第4話 調査の始まり


 火曜日の朝、フロアに知らない男の人が立っていた。


 黒いリュックを背負って、ノートパソコンを二台、脇に抱えている。西村さんが横にいて、部長が横にいて、その三人の前で、開発フロアの全員が黒い画面の前に座っていた。


「外部から調査に入ります、岸です」


 それだけ名乗って、岸さんは続けた。声は大きくなかったが、フロアの端まで届いた。


「結論から言います。ランサムウェアです。データを暗号化して、鍵と引き換えに金を要求する種類の攻撃です。この事務所の端末と、サーバと、バックアップのサーバが、暗号化されています。復旧の目処は、いまの時点では立ちません」


 誰かが、小さく「バックアップも」と言った。岸さんは頷いた。


「バックアップも、です。同じネットワークにあったので、一緒にやられています。身代金については、会社として払わない方針だと聞いています。私もそれを勧めます」


 払わない。払えば戻る、のかどうかを、岸さんは言わなかった。


「これから、端末を一台ずつ調べます。触らないでください。それから、ここ一か月で、不審なメールや添付ファイルを開いた記憶のある方は、私に直接、今日中に言ってください。今日中に、です。早いほど、調査が早く終わります。誰が開いたかで処分をする場ではありません」


 今日中に、を二回言った。私は、自分の手を見ていた。


「身代金って、幾らなんですかね」


 柳瀬くんが、小声で言った。


「言わなかった」


「払わないなら、戻らないってことですよね」


「……戻らないなら、作り直す」


「作り直すって、何を」


「全部」


 久保田くんが、私を見た。全部、と言った私の顔を見た。私は、見返さなかった。


 岸さんは、フロアの隅の空いた机に、二台のノートパソコンを並べた。会社のPCではない、自分のPCだ。西村さんが横に座り、二人で何かを小声で話し始めた。


 スマホが震えた。社内チャットに、新しいチャンネルが立っていた。「#障害対応」。西村さんの書き込みが最初にあった。端末に触らないでください。次に、部長の書き込み。社外への不用意な発信は禁止。取引先への連絡は、各部の窓口を通すこと。


「窓口、って、誰ですか」


 柳瀬くんが訊いた。


「決まってない。……私がやる。うちのチームの分は、私がまとめて報告する」


 言った。言ったのは、部長にでも岸さんにでもなく、柳瀬くんと久保田くんにだった。二人は頷いた。窓口は、私になった。


「久保田くん、みんなに軽く聞いといて。岸さんの言ってた、メールとか添付とか、開いた人がいないか。私が聞くと、詰めてるみたいになるから」


「分かりました。軽く、ですね」


 久保田くんは、席を立った。私は、聞く側に回った。




 昼までに、止まっているものの一覧ができた。


 一覧を作ったのは誰でもなく、社内チャットに書き込まれたものを、私が頭の中で並べただけだ。


 工場は動いている。ネットワークが別だからだ。ただ、何を作ればいいかは、事務所のサーバから来る発注のデータで決まる。データが来ない。工場は、先週の分を作り終えたら、次が無い。


 出荷は止まった。出荷の指示を出すシステムが、事務所にある。倉庫には、レジェンの箱が積んである。積んであるだけで、どこに送るかが分からない。


 取引先との打ち合わせは、今日の分が全部飛んだ。予定表が見えない。今日、誰と、何時に、何の話をするはずだったのか、誰も分からない。過去のやり取りも見えない。先週、取引先に何を約束したのかを、覚えている人の記憶だけが頼りだった。


 経理が止まった。今月の給与の振込に影響が出る可能性がある、と、経理からの全社メールが、チャットに転載された。可能性、という言葉を、経理は使った。


 スマホだけが、生きていた。


「はい、帝電工業の嶋田です。……はい、今朝から。……はい、それで、今週の打ち合わせなんですが。……ええと、いつの予定でしたっけ。……木曜。木曜ですね。それは、延期をお願いすることになると思います。……いつ再開できるかは、分かりません。分かり次第、こちらから」


 電話を切って、私は次の番号を探した。番号は、私用のスマホの履歴から拾った。会社の連絡先は、開けない。


 フロアのあちこちで、同じ電話が掛かっていた。営業の誰かが「今日の打ち合わせ、ありましたっけ」と、取引先に訊いているのが聞こえた。訊く側が、予定を持っていない。


「リーダー、協力会社の田島さんから、僕のスマホに来ました。仕様書の続き、いつ送れるかって」


「送れない。仕様書が開かない」


「なんて言えば」


「そのまま言って。障害で、開けない。再開の時期は未定。嘘は言わなくていい」


「……分かりました」


 柳瀬くんは、私の言葉をそのまま電話で言った。嘘は言わなくていい、と言ったのは私だった。


 部長が、スマホを耳に当てたまま、私の席に来た。


「嶋田さん、工場長から。来週、何を作ればいいのか、発注のデータが来ないって。開発で分かる範囲でいいから、教えてほしいと」


「発注は、うちからは見えません。ただ、来週の分は、先月の会議で決めた数のはずです。新機種の試作が二百、現行の二型が」


 数字を、記憶から出した。部長がそれを、電話にそのまま伝えた。工場長が何かを言い、部長が「嶋田さんの記憶です」と答えた。記憶です、と言われる側に、私はいた。データの代わりに、私の頭が使われていた。


