第3話:勝てるから、退く
1.外環出撃準備区画。朝市から二日後の朝
クララが機械式腕時計を手首の高さへ上げ、壁の公共時計と秒針を照合する。
二つの針が重なる。出撃予定の時刻を確かめ、深く吸った息をゆっくり吐く。肩の力が抜ける。
直剣を架台から取り、刃と柄の接合部を確かめる。次に背の接続部、帰還用装具、通信機。異常がない箇所も飛ばさず、所定の順に手を動かす。受信を確かめてから通信機を留め直し、帰還手順の記載へ目を移す。
エリオが、確認を終えたクララを見る。剣を手に取った時より、呼吸がゆっくりになっている。
クララ「ヴァルト分離官。例外処置を使う前に、正規の手順が残っていないか確かめたい」
エリオ「了解。変更が必要なら、その理由も伝えます」
※用語注:分離官=人間と神の死骸を切り分ける処置を担う専門官。エリオの職務。
クララはもう一度時計を見て、任務票から撤退条件、帰還手順へ順に指を滑らせる。
クララ「避難と補給の経路を開ける。撤退条件、帰還手順とも変更なし」
手順書を閉じ、一拍置いてからリシアへ向き直る。
クララ「出撃準備、完了」
クララが直剣を携えて出口へ進む。エリオも黒い処置器具のケースを取り、その後へ続く。
◇
2.外環鉄道貨物・避難回廊。同日
線路の並ぶ回廊の中央に、脊柱のように節を重ねた神の身体が直立している。
鉄路と頭上の架線を横切り、細い光の線――律線が橋脚や防壁から神体へ集まる。列車は手前で止められ、回廊へ続く避難経路も閉鎖されている。
※用語注:『律線』=敵の身体と施設を結ぶ、神の法則による接続。
リシアとクララが防衛軍の前線へ出る。
ミラは後方の高所、イネスは回廊の側面へ。エリオとノエラは防壁沿いの観測位置に入り、共通の通信を聞く。
防衛軍が回廊を塞ぐ神体へ一斉射撃する。砲弾が節を穿った瞬間、繋がる鉄路にも同じ形の穴が開く。続く着弾が神体を横に裂き、橋脚と防壁にも横一文字の亀裂が走る。石片が落ち、橋脚の上で線路が揺れる。
リシア(通信)「本体砲撃を停止。施設にも同じ傷が出ている」
射撃が止まる。リシアは傷ついた鉄路から神体へ律線を辿り、クララへ顔を向ける。
クララ(通信)「《律脊》なら、この《神律》の接続を切れる。線路も橋脚も残せる」
※用語注:
①《神律》=神の存在を成り立たせ、周囲にも強制される法則。
②《聖骸装》=神の死骸を身体へ接続して纏う装備。
③《律脊》=クララの《聖骸装》。神の法則による接続を切り分ける。
背から腕へ繋がる《聖骸装》の黒い分節を動かし、クララが直剣を構える。観測位置のエリオは、ノエラの計測とクララの受け答えを確かめる。
エリオ(通信)「現在の反応なら、この運用に支障はありません」
リシア(通信)「クララを主攻略とする。接続を切断」
クララが線路を跨ぎ、神体へ伸びる律線に刃を通す。一本だけが途切れ、消える。
刃のすぐ下にあった鉄路には傷がなく、橋脚もそのまま残っている。
消えた線の奥に、重なって隠れていた複数の接続が浮かび上がる。施設へ食い込んだ根元から神体の節の奥まで線が続いている。クララはそのうち一本を剣先で辿り、先程より奥の切断位置へ刃を向ける。
◇
3.同じ回廊。同刻、連続切断
リシアが鉄道図の通過経路を指で辿る。
リシア(通信)「橋脚、架線と信号、最後に回廊中枢。列車を通す経路を先に空ける」
クララは時計と切断順を確かめ、腕を下ろす。《律脊》との《同調》を深めると、背の分節から全身へ黒い装甲が繋がり、神経のような線が灯る。剣を握り直し、露出した接続へ踏み込む。
※用語注:《同調》=神の死骸との接続を深め、全身の装甲と力を使う戦闘状態。
クララが橋脚へ続く律線を走り抜けながらまとめて断つ。
神体の節が軋んでも、橋脚はもう一緒に揺れない。亀裂の広がりが止まる。既に欠けた石は戻らず、軍の作業員が損傷箇所へ立入止めの標識を置く。
クララが架線へ伸びる一本を切る。
剣が抜けた後にも金属の電線は頭上に残り、神体へ斜めに渡っていた光の線だけが消える。支柱の脇を抜けて信号の接続を断ち、線路際へ低く踏み込んで分岐器の一本も切る。
作業員が電源を入れ直すと消えていた信号灯が点く。分岐器が人間の操作に応じて動き、傷のない線路側へ切り替わる。
クララが回廊中枢の制御盤へ食い込む律線を切る。作業員の操作で通過経路の安全表示が端から端まで点灯し、出口側の信号が進行を示す。
