第5話 記者会見


 木曜の朝、#障害対応の一番上に、西村さんの書き込みがあった。


 顧客情報が外部に持ち出された可能性があります。対象はレジェンの利用者の登録情報です。詳細は調査中です。社外への発信は引き続き禁止します。


 可能性、と書いてあった。可能性、と書く時、それはもう起きている。経理の給与のメールで、私はそれを学んだばかりだった。


「リーダー、これ、うちの客ですよね」


 久保田くんが、スマホを持ったまま言った。


「レジェンの利用者。登録した人、全員」


「全員って、何百万人ですよ。電車で五人に一人」


「知ってる。数えたくない」


 昼に、ネットの記事が出た。帝電工業、ランサムウェア被害、顧客情報流出のおそれ。記事の中に、社内から漏れたらしい一文があった。バックアップサーバも同一ネットワーク上にあり、復旧の見込みは立っていない。


 午後には、SNSで帝電工業の名前が上位に出ていた。


 バックアップ同じネットワークとかありえない。

 素人かよ。

 レジェン持ってるんだけど、住所漏れた?

 IT任せの末路。

 社員、誰か特定した?


 誰かが、それの画面写しを#障害対応に貼った。部長が「貼らないでください」と書き、画面写しは消えなかった。消せる人が、いなかった。


「僕、アカウント鍵にしました」


 柳瀬くんが言った。


「会社名、書いてた?」


「書いてないです。でも、写真に社員証が写ってるのがあって」


「消して」


「消しました。……リーダーは」


「私は、アカウントが無い」


 無い、は本当だった。私用のスマホには、スイーツのまとめサイトと、カードのアプリと、社内チャットしか無い。晒される場所を、私は最初から持っていなかった。


 午後三時に、フロアの固定電話が鳴った。会社の代表番号に掛かってくる客の電話が、総務で受けきれず、各部に回されている。開発フロアに客の電話が回ってくることは、この六年で一度も無かった。


「はい、帝電工業です」


 私が取った。取れる人間が、私しかいなかった。


『レジェン使ってるんですけど。私の住所、漏れたんですか』


「現在、調査中です。お客様の登録情報が外部に持ち出された可能性があり、対象の方には、順次ご連絡します」


『可能性って、漏れたんですか、漏れてないんですか』


「……可能性があります。確定次第、ご連絡します」


『カードは』


「カードの番号は、弊社では保持しておりません。決済の会社が管理していて、そちらは影響を受けていません」


 それだけは、はっきり言えた。言える部分だけを、はっきり言った。相手は、分かりました、と言って切った。分かっていない声だった。


「リーダー、客の電話、普通に取れるんですね」


「言うことが決まってれば、取れる。決まってない電話が、駄目なだけ」


 可能性があります、と言え、と部長から指示が出ていた。可能性、は便利だった。漏れた、とも、漏れていない、とも言わずに済む。私は、その便利さを、今日、二十回使った。




 復旧は、できない。それでも、仕事は回さなければならない。


 金曜の朝、私は紙を六枚、机に並べた。コピー用紙の裏だ。一枚ずつ、部下の名前を書いた。


「発注のデータは戻らない。でも、先月の会議で決めた数は、私が覚えてる。新機種の試作が二百、現行の二型が千五百、一型の補修部品が三百。工場長には、この数で伝えてある」


「覚えてるんですか、全部」


「会議で、私が言った数だから」


 柳瀬くんが、紙を受け取った。


「柳瀬くんは、協力会社の田島さんの分。仕様書は開けないから、覚えてる範囲で、田島さんと電話で摺り合わせて、紙に書く。書いたら私に見せて」


「紙で、ですか」


「紙で。PCは無い」


 久保田くんには、取引先の予定の復元を渡した。先週、誰と何を約束したかを、六人の記憶から集めて、一枚にする。


「記憶で、いいんですか」


「記憶しか無い」


 久保田くんは、紙を持って、フロアを回った。


 協力会社からの電話は、全部、私のスマホで受けた。田島さん、部品の会社、試験の会社。同じことを、同じ順番で言った。障害で止まっている。再開は未定。分かり次第、こちらから。嘘は無い。全部、本当だった。


 柳瀬くんが、田島さんとの電話で詰まった。


「……はい。……えっと、通信の部分の、四章の……すみません、四章が何だったか」


 私は手を出した。柳瀬くんが、スマホを渡した。


「嶋田です。田島さん、四章は電源まわりの制御です。三章が通信。先週お送りした版では、三章の三節に、待機時の処理を追加しました。……そうです、それです。その版で進めてください。次の版は、こちらが戻り次第」


