第2話 ご利用停止


 月曜の昼休み、私は自分の席で、会社のPCからルヴェールのサイトを開いた。


 オープンの文字と、桃のタルトの写真が出た。数量限定、残りわずか。昼休みは私用の時間だ。時間が私用なら、画面も私用でいい。そう決めた。


「リーダー、桃のタルト買うんですね。取引先用ですか?」


 弁当を持って通りかかった久保田くんが、画面を見た。私用だと気づいているのか、悪戯っぽく笑っている。


「覗かない」


「昼なのに、まだあるんですね。店で買えないほど人気だって、姉が言ってたのに」


 表示は確かに「残りわずか」となっていた。急いだ。カードの情報は登録の時に入れてあるので、打ち込む手間は無い。クーポンの番号を入れると、半額の表示が出た。タルトが一つ、二千百円。それから焼き菓子の詰め合わせを一つ、二割引。合計は一万円に少し足りなかった。決済の完了の画面が出て、注文番号が出た。


「買えました?」


「買えた」


「よかったですね。リーダー、今日、機嫌いいですね」


「普通」


「先週も普通って言ってました」


「先週も普通だった」


 久保田くんは自分の席に戻って、それ以上は言わなかった。私は注文の完了の画面を、画面写しで保存した。取引先の手土産の分は、経費の申請に要る。タルトの分は、要らない。


 午後、柳瀬くんが設計書の三頁目を直して出してきた。


「直しました。名前、一つにしました」


「見た。どっちに揃えたの」


「短いほうに。読む人が迷わないように」


「迷わない。いいと思う」


「……赤、無しですか」


「無し。次から最初からそうして」


 柳瀬くんは自分の席に戻る途中で、久保田くんに小さく「赤無しだった」と言った。久保田くんは「よかったですね」と言い、それから私を見て「リーダー、今日は本当に機嫌いいですね」と言った。私は答えなかった。赤を書かない日は、いい日だ。


 「残りわずか」の表示は、その日の夜になっても消えていなかった。




 一週間、届かなかった。


 発送の連絡は、来なかった。サイトの注文の状況は「準備中」のままで、問い合わせのフォームに送った文章には返事が無かった。


「久保田さんから聞きました。タルト、来ました?」


 柳瀬くんが訊いた。木曜だった。


「まだ。準備中」


「桃、そんなに時間かかります?」


「オープン直後で混んでるんでしょ。千人が一斉に頼めば、準備は千個ある」


「まあ、混みますよね」


 混む、と私も思っていた。


 金曜に、久保田くんが言った。


「リーダー、うちの姉も注文したらしくて。届かないって言ってます」


「お姉さん、何を買ったの」


「クッキーの缶。二割引で。残りわずかって書いてあったから、慌てて三缶買ったらしくて」


「じゃあ、私と同じ列に並んでる。準備中の列」


「リーダーのところも、姉のところも、同じ店の注文ですよね」


「同じ店の客なら、同じ列に並ぶ」


「並びますね」


 同じ店の客なら、同じ列に並ぶ。それで筋は通っている。


 二週間目の火曜日、フロアのテレビに、ルヴェールの店の外観が映った。


 昼のニュースだった。音は小さいが、字幕は読める。「有名スイーツ店を騙るサイトで被害相次ぐ」。店の外観の次に、字幕が続いた。ルヴェールはオンラインストアを開設していないこと。店は開設と称する日の前日から、公式サイトと店頭で注意を呼びかけていたこと。それでも会員登録の名目でカードの情報が抜き取られ、被害の相談が二週間で数百件に達したこと。画面に、偽物のサイトが映った。私が桃のタルトを買った画面と、同じ色だった。


「あ」


 柳瀬くんが、テレビを見て言った。私は、何も言えなかった。


 字幕が、頭に入ってこなかった。偽物、という一語だけが残って、あとの文字が流れていく。私が登録したのは、あれだ。私が買ったのは、あれだ。二週間待った桃のタルトは、最初から、どこにも無かった。準備中の列に、千人が並んでいた。並ばせたのは、店ではない。


 手が、勝手に私用のスマホを出していた。オンラインストアにアクセスしてみたら、Not Foundが表示された。二週間、毎日見ていた「準備中」の画面は、もう無かった。


 ルヴェールの公式サイトを開いた。初めて開いた。トップに、赤い枠で注意書きがあった。当店はオンライン販売を行っておりません。日付は、オープンの前日。私はこの二週間、メールのリンクから入って、メールのリンクから買って、メールのリンクから問い合わせていた。公式サイトは、一度も開いていなかった。


「これ、リーダーが言ってたやつじゃないですか。大手だから詐欺やる理由がないって」


「……大手が詐欺をやったんじゃなくて、大手を騙った誰かがやったの」


「リーダー、タルト買ってましたよね。早くカード止めたほうがいいですよ」


「今夜、止める。アプリで明細確認したけど、まだ何も使われてない」


 言いながら、カードのアプリを開いた。明細に、新しい行は無かった。


「使われてから止めても遅いですよ」


「分かってるってば。それより柳瀬くん、レビューまだ?」


 柳瀬くんは自分の席に戻った。久保田くんは、紙をめくる手を止めていた。止めて、私を見なかった。会社のPCで登録したことも、昼休みに買ったことも、久保田くんは見ている。


