第6話 ばら撒かれたデータ
一
月曜の朝、#障害対応が、悲鳴になっていた。
電車の中で開いた時点で、未読が三百を超えていた。一番上に、西村さんの書き込み。
犯人側が、期限切れとして、データを公開しました。顧客情報に加え、社員の情報が含まれています。氏名、住所、給与、人事の記録。閲覧はしないでください。アクセス元の情報が、相手側に残る可能性があります。
閲覧するな、と書かれた下に、閲覧した人の書き込みが並んでいた。
自分の住所が出てる。
給料、全部出てる。隣の人の給料も見えた。
評価面談の記録って、あれ、本人に見せないやつだよね。
見た。見なきゃよかった。
うちの部の分、誰が書いたか、名前まで出てる。
私は、閲覧した。
閲覧するなと言われて、閲覧しない人間は、この朝、たぶんいなかった。誰でも落とせる場所に、うちの会社の中身が置いてあって、それをうちの社員が、電車の中で、自分のスマホで開いていた。
社員名簿の中に、私の名前があった。住所。給与。入社年。それから、評価。私が受けた側の評価は、部長が書いたもので、短かった。
その下に、私が書いた側の評価があった。
六人分。評価面談の記録。人事のシステムに、私が去年の冬に打ち込んだものだ。引き出しの三段目に、紙の控えがある。紙は引き出しの中にあって、中身は、いま、世界中にある。
柳瀬。私用の閲覧が三回。注意しても改善無し。判断に甘さがあり、指示の意図を汲まない。
久保田。処理は速く正確。ただし上司の判断に依存する傾向。自分で決める場面を増やす必要。
私の字ではない。打ち込んだ文字だ。でも、私が書いた。書いた時は、正しいと思った。いまも、間違ってはいないと思う。間違っていない文が、本人の目の前に、私の名前つきで置いてある。
開発フロアに着くと、柳瀬くんは席にいた。スマホを伏せて、黒い画面のPCを見ていた。
「おはよう」
「……おはようございます」
それだけだった。久保田くんも、おはようございます、と言った。言ったあとで、私を見なかった。
十時に、久保田くんが私の席に来た。声は、いつもと同じ大きさだった。
「リーダー。上司の判断に依存する傾向、って、僕ですよね」
「……そう書いた」
「当たってます」
「当たってるから、書いた」
「当たってるから、嫌なんです。当たってないなら、笑えました」
久保田くんは、それだけ言って席に戻った。当たっている、と本人に言われる評価を、私は六人分、書いていた。
二
昼前に、部長から全社チャットに指示が出た。
正面玄関に報道関係者が集まっています。出入りは裏口を使ってください。取材には一切応じないでください。
窓から下を見た。会社の前の通りに、中継車が三台、止まっていた。カメラを肩に乗せた人と、マイクを持った人が、正面玄関の前に固まっている。守衛が二人、玄関の内側に立っていた。
「リーダー、これ、うちですよね」
「うち」
「……何百万人の住所と、社員の給料。そりゃ来ますね」
久保田くんは、それだけ言って、窓から離れた。
柳瀬くんは、昼休みに、コンビニへ行った。行く時に、裏口を使わなかった。使わなかったのではなく、指示のチャットを見ていなかった。見ていなかったのは、朝から、スマホを伏せていたからだ。
戻ってきた時、柳瀬くんの顔は、朝より白かった。
「正面から、入っちゃいました。……カメラ、こっち向いてました」
「映った?」
「分かりません。マイク向けられて、何も言ってません。走りました」
「それでいい」
それでいい、と言ったのは私で、良くはなかった。
夕方のニュースを、フロアのテレビで見た。会社の正面玄関が映った。中継車と、カメラと、走って入っていく背中。背中にはモザイクが掛かっていた。ナレーションが、言った。流出したデータには社員の個人情報も含まれており、名前が含まれていたとみられる社員が、報道陣の前を通る場面もありました。
断定はしていなかった。断定していなくても、フロアの全員が、背中の主を知っていた。
五時に、フロアの固定電話が鳴った。私が取った。
「はい、帝電工業です」
『あの、柳瀬の母です。息子が、そちらに勤めております、柳瀬の』
声が、震えていた。
『テレビで、息子を見た気がして。……大丈夫なんでしょうか。あの子、家の住所も出てるって』
「……お母様。柳瀬さんは、いま、無事に社内にいます。今日は、裏口から帰るように、私から伝えます」
『大丈夫、なんでしょうか』
大丈夫です、と言えなかった。大丈夫だと言える材料が、一つも無かった。
「……できる限りのことを、します」
電話を切って、柳瀬くんに、お母さんから電話があったことを伝えた。柳瀬くんは「すみません」と言った。謝る側が、逆だった。
「柳瀬さん、帰る時、僕、裏口まで一緒に行きます」
久保田くんが言った。
「いいですよ、一人で」
「正面に回りそうだから。今日、チャット見てなかったでしょう」
「……見てなかったです」
「僕が見てるから、いいです」
