第一世界 シンギュラリティ

第3話 白装束の男

歪んだ空間の向こうから、その男は静かに歩いてきた。


真っ白な装束。顔は、フードに隠れてよく見えない。足音すら立てず、まるで最初からそこにいたかのように現れた。


「……ビビット、離れてろ」


マークが前に出る。拳を握った。ビビットも警戒するように低く唸る。


しかし男は、両手を軽く上げてみせた。敵意はない、というふうに。


「――マーク。そしてビビット」


低く、静かな声だった。


「な、なんで俺たちの名前……」


「お前たちがこの十年、何を探していたのかも知っている」


男はゆっくりと言葉を続けた。


「元の世界に帰る、方法だろう」


マークの心臓が、大きく跳ねた。


***


「……あんた、誰だよ」


「今はまだ、名乗るつもりはない」


はぐらかすように、男は言った。


「だが、お前たちに伝えたいことがある」


男が右手を掲げると、その手のひらに小さな光の粒が浮かんだ。粒は形を変え、七色に光る結晶のシルエットになる。


「七つに分断された世界に存在する、七つのクリスタル。それを全て集めろ」


「クリスタル……?」


「そして、世界の果てにある『天の鍵』を開くのだ」


マークとビビットは顔を見合わせた。


「開いたら……どうなるんだよ」


「元の世界へ――帰れる」


その一言に、マークの息が止まった。


十年間、ずっと探し続けてきた答えが、目の前にある。


「本当かよ……」


「保証はできない。だが、それ以外に道はない」


男の声には、感情らしい感情がなかった。それがかえって、嘘をついていないように聞こえた。


***


マークはビビットを見た。


ビビットも、じっとマークを見つめ返している。


「ビビ」


小さく、一度だけ鳴いた。


その一言に、なぜか背中を押された気がした。


「……分かった」


マークは拳を握りしめた。


「やってやるよ。クリスタル、全部集めてやる」


男は初めて、フードの奥でわずかに口元を動かした。それが笑みなのかどうかは、分からなかった。


「では、最初の世界へ案内しよう」


***


男が手を振ると、二人の足元に光の輪が広がった。


「ちょっ、待っ――」


体が浮き上がる感覚。景色が渦を巻いて崩れていく。


「うわあああああ!!」


「ビビビーーーッ!!」


叫び声とともに、光が二人を飲み込んだ。


***


――気がつくと、マークは見知らぬ場所に立っていた。


見上げるほど巨大なビル群。空を走る銀色のレール。頭上には、聞いたこともない音楽が流れている。


「な、なんだここ……」


「ビビ……ビビ!」(すげえ! すげえぞ、マーク!)


ビビットが目を輝かせて跳ね回った。


通りを歩いているのは――人間ではなかった。


なめらかな金属の体。丸いレンズの目。二足歩行のロボットたちが、忙しなく行き交っている。


「いらっしゃいませ!」


不意に、愛想の良い声がした。


振り向くと、ウェイター姿のロボットがにこやかに立っていた。


「本日は『シンギュラリティ・テーマパーク』へようこそ! 本日のご案内は――」


「テ、テーマパーク……?」


マークが呆気に取られていると、ロボットはパンフレットをすっと差し出した。


「アトラクションは全て無料です。お食事もどうぞご自由に」


「む、無料!?」


ビビットの目がさらに輝いた。


「ビビーッ!!」(タダ飯だってよ、マーク!!)


「お前、ちょっとは警戒しろよ……」


そう言いながらも、マークの腹がぐうと鳴った。考えてみれば、この十年、ろくなものを食べていない。


「……まあ、少しくらいならいいか」


こうして、マークとビビットの――少し間の抜けた異世界初日が始まった。


***


観覧車に乗り、絶叫マシンに乗り、綿菓子みたいな見た目の謎の菓子を頬張った。


「うんめぇ!! ビビット、お前も食えよ!」


「ビビビーッ!!」(もう食ってる!!)


口の周りを真っ白にしたビビットが、満足げに鳴いた。


久しぶりに、ただ笑っている時間だった。十年間、生き延びることばかり考えてきたマークにとって、それは奇妙なくらい心地よかった。


けれど――


夕暮れ、遊び疲れて座り込んだマークの目に、ふと一つの光景が映った。


パークの奥、人目につかない場所。そこに、小さな扉があった。


「……あれ、なんだろ」


好奇心に引かれて近づく。


扉の隙間から、下へと続く暗い階段が覗いていた。


冷たい空気が、足元から這い上がってくる。


「ビビット……ちょっと、様子見てくる」


マークは静かに、その扉に手をかけた。

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