 電話を返した。柳瀬くんが、紙に、三章三節、待機時、と書いた。


「リーダー、仕様書、頭に入ってるんですか」


「レビューで三回読んだ。三回読めば、入る」


「僕、一回しか」


「知ってる」


 久保田くんが、紙を持って戻ってきた。


「先週の予定、集めました。六人で覚えてるのが十一件。……誰も覚えてない予定が、三件あります。予定表に入ってたはずなのに、中身が分からない」


「三件は、相手から電話が来るのを待つしかない」


「来なかったら」


「無かったことには、できない。向こうは覚えてる」


 久保田くんは、紙の下に、三件、と書いて、線で囲んだ。


 昼に、部長が私の席に来た。


「嶋田さん、うちの部でいま動いてるの、嶋田さんのチームだけだよ」


「動いてはいません。紙で、止まってないふりをしてるだけです」


「ふりでいい。ふりができるのが、嶋田さんだけなんだ。……いてくれて、よかった」


 部長は、それだけ言って戻った。いてくれてよかった。私は、机の上の六枚の紙を見た。六枚とも、私の字だった。


 隣のリーダーが、廊下で言った。


「嶋田さんのチームだけ回ってるって、部長が言ってた」


「回ってません」


「回ってるように見えてる。それで十分だよ、いまは」


 回っているように見えているのは、原因に心当たりがある人間のチームだった。心当たりがある人間が、いちばん冷静に、紙で仕事を回している。冷静でいられる理由を、私は考えないことにした。




 金曜の夕方、記者会見があった。


 本社の会議室からの中継を、フロアのテレビで見た。社長と、部長と、知らない役員が、長机に並んで座っていた。社長が立って、頭を下げた。部長も下げた。下げている時間が、長かった。


 お客様の情報を、お預かりする立場でありながら。再発防止に、全力で。原因については、現在、外部の専門家とともに調査中で。


「あの人たち、原因分かってないでしょ」


 久保田くんが言った。


「分かってない」


「分かってないのに、頭下げてる」


「下げないと、始まらないから」


 記者が質問した。初期の侵入経路は、特定されているのか。社長が役員を見て、役員が「調査中です」と言った。それ以上は無かった。フロアの誰かが「調査中だってさ」と言い、誰も笑わなかった。


 テレビの画面の下に、株価の数字が出ていた。朝から下がり続けて、昼に止まった。止まったのは、下がる余地が無くなったからだ。ストップ安、と字幕が出た。


 私は、私用のスマホを机の下で持っていた。


 会社の受信箱を開いた。四週間前の火曜日まで、指で戻した。ルヴェールの案内。100番目の控え。添付のzip。オープン当日の注文の確認。準備中のままの問い合わせの控え。


 消した。


 案内を消した。控えを消した。注文の確認を消した。問い合わせの控えを消した。ゴミ箱を開いて、空にした。指が、それを全部、二十秒でやった。テレビの中で、社長がまだ頭を下げていた。


 会社のPCには、触れない。ブラウザの履歴は、消せない。消せた分だけ消して、受信箱を閉じた。


 整理しただけだ。


 自分にそう言った。消したのは、詐欺のメールだ。詐欺のメールを消すのは、整理だ。誰でもする。私用のスマホから、私の受信箱を、私が整理した。それだけだ。


「リーダー、スマホ、何見てるんですか」


 久保田くんが、私の手元を見ていた。


「株価」


「下がってますね」


「下がってる」


 久保田くんはテレビに戻った。株価は、テレビに出ている。スマホで見る理由は無かった。理由が無いことに、久保田くんは気づかなかった。気づかれなかった、と私は思った。


「リーダー、大丈夫ですか」


「大丈夫。……社長の頭、長いね」


「長いですね」


 柳瀬くんは、テレビに戻った。私は、スマホを机に伏せた。




 夜、岸さんが#障害対応に書き込んだ。


 来週の月曜から、社員の方全員に、個別に聴取を行います。一人十分程度です。お話しいただいた内容で、処分を決めることはありません。


 処分を決めることはありません。決めるのは、別の人だ。岸さんは、調べる人だ。


 帰り際に、岸さんとすれ違った。岸さんは、私の顔を覚えていた。


「嶋田さん。チームの分、紙で回してくださってるそうですね。部長から聞きました。助かります」


「……回っているように、見せているだけです」


「見せられるのは、中身が分かっている人だけです。月曜の聴取、嶋田さんは何時がいいですか」


「最後で、お願いします。チームの分を先に」


「分かりました。最後で」


 岸さんは手帳に書いて、階段を降りていった。最後で。自分で言った順番を、私はもう一度、頭の中で読んだ。


 私は、通知をミュートした。#障害対応の通知を、一つずつ。西村さんの書き込みも、部長の書き込みも、炎上の画面写しも、全部、鳴らないようにした。鳴らなくても、あることは変わらない。変わらないが、鳴らない。


 帰りの電車で、もう一度、会社の受信箱を開いた。


 四週間前の火曜日には、何も無かった。午後二時にも、その十分あとにも。受信箱は、あの日の分だけ、空いていた。空いている、と分かるのは、そこに何があったかを知っている人間だけだ。


 部長の声を思い出した。いてくれて、よかった。


 いてくれてよかった、と言われた人間が、電車の中で、受信箱の空白を見ている。空白は、私が作った。六枚の紙も、私が書いた。同じ手だった。



つづく

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