「姉にも伝えないと」


 久保田くんは私用のスマホを持って、窓際へ行った。電話をしている背中が見えた。私は自分の画面に戻って、開発中の通信のログを開いて、ログの数字を見た。数字は正常だった。正常な数字を、十分間見ていた。


 その日の夕方、久保田くんが私の席の横で足を止めた。何か言いかけて、言わずに、自分の席に戻った。戻ってから、一度だけこちらを見た。私は画面を見ていた。




 火曜の夜、家でカードのアプリを開いた。明細には、まだ何も上がっていなかった。止める、の画面まで行って、止めなかった。止めれば、明日からの支払いが全部止まる。定期券も、通信も、来週の歯医者も。何も使われていないのに止めるのは、早い。明日、明細を見てからでいい。そう決めて、閉じた。


 カードのアプリの通知は、水曜の朝に来た。


 「ご利用可能額を超えました」。次に、「ご利用内容をご確認ください」。明細を開くと、見たことのない家電の店の名前で、二百万円が使われていた。日付は、月曜の深夜。私が寝ていた時間だった。


 電車の中で、カード会社に電話した。


「不正利用の可能性がある、ということですね。カードは、すぐに停止します」


「はい。お願いします」


「ご本人様がご利用になった覚えは」


「ありません。二百万円の家電は、買っていません」


「承知しました。停止の手続きを行います。それから、今回のご利用分は、不正利用として補償の対象になる見込みです。調査のうえ、請求は取り消されます」


「……お金は、戻るんですね」


「引き落とし前ですので、戻るというより、請求されません」


 私は電車の吊り革を持ったまま、息を吐いた。二百万円が、請求されない。それだけで、月曜の夜から今までの時間が、無かったことになる。


「あの、一つ伺いたいのですが」


「はい」


「この件で、勤め先に連絡が行くことはありませんか」


「お客様の個人情報ですので、原則として、勤め先へのご連絡はいたしません」


「絶対に、ですか」


「原則として、です。警察から照会があった場合などは、この限りではありません」


「……警察」


「不正利用の被害届を、お客様ご自身で警察へ出していただくことをお勧めしています。補償の手続きでも、受理番号があると早く進みます」


 被害届。警察。私は、自分の名前で、警察に紙を出す。カード会社の人は淡々としていて、私が黙っている間も、淡々と待っていた。


「……出します」


「承知しました。受理番号が出ましたら、こちらへお知らせください」


 電話を切って、私はスマホの画面を見た。停止の手続き中、と出ていた。


 木曜の朝、出勤前に、駅の近くの署へ行った。窓口の人は、明細の画面写しを見て、書類を一枚出した。


「お名前と、ご住所と、お電話番号。それから、お勤め先を」


「勤め先も、ですか」


「連絡先として。書けるところまでで結構です」


 書けるところまで、と言われて、私は勤め先を書いた。帝電工業。書かない理由が、その場で思いつかなかった。書類の下に、窓口の人が日付を書いた。私も日付を書いた。受理番号をもらって、それをカード会社に伝えた。伝えた時、電話の相手は昨日と違う人で、同じくらい淡々としていた。




 金曜の夜、久保田くんと柳瀬くんと、三人で飲んだ。


 誘ったのは私だった。柳瀬くんの設計書が通った祝い、という口実にした。火曜からの私が、部下の目に普通に見えているかどうかを、確かめたかった。


 二杯目で、久保田くんが言った。


「実は、姉のカードが被害に遭ったんです」


「えっ」


「あのルヴェールの偽サイト。カードの番号が抜かれて、二百万円」


「二百万……」


 私の被害額と同じだ、とは口が裂けても言えなかった。


「カード会社に電話して慌てて止めてもらったらしいですけど、小まめにアプリをチェックしてなければどうなっていたか」


「早めに気付いてよかったですね」


 柳瀬くんが言った。久保田くんは頷いて、それから私を見た。


「リーダーは大丈夫でしたか?」


「うん、私は被害は受けてなかったよ。一応、カードは止めたけど」


 久保田くんは「よかったです」と言った。私は「祝いだから」と言って、三杯目を頼んだ。


「お姉さん、クッキー三缶、どうなったんですか」


 柳瀬くんが、話を変えた。


「来ないですよ。缶どころか、何も。二割引で三缶買ったつもりが、二百万円になって返ってきた」


「返ってきてはないですよね」


「返ってきてない。止めたから、請求もされない。……でも、姉、しばらくカード使えないんですよ。再発行で二週間」


「二週間」


「不便ですよ。定期券も、通信も」


 私はグラスを見ていた。火曜の夜に私が止めなかった理由を、久保田くんの姉は、止めた側から言っていた。


 会社のPCは、今日も普通に立ち上がって、普通に落ちた。ログの数字は正常だった。正常だった、と私は帰りの電車で自分に言った。


 家に帰って、カードのアプリを開いた。


 「ご利用停止」。その下に、「不正利用の調査中」。二百万円の明細には、取り消しの予定、と出ていた。私は画面を見て、それから消して、それからもう一度開いて、同じ文字があるのを確かめた。


 請求は来ない。会社には連絡が行かない。原則として。警察の受理番号は、カード会社に伝えてある。被害は受けていない、と部下に言った。全部、片づいた。


 画面の一番上に、「ご利用停止」の文字が、今日も出ていた。



つづく

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