第18話
扉を閉めて、イングリッドはディートリヒを見た。ディートリヒは状況が分かっていないのか、困惑したように立っている。
「なぜ、閣下の都合で子供を作らないとおっしゃったのですか」
「なぜとはどういうことだ?間違いを訂正するのは当然だ」
「当然ではございません。訂正するかしないか、結果から、逆算して、考えるべきでしょう」
「いや、俺のせいで侮辱されているんだぞ」
「そんなことはどうでもいいのです!」
出した声は悲鳴じみていた。
隣室には伯爵がいる。深呼吸して必死に声を抑える。
「あなたは当主なのですよ。ご自分の弱みを晒せば領地の不利益につながります」
「領地の不利益とは……大袈裟な」
「いいえ!父が私の顔を見にきたとでも思っているのですか」
声が震えないように一息で言う。
肩で息をしているとディートリヒが気遣わしげに見ているのがわかる。
「大丈夫か?」
「私の心配をしている場合ではありません!」
「……すまない」
ディートリヒの声が小さくなる。困惑が伝わってくるようだった。
「私一人の評判と、辺境伯領地の利益など比べるまでもありません。閣下には辺境伯当主として責任がございます」
なぜこんな当たり前のことをここまで言わないと分かってもらえないのか、イングリッドは目眩がしそうだった。
しばらく黙っていたディートリヒがようやく口を開いた。
「辺境伯当主の責任というなら、そもそも俺が子供を持たないと決めていることの方がよほど問題ではないか?」
「閣下は、すでに果たすべき責務を十分に果たしていらっしゃいます。それ以上のことは求められません」
「お前もよくやっている。使用人たちもよく働いているし、客も皆奥向きをよくまとめている」
「閣下とフレデリカのおかげです。私の成果ではありません。誰がやっても同じでした」
「俺もそうだ。誰がやっても同じことをやっただけだ。俺の成果じゃない」
言い返そうとして何かズレているような気がしてくる。言い返せないわけではないが、そういう話ではなかったはずだ。
「いえ、今は私の働きについて話しているわけではありません。私の名誉ごときのために領地に不利益を与えるのはおやめくださいという話です」
「なぜお前の名誉ごときなんだ」
「名誉は他人からどう見られるかだけの話で、実際の何かが損なわれるわけではありません」
さすがにもう分かってくれたかと思ったが、ディートリヒはまだ考えている。
「以前は、逆のことを言っていた。自分には何もないから他人にどう見られるのかが大事だと」
いつの話だ、とイングリッドはため息を吐く。なぜそんなことを覚えているのだろう。
「時と場合によります」
「そうだな。だが、やはり俺も同じじゃないか。俺の子を持つ話もそうだ。俺が子を持ったからと言って何も損なわれない」
また同じ話をしている、まだ分からないのかと一瞬頭に血が上りそうになる。
言い返そうとするが、うまい言い方が出てこない。
イングリッドは自分がひどく愚かになったような気がした。
「……閣下は、いいのです。私と違いますから」
「俺はいいのに、なぜお前は駄目なんだ」
なぜこんなに分かりきったことを聞くのか、と思うのにイングリッドは答えられなかった。
「ですから、閣下は……」
責任を果たしていらっしゃるから、と答えようとして止まる。いや、それはもうさっき言った。これでは堂々巡りだ。
ディートリヒは急かすことなくイングリッドの返事を待っている。
イングリッドは足元がぐらつくような気がした。
ずっと自明なことをディートリヒに説明していたつもりだったが、もしかして逆なのではないか。自分が間違えていることをディートリヒに教えられているのでは、と突飛な考えが頭をよぎる。
扉を叩く音がした。
「閣下、ローゼンハイム伯がお待ちでございます」
ディートリヒが一拍置いてから言った。
「……今行く」
イングリッドはディートリヒの視線を振り切り、扉に向かう。
今は二人ではない方が落ち着けると思った。
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