時間と一致します」


「はい」


 久保田くんが答えた。


「十時十六分、ロック。会議に出た時間ですね。十一時四十分、ロック解除」


 私が戻った時間だった。


「十四時三分、外部サイトへの登録の通信。十四時十一分、外部からのダウンロード。十四時十二分、ダウンロードしたファイルの展開。十四時十二分、展開した中身の実行」


 久保田くんが、息を吸った。吐かなかった。


「十四時十三分、指令の宛先へ、最初の通信。以後、毎日。発症の月曜の朝まで」


 岸さんは、画面から顔を上げなかった。


「嶋田さん。十四時十一分から十二分、この端末の前に、誰がいましたか」


 久保田くんが、私を見た。


 証明できます、と言った顔だった。証明されるのが何かを、まだ知らない顔だった。



つづく

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