 営業の課長が、また来た。


「嶋田さん、木曜の客先、延期って言ったって田島さんから聞いた。うちの営業の予定にも入ってたんだよ、あれ」


「すみません。予定表が見えないので、重なっているのが分かりませんでした」


「誰も分からないよ。……いや、責めてない。全部そうだ」


 課長は、それだけ言って戻った。全部そうだ。全部、の中に、私の分が入っているのを、課長は知らない。




 午後二時に、私は岸さんの席へ行った。


 言うつもりだった。昨日の夜、電車の中で、明日、と決めた。明日は今日で、今日中に、と岸さんは二回言った。


 岸さんは、電話をしていた。ノートパソコンの画面を見ながら、相手に何かの番号を読み上げていた。西村さんが横で、紙に書き取っていた。私は、二人の後ろに立った。三十秒、立った。岸さんの電話は終わらなかった。


「嶋田さん、何か」


 西村さんが振り向いた。


「……いえ。あとで」


 席に戻った。戻る途中で、久保田くんに呼ばれた。


「リーダー、田島さんの件、部長が窓口を通せって。リーダーからも一本、電話をお願いします」


「分かった」


 電話をした。田島さんは、柳瀬くんに聞いたのと同じ話を、私からもう一度聞いて、「分かりました」と言った。


 三時に、もう一度、岸さんの席へ行った。


 岸さんは、電話をしていなかった。画面を見て、キーを叩いていた。私は横に立った。岸さんが顔を上げた。


「はい」


「開発一部の、嶋田です。チームの窓口をしています」


「はい」


「チームの申告の状況を、報告に来ました」


 口が、そう動いた。言うつもりで来た口が、報告に来た、と言った。


「お願いします」


「全員に確認しました。不審なメールや添付を開いた記憶のある者は、いません。該当なしです」


 岸さんは、手帳を開いて、書いた。開発一部、該当なし。字が、ここからでも読めた。


「ありがとうございます。それと、昨日、偽サイトの登録の件を報告されたのは、嶋田さんですね」


「はい」


「あれは、西村さんの言うとおり、入口ではないと思います。報告は、助かりました」


「……はい」


 助かりました、と言われて、席に戻った。全員に確認しました、は本当だった。久保田くんが、朝のうちに、みんなに軽く聞いて回っていた。私が頼んだ。全員、無し。全員の中に、私がいた。


 該当なし。手帳に書かれた字を、私はもう一度、頭の中で読んだ。書いたのは岸さんで、書かせたのは私だった。




 夕方、経理からの二通目のメールが、チャットに転載された。今月の給与は、振込の日が遅れる可能性がある。振込の額を確定するシステムが動かないため。改めて連絡する。


 それを読んで、久保田くんが怒った。


「まったく、上は何やってんですかね。バックアップ、同じネットワークって。僕でも知ってますよ、駄目なの。給料まで止まるって、何ですか」


 スマホを机に置いて、久保田くんは言った。柳瀬くんが頷いた。


「ほ、ほんとだよ、まったく」


 私の口から出たのは、それだった。笑いながら出た。笑うつもりは無かった。頬だけが、勝手に上がった。


「リーダー、なんで笑ってるんですか」


「笑ってない。……呆れてる」


「呆れますよね。うちの部で一番、私用禁止とか、添付開くなとか、うるさく言ってたのリーダーなのに。上が守ってない」


「……うるさく言ってた」


「言ってました。だから僕、転送してましたもん」


 久保田くんは、それを褒め言葉として言った。私は、机の上の付箋を一枚剥がして、何も書かずに、また貼った。


「リーダー、うちのチーム、誰も開いてないですよね。今朝、聞いて回った時、全員無しでしたし」


「……全員、無しだった」


「じゃあ、うちは関係ない。関係ないのに、給料止まるんですよ」


「止まるとは書いてない。遅れる可能性」


「可能性で、家賃は待ってくれないです」


 久保田くんは、それ以上は言わなかった。言わなくても、六人の給料が遅れる、という事実は、私の席の前に置かれていた。


 夕方、岸さんが、チームごとの端末の調査の順番を決めに来た。


「開発一部は六台。どの順番で見ますか。業務への影響が少ない順で構いません」


「リーダー機は、後にしてもらえますか。業務影響が大きいので。部下の機から先に」


 もっともらしかった。もっともらしい、と自分で思うくらい、もっともらしかった。


「分かりました。では、柳瀬さんから」


 岸さんは手帳に順番を書いた。柳瀬、久保田、それから四人、最後に、嶋田。柳瀬くんが「僕、最初ですか」と言い、岸さんが「順番に意味はありません」と言った。意味はあった。付けたのは私だった。


 七時に、帰った。帰りの電車で、社内チャットを見た。#障害対応に、経理の書き込みがあった。給与の件は、明日、改めて連絡します。改めて、が、また出た。


 家に着いて、時計を見た。十一時五十分。今日中に、と岸さんは二回言った。今日は、あと十分だった。


 十分あれば、電話ができる。岸さんの番号は、#障害対応に書いてある。緊急の場合はこちらへ、と。


 スマホを持ったまま、十分が過ぎた。時計が、零時になった。


 今日中に、は、終わった。終わらせたのは、私だった。明日、と、もう一度思った。思って、それが昨日の夜と同じ言葉であることに、気づいた。



つづく

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