第4話:人間に戻ることを誰が救いと決めたの?
1.中環市電・停留所周辺。翌朝、DAY6
イネスが停留所の路線図の前で足を止める。
指が、まだ降りたことのない駅名をなぞる。その方面へ走り去る市電を白銀の長髪越しに目で追う。
使用済みの乗車券をポケットから出し、カードホルダーへ差す。
透明な仕切りの向こうに異なる駅名の券が重なっている。今日の券を押し込む前に、印字された駅名が隠れないよう指先で位置をずらす。
ミラ「また増えたね。そっちの路線は乗ったことある?」
イネス「ない。だから降りてみたい」
ミラ「あたしは途中まで。終点はまだなんだよね」
イネス「じゃあ、終点まで乗ってみようかな」
リシア「行くのは休みの日ね。今日はこのまま戻る」
クララが時刻表の帰りの欄を指す。
クララ「最終便はこっち。乗り換えるなら帰りも確認して」
イネス「うん。途中で降りる時間も欲しいし」
イネスは路線図へ向き直り、終点から手前の駅へ指を戻す。ホルダーには、まだ券の入っていない仕切りがある。そこを開いてから、もう一度駅名を見上げる。エリオは、口元を緩めて路線を辿るイネスと、その手元を見る。
通信機が鳴り、リシアが応答する。
リシア「出動。外環の送電施設へ」
イネスはホルダーを内ポケットへ収め、留め具を閉じる。六人は出撃準備を済ませ、車両で外環へ向かう。市電の架線に沿って進む窓外に、太い送電線と鉄塔が増えていく。
2.外環電力変換・送電施設。同日
配管の吹出口から蒸気が上がらない。日向と建物の陰が同じ明るさへ近付き、二台の発電機が揃って鈍く回る。退避する作業員の足も、その回転と同じように遅くなっている。
施設中央の上空に、巨大な環が浮いている。真下の設備を覆うように灰色の膜が張られ、その向こうで核の影がぼやける。薄い影の広がる律域の外縁に、六人を乗せた車両が止まる。
※用語注:
①『律域』=神の《神律》が及ぶ範囲。
②《神律》=神の存在を成り立たせ、周囲にも強制される法則。
分離官のエリオとノエラが、入口側の防壁に測定器を置く。エリオの足元には黒い処置器具のケース。リシアとイネスは、膜の正面へ通じる通路に出る。
※用語注:分離官=人間と神の死骸を切り分ける処置を担う専門官。
防衛軍が正面と側面から膜の中心へ試験出力を放つ。光は核へ届く手前で横に広がり、施設全体を薄く照らす。別方向からの光も同じように拡散し、膜の中心だけを照らす光は残らない。
ノエラが地点ごとの明るさと熱を示す記録を並べる。着弾方向で跳ね上がった線が下がり、離れた地点の線が上がって、同じ高さへ寄る。
ノエラ(通信)「差が出た直後に全域へ再配分されている。今の出力だと核へ届く前に均される」
リシア(通信)「試射終了。狙うのは膜の奥の依代核。一点に、均されるより速く最大出力を通す。イネス、《心炉》を集中」
※用語注:
①『依代核』=施設に取りついた、この敵の身体と法則を支える中心構造。
②《聖骸装》=神の死骸を身体へ接続して纏う装備。
③《心炉》=イネスの《聖骸装》。熱と光の出力を生む器官。
イネス「最大まで上げるなら侵食も深くなる。核を焼き切るまで?」
リシア「そこまでだ。長引くなら判断し直す」
イネス「分かった。一点に絞る」
※用語注:『侵食』=神の力を使う負荷によって、人の身体や人格が神へ近づいていくこと。
エリオ(通信)「隊長。今の状態なら、この運用に異議はありません。帰還できる範囲を監視します」
イネスの背で黒く硬化していた《心炉》が展開を始める。
白銀の髪が持ち上がり、灰色だった通路に、彼女の身体を中心とした強い光が立つ。
◇
3.同じ戦場。最大出力
背後に二枚の炉翼が開き、イネスの身体が地面から浮く。翼は肩の後ろから左右へ大きく広がり、足先が配管の高さを越える。白銀の長髪が熱と上昇気流の中へ広がる。