クララ(通信)「回廊の接続拘束、解除」
防衛軍(通信)「通過経路、全区間の安全確認完了」
避難列車が徐行で動き出す。
敵の脇を抜ける線路を車輪が渡り、窓に並ぶ人影がクララの横を通り過ぎる。列車が回廊を抜けると、補給車両にも進行の合図が出る。
リシア(通信)「最低任務達成を確認。以後の戦闘は追加目標とする」
クララがさらに《同調》を深める。背から腕を通る神経状の線が明るさを増す。神体側へ踏み込み、節の隙間にある一段深い接続にも刃を通す。
線が消えると、神体の節がずれ落ちる。
解放済みの線路は揺れず、補給車両がその先へ進む。クララは落ちてくる節を避け、次の足場へ移る。
残る律線を見上げ、クララが時計を確かめる。ノエラは反応の記録をエリオへ示す。
クララ(通信)「規定内。残りは少ない。私は続けられる」
エリオ(通信)「今の反応なら、通常の《離骸》で帰せます。続行に異議はありません」
※用語注:《離骸》=人間と神の死骸との、身体・神経の接続を分ける処置。
リシア(通信)「完全撃破へ進む」
◇
4.同じ戦場。同刻
林立していた律線が消え、鉄路と支柱の間に空間が広がっている。
神体を支える接続は奥にわずかに残るだけだ。軍の戦場図でも回廊の通過経路から印が消え、敵の周囲だけに集まっている。
防衛軍指揮官(通信)「今なら対象の完全殺害を狙えます。再接続される前に倒せば、再封鎖も市民退避のやり直しも避けられる。継戦を推奨します」
クララが出力、展開時間、神性反応の報告を受け、残る律線を見据える。
クララ(通信)「どれも規定内。残る接続も切れる」
リシア(通信)「次は支柱の奥。切ったら——」
指示が終わる前に、クララの足が支柱の脇へ入る。今度は時計も手順も確かめない。エリオは彼女の手首から足元へ視線を移し、次の応答を待つ。
クララ(通信)「了解」
直剣が律線を消す。クララは止まらず、次の節へ向かう。
リシア(通信)「その先の節へ——」
クララ(通信)「了解」
前と同じ間隔で返事が重なる。言い終える前から剣は切断位置へ入り、そこにあった線だけを断つ。クララの視線は、もう残る接続へ移っている。
エリオがノエラの手元を覗く。切断時刻ごとに記された神性反応は上限の内側にあるが、直近の上がり幅が、その前より大きい。
エリオ「一回ごとの増え方が、大きくなってる?」
ノエラ「うん。装備同士の共鳴も強まってる」
※用語注:『共鳴』=五人の装備が互いに反応し合うこと。
エリオは切断時刻と応答記録を見比べ、クララへ目を戻す。
指示を待たずに、次の接続へ剣を運ぼうとしている。
エリオ(確認が消えたところから反応の上がり方も変わった。このまま切らせれば、《重誓》へ入る恐れがある)
※用語注:《重誓》=人間と神の人格が混ざり、通常の分離処置では戻せなくなる段階。取り戻せない損失が生じ始める。
エリオは通信機へ手を掛ける。
クララから目を離さず、リシアのいる前線へ身体を向ける。
◇
5.同じ戦場から帰還地点へ。同刻
エリオ(通信)「隊長。クララの戦闘中止と撤退を正式に進言します。通常の《離骸》で帰せるうちに」
防衛軍指揮官(通信)「敵を残せば、再封鎖と市民退避の危険が残ります。今の攻撃機会を逃す損失は大きい」
クララ(通信)「神性反応は規定内。残りも少ない。私は続行可能」
エリオ(通信)「しかし、時計と手順の確認が消え、同じ間で答え、指示より先に動いています。切断ごとの反応の増え方まで変わった。朝のクララにはなかった変化です」
リシア(通信)「――クララ、次撃を待て」
振り下ろす直前の剣が止まる。リシアはクララと敵の間へ進み、通信を続ける。
リシア(通信)「防衛軍。撤退後も封鎖と回廊を維持できるか?」
防衛軍指揮官(通信)「可能です。監視と再出撃の負担は残りますが」
リシア「クララ、状態と残る作業は?」
クララ「支障はない。奥の接続を切れば、本体を壊せる」
リシア(通信)「ヴァルト分離官。今なら帰せる?」
エリオ(通信)「はい。今の反応なら通常の処置で。次の切断後は保証できません」
リシア(通信)「進言を採用する。第一聖骸、撤退。クララの通常帰還を優先する」
※用語注:『第一聖骸』=リシアたち五人が所属し、エリオが分離官として同行する戦闘部隊。
