第2話:あなたは?
1.内環の神性医療区画。戦闘当日の夜
小さな鈴が鳴る。検査台に腰を下ろしたエリオが、部隊の治療と解析を担うノエラの手元へ顔を向ける。鈴の音が途切れると、記録板をめくる音が聞こえる。
ノエラ「音がしたのは、どこ?」
エリオ「正面。一メートルくらい先」
ノエラ「今いる場所は?」
エリオ「内環の医療区画」
ノエラは円環状の検査器具を使い、エリオの視線の動き、腕の反射を順に確かめる。左手のグローブを外させ、掌から前腕に走る《断骸痕》も診る。
※用語注:《断骸痕》=第一降臨体をかつて切り分けた「傷の情報」を、人体に刻んだもの。エリオは左掌から前腕にあるこの傷を使い、人間と神の死骸の接続を分ける。
ノエラ「身体が崩れる兆候はない。神の力が身体から出ている様子もないね」
ノエラは身体検査の欄を埋め、記憶の報告へ移る。
ノエラ「身体が無事でも、見た記憶が正しいとは限らない。まず、見えたものと感じたことを教えて」
エリオ「黒い殻が、何かの前へ割り込んだ。衝撃と、痛みのようなものも感じました。でも……覆われた中は見えなかった」
ノエラ「何かを守った、と報告していたね」
エリオ「守るつもりだったかは、わかりません。僕にはそう見えた、と記録してください」
ノエラが、エリオの言葉を分けて書き取る。
ノエラ「わかった。任務は続けていい。ただ、身体の反応と記憶、自分が誰でどこにいるかわかるかは、しばらく診ていく」
エリオ「わかりました」
ノエラがグローブを返す。エリオが左手へ嵌め直す間に、ノエラは鈴をケースへ収め、次の記録を開く。
◇
2.同じ医療区画。同日夜
リシアが検査台から下り、袖口を直す。
ノエラは腕を曲げ伸ばしする様子と応答を確かめ、検査記録を閉じる。
ノエラ「身体も記憶や受け答えも安定してる。今回の《離骸》で失われたものもない」
リシア「腕も、もう引っ張られない」
※用語注:《離骸》=人間と神の死骸との、身体・神経の接続を分ける処置。
リシアは自分の検査票を脇へ置き、四人分の装具が並ぶ棚へ歩く。返却された手甲の留め具を確かめ、未処理の整備票を一枚めくる。
リシア「ミラの照準器は整備へ回った?」
ノエラ「出してある。クララとイネスの装具も戻ったよ」
リシア「なら、二人は先に休めるね。みんな、夕食は?」
ノエラ「私とミラがまだ。ミラの肩を診てから食べる」
リシア「二人分、取っておく。ノエラも食べ損ねないで」
エリオは、リシアが装具を棚へ戻す手を見る。
留め具が引っかからないよう、隣の手甲を少しずらしている。
エリオ(さっきまで、あの大きな防護腕に隠れていた手だ)
ノエラ「リシアも今日はもう休んで」
リシア「検査は通った。問題ない」
リシアは翌日の予定表を開き、四人の欄へ指を滑らせる。
リシア「明日の整備も、この時間なら食事の後で間に合うね」
◇
3.待機・共用区画。翌日早朝
ミラが窓際で髪を結び直している。ノエラの椅子には医療鞄が掛かり、机には伏せたカップ。黒髪を低く結んだクララは外出着を膝に置き、イネスは白銀の長髪を肩へ流して路線図を広げている。リシアが食器の載った盆を持って、その間を通る。
リシア「朝は食べた? このお皿、下げていい?」
ミラ「うん、ごちそうさま。あ、そっちのカップはまだ」
リシア「クララ、装具の引っかかりは?」
クララ「留め直したら、なくなった」
ミラがカップへ手を伸ばす。左腕を途中で下ろし、右手で取る。
ノエラ「ミラ、その肩、まだ痛む?」
ミラ「少しだけ。昨日より楽だよ。それより、東門の果物屋、今日は何が並んでるかな」
イネス「東門なら市電で行こうよ! あの先の停留所、まだ降りたことないんだ」
クララが壁の時計と機械式腕時計を見比べ、時刻表を確かめる。
クララ「市場で降りるなら、次の便で間に合う」
入口にいたエリオが、路線図を覗き込む四人を見る。
ノエラの手はミラの肩へ、イネスの指は線路の先へ向いている。
エリオ(検査票には、こんな話は載っていない。もう少し聞いていたいな)