二枚の炉翼から前方へ流れる光が一本に重なり、膜の中央へ突き立つ。周囲へ広がりかける光を後から続く放射が押し通す。刺さった一点の白さが消えず、ぼやけた核の影を正面に捉えたまま、膜へ食い込んでいく。
核の周囲にある支柱の影が濃くなる。配管から蒸気が立ち上り、止まりかけていた機械が異なる速度で回り始める。光の刺さる膜に裂け目が走ると、その縁へ灰色が集まり、放射を再び薄めようと広がる。
イネスが《同調》を深める。
炉翼の光が強まり、息を吸う肩が上下する。乱れた髪の間から裂け目を追い、眩しさに目を細める。
※用語注:《同調》=神の死骸との接続を深め、全身の装甲と力を使う戦闘状態。深まるほど、身体と人格への負荷が増す。
ノエラ(通信)「呼吸は?」
イネス(通信)「少し重い。視界ははっきりしてる」
イネスは一度息を吐き、膜の奥へ視線を定める。
イネス(通信)「まだ出せる。核まで届く」
リシア(通信)「膜は抜けかけている。核を焼き切るまで、継続を許可」
エリオ(通信)「本人の応答は明瞭。まだ通常の処置で帰せます」
放射が白さを増す。裂け目に集まった灰色を突き抜け、膜の中央を大きく穿つ。穴の縁が外へめくれ、隠れていた核の表面が露出する。イネスから核まで放射を遮る膜がなくなる。
◇
4.同じ戦場。敵撃破から処置要求へ
イネスが放射を核へ通す。
核は中央から焼き切れ、崩れ落ちる。環と膜が形を失い、ノエラの測定器から敵の反応が消える。
ノエラ(通信)「依代核、完全破壊。《神律》の反応ゼロ」
律域が消え、施設全体に影が落ちる。配管が鳴り、蒸気が上がり、機械がそれぞれの速度で動き始める。その上に、二枚の炉翼を広げたイネスが残っている。白銀の長髪が翼の間を流れ、立ち上る蒸気の向こうへ足先が覗く。彼女の光で、地上の支柱に長い影が伸びる。
エリオがケースを持ち、ノエラとイネスの下の通路へ進む。名前を呼ぶと、イネスは顔を下へ向け、二人を順に捉える。
エリオ「敵と、自分の状態は?」
イネス「敵は死んだ。私はまだ《心炉》と繋がってる。浮いたままね」
ノエラ「侵食は高い。《重誓》には届いていない」
※用語注:《重誓》=神との人格の混ざりが深まり、通常の分離処置では元へ戻せなくなる危険な段階。
エリオは返答と呼吸を確かめ、ケースを開く。
エリオ(通信)「隊長、イネスの出力停止と通常の《離骸》を進言します」
※用語注:《離骸》=人間と神の死骸との、戦闘時の身体・神経の接続を分ける処置。装備との契約自体は残る。
エリオ「イネス、今なら通常の処置で帰せる。このままだと《重誓》へ近づく。今すぐ出力を止めて、処置を受けてほしい」
イネスは炉翼を広げたまま、エリオを見る。
イネス「まだ戻らない」
その場を離れず、エリオから目を逸らさない。
◇
5.同じ通路。処置を待つ間
通路のリシアにも拒否が届く。
エリオもノエラも言葉を返さず、イネスを見上げる。炉翼の光はその場に留まり、イネスの胸が呼吸のたびに動く。
ノエラ「応答に乱れはない。侵食も……急な上がり方はしていない」
エリオは、敵の反応が消えた記録とイネスを見比べる。
新しい放射はなく、周囲へ向けた攻撃もない。
エリオ(自分の状態も敵が死んだことも分かっている。人格の境界も急には崩れていない。急速な崩壊を止めるための緊急停止を、今、拒否を無視して使うことはできない)
エリオ「待つ間に《重誓》へ進めば、通常の《離骸》では帰せなくなる。失ったものを取り戻せない恐れもある。それを分かったうえで?」
イネス「分かってる。それでも……今すぐは受けない。変わっていくこの身体を、もう少し自分で確かめたい」
イネス「――なんで人間に戻ることが救いだって決めてるの?」
エリオは口を開きかけ、言葉を切る。
測定器から、こちらを見ているイネスへ目を戻す。
エリオ(帰せることは分かる。だから帰るべきだと、イネスの代わりに決めていいのか……?)
