第17話


 イングリッドが来てから初めての冬が来た。

 ディートリヒは冬の前から忙しそうだった。街道の情報を確認し、各地の食料や薪などの備蓄に気を配り、冬季雇用の手配をし、連絡経路を確保したりと慌ただしく過ごしていた。

 イングリッドも城の備蓄を確認し、寒さの厳しい村には毛布を回した。

 冬の間も、ディートリヒは各地からの報告に目を通し、イングリッドも城の中をよく見てよく聞いて過ごした。夏よりもずっと長くなった夜を、暖炉の前でそれぞれ仕事をしたり、時折りたわいもない話をして過ごした。

 気がつけば雪解けの時期を迎えていた。


「ローゼンハイム伯爵から連絡があった。取引のことで話し合いたいと」


 イングリッドの心臓が一度大きく跳ねた。


「左様でございますか。それでは伯爵の訪問に合わせて諸々手配しておきます」


 伯爵が機を見て来訪することは元より分かっていた。かねてからイングリッドは客人のもてなしや贈り物にローゼンハイム産のものを少しずつ取り入れていた。ローゼンハイム産の品質を知ってもらうためだった。

 狙い通り、いくつかの家から問い合わせがきていた。


「すまないが頼む」


 父親はおそらく子供のことを聞いてくるだろう。

 婚姻から一年近く経つのに自分に懐妊の気配がないことを、把握していないとは思わない。

 イングリッドは、指先に力を込めた。


「……ローゼンハイム伯は、子供のことは知っているのか」


「いいえ」


 イングリッドは、彼が子を欲しくないと思うなら尊重したかった。迷った末に言葉を繋ぐ。


「ですがまだ一年も経っておりません。ご心配には及びません」


「大丈夫なのか」


 ディートリヒは眉を上げる。


「はい」

 

 イングリッドはまだ触れないことにした。

 一般的に考えて、一年間妊娠しない程度のことならそれほど珍しくはない。

 夫婦の実態を探るために何か言うかもしれないが、特に問題はない。妊娠に関して父が出来ることは何もない。イングリッドに任せるしかないはずだ。

 急かされるように話をする必要もない。

 それよりも今は決めることが山ほどある。イングリッドは伯爵の来城に必要なことを確認していった。




 久しぶりに会う父は変わっていなかった。外向きのいつも通りの顔をしていた。


「アイゼンヘルト辺境伯閣下。ご無沙汰しております」


 ローゼンハイム伯爵は人の良さそうな笑みを浮かべ、深く礼をとる。


「この度はお忙しいところ、お時間をいただき恐縮でございます」


「こちらこそ、遠路はるばるよくこられた、ローゼンハイム伯」


 ディートリヒも丁寧に応じる。

 伯爵はディートリヒの隣に立つイングリッドにも目を向けた。


「娘も、つつがなく務めているようで何よりです」


 イングリッドは無言で礼をとった。



 イングリッドは伯爵を小客間に通し、茶を飲みながら道中の話や今年の冬の話をした。場が緩んだところで、内扉で続いている隣の執務室へ案内した。


 ディートリヒが書類を広げて席についた。


「では、本題に入ろう」


「その前に、家族のことでお話ししておきたいことがございます」


 ローゼンハイム伯爵は柔らかく、眉だけを下げて言う。


「できれば身内だけでお話ししたいのですが」


 おそらく子供の話をしたいのだろう。

 イングリッドは側近や護衛、侍女を退室させ、部屋にはディートリヒ、伯爵、イングリッドの三人だけになった。


「お二人の婚姻から、そろそろ一年になりますな」


 伯爵は落ち着いた声で切り出す。


「ところで、懐妊の兆しなどはありませんか」


 やはり来た、とイングリッドは思った。


「まだでございます」


「それは心配でございましょう」


「授かり物ですから。あまり心配しすぎるのもよくないと聞きます」


「そうは言いましてもね、健康な若い男女が一年も懐妊の気配がないとは……」


 伯爵は何を言いたいのか、イングリッドは意味を測りかねた。

 しばらく伯爵は黙っていたが、ディートリヒの方を向いて口を開いた。


「閣下、閣下も子供ができぬとなればお困りでしょう。イングリッドとの婚姻は解消し、当初の予定通りリリアーナを妻に迎えていただくのはいかがでしょう」


 イングリッドは声が出そうになるのをかろうじて堪える。


「妻を取り換えろと言うのか」


 ディートリヒの低い声が響く。


「そういう方法もあるというご提案です」


 伯爵は淡々と話を続ける。

 子のない妻に代わって妹や親戚の女性が嫁ぐのは珍しいことではない。

 ただ、リリアーナはローゼンハイムの跡取りである。アルノルトの生家にも大変な失礼に当たるし、そもそも一年未満では早すぎる。


「提案であっても不愉快だ。妻を取り替えるつもりはない。二度とその話はするな」


 ディートリヒはの声には苛立ちが滲んでいた。眉間には皺が寄っていた。怒っているのだろう。おそらく娘たちを駒のように扱う父の采配が許し難いのだ。


「これは失礼致しました」


 少しも失礼したとは思っていない様子で伯爵が頭を下げる。


「こちらから差し上げたのが石女だったのですから、こちらから交換を言い出すのが筋かとーー」


 伯爵が言い終わる前にディートリヒが口を挟んだ。

 

「妻を侮辱するな。子供を作らないのは俺の都合で、イングリッドに非はない」


 一息で言い切った。

 イングリッドが止める間もなかった。

 伯爵は目を丸くしている。


「閣下のご都合で子供を作らないとおっしゃいましたか」


 伯爵は淡々と言った。だが表情は楽しそうにも見えた。


「ローゼンハイム伯、少し夫婦で話し合いたいことがございますので、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 イングリッドはなんとか笑みを作って言った。

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