リシア「包帯も買い足したいし、先に市場へ寄ろうか。ヴァルト分離官も、一緒でいい?」
エリオ「はい、僕も行きます」
ミラ「じゃ、その盆だけお願い。あたし、カップ片づける」
※用語注:分離官=人間と神の死骸を切り分ける処置を担う専門官。エリオの職務。
エリオが盆を受け取る。イネスは路線図を畳み、クララは外出着を羽織る。
◇
4.中環・東門朝市。同日早朝
六人が市電を降り、市場へ入る。開け放たれた鉄柵の向こうで、商人たちが果物や布地を台へ広げている。公共時計が鳴り、乗ってきた電車が市場の裏手を通り抜ける。ミラが先へ歩き、イネスは店先の品に足を止める。
ミラ「おじさん、今日の入荷どう? 端のやつ、昨日よりいい色してない?」
果物売り「そりゃ、昨日より一日熟れたからな!」
ミラ「昨日のなの?」
果物売り「そっちだけだよ。今朝届いたのは奥」
常連客「手前のも甘いよ。私はそっちを買う」
ミラ「そう言われると迷うなあ。おじさん、両方ひとつずつ」
果物売り「あいよ、毎度あり」
ミラが指先で古いコインを回しながら、果物を袋へ入れる手元を覗く。
ミラ「今日は風、強くなるって?」
常連客「洗濯物は留めてきたよ」
果物売り「うちは値札だ。昨日、三枚飛んだ」
ミラ「じゃあ今日は、果物より値札を押さえてなきゃ」
果物売りが笑い、値札の端へ小石を載せる。
待っているクララが、公共時計と腕時計を照合する。時刻表へ目を戻すと、腕を下ろして店先に寄る。その隣で、イネスが今使った乗車券をカードホルダーへ差し込む。
クララ「まだ余裕はある。その券も取っておくの?」
イネス「うん。ここで降りた分」
クララ「同じ駅名のが、もう入ってる」
イネス「日付が違うでしょ」
イネスが二枚を並べ、満足そうに収め直す。果物の袋を受け取ったミラが、その横から常連客へ話しかける。
ミラ「さっきから気になってたんだけど……その袋、自分で縫ったの?」
ノエラが隣の商人の手の甲を見る。小さな擦り傷に砂がついている。
ノエラ「それ、荷下ろしの時?」
商人「木箱に擦ったんだ。大したことないよ」
ノエラ「先に砂を洗って、きれいな布で覆っておいて」
商人が手を返し、傷を確かめる。隣では常連客が袋の縫い目をミラへ見せている。
常連客「ここを二度縫うと重いものも入るよ」
ミラ「うちのも底だけ縫い直せるかな」
薄焼き菓子の屋台で、リシアが足を止める。台には果実ジャムを挟んだ菓子が並び、「甘口」「酸味強め」の札が立っている。リシアは両方を見比べ、酸味の方を指す。
リシア「これを一つ」
代金を置き、紙に包まれた菓子を受け取る。
リシアがひと口齧る。酸味に眉が上がり、口をすぼめるが、すぐにもう一口。
薄い生地がぱりっと割れ、目元が緩む。ミラたちはそれぞれの菓子を受け取り、食べながら屋台の脇へ寄る。リシアもその隣へついていく。
エリオの目が、リシアの選んだ札から、その顔へ戻る。
エリオ(酸っぱい方が好きなんだな)
ミラが、エリオの菓子から落ちそうなジャムを指す。
ミラ「エリオ、そっち垂れる」
エリオ「えっ……危なかった」
エリオが包み紙を持ち上げる。イネスは口元を紙で拭きながら笑う。
イネス「私、もう袖についた」
クララ「その紙、ジャムがついてる。裏返して」
イネス「ほんとだ。ありがとう」
食べ終えた六人が、買い物袋を提げて出口へ向かう。ミラは袋の底を裏返す仕草をしながら、縫い方の続きを話している。リシアは残った包み紙をまとめ、エリオが脇の屑入れを指す。
市場の外で、六人はそれぞれの勤務先へ分かれる。次の電車が定刻に着き、果物売りが新しい客へ袋を広げる。
◇
5.外環観測・装備区画。同日午後
ミラが長大な狙撃銃を分解し、部品を布で拭いている。弾薬は整備台にない。
隣の整備員が朝市で買った果物を机の端へ置く。
整備員「それ、酸っぱかったぞ」
ミラ「奥のを選んだ? 手前のが甘いって聞いたよ」
笑いながら、ミラは観測機構の接点を磨く。
入ってきたエリオが台に並ぶ部品を目で辿る。
エリオ「この観測機構も、《瞳座》と繋がるんですね。敵への照準以外にも使うんですか」