ノエラが円環状の測定器具をイネスの身体へ向け直す。
ノエラ「顔をこっちへ向けられる?」
イネス「処置はまだ。測るのはいいよ」
イネスはノエラへ顔を向ける。
器具を動かす手を目で追い、呼びかけに答える。炉翼を広げ直すことも通路から離れることもない。
エリオはケースから上げかけた固定器具を手元へ戻す。
蓋は開けたまま測定の記録を自分の側へ寄せる。イネスが再びエリオを見る。彼は器具を持ち上げず、次の反応を待つ。
◇
6.同じ通路。自然減衰から帰還
エリオ(通信)「隊長。今は強制処置をしません。監視を続けて、状態が変わったら改めて確認します」
固定器具をすぐ取れる向きに置き、エリオはイネスの下に留まる。
リシア(通信)「第一聖骸、戦闘終了。防衛軍と施設側も出力を追加しないで。設備の運転を落とし、送電経路を切り離す。イネスへの追加要請は出さない」
※用語注:第一聖骸=リシアたち五人が所属し、エリオが分離官として同行する戦闘部隊。
試射を終えた砲口が下がる。
軍の隊員が通路の周囲を空け、施設側の操作で送電経路の開閉器が切り替わる。発電機の駆動音が弱まり、止まる。
ノエラは円環器具の位置を調整し、身体の負担、《心炉》の出力、神性侵食を別々の欄へ記録する。イネスの呼吸と返答も、その時刻に合わせて書き留める。
ノエラ「本人の応答は保ってる。侵食はまだ高い。長くは待てない」
核という出力先に続いて、周囲の設備からの負荷もなくなる。炉翼から伸びる光が短くなり、その先端が通路の手前へ退いていく。二枚の翼の広がりが小さくなり、イネスの足が配管の高さより下へ降り始める。
イネスは小さくなった炉翼を見てから、ノエラへ顔を戻す。
イネス「今は、出力を足さない。このまま見てて」
翼を押し広げる光は加わらない。
身体はゆっくり下がり、エリオの手が背の接続部に届く高さまで来る。足先はまだ地面から離れている。
エリオが下がった出力の記録と身体の境目を確かめる。
エリオ「出力は下がった。でも、繋がったままでは侵食が進む恐れがある。今、通常の《離骸》を受ける?」
イネスは近づいた地面を見て、少し間を置く。
イネス「……受ける」
エリオが固定器具で炉翼の根元を支える。
呼吸で動く背と別の間隔で脈打つ接続部の境目を確かめ、左手のグローブを外す。掌を当てると、傷が黒く開く。
白い亀裂が境目を走り、神の組織だけが身体から剥がれる。
炉翼が接続部から離れ、戦闘衣姿のイネスが残る。両足が地面に着き、膝をわずかに曲げて自分の重さを支える。
イネスが自分で姿勢を立て直す。
エリオは指の動きと返答を確かめ、グローブを嵌め直す。ノエラが、侵食の進行停止と、呼吸・応答の安定を記録する。
◇
7:戦後の検査区画。DAY6、夕
イネスが椅子に腰掛け、検査を終えた腕を下ろす。
エリオは処置記録を机に置く。
イネス「エリオ、さっきの問いは取り消さないよ」
エリオ「うん」
イネスが四人の検査結果を確認しているリシアへ視線を移す。
イネス「リシアは、いつも私たち四人を帰そうとするよね」
リシアが顔を上げる。
イネス「本当に人間のままでいたい?」
リシア「いたい」
イネス「――そっか」
イネスはリシアを見たまま、少し首を傾ける。
イネス「どうして?」
リシア「四人が無事に戻れるようにしたい。任務も、街の防衛も、まだ続く」
イネス「それは私たちや街の話。リシア自身のためには?」
リシア「私の……」
リシアは検査結果から顔を上げたまま、言葉を続けない。
エリオは記録を閉じずに待つ。
イネスも次の問いを重ねず、リシアの返事を待っている。
◇
8.戦後の状態観察区画。DAY6夜
ノエラが、自分の分も含む五人の検査を終える。
ノエラ「五人とも身体と応答は安定。神性反応も落ち着いてる。イネスも通常処置後の経過範囲内」
イネスは椅子の背へ身体を預け、クララは足を揃えて座っている。
ミラが長椅子で脚を伸ばし、ノエラが器具を置く。リシアは記録台の脇に立っている。
誰も展開も連携もしていない。
黒く硬化した五つの休眠器官が同時に縮む。
五つとも同じ間を置いて緩み、揃って静止する。一度の脈動が終わっても、五人の呼吸は揃わない。記録には、始まりも終わりも重なった五本の線が残る。
エリオ「隊長。この共鳴……五つが、一柱の生き物として反応しているのかもしれません」
※用語注:『共鳴』=五人の《聖骸装》が互いに反応し合うこと。五人の装備は、同じ神の五器官。
リシアが自分の身体から四人へ目を移す。
リシア「連携させていなくても、この一致……五つを完全に連携させるのは、危険ね」
リシアの前で、五つの脈動記録だけがぴたりと重なっている。
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