二人は、六時に、裏口から出た。私は、正面の窓から、中継車がまだ三台あるのを見てから、裏口から出た。裏口は、ゴミ置き場の横だった。
三
火曜日、岸さんの聴取が始まった。
会議室の小さいほうを使って、一人ずつ、十分。順番は、私が出した。柳瀬くん、久保田くん、それから四人、最後に私。
柳瀬くんは、十五分かかった。戻ってきた顔を見て、久保田くんが「長かったですね」と言った。柳瀬くんは答えなかった。
久保田くんは、十分で戻ってきた。
「リーダー。岸さん、僕にも柳瀬さんのこと訊いてきました。動画以外に何か開いてそうか、って」
「なんて答えたの」
「分からない、って言いました。……分からないですよね、本当に」
「それでいい」
「それでいい、って、リーダーは何て答えるんですか」
「同じ。分からない」
久保田くんは、少しだけ、私を見た。それから、自分の席に戻った。同じ、と私は言った。同じではなかった。久保田くんは本当に分からず、私は分かっていて、同じ言葉を使った。
私の番は、夕方だった。
「嶋田さん。不審なメールを開いた覚えは」
「ありません」
「添付ファイルは」
「ありません」
「私用での、会社端末の利用は」
「偽サイトの登録の件は、報告したとおりです。あれは取引先への手土産の注文に用いたもので、決して私用ではありませんでした。それ以外は、ありません」
岸さんは、手帳に書いた。私用ではなかった、の部分を書いたかどうかは、見えなかった。
「今申告すれば、処分は軽くなります。時間が経つほど、重くなります。これは、全員に言っています」
「はい」
「それから、チームの窓口として伺います。柳瀬さんについて」
来た、と思った。
「柳瀬さんは、会社端末で私用のサイトを繰り返し閲覧していた。注意を受けても続けていた。評価の記録にも、そう書かれています。書いたのは嶋田さんですね」
「はい」
「利用規則を守っていなかった人については、他に何か開いていないかを、周囲の方にも伺っています。手順です。嶋田さんの目から見て、柳瀬さんは、動画以外に何か開いていそうですか」
私は、答えた。
「……分かりません。本人は、開いていないと言っています。私は、決めつけたくありません。調査の結果を待ちます」
「分かりました」
岸さんは、書いた。庇わなかった。庇えば、私が柳瀬くんを信じている理由を訊かれる。信じている理由は、私が原因を知っていることだった。
席に戻ると、柳瀬くんが私の机の横に立っていた。
「リーダー。岸さんに、動画のこと、訊かれました。他にも何か開いてないかって」
「訊かれた。私も」
「リーダー、なんて答えたんですか」
「決めつけたくない、って。調査の結果を待とうって」
「……決めつけたくない、って、疑ってるってことですよね」
「そうじゃない」
「僕じゃないって、言ってくれなかったんですね」
柳瀬くんは、声を上げなかった。上げないまま、続けた。
「リーダー、僕の評価、読みました。判断に甘さ、指示の意図を汲まない。……僕、リーダーの言うとおりにしてたつもりでした」
返せなかった。書いたことは、間違っていない。間違っていない、と言う場面ではなかった。
「柳瀬くん、動画以外には、本当に何も開いてない?」
口から出たのは、それだった。確認の形で、もう一度、柳瀬くんの名前を、疑いの卓に置いた。
「……開いてません」
「分かった」
分かった、と言って、私はそれ以上、何も言わなかった。
六時に、部長が柳瀬くんを呼んだ。本人の安全のため、当面、自宅で待機。報道の件があるから。給与は出る。部長はそう言った。安全のため、と、調査のため、が、同じ言葉で処理されていた。柳瀬くんは、鞄を持って、裏口から帰った。
四
夜、私用のスマホに、柳瀬くんからメッセージが来た。社内チャットではなく、去年の忘年会の時に交換した、私用の連絡先からだった。
リーダー、僕じゃないですよね。
一行だけだった。
私は、返信欄を開いた。違う、と打った。柳瀬くんじゃない、と続けて打った。打って、指を止めた。
違う、と送れば、なぜ違うと言えるのか、を、柳瀬くんは訊く。訊かれたら、答えは一つしか無い。私が知っているからだ。
消した。一文字ずつではなく、全部を選んで、消した。返信欄が空になった。
既読だけが、残った。
柳瀬くんの画面には、既読、と出ている。読んで、何も返さなかったことが、向こうに残っている。私はスマホを伏せた。
伏せる前に、もう一度、公開されたデータを開いた。社員名簿。自分の名前。住所。私の住所も、誰でも落とせる場所にある。私の評価も、私が書いた評価も。
開発フロアの、柳瀬くんの席は、空いていた。明日も、空いている。安全のため、と部長は言った。空いた席を、明日、私は見る。空けたのは部長で、空くように置いたのは、私だった。
つづく
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