ミラ「うん。人が神に呑まれて、処刑の許可が出た後にも使う。本人の反応が残っていないか、撃つ直前まで見るんだ」
※用語注:《瞳座》=ミラが纏うその一つ。対象を観測し、狙いを定める働きを持つ。
エリオ「確認する役と、撃つ役を、両方……」
ミラ「最後までその人を見たあたしが撃つ。そこだけ誰かに代わって、とは言えないよ」
ミラは拭き終えた部品を布へ置く。
エリオに顔を向けたまま、次の言葉を待つ。
エリオ「その規定は、五人全員に?」
ミラ「うん。リシアも」
エリオが入口を振り返る。リシアが立っており、ミラの言葉にも目を逸らさない。台の上には、銃身を外された銃が横たわっている。
リシア「戻れなくなった時は、ミラに任せてある」
ミラ「任せてある、って。あたしに相談もなく、一人で決めたくせに」
リシア「……信頼できる人に預けたかった」
ミラ「わかった、引き受けた。でも、勝手に決められたことには、まだ怒ってる」
リシアが口を閉じる。ミラはその返事を急かさず、手元の布を畳む。
エリオ「僕が帰せるかどうかを見誤ったら、その後は、ミラが……」
ミラ「うん。帰せる間に頼むよ」
エリオ「……その前に、僕が帰したい」
ミラが部品を拾い上げ、組み立てに戻る。エリオは、銃身を支えるその手を見る。
◇
6.同じ外環施設内の医療確認スペース。同日午後
ノエラが《脈環》で調べたエリオの身体反応と、本人から聞いた記憶の報告を並べる。ミラも隣から記録を覗く。机の端には円環状の検査器具が置かれている。
※用語注:
①《脈環》=ノエラの《聖骸装》。身体の状態や神の力の影響を調べ、生命維持を支える働きを持つ。
②《聖骸装》=神の死骸を身体へ接続して纏う装備。
ノエラ「殻が割り込んだのは、見えたもの。衝撃や圧迫は、感じたもの……」
「守ったように見えた」と記された解釈の欄を確かめ、「痛み」の箇所で手を止める。
ノエラが記録から顔を上げ、エリオを見る。
ノエラ「その神は、死ぬ時に痛がっていた?」
エリオは、すぐには答えない。
エリオ「……痛みに似たものは感じたと思います。でも、神が痛かったのか、触れた僕の痛みなのかは、わかりません」
ミラ「殻が割り込んだ、とは言える。守るつもりだったかは別だね」
エリオ「はい。覆われたものも見えていないので」
ノエラ「痛みだけで、善神だったとは言えない。でも、何を感じていたのかは、調べたい」
ノエラは痛みの項目へ「誰の感覚か不明」と記し、記録を閉じる。
◇
7.共用区画。同日夕方
六人が戻った共用区画で、リシアが食事の残った皿を覗く。
リシア「イネス、もう食べない?」
イネス「食べる。熱いから冷ましてるの」
リシア「なら片づけずにおくね。クララ、装具は明日も使えそう?」
クララ「整備済み。予定にも間に合う」
ノエラが医療鞄を椅子の下へ置く。ミラは右手で髪を解いている。
リシア「ノエラもミラも、今日はもう休めるね。疲れは残ってない?」
ミラ「ちょっとね。肩も診てもらったし、早めに寝る」
ノエラ「私も、今日は終わり」
エリオは四人の返事を聞き、リシアへ目を戻す。
リシアは、壁に掛かった翌日の予定表へ手を伸ばしかけている。
エリオ(隊長自身の疲れは、まだ聞いていない)
エリオ「――隊長」
リシアが振り向く。
エリオ「あなたは?」
予定表へ向かっていた手が止まる。
リシア「……部隊の状態は問題ない。明日の予定も——」
エリオは黙って待つ。リシアが言葉を切り、彼の顔を見直す。
開きかけた口を一度閉じてから、答え直す。
リシア「……少し、疲れたかな」
エリオは、答え直したリシアの顔を見る。
エリオ(この顔も覚えておきたい)
リシアは彼と目を合わせたまま、予定表へ伸ばしていた手を引く。
リシア「……これも検査?」
エリオ「僕が知りたくて、聞きました」
リシアは少し間を置き、そばの椅子へ腰を下ろす。エリオも向かいの席に着く。四人のいる部屋で、リシアの両手が、自分の膝へ落ち着く。
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