第13話 怒りに震える最強の竜王

だが、その静けさの裏側で、城の主である竜王の胸中には、冷徹にして猛るような激しい怒りの炎がくすぶっていた。

窓の外には、時折遠くの山々をかすめる稲妻が光り、重苦しい空気が城壁を揺らしている。

執務室の重厚な木製机に向かうレオンハルトの横顔は、彫刻のように美しく整っていながらも、今は凍てつくような険しさを帯びていた。金色の瞳は、獲物を狙う猛禽のように鋭く細められ、手元で弄ばれる銀のペーパーナイフがかすかに軋む音を立てている。

彼の前には、数枚の羊皮紙が広げられていた。そこに書かれているのは、王都からやってきた使者への尋問結果、そしてセシリアのこれまでの経歴に関する詳細な報告書だった。


「……よくも、よくもあの気高い少女を」


低い、地底を這うような呟きが執務室の空気を震わせた。

レオンハルトは、セシリアからこれまでの事情をすべて聞き出していたわけではない。彼女の性格上、自分が受けた理不尽な扱いや屈辱を、大げさに訴えるような真似はしなかったからだ。むしろ、「もう過去のことですから」と、痛みを隠すようにどこか儚く微笑むばかりだった。

だからこそ、レオンハルトは自らの影の者たちを使い、王都での一件を徹底的に調べ上げさせたのである。

そして今、その手元に届いた真実は、彼の逆鱗に触れるには十分すぎるものだった。


「地味で無力だ、だと?」

「……レオンハルト様」


部屋の隅、影に溶け込むように控えていた側近の男が、わずかにたじろぎながら声を漏らす。主のただならぬ気配に、歴戦の猛者である彼ですら冷汗を流していた。竜王の怒りが本気で爆発すれば、この城だけでなく、周囲一帯の自然すら焼き尽くしかねないほどの魔力が暴走する。

レオンハルトはゆっくりと顔を上げ、冷ややかな視線を宙に投げた。


「あの愚劣な王太子め。セシリアほどの温かく、清らかな光を持つ者を『無能』と切り捨て、衆人環視の中で恥をかかせた。挙句の果てに、身勝手な理由で一方的に婚約を破棄するなど……許されるはずがない」


セシリアが王都を発つとき、どれほどの絶望と孤独を味わったことか。

思い出すだけで、レオンハルトの胸を締め付けるような痛みが走る。城の外れで震えていた彼女を拾ったあの夜、彼女の手は冷たく、瞳には涙の跡が乾ききっていなかった。それなのに、彼女は自分の傷よりも、呪いに苦しんでいた目の前の怪物の心配をしてくれたのだ。

自分の痛みを忘れ、他者を癒やそうとするその慈悲深さを、王都の人間たちは踏みにじった。地味だと嘲笑い、不要品のように切り捨てた。


(殺してやりたいな)


ふと、そんな物騒で冷酷な思考がレオンハルトの脳裏をよぎる。

王国そのものを一夜にして灰の山に変えることなど、今の彼にとっては容易いことだった。かつて呪いに囚われていた頃の荒々しい衝動が、怒りによって再び目を覚まそうとする。

だが、次の瞬間、執務室の扉を軽くノックする音が響いた。


「レオンハルト様、いらっしゃいますか?」


それは、聞き慣れた、鈴を転がすような優しい声だった。

ぴたりと、室内の殺気が止まる。

レオンハルトの険しい表情は一瞬で霧散し、彼の金色の瞳に焦りと愛おしさが入り混じった複雑な光が宿った。


「……セシリア」


彼は慌てて手元の報告書を裏返し、乱れた呼吸を整えると、できるだけ穏やかな声を作り出して返事をした。


「ああ、入ってくれ、セシリア」


ガチャリと音を立てて扉が開く。そこには、淡い藍色のドレスに身を包んだセシリアの姿があった。手には、温かいハーブティーの入ったカップトレーを持っている。夜更かしをして書類仕事に没頭するレオンハルトを気遣って、わざわざ持ってきてくれたのだろう。

その健気な姿を見ただけで、レオンハルトの心にあった荒ぶる波は、まるで魔法のようにスッと凪いでいくのを感じた。


「こんな時間までお仕事ですか? あまり無理をなさらないでくださいね」


セシリアは困ったような、しかし愛情に満ちた微笑みを浮かべながら、机の端にそっとカップを置いた。その手元から伝わる微弱な魔力の温もりが、レオンハルトの荒ぶる神経を心地よく鎮めていく。

彼女がここにいる。自分を信じ、この城で穏やかに微笑んでくれている。

その事実が、どれほどレオンハルトの救いになっていることか。セシリア自身は気づいていないだろうが、彼女の存在そのものが、かつて孤独と呪いに縛られていた彼の唯一の救済だった。


「ありがとう、セシリア。君が淹れてくれるお茶の香りを嗅ぐと、どんな疲れも吹き飛んでしまうよ」

「ふふ、お世辞が上手なんですから。……どうかしましたか? なんだか、少し顔色が……」


セシリアはふと動きを止め、心配そうにレオンハルトの顔を覗き込んだ。至近距離で見つめられると、彼女の大きな瞳に自分の姿が映る。そのまっすぐな眼差しに、レオンハルトは思わず息を呑んだ。

これほどまでに純粋な魂を傷つけた者たちが、今も王都で平穏に暮らしていると思うと、やはり心の奥底でふつふつと黒い感情が疼く。

だが、それを彼女に見せるわけにはいかない。


「なんでもない。ただ……君がこうしてそばにいてくれることが、少し嬉しかっただけだ」

「もう、急にそんな甘い言葉を言わないでください……」


セシリアは恥ずかしそうに頬を染め、視線をわずかに逸らした。その仕草のなんと愛らしいことか。

レオンハルトは立ち上がり、彼女の細い肩にそっと触れ、自分の胸元へと優しく引き寄せた。セシリアは小さな驚きの声をあげたが、すぐに抵抗することなく、彼の温もりに身を委ねるようにそっと寄り添ってくる。

胸元から伝わる彼女の体温が、心地よかった。


(二度と、あの者たちには触れさせない)


レオンハルトはセシリアの髪に優しく指を滑らせながら、静かに、そして絶対的な誓いを心に刻んだ。

王太子の愚行に対する怒りは消えていない。むしろ、彼女を傷つけた代償をどのように払わせるべきか、彼の頭脳は冷徹に計算を始めていた。暴力で国を滅ぼす必要はない。もっと静かに、もっと確実にあらゆる特権を奪い取り、彼らがどれほど愚かな選択をしたのかを思い知らせてやればいい。

しかし、そんな血生臭い復讐の計画は、今はこの腕の中にある温もりの中にしっかりと隠しておこう。

今はただ、彼女と過ごすこの静かな夜の時間を大切にしたい。


「セシリア」

「はい……?」

「これからも、ずっと私のそばにいてくれるか?」


少しだけ声が震えたのは、彼女を失うことへの微かな恐怖があったからかもしれない。

セシリアは驚いたように目を見張ったが、すぐに柔らかく微笑み、レオンハルトの背中にそっと手を回して包み込むように抱きしめ返してくれた。


「はい。私はずっと、レオンハルト様のそばにいます。ここが私の居場所ですから」


その言葉は、どんな呪いを解く魔法よりも強力に、レオンハルトの心を癒やし、満たしていった。

窓の外では、まだ遠くで雷鳴が轟いていたが、この執務室の中だけは、春の訪れのように穏やかな温もりに包まれていた。

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