第10話 城の庭に咲く、秘密の花園
「こっちだ」
前を歩くレオンハルトが、ふっと振り返って微笑む。その銀色の長髪が、午後の陽射しを受けてきらりと輝いた。
かつて国を裏切られたという彼の悲痛な過去を聞いた夜から、ふたりの距離はさらに縮まっていた。周囲から恐れられ、冷酷な竜王と恐れられていた彼は、今や私に対して驚くほど穏やかな眼差しを向けてくれる。あの呪いのせいで尖っていた気難しい面影はすっかり消え失せ、本来の気高さと優しさが溢れ出していた。
レオンハルトに導かれてたどり着いたのは、城の奥にある中庭だった。しかし、そこに広がっていたのは、手入れの行き届いた優雅な庭園とは言い難い光景だった。
「……ひどい有様だな」
レオンハルトが苦笑しながら言った通り、庭はすっかり荒れ果てていた。黒ずんだ雑草が生い茂り、蔦は石畳を這いずるように絡みつき、かつて花壇だった場所は固く乾いた土が露出しているだけだ。
ここには何年も、誰も近づかなかったのだという。彼の呪いが強かった頃は、魔力の影響で植物すら育たなかったらしい。
「すまない、見苦しいものを見せた。俺が王城に囚われていた間、ずっと放置されたままでな。元に戻す方法も分からないし、かといって庭師を呼ぶのも気が引けて……」
「そんなことありません」
私は首を横に振ると、荒れ果てた庭を見渡した。風が吹き抜け、枯れ葉がカサリと音を立てて足元を転がる。どこか寂しげなその場所は、かつてのレオンハルトの孤独な心と重なって見えた。
「せっかくの素敵なお庭ですもの。それに、私……こういう土の匂い、嫌いじゃないんです」
「セシリア……」
彼は驚いたように目を丸くし、それから愛おしそうに目を細めた。
「手伝ってもいいですか? 私の力で、この庭を蘇らせてみたいんです」
「君がそうしたいなら、止めはしないが……無理はするなよ」
「はい!」
私は意気込んで袖をまくり上げると、荒れ果てた花壇の中央へと足を踏み入れた。
まずは邪魔な雑草を抜いていこうとかがみ込んだとき、レオンハルトがふっと背後に回り込み、私の隣にしゃがみ込んだ。驚いて振り返ると、彼はすでに自分の手で、太い蔦を力強く引き剥がし始めている。
「殿下、そんな、服が汚れてしまいます!」
「構わないさ。君ひとりにやらせるわけにはいかないだろう」
漆黒のシャツの裾を気にする様子もなく、彼は泥まみれになりながら作業を続けている。その姿は、一国の主である竜王のものとは思えないほど庶民的で、けれどどこか楽しげだった。
私も負けていられまいと、固くなった土に手を触れた。
目を閉じ、体内の魔力をゆっくりと巡らせる。手のひらから淡い翠色の光が溢れ出し、じわじわと大地へと染み込んでいく感覚があった。私の癒やしの力は、傷ついた肉体だけでなく、生命そのものを活性化させることができる。
――眠っている命よ、目を覚まして。
心の中でそう呼びかけながら、魔力を地中へと広げていく。
すると、私の掌の下から、波紋のように光が広がっていった。カサカサに乾いていた土がみるみるうちに潤いを取り戻し、黒々とした豊かな土へと変わっていく。
「これは……!」
隣でレオンハルトが息を呑む気配がした。
土の底から、小さな緑の芽が次々と顔を出し始めたのだ。生命の息吹が、一斉に地上へと駆け上がってくる。雑草に覆われていた地面は、鮮やかな新緑の絨毯へと生まれ変わっていった。
「すごい、セシリア……!」
レオンハルトが感動に満ちた声をもらす。彼の瞳には、満開の花よりも美しい光が宿っていた。
さらに魔力を込めると、今度は色とりどりの花が次々と蕾をつけ、一斉に花開いた。白や紫、淡いピンクの薔薇が、まるで魔法のようにアーチを彩っていく。冷たい石造りの壁面を覆うように蔦が絡み、そこに上品な甘い香りがふわりと漂い始めた。
わずか十数分のうちに、荒れ果てていた中庭は、まるでおとぎ話に出てくるような秘密の花園へと変貌を遂げていたのだ。
「……まるで、奇跡のようだ」
レオンハルトは立ち上がり、目の前に広がる景色を茫然と見つめていた。それから、ゆっくりと私に視線を戻す。
「君がこの城に来てから、驚かされてばかりだな。私の凍りついた心だけでなく、この城の景色まで変えてしまうなんて」
「私一人のおかげじゃないわ。殿下が一緒に手伝ってくださったから、こんなに綺麗になったんです」
そう言って笑うと、レオンハルトはふっと柔らかく微笑み、私の頬にそっと触れた。
「あ……」
彼の大きな手が、私の頬についた泥を優しく拭い去る。その指先は驚くほど温かく、心臓が跳ねるような音が自分の耳にもはっきりと聞こえた。
「顔に泥がついているぞ、名もなき野の花の精みたいな顔をして」
「もう、からかわないでください」
恥ずかしさで顔が熱くなり、私は思わず俯いた。レオンハルトは低く楽しげな声をあげて笑うと、私の手を引いて花壇の脇にあった石のベンチへと腰掛けさせた。
ふたりで並んでベンチに座る。新しく咲いた薔薇の香りが、心地よい風に乗って鼻をくすぐった。
「……ここを、ふたりの場所にしよう」
静かな声で、レオンハルトが言った。
「王都の城にいた頃は、こんな風に穏やかな時間を過ごしたことなど一度もなかった。いつも誰かの目を気にし、裏切りに怯え、孤独に耐えるだけの日々だったからな」
彼の横顔を見上げる。そこにはもう、かつての影はない。けれど、その過去の痛みを少しでも癒やしたいと、私は強く思った。
「これからは、いくらでも穏やかな時間を過ごせますよ。私がずっと、そばにいますから」
私の言葉に、レオンハルトは驚いたように目を見張り、それからいっそう愛おしげに微笑んだ。
「ああ。離さないよ、セシリア」
彼は私の手をしっかりと包み込み、その甲にそっと口づけを落とした。
優しい温もりが、指先から胸の奥まで染み込んでいく。冷え切っていたはずのこの城で、私たちは今、確かな温もりと幸せを分かち合っていた。
色鮮やかに蘇った花園の中で、レオンハルトの肩にそっと頭をもたせると、彼は自然に私を抱き寄せる。穏やかな風が吹き抜け、新しい未来の始まりを祝福するように、花びらがふわりと空高く舞い上がった。
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