クララは残る律線を見たまま、直剣を引く。
クララ「……撤退命令、了解」
狙っていた接続へ一度だけ目を戻し、帰還路へ足を反転させる。
振り切らなかった刃を収め、リシアの脇を抜ける。
リシアが防護腕を敵側へ張り出し、クララについて下がる。ミラは高所から残る律線を見張り、イネスは回廊側の退路を確保する。軍の隊員たちが未切断の接続域との間に封鎖柵を閉じ、監視配置につく。柵の外では補給車両の通行が続いている。
防壁沿いの帰還地点で、クララが出力を落とす。
エリオは黒いケースを開き、器具で背の分節を支える。
エリオ「クララ。今、何をしている?」
クララ「撤退命令で戻った。これから、《離骸》を受ける」
エリオは応答と指示に合わせて動く指を確かめる。
呼吸で動く身体と、別の間隔で脈打つ黒い接続部の境目へ手を添える。
エリオ「ここで分ける」
左手のグローブを外し、境目へ掌を当てる。掌の傷が黒く開き、白い亀裂が接続部を走る。神の組織だけが剥がれ、戦闘衣姿のクララが残る。
クララは自分で手を開閉してから、時計を確かめる。秒針の音が聞こえる。
エリオはその手と呼吸を確認し、グローブを嵌め直す。
◇
6.内環解析区画。同日夜
ノエラが切断映像を止め、神性反応と共鳴の記録を隣へ並べる。
通信の応答記録も加え、すべての時刻を揃える。エリオとクララが同じ記録を両側から見る。
ノエラ「撤退時点まで、出力、展開時間、神性反応はすべて規定内。軍の継戦推奨も、クララの続行判断も、この規定には反していない」
クララが規定書と記録を照合する。
反応を示す線は、最後まで上限に届いていない。
ノエラは、深部切断一回ごとの増加幅を順に指す。後半ほど幅が広がり、記録の終端から先だけが推定を示す破線で延ばされている。
ノエラ「数値は上限内でも、上がり方が異常だった。このまま次も切っていたら、通常の《離骸》で帰せる範囲を越えた可能性が高い」
ノエラは破線から実測された最後の点へ指を戻す。
ノエラ「先は推定。ただ、今の規定では、一人ずつ違うこの進み方まで扱えていない」
エリオがクララが時計を見ずに踏み出した時刻を示す。
ノエラが映像と通信記録を重ねる。確認の省略、応答の均一化、身体の先行が始まった時刻と、反応の上がり方が変わった時刻が一致する。
ノエラ「行動と反応、両方の変化が合ってる。撤退進言は妥当と記録する」
エリオが出撃前の記録を開き直す。
エリオ(朝のクララを知っていたから止められた。もっと普段のことを知れば、次も帰せる)
クララは規定書を閉じず、切断ごとの記録をその横へ寄せる。
クララ「この上がり方を確かめる項目が規定にない」
◇
7.作戦・指令区画。翌朝
机上の検討書に、「現行規定を維持。本件は例外として記録する」という案がある。脇にはクララの行動記録と、五人の装備を示す五器官の運用図が並んでいる。
クララが腕時計を確かめ、規定書を開く。
クララ「私の続行判断は規定内だった。同じ条件なら、次の隊員も続けることになる」
クララは例外処理の案から顔を上げる。
クララ「なら規定を改訂すべき。数値の基準は残す。普段の本人との差と、反応が上がる速さも確認項目に加えたい」
リシア「分離官の正式進言を受けて、指揮官が残任務と帰還の危険を比較する。その手順も」
担当者が四つの項目を改訂方針として書き留める。
運用図では、一人の装備を深く使い続ける方法に加え、五つの器官へ役割を分担する案が許可対象に移される。その欄には「危険を伴う非常手段。使用は現場判断」と記されている。
届いた正式通知をリシアが開く。「第一聖骸、全器官同時展開を許可する。」と記されている。
※用語注:『全器官同時展開』=五人全員が《同調》し、それぞれの全身装甲を同時に展開する運用。
リシアが受領欄へ署名する。エリオは運用図の同時展開を禁じていた箇所に引かれる訂正線を見る。クララが通知を規定書の横へ置く。
クララ「許可は出た。使うかどうかは、その時に判断する」
エリオが左手のグローブの縁を押さえ直す。
エリオ(使えば、五人を同時に見ることになる。……一人も、見落とせない)
資料の上で、異なる五つの器官記号が一列に揃う。
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